宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 門の外には、嫁ぎ先である南雲家から遣わされた自動車が待っていた。それに乗り込む直前、透子は一度だけ生家を振り返る。

 歴史を感じる古めかしい門を潜ると、どの角度から眺めても同じように見える白い庭がある。いかにも名家と思わせる品のある屋敷だ。

 透子はここで十数年の月日を過ごしてきたが、そこに透子の居場所は、初めからなかったのかもしれない。

 車が走り出す。
 曇り空の帝都は、灰色の薄絹をかぶせられたように静かだった。瓦屋根と洋館。路面を走る車。軍服の男たち。遠くに見える朝廷の尖塔。

 この国は、帝を中心に回っている。朝廷が政を司り、軍府が国を守り、その軍府の奥に置かれた陰陽寮が、不吉なものを処理する。

 呪詛、穢れ、異能による事件、災厄の鎮圧。民が知らずに眠る夜の底で、国を蝕むものを祓う──それが陰陽寮の者たちである。

 南雲家はその陰陽寮を束ねる一族だ。中でも現当主──透子の夫となる人・南雲宵の噂はひどいものだった。

 冷酷無慈悲で人の心がない。軍府の将校ですら、彼の前では息を潜める。笑いながら人を破滅させる。そして、恐ろしく美しい男だという。

 透子はそれらの噂を信じきっていたわけではない。けれど、今回の縁談が愛ではないことくらいは分かっていた。

 政略結婚。あるいは、厄介払いと言ったところだろうか。
 南雲家から縁談が来た時、父は安堵した顔をしていた。母は目も合わせずに「よかったわね」と言い、彩子は少し驚いて、それからすぐに微笑んだ。
 透子はその時も、何も言わなかった。
 
 南雲家の屋敷は、軍府の敷地にほど近い高台にあった。
 黒塀に囲まれた広大な邸宅。古い和館に、洋風の離れが継ぎ足された歪な造り。白い窓硝子が曇天を映し、まるで屋敷全体が夜の気配を抱いているようだった。

 門をくぐった瞬間、透子は息をのんだ。
 寒い。季節の冷たさではない。屋敷全体に、深い孤独が沈んでいる。
 幾重にも折り重なった薄墨のような色だ。誰かひとりのものではなく、長い年月をかけて、この家に染みついてしまった痛みに、透子は思わず胸元を押さえていた。

 老女中に案内され、透子は奥の座敷へ通された。畳の匂い、磨かれた木の香り、遠くでかすかに響く軍靴の音。

 落ち着かない。けれど逃げ出すわけにもいかない。
 透子は膝を揃え、静かに座った。

 やがて、障子の向こうから足音が近づいてくる。
 軽い足音だった。軍人のような重さはない。けれど、その場の空気がすっと変わる。

 老女中が深く頭を下げると同時に、障子が開く。
 現れた男を見た瞬間、透子は言葉を失った。

 とても美しい人だった。男とも女ともつかない、中性的な顔立ち。白い肌に、夜を溶かしたような黒髪。軍服をきちんと着ているのに、どこか着崩したような気配がある。

 眠たげな目。やわらかな微笑。それなのに、少しも温かさを感じられない。

 透子の夫となる人──南雲宵は、透子を見るなりゆるく首を傾げた。

「ああ」

 想像していたよりもずっと甘い声が落ちる。そしてそれはとても冷たい響きだった。

「君が僕の花嫁?」

 透子は慌てて頭を下げた。

「はじめまして。如月家から参りました、透子と申します」
「知ってるよ。書類で見たから」
「……そう、ですか」

 顔を上げると、宵は遠慮なく透子を眺めていた。
 品定め、というほどの熱は感じられない。退屈しのぎに硝子玉でも転がしているような眼差しだった。
 宵は透子を上から下まで眺めると、にこりと笑った。