憑かれ告られ愛となれ、そして友となれ!

-18-
 血、炎、煙……。
 目を開ける。大丈夫、大丈夫だ。ここじゃない。ここで起きていることじゃない。
 机に置かれたスマホが目に入る。
 朝焼けか夕焼けかのストラップ。
 深い藍色と共に在るオレンジ色は炎に似ているけれど、薄く雲の掛かるそれは痛みを伴う炎とは違う、柔らかく優しい灯りのように見えた。
 閉められた窓の外から、静な雨音が聞こえる。
「父さんの、事業が失敗して」
〈うん〉
「ひどく、落ち込んでたんだ。その頃は母さんも働いてなかったし、父さんの収入がなかったら暮らしていけなくなるから」
〈うん〉
 シンプルな返答だけど、ヤミポンの声がするのは助かった。思い出しながら喋っていると、その情景に飲み込まれて今がどこだかわからなくなりそうだ。返事があれば、今はヤミポンと話してると分かる。
「なんか、ヤバイ金にも手をつけてたらしくて。どうにもならなくなってて……10年も前だし、俺もガキだったから、間違ってるかもしんないけど、」
 父さんの横顔を思い出す。
 決して俺には向けない、笑顔。
「父さんは『自分がいないとダメな母さん』を愛してたんじゃないかなって思う」
〈……うん〉
 頼られると嬉しそうにしていたこと、母さんを働かせようとしなかったこと、『俺が居ないとダメだな』とよく言っていたこと、簡単なことでも頼らないと不機嫌になっていたこと、……父さんに関係のないことで母さんが幸せそうにしているのが、許せなかったこと。
 俺達の成長を喜ぶ母さんに、そんなことはどうでもいいと怒鳴りつけて、自分の仕事の出来栄えを話していたこと。
「父さんは、もう死ぬしかないって言ってた。母さんと一緒に死ぬしかないんだ……。おれ、は、わからなかったから、父さんの状況、とか、気持ち、とか」
〈うん〉
「だから……っ、頑張れって、……っ、死なないで、って、言っ、て、何度、も」
〈大丈夫か? 代わるか?〉
「いい、今、全部吐き出しちゃいたい」
〈わかった〉
 息は苦しくなっても、涙は出て来ないから大丈夫なんだ。泣いたらスッキリすると聞いたことがあるけど、今までだって何度思い出しても泣かなかった。泣くほどのことじゃないんだろう。
「父さんは、頑張ってた。俺の……、わかんない、あの頃は声が高くて、母さんによく似てるって言われたから、俺の声に応えたつもりじゃないのかもな……父さんは、こっちを見てはいなかった。『頑張れ』に応えて、どんどん頑張って、俺から見てもどんどんボロボロになってくのが分かったんだ。やつれて、独り言も多くなって……それで……」
 『頑張れ』は、応えられる力がある人に向ける言葉だった。応援されて嬉しいとか、それが力になるような人に。
〈それで……?〉
 ボロボロになって頑張って無理して限界を越えてから奇跡を起こす人もいるから、判断なんてつかないけど。悪いほうに悪いほうにと、向かってしまう人もいる。
「……それで、もう頑張らなくていいから、何も要らないから、死なないで、ここに居てよ、って言った。家族旅行も、高いレストランも、オシャレな家具も……今思えば、母さんが喜ぶものだけど、俺も嬉しかったしさ」
〈……うん〉
「ここに居てよ、父さん……。俺には、父さんが必要だと、思ってたから」
 そのとき、少しだけ父さんは俺の方を見た。
 ーー「お前はいらない」ーー
「……とう、さんは、母さんを切り付けて家に火をつけた」
 愛している。
 愛しているから。
「愛しているから、一緒に死のう。きみ以外のことなんて、どうでもいい」
 きみだけを、愛している。
〈……! だからキミは……〉
 だから俺は、愛が怖い。
 人を好きになることが。
「……それだけ。火が上がって、近所の通報で母さんと光莉と俺は助かった。……よくある、話だろ」
〈立派な虐待だ〉
「えっ。別に暴力とか無かったよ。家庭科か何かで習ったいくつかの分類の中には該当しないし」
〈親子心中は虐待として扱われている〉
「……そう。でも父さんは、俺と光莉を殺そうとはしてなかったよ。光莉は小さかったし、寝てたし覚えてないけど」
 殺そうともしなかった、が正しい言い方だとは思うけど、それを言うのはキツかった。
「その頃、ヒーローが好きになって……まぁ、元々好きだったんだけど、近所に『ご自由にお取りください』って本とかDVDとか置いてる家があってさ。掃除で出てきた不用品っぽいやつ。その中に平成ヒーローがあって、母さんが働きに出て暇だったから繰り返し見てたんだ」
 俺は癖で、自分の髪に触れる。
 寝る支度が済まされていて、髪にはワックスも何もついていない。素の、そのままの自分。
