-25-
航琉くんの調子が戻ってきて、俺達はプールに向かっている。
〈今日は忘れてないだろうな。道具、家の中で探している様子はなかったが〉
「今日? 道具はいつも鞄に入ってるよ」
〈……あぁ、そうだったな〉
……? とりあえず今は鍵開けに集中だ。
プールの扉の鍵はよくある南京錠だ。これならちょっとした道具と技術があれば……よし! 開いた!
〈……キミの犯罪行為に慣れてきてしまったが、一応言っておく。犯罪だぞ、それ〉
「今後は……善処シマス……」
「今後は家庭科準備室のみ、夜に仕事で残っていた先生が見たらしい、という噂です。でもこの七不思議探索はヤミポンさんの解放を叶えることが目的なんですよね?」
〈やむを得ないか〉
「諦めてくれ」
プールは静かだった。
水は張ってはあったけど、水面は穏やかで波一つない。
「何も泳いでませんね」
〈この学校のプールでの死亡事故は聞いたことがない。大昔ならともかく、噂が流れたのは最近なんだろう? 教師と生徒以外の霊なら勝手に入り込んだ部外者が溺れて死んだとか、浮かんだ水死体を啄む鳥や、たかる虫が居てその動きや音で目撃者からはオバケが泳いで見えたとか?〉
「エグいこと言うなよ……それに部外者が死んでてもニュースになるんじゃないかなぁ……」
プールサイドをぐるっと一周歩いてみたけど、特におかしなものはなさそうだ。
「ただの噂だったんでしょうか」
「噂話あるあるだよ。基本的に根も葉もない」
「残念です」
〈場所を巡ればクリア、というわけではないのか? 『六つ巡って屋上に』はどういう条件なんだ〉
「……あんま考えてなかったな」
俺達はもう一周、今度は反対周りでプールを見ながら歩いている。
「それっぽい不思議な現象を見たら、七不思議が本当だったってことで条件クリアなんじゃないかな。ピアノの霊みたく、叶えられなかった望みがあるタイプの不思議現象ばっかじゃないだろうし……」
自分発祥の噂話を補強するむなしさは若干あるけど不思議現象は起きてるわけだから、このくらいの条件が妥当なんじゃないかなぁ。
「ピアノの霊で思ったのですが、ヤミポンさんは燈李さんから離れることが出来たら成仏をするんですか?」
〈成仏……?〉
サァッと風が吹く。
太陽の落ちた夕方の空は暗く、雲も出てきている。
ヤミポンは俺の体に入るまでは屋上に居たらしい。だから出て行ったとしても成仏は出来ないんじゃないか。
「ヤミポン、成仏したい?」
未練があって成仏出来ないなら、協力したいし助けたいと思う。
〈その質問は生のある人間に死を望むか聞いているのと同義かな〉
「え」
〈幽霊は成仏したがっている、それこそ噂か創作話だろう。人間が死後を予測出来ないように、僕にも自分のこの先の予測はつかない〉
「で、でも屋上に戻るとして、その先どうやって過ごすの」
〈さぁな……前と同じようにじっとしてるよ。殆ど気を失ってる状態に近かったし、暇とかつまらないとかもない〉
「じゃあ人形を八つ裂きとか言うなよ……」
「八つ裂き発言は確か僕ですね」
「そう……って、わああ!!! 何してんの!」
航琉くんが脱いでいる。パンイチだ。
「泳いだほうが良いのかなと……預かっていていただけますか」
航琉くんは首から下げていたお守りを手に取り、目を伏せ……なんてこった、お守りにキスをしてから俺に渡してきやがった。
「お、まえ、そう、いうことを……!!!」
こちとらどこから来るか分からない恥ずかしさと恥ずかしさを感じさせられたことに対する怒りのような気持ちで沸騰しそうだ。
〈狙ってやってるの? 天然?〉
「半分はいつもの癖です。残り半分、わざわざ見せつけたのは狙ってやってます」
……正直でよろしい。
「見た目にしか取り柄がないので、見栄えで攻めていこうかと」
「そんなことないよ!!!」
「そうですか?」
「見た目もそりゃ良いけど、通話とかメッセージとか見た目を見てないときもちゃんとときめいてるよ」
連絡は俺が連絡したがりなので、恋人になってからはかなりの頻度で通話やメッセージを送りまくっている。航琉くんは呆れずに返事をしてくれて、俺はそれが嬉しくてときめくってわけ。
