宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

「君は、放っておくのが下手だね」
「そうでしょうか」
「うん。痛そうなものを見ると近づく」

 透子は返事ができなかった。否定できないと思ったからだ。
 人の孤独が見える。胸の奥に沈んだ痛みが見える。その姿を目にしてしまうと、何もせず背を向けることがどうしてもできなかった。

 たとえ自分に何の力もなくても、役に立てなくても、そのまま見過ごすことだけはできないのだ。

「それは、よくないことですか」

 透子が尋ねると、宵はすぐには答えなかった。
 窓の向こうでは風が松の枝を揺らし、その影が静かに庭へ落ちている。

 宵はその景色を眺めるようにしばらく黙っていたが、小さく息を吐くと、穏やかな声で言った。

「危ないことだよ」

 その声音は驚くほど静かで、だからこそ透子の胸へ深く落ちてくる。

「痛みに近づく人間は、たいてい自分も傷つくから」
「旦那様もですか」

 宵の目が細められる。
 透子はしまったと思ったが、言葉はもう戻らない。けれど宵は何も言わず、その代わりに微笑んだ。その笑みは相変わらず綺麗で、少し意地が悪く、そしてどこか遠い。

「僕は違うよ」
「そうですか」
「うん。僕は最初から傷だらけだから、今さら増えたところで変わらない」

 冗談めいた口調だったが、透子にはそれを笑い話として受け取ることができなかった。ぽつりぽつりと、宵の言葉が胸の奥に落ちていく。

「……旦那様」
「何?」
「そういうことを、軽々しく言わないでください」

 自分でも驚くほど真っ直ぐな声だった。
 宵の箸が止まり、ゆっくりと向けられた視線には、何かを測るような色が宿る。

「花嫁さん。君、やっぱり変だよ」
「そうでしょうか」
「うん」

 宵は小さく笑ったものの、その笑みはいつもの皮肉や戯れとは少し違って見えた。

「僕にそんな顔をする人間、久しぶりに見た」
「どんな顔ですか」
「怒っているのに、泣きそうな顔」

 透子は息を呑んだ。怒っているつもりはなかったし、まして泣きそうだなどと自分では思ってもいない。けれど宵の目は冗談を言っているようには見えず、まるで透子自身よりも、その心の奥を見透かしているようだった。