「もし自分がヒーローだったらどんな姿だろうってよく考えた。変身出来るくらいの年齢だったら……って。そしたら何らかの力があるんじゃないか、って。DVDの中には学園ドラマもあったから、参考にした格好がだいぶごっちゃになってるけど……」
 憧れた。人を助けることが出来るヒーローに。
 父さんを助けられなかった。
「やっぱりさ、お前が俺の体使ったほうがいいんじゃね?」
〈何を言っている? 母親や妹の様子を見てないからキミは〉
「見てたよ! さっきのくらい……」
〈なら〉
「お前は! 人を助けられるだろ!」
 ヤミポンの輪郭が俺のほうを向いているのがわかった。何かを訴えかけてきているようで、そちらを向くことが出来ない。その訴えを直視したら、重荷に押し潰されてしまいそうだ。
「怖いんだよ……怖い……『死ぬな』も、『生きろ』も、俺には、言えない。止めても止めても、また死ぬんじゃないかって、怖くて……苦しみの原因を倒す力が俺には無くて、何度も死のうとする姿を見る、死が横切る、何度も、何度も、止めて、死にたい気持ちを否定して、追い詰めて、苦しめるくらいなら、じゃあ楽になったほうが、って……。ひどい考え方だ、当人が一番苦しいのに、でも、頭から離れない、父さんを止められなかった。去年の春だって、屋上の、あの人を止めようともしなかった」
 格好だけ憧れを模ったって、変身しそうだと考えていた年齢になったって、力なんてない。俺は何も出来やしない。
「お前が、航琉くんを助けたんだ。……俺には出来ない」
「そんなことありません」
「……はっ……?」
 航琉くんだ。
 ここ俺ん家だし、今は夜なんだけど?
〈呼んだ。妹さんにもメッセージ送って、彼が来たら玄関開けるように伝えた〉
「来ました。光莉さんとも連絡先は交換してあるので、インターホンは鳴らさずに。お母様は睡眠中かと思ってそうしたですが、起きていました」
「……夜だぞ?」
〈今更だ。好奇心で学校に不法侵入するより辛い状況にある恋人の自宅へ行くほうが夜の行動としてよっぽどマシだろう〉
 それは全くもってその通りだ。
〈悪いが最初は通話を繋いだ。守秘義務はないと言われたからな。でも切られた〉
「僕が勝手に聞いていいものではないと思いました。ですが、今のは聞こえました。燈李さんに何が出来ないって言うんですか」
 航琉くんが、一歩俺のほうに近付く。
「待った! 来ないで、来ないでくれ」
 怖い。
「どうして」
 悲しい声をさせてしまっている。それを喜びに変える力が自分にあると、俺は知っている。彼は俺に左右される。だから、
「怖いんだ。俺は、」
 こういうとき、航琉くんは近付いてこない。俺が嫌だと言えばそれは嫌なことなのだと、真っ向から受け止める。
「俺は、父さんの血を引いてるから……っ」
 無意識に、自分の肩を抱きしめて爪を立てていた。血を流して、そこから悪いものが全て出ていけばいいのに。
「燈李さん!」
 こういうとき、航琉くんは来てしまう。俺に害をなすものから守ろうとしているのだろう。俺が俺に害をなしているとしても。
「い、やだ、やめて、くれ……」
 抱きしめられている。愛情を感じ取ってしまう。
「やめません」
「……っ」
「やめません。僕が怖いわけじゃない、ですよね? 何が怖いですか」
 大きな体は、存在感があって暖かかった。
 航琉くんは良い奴で、こんな風に愛を向けられて、嬉しいと思う自分が嫌だった。
 嫌だと思うことが、悲しい。
「……っ俺、は」
「はい」
 父さんの血を引いてるから。
「いつか、父さんみたいに、好きな人を殺そうと……殺してしまう、かもしれない……っ」
「燈李さんは、そんな人じゃない」
「わかんないよ!! わかんないだろ!! 人間、どうなるかなんて……」
 航琉くんは、いつもの真っ直ぐな目で俺を見つめる。
「俺を、好きになんないでよ……唯一無二みたいに……」
 悲しそうにされれば、喜ばせたいと思ってしまう。
「燈李さんは、人を殺すような人間じゃない。もしそうなったとしても、」
 そうなったとしたら彼は喜んで殺されるだろう。
「そうなったとしたら、俺を嫌いになって逃げてくれ。こんなのは燈李さんじゃないって」
 航琉くんが目を見開いた。絶句だ。そういう表情だった。
「……わかり、ました」
 俺はまた、嘘をつかせたんだな。
 見捨てない、嫌いになんかならない、そう言いたげに、航琉くんは強く俺を抱きしめていた。

「……燈李さんが、沢山居たらいいのに」
 暖かさに包まれた疲労とまどろみのなかで、そんな声を聞いた気がした。
〈その話、詳しく聞かせてよ〉