憑かれ告られ愛となれ、そして友となれ!


〈ちゃんと鞄の奥まで見たのか? 数日前のパンの空袋も入れっぱなしのくせに、道具を出すとは思えない。忘れたにせよ、また持って学校に行けばいいだろう。何度も夜に侵入しておきながら今更時間帯を気にするのか? だとしても次回までに用意しておく必要がある。なぜ家の中を探さないんだ〉
 案の定、文句を言われてしまっている。いや、俺が悪いので文句というか、正統なご指摘だ……。
「……運動、不足だったし……走りたかったから……」
 学校とは反対方向の土手で、俺は今ランニング中だ。
 あの後航琉くんとは分かれ道まで一緒に帰って解散した。時間はあったから放課後デートとしてどこかへ寄っても良かったけど、今日は好きなだけ走ってすっきりしたかった。煩悩とか、執着とか、無視したい感情は汗と一緒に流すに限る。
〈行ける日に行くしかないんじゃなかったのか。前は体調が悪くても挑んでいただろ。今は走れるほど元気じゃないか。次回はいつだ? 週明けか? それも先延ばしにする気じゃないだろうな〉
「……しない……」
〈声が小さい!〉
「そんな運動部のコーチみたいに……」
 鍵開けの、道具はある。鞄の中に。
 七不思議に挑んでそれが全部アタリだったら、残りは屋上を除いて四つ。週に一度だとしても、約一ヶ月。
 ……そうしたら、ヤミポンとは別れなきゃならない。
 煩悩だ。執着だ。執着は悪だ。
 俺は父さんを、ここに居てほしいと頼んで苦しめた。
「……ヤミポンは」
〈なんだ〉
「俺が屋上に遊びに行ったら、返事してくれる?」
〈……なるほどな〉
 スッキリしたくて、ランニングの速度は速めだ。ヤミポンは俺の周囲から離れられず、移動が速いと〈引っ張られて不快〉だそうで、今は外に出ていない。内側にいる分には乗車している感覚で問題はないらしい。
 姿が見えないと急に黙られたときに様子が全く分からない。
 俺は出てきてほしいのと、流石に疲れてきたのもあって速度を落とした。少しずつ、ウォーキングにシフトチェンジしていく。
〈勿論、返事をしよう。気軽に話しかけてくれ〉
 姿を見せないまま、ヤミポンはそう言った。
「……嘘だろ、それ」
〈なぜそう思う?〉
「屋上でヤミポンが元気に起きているのか、起きてても俺に取り憑いてる状況じゃなくなったときポルターガイストが起こせるのか、そもそも屋上に居るのか、確約が出来ない……」
〈その通り。大正解だ〉
「なんで嘘つくわけ? 理想の答えを言えば俺が躊躇いなく七不思議に挑むと思った?」
 言ってから、気付く。
 躊躇いが、ある。
〈騙される気もないのに、理想の答えがある質問をするなよな〉
 思わず、足が止まった。視線をどこに向けていいのかわからない。
〈キミの考えは分かっている。分かりやすいからな。だが理解は出来ない。理解出来るまで理由を聞こうとも思わない。理由などと称して理解不能な文言や綺麗事を並べ立てられても不快なだけだ。平行線のまま埒が明かなくなる。それを防ぐために、こちらからは事実と要求を提示しよう〉
 いつの間に、外に出ていたのか。後ろからやって来たかのようにヤミポンは俺の横を通り過ぎて、数歩先で振り返った。
 俺と同じくらいの背丈の、痩せた体躯。
 透明な輪郭には両足がある。足のない幽霊みたいに浮遊はしない。人間と同じそぶりで動く。
 足音は、全くしない。
 空気は揺れない。隣を通って行った感覚も、視覚以外では感じ取れない。
〈消えてみせようか。あくまで瞬間的に姿を引っ込めるというパフォーマンスに過ぎないが。嫌なんだろ?〉
「……っ!」
 目を逸らしてしまった。分かりやすい、その通りだ。
〈一過性の感傷に浸っていただくのはご自由に。だがそもそも僕は……あぁ、丁度いい〉
 前の方から、犬を連れた人が歩いてきた。ダボっとしたパーカーに、キャップ帽とサングラスにマスク。犬の歩調に合わせて、ゆっくりと歩いては立ち止まってを繰り返している。
 ヤミポンは犬に近付いて行った。
 いつもより、遠くないか……? さっきの数歩が限界じゃなかったのか。