とはいえ見た目もそりゃ良い。美人は三日で飽きるとかいう諺は嘘だ。毎回その美っぷりにビックリしている。
その美っぷりが、眼前でにっこりと微笑んだ。
上裸だ。
俺の頬に手を伸ばして近付いてくる。
「待て待て待て待て!!!」
「なんですか。雰囲気はあったと思います」
「18禁18禁18禁18禁」
「僕は15です」
「知ってるよ!!! でもこう、絵面が!!! 半裸!!! ってかほぼ裸!!!」
「自信はあります」
「だろうよ……どこに出しても恥ずかしくないパンイチだ……」
「嫌ですか」
「嫌じゃ、ないけど……」
ほっぺた触られて雰囲気に任せてチューするのはやぶさかではない。っつーかしたい。
でも今はダメだ。ヤミポンがしんどいだろうから。しんどくなくても、あんま共有したいことじゃないしな、こればっかりは。
「半裸でどうこう、は18禁じゃねぇかな……」
「……服を着てても」
航琉くんは俺のポケットをチラリと見た。スマホが入っているほうのポケットだ。
「……いえ、なんでもないです」
航琉くんも俺も、ヤミポンを仲間外れにしたいわけじゃない。
だけど好き同士で触れ合うことを望む人間と、相手を好きでもなく接触が苦手な人間が同じ体に居るには難しい部分も出てきてしまう。ヤミポンとずっと仲良くしていくためにも、俺の体から離れさせる必要があるのかもしれないと俺も今は思い始めている。
航琉くんに、恋人に触れたいと思う。出来れば二人きりで。
それともう一つ。
「段階、踏みたいしさ……」
「段階?」
「ちゃんと好きって言って、手繋いで、デートして、それから……」
「済みですよ全部」
「俺の側が第一段階で止まってんの!」
「今言ってた! じゃないですか!!」
「面と向かってちゃんと伝えるのがさぁ〜……」
「言いましょう。今。すぐに」
「……す、」
目の前、半裸。期待の眼差し。
「……す、……ぅぅぅ、うぐぐぐぐ……」
本当に、なんで出てこないんだ。素直であけっぴろげなのが俺の長所だったのに!!!
「別に、言わなくてもいいのに。段階なんて。伝わってますよ、ちゃんと」
目の前、半裸。寂しげな顔。
「ごめん……」
「謝らないでください。振られたみたいな気持ちになります」
「ううっ」
だからこそだ。理不尽な振り方をして傷つけてきたから、ちゃんと好きだと伝えたい。
「俺には、すごく重要なことで……色々我慢させまくりなの分かってんだけど、でも、何もせずに受け取ってばっかりはズルいじゃん。もう卑怯者になりたくないんだ。航琉くんに対しては特にそう思う」
「……」
綺麗な顔に眉間の皺が寄っている。
「待ち、ます。……どうせ18歳まで待たないといけないこともありますから……」
18禁は18歳になってから。航琉くんはこう見えてかなり18禁にノリ気だし、俺も勿論ノリ気だが、未来への楽しみがあるのって良いよなと思う。
「あと2年?」
「と数ヶ月……」
「頑張ろう」
「頑張ります……わっ!」
お守りを受け取り、航琉くんがプールの縁に座って足を水に入れようとした瞬間、ドボン! と、プールの中に滑って落ちた。
滑って落ちた、ように見えた。
のほほんと、「大丈夫?」と聞こうと思ったけど、水面の下で航琉くんは何かに掴まれてもがいている。
俺は考えるよりも先に飛び込んでいた。
航琉くんを掴み、引き上げようとしても、服を着ている俺の方が重い。
水中の何かが、俺にも掴み掛かろうと手を伸ばす。その手は、いや体全体は、ドロドロに溶けている。
人間の、死体か? 水中で放置されると溶けるんだっけか。もしくはそう見える何かか。鳥や虫の集まりのようにも思えた。
暗い水中でその何かはグネグネと不定形に歪み、俺達をを引き摺り込んで楽しんでいる。
水面が遠い。
足にまとわりつかれている。
もがけばもがくほど、ガボガボと肺から空気が逃げる音だけが響く。それを愉しむ複数の声。
――エモノ、エモノ……
――ナカマ、ナカマ、ナカマ……
俺は獲物でも、仲間でもない!
