-5章-
下校や部活動への移動、または移動せずしばしの立ち話を楽しむ生徒達で、この時間の廊下は賑わっている。
流れで昇降口まで来たけど、今すぐ帰るつもりはなかった。一人になれて落ち着ける場所……帰路には人が通りにくい場所もあるけどモノを広げられないし、自宅は光莉が帰ってる時間だし、空き教室を借りよう。
ドアを開け、人がいないこと確認し、適当な椅子を借りて座り机の上に物品を広げる。
ノート、筆記具、その他諸々。
遠くに響く校庭の部活動の声を聞きながら、準備をする。
――いたいよぅ……
幼い子供の啜り泣く声が、近くで聞こえた。
――こわいよ、いやだよ……
姿は見えない。
でも、居る。
ということは……。
「居るんだろ? 聞こえてるなら、反応してよ」
俺はどことも言えない中空を見つめ、そう呼びかけた。
机の上のノートには手書きの五十音とアルファベットと10円玉、ネット検索して見様見真似で書いたペンデュラムシートと振り子のペンデュラム、安物の水晶玉とタロットカード。昨日のうちに教科書と一緒に鞄に入れといた物達だ。
とりあえず占いとか降霊術とかで使えそうなものを並べたけど、10円玉や振り子が動いたり、水晶玉に何かが映ったり、タロットカードが勝手にめくられたりは、しないなぁ……。
「お礼言いたいし、文句も言いたいんだけど、どうにかならない? そっちは多分幽霊とかのたぐいでしょ? もう一回俺の体に入ってもいいからさ」
両手を広げて目を閉じてリラックスし受け入れの体勢を取ってみても、状況は何も変わらなかった。
「聞こえてないの? 居なくなっちゃったの? じゃあなんで」
なんで泣いてる子供はここに居るんだ?
お前と関係があるんじゃないのかよ。
泣いてる子を置いて自分だけオサラバしたってわけ? そうだとしたら、最低だ。
「俺はともかく、その子のこと無視すんなよ。見えてるんだろ!」
明確な反応は……なし。
でも僅かに、気のせいかもしれないけど、気配を感じた。
子供の啜り泣きは、聞かせないように隠れて我慢しているような声だ。周りで音がしていたらそれに紛れて聞こえないけど、こういう静かなときは必ず聞こえる。
この子はずっと泣いてるのに。
お前は見えてるのに、なぜ無視をする?
俺にその子が見えるなら、助けてやりたい。
幽霊に対して何が出来るかわからないけど、こちらに痛みを訴えてきてるわけじゃなく、ただ痛くて辛くて耐えて泣いている声に、手を差し伸べられたらいいのに。
屋上で航琉くんを助けられなかった俺が言えたことじゃない。でも、お前は航琉くんを助けたのに、なんでなんだよ。
「……ハァ」
これ見よがしに溜息をつき、俺はふと窓の外を見上げた。綺麗な青空だ。
あのときの飛び降り未遂アンド告白事件は確か屋上のあの辺りで……ん?
"あの辺り"の真下の教室、6階の窓辺に人がいる。地域じゃそれなりにデカいほうのこの高校は、生徒数も結構多いし似たような背格好の人も沢山居る。
だけどあの風に吹かれるサラッサラの髪と、高めの背丈、均衡の取れた体型は……
風に吹かれてる。窓、開いてる。下を見てる? 教室の窓って机に乗れば簡単に身を乗り出して越えられる高さだよな。
……咄嗟に思ったのは、「やっぱり」だった。
やっぱり、助けられてないじゃないか。
屋上から飛び降りそうになったってことは、飛び降りる理由があるってことだ。
その理由をどうにかしない限り、飛び降りたくなる気持ちはきっと消えない。行動を止めたところで、苦しみが長くなるだけなんじゃないか?