 今、五歩くらいの間が開いている。屋外じゃ話しかけるには、やや声を張る必要がある距離だ。
〈見ろ〉
 合成音声はウエストポーチに入れたスマホから聞こえる。今までと変わらない音量は五歩の距離じゃなくて、もっと遠い場所の相手と通話しているみたいだった。
 透明な輪郭は犬の近くに屈み込む。犬は反応を示さない。
〈見えていない。動物の霊感なんてアテにならないな……それに〉
 輪郭は犬を抱き上げようとして、
〈ほらな〉
 透けた。
 犬の体を透けて通った手が、俺に向けられる。
 合成音声が告げる。
〈僕はここに存在しない〉
 風に揺れない髪。
 目に痛い西陽を背に、影を落とさない体。
〈存在しないものに目を向けても意味がない。消えて当然だ。さっさと切り離せ〉
「……それが、要求?」
〈そうだ〉
「なんか、もっと、ない……? 俺に出来ることとか、してほしいこととか……」
 自分で言ってて、よくわからなかった。どうしてそう思うのか。
 頼んでもらえるなら、それに応じたい。別れるためのことじゃなくてもっと違う何かを、頼まれたい。
 せっかく、居ることに気付いたのに。せっかく出会えたのに、仲良くなったのに。
「……友達じゃん……」
 輪郭は止まったまま動かない。顔は多分こちらを向いているけれど、どこを見ているのかはわからない。
 犬と飼い主は道を外れて草むらへと入って行く。草の上を歩く音が聞こえる。
〈……全く〉
 たっぷりと間を置いて、輪郭は溜息をつくような仕草を見せた。
 そしてツカツカと……足音はしないけどそんな雰囲気でこちらに歩いてきた。
 かなり、目と鼻の先。顔は見えないけど顔を突き合わせている。
 今度は逆にいつもより近いな。三歩離れたあたりが定位置だと思ってた。
〈今の言葉には文句のつけどころが無数にある。だがキミが悪人ではないことは理解している。……僕も丸くなったものだな〉
「……文句」
〈関係性を表す言葉のラベリングで理想的な行動がなされるとでも思うのか? トモダチだなんてもしもキミ以外のよく知りもしない相手から言われたら胡散臭くて気色が悪いだけだ〉
「う、うん?」
〈まだあるぞ。してほしいことだって? 以前からこの状態の解消を要求している。それをやろうとせずにキミに出来ることだと? 幽霊は全て前途を断たれ願いや未練を持つとでも思っているのか? 願いを叶えて救世主でも気取る気か。自分の気分を良くしたいだけだろう。僕はそのための道具か?〉
「違……っ」
 違う、って言えるのか? 
 俺を頼ってほしい、必要としてほしい、それ以外を認めたくないなんて、父さんと同じじゃないのか。
「ごめ、」
〈違う〉
 謝ろうとして、遮られる。
〈違うさ。嫌な奴相手ならそう受け取っていたが。キミと僕では使用する語彙と包含する意味合いと思考回路が異なるだけだ〉
 柔らかい中音域の声質だけど、いつも思う、言葉は固い。あと、回りくどい。
「……なんか、難しいことを言われてるのはわかる……」
〈多少はわざとだ。わからないのならそのまま混乱していればいい〉
 ヤミポンはフイっと踵を返し、前なんだか後ろなんだかわからない透明な輪郭だけど、歩いて行くからこちらに背を向けているのだろう、また定位置の俺から三歩くらい離れたところに行ってしまった。
 ……どこまで話を戻していいんだ? ややこしいことを言われたような……頭が追い付いてない。今聞いたことについて考えたほうがいいのか? でも違うんだっけ? どっからどこまで? 嫌な奴じゃないとかなんとか……悪人だったっけ。長かったし全部は覚えてないぞ……。
 犬と飼い主は道に戻ってきて、犬はヤミポンを通り抜けてこちらに歩いて来た。
 さっきは悲しい気持ちだったんだけど、今はどんな気持ちになればいいのやら……。
 犬、かわいいな……。
 茶色のフワフワした小さめの犬、こっちを見て尻尾を振っている。
 あのマロ眉は……
「マロちゃん?」
 ってことは、
「燈李さん?」
 飼い主から、整った声がした。