くそっ、息が……!
意識、が……
――燈李! しっかりしろ!
しっかりっつったって……どうしろと……
――目の前! 僕は嫌だぞ!
「うっ、ガボッ」
きしょい!!! 膨張して色素が抜けたかなような肌とブヨブヨになった皮膚、ところどころが溶けてブツブツと穴が開き、穴の中には多量のウジ虫が蠢いている。
溶けてくっついて固まったみたいな、おおよそヒトの形とは思えない手をこちらに伸ばし抱きつこうとしてきているその顔は、膨れ上がって目の場所も埋もれてわからないのに、口は大きく開いて笑っている。
無理無理無理無理抱きつかれたくない俺だって嫌だ!!!
咄嗟に俺は両手を突き出し、ブヨブヨオバケの抱擁を拒絶した。
手の中にある物と、ブヨブヨオバケが触れる。
――ギャアッ
叫び声が聞こえ、拘束が解かれた。
……水面に上がれる!
俺はどうにか航琉くんを連れ、プールを出ることに成功した。重い。航琉くんも重いし、何より水を吸った俺の制服が重い。
「航琉くん!!! しっかりして!」
航琉くんの肩をバシバシ叩いてみる。意識がない。
「どうすんだっけ!? こういうとき! 胸部突き上げ!?」
――それは餅を詰まらせたときだ。今は心肺蘇生と人工呼吸が……
「餅!? 航琉くん!」
「ゲホッ、ゲホッ、う……」
「航琉くん!!!」
名前を呼び続けて叩き続けていたら、航琉くんは水を吐き出してくれた。
「航琉くん! 無事!? 大丈夫!?」
「大丈夫、ケホッ、です。一体何が……」
航琉くんはずぶ濡れの俺を見て驚いている。
プールを見ても、水中には何も居ない。消えたのか……?
〈もう少しで心肺蘇生と人工呼吸が行われるところだったよ〉
スマホはポケットに入ったまま俺と一緒に水中遊泳をしたためか、合成音声がだいぶ雑音混じりになってしまっている。
「人工呼吸……やりましょう。数分時を巻き戻した感じになりますので、お願いします」
「いや航琉くん、寝ないで」
「やらないんですか」
「逆に聞きたいんだけど、いいの? 人工呼吸の名目で済ましちゃって。俺は嫌だよ」
航琉くんが勢いよく起き上がり、俺の手を握る。ここは俺自身がビクついた。勢いが凄い。
「それはっ! キスの名目でキスがしたいと思っているということでいいですか!」
「そうだよ。俺プラトニックな関係じゃなくて段階踏んでイチャイチャするの目標にしてるから」
「段階……っ」
航琉くんが面白いくらいにガックリと肩を落としてしまった。
「頑張ります……」
いっぱい頑張ってくれている。俺も頑張らなねば。ヤミポンと離れて、航琉くんと遠慮なく触れ合えるようになって、そうしたら……
――いたい、いたいいたいいたいぃぃっ!!!
いきなり、子供の叫び声がした。今までにない程、強く激しい痛みの声。
声のした方に振り返れば、プールから上がったときに床に置いていたお守りに、ヤミポンの透明な輪郭が触れようと手を伸ばしている。
伸ばした手の先が、焼け焦げていくかのように消滅して……
「やめろ!!! 何してんだよ!!!」
――アハハハッ!
