宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

「透子」

 不意に呼ばれた声は、それまでよりも静かだった。
 透子が顔を向けると、宵は手の中で花びらを弄びながらこちらを見ている。

「君はまだ僕のことが好き?」

 あまりにも自然な調子で問われて、透子は目を丸くした。

「どうしてそんなことを聞くのですか」
「確認」
「確認、ですか」

 宵は頷く。

「僕は性格が悪いし、面倒だし、嫉妬深いし、これから先もたぶん何度か君を困らせると思うから」
「自覚はあるのですね」
「あるよ。僕は賢いから」
「そこは反省するところではありませんか」
「反省はしてる。改善できるかは別問題」

 正々堂々と言われてしまい、透子は思わず吹き出した。
 宵は納得がいかないという顔をする。

「今のどこが笑うところだったの」
「全部です」
「ひどいなあ」
「宵様ほどではありません」

 そう返すと、宵は観念したように笑った。そして何気ない仕草で透子の手へ触れる。

 手袋越しではなく、少し冷たい指先だった。その温度を確かめるように指を重ねながら、宵は庭の向こうへ視線を向ける。

「僕はまだ怖いよ」

 独り言のような声音だった。

「君に好かれることも、君を好きでいることも、ときどき驚くくらい怖くなる」

 透子は何も言わず、その言葉を受け止める。
 宵は昔のように隠さなくなった。だから透子も、急いで慰めようとはしない。
 ただ隣にいる。それでいいことを知っているから。

「でも」

 宵は透子の手を包み込む。

「怖くても、手放したくない」

 その言葉は春の風より静かだった。けれど透子の胸には、確かなぬくもりとなって落ちてくる。

「私もです」

 そう答えると、宵が目を細めた。

「透子も怖い?」
「はい」
「僕が?」

 透子は首を横に振る。それから隣にいる人を真っ直ぐ見つめた。

「幸せになることが、まだ少し怖いのです」

 宵はしばらく何も言わなかった。けれどその眼差しは驚くほどやさしかった。

「じゃあ、一緒に慣れていこうか」

 その言葉に、透子は静かに微笑んだ。

「宵様もですか」
「もちろん」

 春の風が二人の間を通り過ぎる。
 舞い上がった花びらが光を受けながら流れていくのを眺めながら、透子はそっと頷いた。