宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 透子が黙っていると、宵は箸を動かす手を止めることなく、ちらりとこちらを見た。

「不満そうな顔だね」
「少し」
「素直でよろしい」
「褒めていませんよね」
「褒めてるよ。僕にしては」

 透子は思わず息を吐いた。笑ったつもりはなかったのに、口元がわずかに緩んでいたらしい。
 宵が興味深そうに目を細めている。

「何でしょうか」
「花嫁さん、そういう顔もするんだ」
「そういう顔?」
「笑いそうで、笑いきれてない顔」

 透子は思わず箸を止めた。
 自分は今どんな顔をしているのだろうか。誰かにそんなことを言われたのも初めてだ。

 嬉しい時も、悲しい時も、なるべく目立たないようにしてきた。感情を表に出さないことは、いつの間にか呼吸をするのと同じくらい当たり前になっていたのだ。
 だからこそ、そんな些細な変化に気づかれたことが落ち着かなかった。

「……あまり見ないでください」
「どうして?」
「落ち着きません」
「そう」

 宵は頷く。そして一拍置いてから、当然のように続けた。

「じゃあ見るね」
「旦那様」
「僕ね、嫌がらせは得意なんだ」
「でしょうね」

 今度こそ、透子は笑ってしまった。
 しまったと思った時には、もう遅い。
 宵はまるで面白い玩具でも見つけたような顔で、じっと透子を見ていた。

「いいね」
「何がでしょう」
「君、ちゃんと怒るし、ちゃんと笑う」

 宵はそう言いながら箸を置いた。

「お人形みたいな子が来たらどうしようかと思ってた」

 相変わらず失礼な言い方だった。けれど、その言葉は不思議なくらい胸に引っ掛からない。

 実家では、むしろそうあることを望まれていたからだ。余計なことは言わず、感情を表に出さず、静かにしていること。誰かの邪魔にならず、手の掛からない娘でいること。

 それが当たり前になりすぎていて、自分でも気づかないうちに、そう振る舞うことに慣れてしまっていた。

「私は、人形ではありません」

 気づけば、そう口にしていた。
 宵はわずかに目を見開く。それから、ふっと笑った。

「うん」

 穏やかな声だった。

「それならよかった」

 透子は返事をすることができなかった。その言葉が胸の奥へ静かに落ちて、消えずに残る。

 窓の外では朝の光が庭木を照らし始めていた。けれど透子の中では、それとは別の小さな灯が、誰にも気づかれないままそっと灯っていた。