「……っ!」
背筋に鳥肌が立つような笑い方だった。
聞き慣れた合成音に近い声色。さっきも聞こえていた、中音域の男のもの。
俺はすぐにお守りを拾い上げ、航琉くんに渡した。
――……! ……。
聞き取りにくい。何か話しているのは分かる。
〈……やっぱりこっちか。キミは鈍いな〉
雑音混じりだけど、抑揚はいつもの通り小綺麗で、微かに人間とは異なる合成音声の声がした。
質の高い合成音声。細やかな音階や強弱で感情が豊かに表現されている。あくまで作られた『表現』だ。感情そのものはむしろ伝わって来にくくなる。
さっき、本当の声が聞こえるようになったと思ったのに。
あのときは、プールの中では俺のことを、上がったときは航琉くんのことを心配して焦っている人間味のある声だった。なのに、今は。
〈勿体ないな。止めなくて良かったのに〉
計算された抑揚の合成音声は、棒読みではない。そして淀みなく、本物の声でもない。感情が一切掴めない。
〈僕を殺せるチャンスだったのにね〉
「何、言ってんだ……」
〈正しい言い回しとしては『消せる』か。生命活動を停止させる行為ではないもんな。僕の感覚からすると、『殺される』が最も近いけど。そうすればキミは彼と接触し放題だ! やったね! おめでとう〉
「なんで、そうなる……」
〈正直に言えよ。これまで全くそれを望まなかったとは言えないだろ?〉
「それは……っだけど、消えてほしいなんて思ってない!」
〈……へぇ、抜け落ちても、同じことを言うんだな〉
透明な輪郭は、俺の横を通り航琉くんの胸元に触れようとした。セクハラ! なんて冗談を飛ばしていられない。そこにはお守りが首から掛けられている。
「航琉くん! 悪いけど俺のジャージ取ってきてくれる!? 服は着て。今は俺に近付かないで。説明は後でするから」
俺は航琉くんから距離を取る。俺の周囲数歩から出られないなら、もうこれでお守りには近寄れない。
「わかりました」
航琉くんは困惑した様子だったけど、濡れたパンツを脱いで制服を着て、ジャージを取りに行ってくれた。
航琉くんの調子が戻ってきて、俺達はプールに向かっている。
〈今日は忘れてないだろうな。道具、家の中で探している様子はなかったが〉
「今日? 道具はいつも鞄に入ってるよ」
〈……あぁ、そうだったな〉
……? とりあえず今は鍵開けに集中だ。
プールの扉の鍵はよくある南京錠だ。これならちょっとした道具と技術があれば……よし! 開いた!
〈……キミの犯罪行為に慣れてきてしまったが、一応言っておく。犯罪だぞ、それ〉
「今後は……善処シマス……」
「今後は家庭科準備室のみ、夜に仕事で残っていた先生が見たらしい、という噂です。でもこの七不思議探索はヤミポンさんの解放を叶えることが目的なんですよね?」
〈やむを得ないか〉
「諦めてくれ」
プールは静かだった。
水は張ってはあったけど、水面は穏やかで波一つない。
「何も泳いでませんね」
〈この学校のプールでの死亡事故は聞いたことがない。大昔ならともかく、噂が流れたのは最近なんだろう? 教師と生徒以外の霊なら勝手に入り込んだ部外者が溺れて死んだとか、浮かんだ水死体を啄む鳥や、たかる虫が居てその動きや音で目撃者からはオバケが泳いで見えたとか?〉
「エグいこと言うなよ……それに部外者が死んでてもニュースになるんじゃないかなぁ……」
プールサイドをぐるっと一周歩いてみたけど、特におかしなものはなさそうだ。
「ただの噂だったんでしょうか」
「噂話あるあるだよ。基本的に根も葉もない」
「残念です」
〈場所を巡ればクリア、というわけではないのか? 『六つ巡って屋上に』はどういう条件なんだ〉
「……あんま考えてなかったな」
俺達はもう一周、今度は反対周りでプールを見ながら歩いている。
「それっぽい不思議な現象を見たら、七不思議が本当だったってことで条件クリアなんじゃないかな。ピアノの霊みたく、叶えられなかった望みがあるタイプの不思議現象ばっかじゃないだろうし……」
自分発祥の噂話を補強するむなしさは若干あるけど不思議現象は起きてるわけだから、このくらいの条件が妥当なんじゃないかなぁ。
