歌い終わり、後奏が終わり、ピアノの音色が止む。女の子の姿も気配も、消えている。
いつの間にか子供の泣き声もしなくなっていた。泣き声はしないけど気配はある。聞き入ってくれてたのかな。
〈『ありがとう』だってさ〉
中音域の男性の声の合成音声。航琉くんは目を開き、びっくりした顔をしている。
「えーと、ポルターガイスト」
「そうですか」
相変わらず、納得と了承が早いなぁ。
「あっ!!! 怪我! 傷! 大丈夫か!?」
俺を庇ってくれたときの。血が出ていたように思うけど。
俺は思わず航琉くんの腕に触れ、様子を確かめる。血は出てない。顔に見えていたアザも消えている。そういや俺も、痛かったはずの体が痛くない。
冷静になってみれば、さっきの航琉くんは間違ってない。俺たちは傷を負い血を流し、死ぬかもしれなかったんだ。
「さっき、ごめん。止めちゃったけど、航琉くんは間違ってない。俺が自己中だった」
「僕も自己中です。彼女が貴方だったらと思うと悲しいので、良かったと思っています」
航琉くんは自身の体を見回し、腕や手を動かしてみている。
「それに、体も大丈夫です。感覚……なのですが、タマシイ? のようなものが影響を受けて損傷してしまい、その自分のタマシイを見ていたような気がします。タマシイも影響下を抜け出て、心身共に無事のようです」
俺も、そんな感じがする。
良かった、無事だ。
「無事……、良かった……良かった〜〜……はぁ……あははっ」
俺はその場に座り込んでしまった。不安だった分の緊張が解けて、情けない笑いが込み上げる。
航琉くんはそんな俺を見つめ、屈み込んだ。座高はほぼ同じ、視線が真っ直ぐにぶつかり合う。
「貴方が好きです」
……今? 困惑と呆れが不快そうな表情として顔に出たのを自分で感じたけど、暗くて向こうにはよく見えなかったであろうことにも少し安堵してしまうくらいには、彼を傷つけたくないと思った。
「チャンスをくれませんか」
「……もう、断っただろ」
「トモ、……っ、貴方の、嫌がることはしません。誓います。しないように、します。僕には分からないことが沢山あります。沢山、学びます。だから、」
その声は小さく震えていた。かわいそう……に見えちゃうのが、俺の甘いところだよなぁ……。
俺は溜息をついた。自分に対してだ。航琉くんはその溜息に、身構えるようにピクリと体を硬直させた。
「……いいよ、名前、呼ぶくらい」
パッと顔を上げられたのを感じる。
「でも、きっと好きにはならないよ」
「それは、恋愛対象外ということですか?」
「え? えーと」
考えたこともなかった。『恋愛』がそもそも『俺の対象外』だから恋愛の対象外とか内とか、他人事だとばかり。
「燈李さんは恋愛をしない人ですか?」
「いや、遡っていけば幼稚園の頃とかは先生に恋してたんじゃねぇかな……」
「なら、即座に恋愛対象外と思われないということは、対象内ということです」
「恋をする気はないんだけど……」
「その気がなくても人生は、予測のつかないものですよ、燈李さんっ」
前向きだなぁ……。
空も見方をしているのか、曇りだったのが晴れてきている。
「あ」
航琉くんは何かを思い出したかのように一旦止まり、自分の顔をムニムニと揉み始めた。月明かりに照らされたそれは、白いお餅みたいだ。
そして俺の方を向き、柔らかな笑顔を見せる。
「ちゃんと、笑えていますか」
前に俺は航琉くんに表情を動かしたほうがいいと言ったけど、義務みたいになってるとしたら気の毒だ。
「良い笑顔だと思うよ。でも、大変だったら無理しなくていいんだよ。嘘をつかせるみたいにはなりたくない」
「嘘っ、じゃ、ないです! ただ、固いと言うのか……」
『嘘』という言葉に戸惑っているようだ。本当のことを言ってるのに! という焦りが伝わってくる。
「元々、表情筋が動きにくいんです。スポーツが不得手な人と同じような感じだと思います。必要な部分の筋肉を動かすのが苦手で、あまりやらなくて、普段やらないから、更に慣れなくなってしまって……」
「え、でも昼のとき俺の顔に爆笑してたよ」
「スポーツに慣れていない人も、楽しいと思わず動いていることってあると思います。翌日筋肉痛になります」
「ああ……なるほど」
「慣れます。慣れて表情豊かになります」
「おう、がんばれ」
「はいっ」
航琉くんはニコリと笑った。今は意識的に、気持ちの表現としてやっているのだろう。でも立ったり歩いたり鉛筆を持ったりを力まずに出来るようになるのと同じで、きっと顔も慣れてくれば自然に動くようになる。
慣れてない、か。人との交流とか、強い感情に慣れてない……ってことだよな。
そんなときに強く感情を震わせちゃったのが俺、もとい俺の中の人なんだろう。
頑張ってる姿を見ると、やっぱり応援したくなっちゃうよなぁ。
