‐26-
ヤミポンは俺の中にいるときと俺の体から出て周辺にいるときがあって、体から出ているときにお守りに触れると消滅する可能性がある、と航琉くんに説明し、航琉くんと俺は感染症対策みたいな距離感になった。昼食はリモートだ。
直接会うときはディスタンスである。手も繋げないので投げキッスで対応。投げキッスが恋仲のどの段階にあるのか俺にはわからない。18禁ではないことは確かなのでお互い積極的にキッスを投げ飛ばしまくっているし掴んで投げ返したりもする。
そんなこんなでディスタンスを保ちながら美術室だ。夜の侵入じゃなく、閉鎖もされてないから気楽に入れる。放課後の美術室。部活動が終わる時間まで教室の端と端で駄弁って過ごしてたから、今日も今日とて夕暮れである。
「……?」
美術室に入る前、少しの眩暈と、一瞬目の前の風景がぶれて見えた。
プールの近く……? 音楽室?
ここは、どこだ?
「燈李さん?」
ディスタンスを保った距離から、やや大きな声で航琉くんが俺を呼び、ハッと意識が戻る。
「航琉、くん」
航琉くんが居る。ここに。
ここは、えーと、美術室の前だ。
今のは、幻覚か?
「何かありましたか」
「えーと……大丈夫、多分寝不足? だと思う」
説明がすぐに思い浮かばず、取り繕ってみる。訝しげな眼差しが、この距離でも感じ取れた。相変わらず目力が凄い。お陰で俺は幻覚から現実に戻って来られたのかもしれない。
「お邪魔しまーす……」
なんとなく挨拶をして、美術室の扉を開ける。俺が入って少ししてから、航琉くんも一礼して入ってきた。ディスタンスだ。
美術室の中は意外と簡素で、机と椅子と、棚に道具があるだけだ。石膏像はない。奥の美術準備室にあるのかな。
俺は航琉くんを手招きして、教室後ろの扉から続く美術準備室に入った。
遮光カーテンが引かれていて、暗い。見えないって程じゃないけど見えにくい。
「電気、つきませんね……」
航琉くんがパチパチと電気スイッチを何度か押しているが、反応はないようだ。
カーテンを開けて勝手に入ったのが外からバレて怒られるのも嫌だしなぁ……。
俺はポケットからスマホを出し、ライトをつける。ストラップが揺れた。
ヤミポンはあれからだんまりだ。兄妹喧嘩と同じで、気持ちが落ち着くのを待つしかないときもある。
子供の霊はずっと泣いていた。おはなしをすれば少し泣き止むみたいだったけど、声を殺してしゃくり上げるような音がよく聞こえていた。
俺は、何も知らないままだ。この子が誰なのか、どうして泣いているのか、ヤミポンが嫌う理由は何なのか。
知りたい。彼のことも、この子のことも。知ってどうするのかは分からないけど、このままでいいとは思えない。
美術準備室に石膏像は勿論あったけど、動く像は居ないようだ。航琉くんもお守りを外して部屋の端に置いてくれたけど、全くなんの気配もない。
やっぱり単なる見間違いだろうなぁ……内心ちょっぴり残念だけど、室内には石膏像よりも目を惹かれるものが沢山あった。
大小様々な絵画や彫刻だ。作りかけと思われるものの近くには絵筆や彫刻刀が置かれたままだ。文化祭で展示をするんだっけ。在校生の作品だけじゃなく、卒業生が置いていったものも出すとかって聞いた覚えが……
「え」
「どうかしましたか」
題名『夜明け』。
「これって……」
作者『青和田大星』。
スマホのライトが照らした先の、大きな絵画。
濃紺とオレンジのグラデーション。輝く小さな星。この絵に描かれた空を見上げる四人の後ろ姿は、俺の知っているものでは見切れていたけれど。
「燈李さんの、ストラップの……?」
――やめて、やめて、やめて!!!
「えっ……? わっ!」
俺の右手が、近くにあった彫刻刀を逆手に持った。
――とめて!!!
「え、な、止まって、」
彫刻刀は、絵画に向けて振りかざされる。
「タイセイ!!!」
俺の口から、憎悪に塗れた声が出ていた。
航琉くんが俺の手首を掴んでいる。俺の目は航琉くんのほうを向いた。
「離せ、何も、知らないくせに……っ!」
航琉くんに、誰かの姿が被って見えた。この目が憎悪を向ける相手。誰を、見ている?