「ピアノの霊で思ったのですが、ヤミポンさんは燈李さんから離れることが出来たら成仏をするんですか?」
〈成仏……?〉
サァッと風が吹く。
太陽の落ちた夕方の空は暗く、雲も出てきている。
ヤミポンは俺の体に入るまでは屋上に居たらしい。だから出て行ったとしても成仏は出来ないんじゃないか。
「ヤミポン、成仏したい?」
未練があって成仏出来ないなら、協力したいし助けたいと思う。
〈その質問は生のある人間に死を望むか聞いているのと同義かな〉
「え」
〈幽霊は成仏したがっている、それこそ噂か創作話だろう。人間が死後を予測出来ないように、僕にも自分のこの先の予測はつかない〉
「で、でも屋上に戻るとして、その先どうやって過ごすの」
〈さぁな……前と同じようにじっとしてるよ。殆ど気を失ってる状態に近かったし、暇とかつまらないとかもない〉
「じゃあ人形を八つ裂きとか言うなよ……」
「八つ裂き発言は確か僕ですね」
「そう……って、わああ!!! 何してんの!」
航琉くんが脱いでいる。パンイチだ。
「泳いだほうが良いのかなと……預かっていていただけますか」
航琉くんは首から下げていたお守りを手に取り、目を伏せ……なんてこった、お守りにキスをしてから俺に渡してきやがった。
「お、まえ、そう、いうことを……!!!」
こちとらどこから来るか分からない恥ずかしさと恥ずかしさを感じさせられたことに対する怒りのような気持ちで沸騰しそうだ。
〈狙ってやってるの? 天然?〉
「半分はいつもの癖です。残り半分、わざわざ見せつけたのは狙ってやってます」
……正直でよろしい。
「見た目にしか取り柄がないので、見栄えで攻めていこうかと」
「そんなことないよ!!!」
「そうですか?」
「見た目もそりゃ良いけど、通話とかメッセージとか見た目を見てないときもちゃんとときめいてるよ」
連絡は俺が連絡したがりなので、恋人になってからはかなりの頻度で通話やメッセージを送りまくっている。航琉くんは呆れずに返事をしてくれて、俺はそれが嬉しくてときめくってわけ。
とはいえ見た目もそりゃ良い。美人は三日で飽きるとかいう諺は嘘だ。毎回その美っぷりにビックリしている。
その美っぷりが、眼前でにっこりと微笑んだ。
上裸だ。
俺の頬に手を伸ばして近付いてくる。
「待て待て待て待て!!!」
「なんですか。雰囲気はあったと思います」
「18禁18禁18禁18禁」
「僕は15です」
「知ってるよ!!! でもこう、絵面が!!! 半裸!!! ってかほぼ裸!!!」
「自信はあります」
「だろうよ……どこに出しても恥ずかしくないパンイチだ……」
「嫌ですか」
「嫌じゃ、ないけど……」
ほっぺた触られて雰囲気に任せてチューするのはやぶさかではない。っつーかしたい。
でも今はダメだ。ヤミポンがしんどいだろうから。しんどくなくても、あんま共有したいことじゃないしな、こればっかりは。
「半裸でどうこう、は18禁じゃねぇかな……」
「……服を着てても」
航琉くんは俺のポケットをチラリと見た。スマホが入っているほうのポケットだ。
「……いえ、なんでもないです」
航琉くんも俺も、ヤミポンを仲間外れにしたいわけじゃない。
だけど好き同士で触れ合うことを望む人間と、相手を好きでもなく接触が苦手な人間が同じ体に居るには難しい部分も出てきてしまう。ヤミポンとずっと仲良くしていくためにも、俺の体から離れさせる必要があるのかもしれないと俺も今は思い始めている。
航琉くんに、恋人に触れたいと思う。出来れば二人きりで。
それともう一つ。
「段階、踏みたいしさ……」
「段階?」
「ちゃんと好きって言って、手繋いで、デートして、それから……」
「済みですよ全部」
「俺の側が第一段階で止まってんの!」
「今言ってた! じゃないですか!!」
「面と向かってちゃんと伝えるのがさぁ〜……」
「言いましょう。今。すぐに」
「……す、」
目の前、半裸。期待の眼差し。
「……す、……ぅぅぅ、うぐぐぐぐ……」
本当に、なんで出てこないんだ。素直であけっぴろげなのが俺の長所だったのに!!!
