宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 日が暮れる頃、宵はふらりと透子の部屋へ姿を現した。
 本来なら八重が先に声を掛けるはずだったのだろうが、本人はそんなことを気にする様子もなく、襖が開くなり当然のような顔で中へ入ってくる。

「花嫁さん、生きてる?」

 開口一番にそんなことを言うものだから、透子は思わず眉を寄せた。

「……勝手に入ってこられるのですね」
「ここ、僕の家だから」
「一応、私の部屋では」
「一応ね」

 宵は少しも悪びれない。その姿を見た瞬間、透子の視線は自然と彼の左手へ向かった。昼間よりは綺麗になっているものの、そこにはまだ白い包帯が巻かれている。

「僕の手を見すぎ」
「すみません」
「謝らない」

 反射的に謝ってしまった自分に気づき、透子は小さく息を吐いた。

「……気をつけます」
「よろしい」

 宵は満足そうに頷くと、部屋の隅に置かれた椅子へ腰を下ろした。透子も少し迷った末、その向かいに座る。

「お仕事は、もうよろしいのですか」
「よくないけど飽きたから」

 堂々とした返答に、透子は思わず目を瞬かせた。

「飽きたで済むのですか」
「済まないね」
「でしたら、お戻りになった方が」
「花嫁さんは僕を追い出したいの?」

 心外だと言わんばかりに首を傾げられ、透子は言葉に詰まる。

「そういうわけではありません」
「じゃあ、いる」

 子どものような理屈だった。けれど、その顔色はまだ少し悪い。
 透子は気になったものの、結局そのことを口にすることはできなかった。

 優しくするなと言われている。踏み込むなとも。それでも、目の前に痛みがあるのに何も見なかったことにするのは、透子には少し難しかった。

「……お茶を淹れましょうか」

 せめてそれくらいなら、と口にすると、宵はしばらく透子を見つめていた。

「毒入り?」
「入れません」
「残念」
「なぜ残念なのですか」

 透子が呆れたように問い返すと、宵は肩を竦める。

「花嫁さんが僕を殺そうとするくらい嫌ってくれたら、安心なのに」

 冗談めいた口調だが、透子は笑えなかった。
 南雲宵という人は、自分を遠ざけるためなら、どんな言葉でも使う人間だ。まだ会って二日目だが、それだけは感じ取っていた。