「離しません! そちらこそ彫刻刀を……燈李さんを! 離して、ください」
俺には航琉くんの声が聞こえていた。でも、誰か別の声も、"思い出す"ような感覚がした。
穏やかな、優しい声。こちらに触れようともう片方の手を伸ばす……
航琉くんと姿の被る誰かを見た俺の左手から、スマホが落ちて大きな音を立てた。
音に体がビクリと反応し硬直したとき、彫刻刀を取ろうと航琉くんの手が俺の右手に近付いてきていたことに、こちらも気が付き――
「触るな!!!」
と、反射的な抵抗をした。
ザッ、と何かが切れた音。
航琉くんの手からボタボタと垂れる、赤。
「航、琉、くん」
俺が航琉くんに寄ろうとするのを無視して、俺の体は動く。床に落ちたスマホのストラップの方へ。
右手はそのまま彫刻刀を振りかざし、ストラップを……プラスチックのケースを砕き、中の写真に穴を開けた。
「なん、で……」
俺は手に壊れたストラップと自分の手を見て、それしか思うことが出来なかった。
血が、付いている。航琉くんの。
意味が、わからない。なんで、何が、起きた?
――うわぁぁん!
子供が、泣いている。
「今は、ごめん。航琉くん、大丈……」
――うわぁぁん! うっ……
バチン!!! と大きな音が響いた気がした。
まさか。
――う、ご……ごめんなさい……
「まさか、お前殴ったのか? 子供を……?」
返答はない。
半径三歩内には何も、見えない。
「航琉くん」
「僕は大丈夫です。燈李さんは、大丈夫ですか」
「俺は……俺は、」
航琉くんから血が出ていて、
父さんが母さんを刺したことが
「……わかんない」
思い出されて、眩暈がする。
「なんで」
スマホから、音はしない。
航琉くんが拾ってくれたけど、壊れたストラップが揺れるだけだった。
翌日、プールの近くと美術室で、何人かの生徒が倒れた。俺の教室でも。
先生は、寒暖差による体調不良だろうと話していた。
ヤミポンは俺の中にいるときと俺の体から出て周辺にいるときがあって、体から出ているときにお守りに触れると消滅する可能性がある、と航琉くんに説明し、航琉くんと俺は感染症対策みたいな距離感になった。昼食はリモートだ。
直接会うときはディスタンスである。手も繋げないので投げキッスで対応。投げキッスが恋仲のどの段階にあるのか俺にはわからない。18禁ではないことは確かなのでお互い積極的にキッスを投げ飛ばしまくっているし掴んで投げ返したりもする。
そんなこんなでディスタンスを保ちながら美術室だ。夜の侵入じゃなく、閉鎖もされてないから気楽に入れる。放課後の美術室。部活動が終わる時間まで教室の端と端で駄弁って過ごしてたから、今日も今日とて夕暮れである。
「……?」
美術室に入る前、少しの眩暈と、一瞬目の前の風景がぶれて見えた。
プールの近く……? 音楽室?
ここは、どこだ?
「燈李さん?」
ディスタンスを保った距離から、やや大きな声で航琉くんが俺を呼び、ハッと意識が戻る。
「航琉、くん」
航琉くんが居る。ここに。
ここは、えーと、美術室の前だ。
今のは、幻覚か?