「別に、言わなくてもいいのに。段階なんて。伝わってますよ、ちゃんと」
目の前、半裸。寂しげな顔。
「ごめん……」
「謝らないでください。振られたみたいな気持ちになります」
「ううっ」
だからこそだ。理不尽な振り方をして傷つけてきたから、ちゃんと好きだと伝えたい。
「俺には、すごく重要なことで……色々我慢させまくりなの分かってんだけど、でも、何もせずに受け取ってばっかりはズルいじゃん。もう卑怯者になりたくないんだ。航琉くんに対しては特にそう思う」
「……」
綺麗な顔に眉間の皺が寄っている。
「待ち、ます。……どうせ18歳まで待たないといけないこともありますから……」
18禁は18歳になってから。航琉くんはこう見えてかなり18禁にノリ気だし、俺も勿論ノリ気だが、未来への楽しみがあるのって良いよなと思う。
「あと2年?」
「と数ヶ月……」
「頑張ろう」
「頑張ります……わっ!」
お守りを受け取り、航琉くんがプールの縁に座って足を水に入れようとした瞬間、ドボン! と、プールの中に滑って落ちた。
滑って落ちた、ように見えた。
のほほんと、「大丈夫?」と聞こうと思ったけど、水面の下で航琉くんは何かに掴まれてもがいている。
俺は考えるよりも先に飛び込んでいた。
航琉くんを掴み、引き上げようとしても、服を着ている俺の方が重い。
水中の何かが、俺にも掴み掛かろうと手を伸ばす。その手は、いや体全体は、ドロドロに溶けている。
人間の、死体か? 水中で放置されると溶けるんだっけか。もしくはそう見える何かか。鳥や虫の集まりのようにも思えた。
暗い水中でその何かはグネグネと不定形に歪み、俺達をを引き摺り込んで楽しんでいる。
水面が遠い。
足にまとわりつかれている。
もがけばもがくほど、ガボガボと肺から空気が逃げる音だけが響く。それを愉しむ複数の声。
――エモノ、エモノ……
――ナカマ、ナカマ、ナカマ……
俺は獲物でも、仲間でもない!
くそっ、息が……!
意識、が……
――燈李! しっかりしろ!
しっかりっつったって……どうしろと……
――目の前! 僕は嫌だぞ!
「うっ、ガボッ」
きしょい!!! 膨張して色素が抜けたかなような肌とブヨブヨになった皮膚、ところどころが溶けてブツブツと穴が開き、穴の中には多量のウジ虫が蠢いている。
溶けてくっついて固まったみたいな、おおよそヒトの形とは思えない手をこちらに伸ばし抱きつこうとしてきているその顔は、膨れ上がって目の場所も埋もれてわからないのに、口は大きく開いて笑っている。
無理無理無理無理抱きつかれたくない俺だって嫌だ!!!
咄嗟に俺は両手を突き出し、ブヨブヨオバケの抱擁を拒絶した。
手の中にある物と、ブヨブヨオバケが触れる。
――ギャアッ
叫び声が聞こえ、拘束が解かれた。
……水面に上がれる!
俺はどうにか航琉くんを連れ、プールを出ることに成功した。重い。航琉くんも重いし、何より水を吸った俺の制服が重い。
「航琉くん!!! しっかりして!」
航琉くんの肩をバシバシ叩いてみる。意識がない。
「どうすんだっけ!? こういうとき! 胸部突き上げ!?」
――それは餅を詰まらせたときだ。今は心肺蘇生と人工呼吸が……
「餅!? 航琉くん!」
「ゲホッ、ゲホッ、う……」
「航琉くん!!!」
名前を呼び続けて叩き続けていたら、航琉くんは水を吐き出してくれた。
「航琉くん! 無事!? 大丈夫!?」
「大丈夫、ケホッ、です。一体何が……」
航琉くんはずぶ濡れの俺を見て驚いている。
プールを見ても、水中には何も居ない。消えたのか……?