そう思って、あのときも俺は咄嗟に動けなかった。
だって昔、それに、一年前の春。
助けられなかったんだ、俺は。
でも、今は。
「……ッ、もしもしっ?」
咄嗟にと言えるほど素早くはないけど、このままここで見ているのも見ないふりするのも嫌で通話を掛けた。さっき大介につけてもらったストラップが揺れて手首に当たる。手も声も震えている。
「はい、もしもし。お電話嬉しいです」
通話の先の主は感情の読めない声でそう言うし、見上げた6階の窓辺の人物は通話の声が聞こえる少し前にポケットからスマホを出して耳に当てる動作をしている。
確定だ。
「そこにっ、そのまま! 居ろよ……!」
「はい」
俺は通話を繋げたまま、片手で机の上のものを急いで鞄にしまって教室を出た。
これは言い訳なんだけど、俺はすっごく混乱してたし冷静じゃなかったし、屋上の飛び降り未遂を考えたから飛び降りを連想しちゃってたし、人が死ぬのは見たくなかったし、あの時は動けなかったけど、毎日俺の中の人に会いに来る航琉くんを見てて、助かって良かったって本気で思ってたんだ。楽しそうに見えたし、中の人を好きになって、死にたいとは思わなくなったってことじゃないのかなって。
俺は6階のその教室まで全力で走り、扉を思いっきり勢い良く開けた。
「飛び降りたら駄目だ!!!」
なんてバカでかい声で叫びながら。
窓際の航琉くんは、ちょっとびっくりした顔……表情が出にくいってことは内心相当びっくりしてたのかもしれない……で、俺のことを見ている。
「窓、から、一旦、離れ、て」
1階から6階までの全力疾走。中の人が日常生活は送っていたから体力の低下はないけれど、俺の感覚としては一週間ぶりの運動だ。ドバッと汗が出て、心拍数はなかなか落ち着かず、呼吸も整わない。
航琉くんが窓から離れたのを見てホッとして力が抜けて、膝からヘナヘナと座り込んでしまった。
「大丈夫ですか」
彼は駆け寄って来て屈んで俺の背中をさする。
大きくて暖かい手だ。なぜだか泣きたいような気持ちになってくる。目を閉じて身を預けたら安心しそうだ……でもそれじゃ立場が逆じゃない?
汗も心拍数も呼吸も平常通りの運行が再開され始めたけど、思考回路の方はまだ乱れまくっていて、俺は顔も上げずに頭にあることがそのまま口に出た。
「もう、落ちない?」
「え」
「俺のこと好きって言ったじゃんか! なのになんでっ」
卑怯だ、俺は。
嘘をついたり騙したりしたいわけじゃないって断言出来る。航琉くんを責め立てたいわけでもない。なのにこういう言い回ししか出来なかった。航琉くんは"俺"を好きなわけじゃないのに。
「もしかして、僕が飛び降りると思ったんですか?」
「へっ?」
違うの?
思わず上げた顔はすんごく情けなかったと思う。
「そういうつもりじゃなかったんですよ。でも僕は、飛び降りに関しては前科一犯ですもんね……びっくりさせてしまって、すみません」
「え、いや、うん、良かった」
航琉くんは俺の背中をさする手を離し、立ち上がった。もう少しやっててほしかった……と思ったのを自覚してしまい、恥ずかしさが込み上げる。
「ここから見える景色が好きなんです。特別なものはないんですけど、広い空とか、グラウンドの声とか、なんとなく心地よくて」
サァっと風が吹いて、カーテンが揺れる。頬にあたる風は涼しくて心地良い。
「それは、わかる気がする」
俺もゆっくりと立ち上がった。
「一緒にだったら、窓のほうへ行っても?」
「勿論いいよ」
航琉くんは俺がふらつかないかを確かめながら、いつでも支えられる距離で歩き窓へと向かった。
俺は少し立ち眩みを起こしそうになったが、普通に歩けている。……本当に体力減ったのかな。流石に何度も助けられるのは先輩として悔しいので、何事もないふりをした。