「何かありましたか」
「えーと……大丈夫、多分寝不足? だと思う」
説明がすぐに思い浮かばず、取り繕ってみる。訝しげな眼差しが、この距離でも感じ取れた。相変わらず目力が凄い。お陰で俺は幻覚から現実に戻って来られたのかもしれない。
「お邪魔しまーす……」
なんとなく挨拶をして、美術室の扉を開ける。俺が入って少ししてから、航琉くんも一礼して入ってきた。ディスタンスだ。
美術室の中は意外と簡素で、机と椅子と、棚に道具があるだけだ。石膏像はない。奥の美術準備室にあるのかな。
俺は航琉くんを手招きして、教室後ろの扉から続く美術準備室に入った。
遮光カーテンが引かれていて、暗い。見えないって程じゃないけど見えにくい。
「電気、つきませんね……」
航琉くんがパチパチと電気スイッチを何度か押しているが、反応はないようだ。
カーテンを開けて勝手に入ったのが外からバレて怒られるのも嫌だしなぁ……。
俺はポケットからスマホを出し、ライトをつける。ストラップが揺れた。
ヤミポンはあれからだんまりだ。兄妹喧嘩と同じで、気持ちが落ち着くのを待つしかないときもある。
子供の霊はずっと泣いていた。おはなしをすれば少し泣き止むみたいだったけど、声を殺してしゃくり上げるような音がよく聞こえていた。
俺は、何も知らないままだ。この子が誰なのか、どうして泣いているのか、ヤミポンが嫌う理由は何なのか。
知りたい。彼のことも、この子のことも。知ってどうするのかは分からないけど、このままでいいとは思えない。
美術準備室に石膏像は勿論あったけど、動く像は居ないようだ。航琉くんもお守りを外して部屋の端に置いてくれたけど、全くなんの気配もない。
やっぱり単なる見間違いだろうなぁ……内心ちょっぴり残念だけど、室内には石膏像よりも目を惹かれるものが沢山あった。
大小様々な絵画や彫刻だ。作りかけと思われるものの近くには絵筆や彫刻刀が置かれたままだ。文化祭で展示をするんだっけ。在校生の作品だけじゃなく、卒業生が置いていったものも出すとかって聞いた覚えが……
「え」
「どうかしましたか」
題名『夜明け』。
「これって……」
作者『青和田大星』。
スマホのライトが照らした先の、大きな絵画。
濃紺とオレンジのグラデーション。輝く小さな星。この絵に描かれた空を見上げる四人の後ろ姿は、俺の知っているものでは見切れていたけれど。
「燈李さんの、ストラップの……?」
――やめて、やめて、やめて!!!
「えっ……? わっ!」
俺の右手が、近くにあった彫刻刀を逆手に持った。
――とめて!!!
「え、な、止まって、」
彫刻刀は、絵画に向けて振りかざされる。
「タイセイ!!!」
俺の口から、憎悪に塗れた声が出ていた。
航琉くんが俺の手首を掴んでいる。俺の目は航琉くんのほうを向いた。
「離せ、何も、知らないくせに……っ!」
航琉くんに、誰かの姿が被って見えた。この目が憎悪を向ける相手。誰を、見ている?
「離しません! そちらこそ彫刻刀を……燈李さんを! 離して、ください」
俺には航琉くんの声が聞こえていた。でも、誰か別の声も、"思い出す"ような感覚がした。
穏やかな、優しい声。こちらに触れようともう片方の手を伸ばす……
航琉くんと姿の被る誰かを見た俺の左手から、スマホが落ちて大きな音を立てた。
音に体がビクリと反応し硬直したとき、彫刻刀を取ろうと航琉くんの手が俺の右手に近付いてきていたことに、こちらも気が付き――
「触るな!!!」
と、反射的な抵抗をした。
ザッ、と何かが切れた音。
航琉くんの手からボタボタと垂れる、赤。
「航、琉、くん」
俺が航琉くんに寄ろうとするのを無視して、俺の体は動く。床に落ちたスマホのストラップの方へ。
右手はそのまま彫刻刀を振りかざし、ストラップを……プラスチックのケースを砕き、中の写真に穴を開けた。
「なん、で……」
俺は手に壊れたストラップと自分の手を見て、それしか思うことが出来なかった。
血が、付いている。航琉くんの。
意味が、わからない。なんで、何が、起きた?
――うわぁぁん!
子供が、泣いている。
「今は、ごめん。航琉くん、大丈……」
――うわぁぁん! うっ……
バチン!!! と大きな音が響いた気がした。
まさか。
――う、ご……ごめんなさい……
「まさか、お前殴ったのか? 子供を……?」
返答はない。
半径三歩内には何も、見えない。
「航琉くん」
「僕は大丈夫です。燈李さんは、大丈夫ですか」
「俺は……俺は、」
航琉くんから血が出ていて、
父さんが母さんを刺したことが
「……わかんない」
思い出されて、眩暈がする。
「なんで」
スマホから、音はしない。
航琉くんが拾ってくれたけど、壊れたストラップが揺れるだけだった。
翌日、プールの近くと美術室で、何人かの生徒が倒れた。俺の教室でも。
先生は、寒暖差による体調不良だろうと話していた。