〈もう少しで心肺蘇生と人工呼吸が行われるところだったよ〉
スマホはポケットに入ったまま俺と一緒に水中遊泳をしたためか、合成音声がだいぶ雑音混じりになってしまっている。
「人工呼吸……やりましょう。数分時を巻き戻した感じになりますので、お願いします」
「いや航琉くん、寝ないで」
「やらないんですか」
「逆に聞きたいんだけど、いいの? 人工呼吸の名目で済ましちゃって。俺は嫌だよ」
航琉くんが勢いよく起き上がり、俺の手を握る。ここは俺自身がビクついた。勢いが凄い。
「それはっ! キスの名目でキスがしたいと思っているということでいいですか!」
「そうだよ。俺プラトニックな関係じゃなくて段階踏んでイチャイチャするの目標にしてるから」
「段階……っ」
航琉くんが面白いくらいにガックリと肩を落としてしまった。
「頑張ります……」
いっぱい頑張ってくれている。俺も頑張らなねば。ヤミポンと離れて、航琉くんと遠慮なく触れ合えるようになって、そうしたら……
――いたい、いたいいたいいたいぃぃっ!!!
いきなり、子供の叫び声がした。今までにない程、強く激しい痛みの声。
声のした方に振り返れば、プールから上がったときに床に置いていたお守りに、ヤミポンの透明な輪郭が触れようと手を伸ばしている。
伸ばした手の先が、焼け焦げていくかのように消滅して……
「やめろ!!! 何してんだよ!!!」
――アハハハッ!
「……っ!」
背筋に鳥肌が立つような笑い方だった。
聞き慣れた合成音に近い声色。さっきも聞こえていた、中音域の男のもの。
俺はすぐにお守りを拾い上げ、航琉くんに渡した。
――……! ……。
聞き取りにくい。何か話しているのは分かる。
〈……やっぱりこっちか。キミは鈍いな〉
雑音混じりだけど、抑揚はいつもの通り小綺麗で、微かに人間とは異なる合成音声の声がした。
質の高い合成音声。細やかな音階や強弱で感情が豊かに表現されている。あくまで作られた『表現』だ。感情そのものはむしろ伝わって来にくくなる。
さっき、本当の声が聞こえるようになったと思ったのに。
あのときは、プールの中では俺のことを、上がったときは航琉くんのことを心配して焦っている人間味のある声だった。なのに、今は。
〈勿体ないな。止めなくて良かったのに〉
計算された抑揚の合成音声は、棒読みではない。そして淀みなく、本物の声でもない。感情が一切掴めない。
〈僕を殺せるチャンスだったのにね〉
「何、言ってんだ……」
〈正しい言い回しとしては『消せる』か。生命活動を停止させる行為ではないもんな。僕の感覚からすると、『殺される』が最も近いけど。そうすればキミは彼と接触し放題だ! やったね! おめでとう〉
「なんで、そうなる……」
〈正直に言えよ。これまで全くそれを望まなかったとは言えないだろ?〉
「それは……っだけど、消えてほしいなんて思ってない!」
〈……へぇ、抜け落ちても、同じことを言うんだな〉
透明な輪郭は、俺の横を通り航琉くんの胸元に触れようとした。セクハラ! なんて冗談を飛ばしていられない。そこにはお守りが首から掛けられている。
「航琉くん! 悪いけど俺のジャージ取ってきてくれる!? 服は着て。今は俺に近付かないで。説明は後でするから」
俺は航琉くんから距離を取る。俺の周囲数歩から出られないなら、もうこれでお守りには近寄れない。
「わかりました」
航琉くんは困惑した様子だったけど、濡れたパンツを脱いで制服を着て、ジャージを取りに行ってくれた。