飛び降りを連想させないためだろう、航琉くんは窓の近くではなく外の景色が見える程度のところで立ち止まった。窓枠に縁どられた空は絵画みたいだ。昔の人が空の向こうに天国があると夢想したのも分かる気がする。
景色には確かに特別目立ったものや美しいものはないけど、この場所で遠くの山並みや飛ぶ鳥を眺められるのは穏やかで特別な時間のように思えた。
「あの日も、飛び降りる気はなかったんです」
航琉くんが外を見ながら話し始める。
「ただ、一人になりたかった。屋上の開けた、誰もいない場所でやっと息が出来るような気がして……魔が差したと言うんでしょうか。気付いたらああいったことをしていました」
事実を述べる、感情の読み取れない顔と声だ。静かで、落ち着いている。
「だから念のため、屋上には近寄らないようにしています。また同じことが起きるかもしれないので」
「そうしてくれ」
俺は安堵の溜息をついた。
魔が差した……この学校には七不思議があって、怪談話によくあることだけど怪異にそそのかされて奇妙な行動をとってしまう、気がふれて人が変わったみたいになる、なんてもの勿論ある。これは七不思議の発生箇所を問わず、もうとにかく幽霊だのオバケだの怪異だのと接触するとそうなる可能性があるとかなんとか。噂って雑だ。
先週のファッションセンスを除き七不思議百戦錬磨の俺にそういった経験はないけど、感受性が豊かだったりすると怪異から影響を受けやすいのかもしれない。
「あ、そうだ」
「?」
俺は鞄の外ポケットを漁った。確かここに……。
「あった」
未開封のお守りを入れていたのをすっかり忘れていた。夏休みの家族旅行でその土地の寺院に寄り、ノリで授かってきた厄除け守りだ。
こういうのって人に渡したら良くないんだっけ。未開封だからいいか?
ノリで授かり忘却する程度には俺の信仰心は薄い。クリスマスも楽しむし正月には神社に参るし墓は仏教だし仏教に宗派があるのを最近知ったくらいだ。
「厄除け。あげる」
航琉くんに渡すと、無表情ながらもポカンとした様子で見つめられた。
「ええと、お守り、ダメだった? ごめん俺、宗派とか詳しくなくて」
余計なお世話だったかな。宗派どころか、そもそも信仰先が違う可能性を考えてなかった。
押し付けちゃったかもしれない。
「あ、いえ、ダメじゃないです。ちょっと驚いただけで」
航琉くんは手の中のお守りをそっと、とても大切そうに握った。
「嬉しいです。嬉しくて、驚いています」
言語の組み立てに苦労しているようで、少し早口になりながら途切れ途切れに言葉を紡いでいる。
「貴方から、何かを貰うと、僕はこんなに嬉しいんだって、自分でびっくりしています。大切にします」
俺はちょっぴり、罪悪感だ。その"あなた"は俺じゃない。
「さっき言ってましたよね、『俺のこと好きって言った』って。今日は、言いそびれていました」
彼の真っ直ぐな目が、俺を射抜く。
「好きです」
ビクリ、と怖気付いたのは、俺自身の反応だ。母さんや光莉や大介とのハグのときの勝手な反射とは違う、今のは俺の心が怖がったからだってことくらい自分で分かってる。
でも、大丈夫だ。落ち着け。
彼が怖いわけじゃない。それは"俺"に向けられたものでもない。
深呼吸をして平静を装うくらい、すぐに出来た。
「もっとこう、表情を動かしたら伝わりやすいと思うよ」
そうしたらお前の好きな人に、きっと伝わるよ。
「表情……」
彼は頬を揉んだりさすったりして、少し間を開けてから、ほんの少し……微笑んだ。
「うっ」
「う? ダメでしたか」
「ダメじゃない、ダメじゃないけど~……」
口角がほんの少し、ほんの少し上がっただけだ。それもすぐ真顔に戻った。
「大丈夫ですか? どうかしましたか」
俺は顔を覆って屈み込むしかなかった。頬が熱い。
