ふと、宵が透子の手を持ち上げ、その指先へそっと唇を寄せた。自然な仕草だったせいで、透子は何が起きたのか理解するまで一拍遅れてしまう。
指先へ残る温度に気づいた途端、胸の奥が跳ね上がり、気づけば息を呑んでいた。
「……宵様」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど頼りない。
「急にそういうことをなさるのは、どうかと思います」
すると宵は悪びれる様子もなく首を傾げた。
「嫌だった?」
「嫌ではありません」
「なら問題ないね」
「問題はあります」
「どっちなんだろう」
愉快そうに笑うその顔を見ていると、抗議する気力まで削がれてしまう。
春の風が吹き抜け、枝先に残る花がさらさらと揺れた。
透子の膝元へ落ちた花びらを眺めながら、宵はふと懐かしいことを思い出したように目を細める。
「そういえば」
「はい」
「前に、僕のことを好きになったら離婚だって言ったよね」
その言葉に、透子は思わず笑ってしまった。
あの頃の宵は本気だったのだろう。
自分を好きになるなと繰り返し言い聞かせ、距離を取ろうとして、それでもうまくできなくて、結局は誰より先に自分が困ってしまうような人だった。
「もう好きです」
透子がそう答えると、宵は少しも驚かなかった。
「知ってる」
当然のように返されてしまい、透子は頬を膨らませる。
「では離婚ですか」
「しない」
その迷いのなさに、今度は透子の方が目を瞬く。
「なぜですか」
問い返すと、宵はどこか困ったように眉を下げた。
けれど視線だけは逸らさない。
「僕が君にそばにいてほしいから」
以前の彼なら決して口にしなかっただろう言葉だった。
弱さを見せることも、人を求めることも、ずっと怖がっていた人が、今はちゃんと自分の願いとして言葉にしてくれる。
それが嬉しくて、透子の胸は静かに熱を帯びた。
「私も、宵様のそばにいたいです」
そう答えると、宵は何か言おうとして、結局やめたらしかった。
繋いだ手へ目を落とし、諦めたように笑う。その横顔は穏やかで、どこか照れくさそうでもあった。
風が庭を渡る。
薄紅の花びらが二人の間を流れていく。
しばらくその景色を眺めていた宵が、不意に思い出したように口を開いた。
「ねえ、透子」
「はい」
「君はどんなお婆さんになると思う?」
唐突な問いに、透子は思わず首を傾げる。
「お婆さん、ですか」
「うん」
宵は庭の向こうを眺めながら続ける。
「君はきっと縁側でお茶を飲んでると思う。近所の子にお菓子を配ったりしてさ」
「そうでしょうか」
「それで時々、僕の悪口を言う」
「言いません」
「本当かな」
疑わしそうな顔をされてしまい、透子は思わず頬を膨らませた。
その様子が可笑しかったのだろう。
宵は肩を揺らして笑う。けれどその笑みは長く続かなかった。
指先へ残る温度に気づいた途端、胸の奥が跳ね上がり、気づけば息を呑んでいた。
「……宵様」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど頼りない。
「急にそういうことをなさるのは、どうかと思います」
すると宵は悪びれる様子もなく首を傾げた。
「嫌だった?」
「嫌ではありません」
「なら問題ないね」
「問題はあります」
「どっちなんだろう」
愉快そうに笑うその顔を見ていると、抗議する気力まで削がれてしまう。
春の風が吹き抜け、枝先に残る花がさらさらと揺れた。
透子の膝元へ落ちた花びらを眺めながら、宵はふと懐かしいことを思い出したように目を細める。
「そういえば」
「はい」
「前に、僕のことを好きになったら離婚だって言ったよね」
その言葉に、透子は思わず笑ってしまった。
あの頃の宵は本気だったのだろう。
自分を好きになるなと繰り返し言い聞かせ、距離を取ろうとして、それでもうまくできなくて、結局は誰より先に自分が困ってしまうような人だった。
「もう好きです」
透子がそう答えると、宵は少しも驚かなかった。
「知ってる」
当然のように返されてしまい、透子は頬を膨らませる。
「では離婚ですか」
「しない」
その迷いのなさに、今度は透子の方が目を瞬く。
「なぜですか」
問い返すと、宵はどこか困ったように眉を下げた。
けれど視線だけは逸らさない。
「僕が君にそばにいてほしいから」
以前の彼なら決して口にしなかっただろう言葉だった。
弱さを見せることも、人を求めることも、ずっと怖がっていた人が、今はちゃんと自分の願いとして言葉にしてくれる。
それが嬉しくて、透子の胸は静かに熱を帯びた。
「私も、宵様のそばにいたいです」
そう答えると、宵は何か言おうとして、結局やめたらしかった。
繋いだ手へ目を落とし、諦めたように笑う。その横顔は穏やかで、どこか照れくさそうでもあった。
風が庭を渡る。
薄紅の花びらが二人の間を流れていく。
しばらくその景色を眺めていた宵が、不意に思い出したように口を開いた。
「ねえ、透子」
「はい」
「君はどんなお婆さんになると思う?」
唐突な問いに、透子は思わず首を傾げる。
「お婆さん、ですか」
「うん」
宵は庭の向こうを眺めながら続ける。
「君はきっと縁側でお茶を飲んでると思う。近所の子にお菓子を配ったりしてさ」
「そうでしょうか」
「それで時々、僕の悪口を言う」
「言いません」
「本当かな」
疑わしそうな顔をされてしまい、透子は思わず頬を膨らませた。
その様子が可笑しかったのだろう。
宵は肩を揺らして笑う。けれどその笑みは長く続かなかった。


