朝餉の席に宵が現れたのは、透子が席について少し経ってからだった。
彼は昨日と同じ黒い軍服姿だった。八重の言っていた通り、随分と遅くまで仕事をしていたのだろう。ひょっとしたら眠らずにここに来たのかもしれない。とても眠そうな目をしている。
「おはよう、花嫁さん。よく眠れた?」
「おはようございます」
「僕の質問に答えていないね」
「……あまりよく眠れませんでした」
「だろうね。初日から夜歩きしかけるくらいだから」
透子は言葉に詰まった。
「……昨日は、申し訳ありませんでした」
「謝られるの嫌いだって言ったよね」
「では、気をつけます」
「うん。そっちの方がいい」
宵は満足そうに頷くと、透子の向かいへ腰を下ろした。
八重が手際よく茶を注ぐ。宵は礼を言うこともなく湯呑みを持ち上げたが、その仕草はあまりにも自然で、無礼という印象は不思議と抱かなかった。八重もまた慣れているのだろう。特に気に留める様子もなく、静かに食卓を整えている。
透子は箸を取ろうとして、ふと宵の左手へ視線を向けた。
昨夜、白い手袋の下に滲んでいた黒い穢れ。今は何事もなかったかのように覆い隠されていて、その下にあるものを窺うことはできない。
知らないふりをするべきなのだろう。優しくするなと、昨夜あれほど念を押されたのだから。でも、それでも気になってしまうのは、どうしてだろうか。
「手は……」
そこまで口にしたところで、透子は言葉を飲み込んだ。
宵は湯呑みを傾けながら、ちらりとこちらを見る。
「何?」
「……何でもありません」
そう答えると、宵は面白そうに目を細めた。
「嘘だね」
「何でもありません」
「二度言うと、だいたい嘘だよ」
穏やかな口調だった。責めているわけでも、問い詰めているわけでもない。ただ透子の考えていることなど最初からお見通しだと言わんばかりの声音だった。
透子は返す言葉を見つけられないまま、そっと箸へ視線を落とす。
そんな彼女を見て、宵は喉の奥で小さく笑った。
「花嫁さんは分かりやすいね。僕の手が気になる?」
「気にするなと言われましたので」
「気にするなとは言ってない。優しくするなと言っただけ」
「違いがあるのですか」
「大ありだよ」
宵は何でもないことのように焼き魚をほぐした。
「気にするのは君の勝手。踏み込ませるかどうかは僕の勝手」
相変わらず意地の悪い言い方だった。けれど不思議と理不尽には聞こえない。納得したくはないのに、妙なところで筋が通っているから困るのだ。