思っちゃいけないのに、そんな資格はないのに。もっと見たいなんて。
「大地くんから聞いたんだけど、お兄ちゃんさー」
「んー?」
「イケメンに付きまとわれてるってほんと?」
「はっ? ゲホッ!」
「はい水」
「ゲホッ、さんきゅ」
夕飯を食べながら、三つ下の妹である光莉が何気なく言った内容に俺は咽せてしまった。大地くん…大介の弟で、光莉の同級生のことだ。
大介……お家で喋ったんだろうなぁ……そりゃあ俺が逆の立場でも喋るよ、毎日あんなんだったら。大介が喋らなくても遅かれ早かれクラスの誰かは誰かに話してるだろう。
「いいなぁ。私もイケメンに告られたい!」
「光莉あのさ、どういう内容で伝わってんの?」
「イケメンで怖い感じの男の子から愛されすぎて困っちゃうけど今のところ無害!」
長いタイトルみたいだ……。
「愛されすぎてはいないと思うよ。付きまとわれてもないと思う」
「告られたん?」
「まぁ、一応」
「どうすんの!?」
すげぇ楽しそうに聞くじゃん。
「一応来月のデートが決まった」
「きゃーーっ! やばい! すごい! いいなああああ」
母さんが今日夜勤で良かった。この場にいたら絶対に騒がしさが二倍になって近所迷惑だ。
ジャンケンに負け、母さんの居ない本日の皿洗いと風呂掃除の担当になり、その作業中も「どんな人!?」「写真ある!?」「お兄ちゃんのどこらへんが好きなのかな!?」とそれこそ付きまとわれたが、光莉が誰かに告白されたと聞いたら俺も同じ反応をしそうだ。
適当にあしらっていれば、すぐに就寝時間になった。
「だってお兄ちゃん、久しぶりの感じなんだもん」
光莉は恋愛話以外にも積もり積もった雑談をしたがっていたが母さんが居ない日のお兄ちゃんは保護者だから、普段はふざけていても今日は夜更かしを許しちゃいけない。
「明日も話せるよ。な?」
「んーー……」
「寝かしつけでもしようか?」
「むーー……」
子供扱いしないで! と普段は怒る中学生の光莉も、寂しいときは寂しいのだ。高校生の俺だってそうだ。言わないけど。中学生なら尚更寂しいのに言えないのは経験済みだ。
寝室は男女別だけど、侵入禁止ってわけじゃない。光莉をベッドに寝かせ、その近くの椅子に座る。
ウチに絵本はもうないから、記憶を頼りに昔話を語り聞かせてやる。絵本を開くわけじゃないから、暗くても大丈夫。
「昔々、あるところに……」
寝息が聞こえ始めても、お話しをやめるとすぐに起きてしまうから最後まで続けること。
小さい頃俺のほうが眠気に負けて、途中で読むのをやめてよくぐずって泣かれてしまった。今はそんなことで泣かれはしないだろうけど、俺だって眠気に負けたりしない。
「……めでたし、めでたし。おしまい」
毛布を掛け直し、小さく「おやすみ」と声を掛けて俺は部屋を出た。
眠気はある。だけどここからが夜本番だ。
自室の机に、放課後の教室で並べたものと同じものを出す。あのとき急いで片付けたからノートの一部分はクシャクシャになっているが、書いた五十音もアルファベットも問題なく読めるし良いんじゃないかな。
草木も眠る丑三つ時……はまだだけど、夜は幽霊の類の時間だと相場が決まってる。にしては子供の声、しないけど……寝たのか? いや、先週のこの時間、俺の中の人が予習復習をして静かなときにも声は聞こえていた。どこかへ行った……とは思えない。気配は、ある。
強く念じながら、気配に向かって話しかける。
「聞こえてるなら、見えてるなら……」
中の人が俺に語りかけていた言葉を思い出しながら。
「生きているなら、返事をしてくれ」
〈生きていない場合は、どうしたらいいわけ?〉
ノートの五十音もアルファベットも、水晶玉もペンデュラムもタロットカードも無意味だった。
その声はスマホから聞こえたのだから。
