昇降口から正門へのイチョウの並木道。まだ葉は青く、暦の上では秋だけど気温も高い。木陰を通る風が汗ばむ体を冷ましてくれる。
放課後。航琉くんは既にクラスからいなくなっていて、俺はのんびりと並木道を歩いていた。
「呼び出してごめんね。好きなの! 私と付き合って……?」
道の先で、可愛らしい女子の声がした。鈴を転がすような、とはまさにこんな感じなのだろう。つい、そちらを見てしまう。
木々の間に見える、小柄な女子生徒。アイドル顔負けのスタイルと遠くからでも分かるはっきりとした目鼻立ちは彼女が「可愛い」に分類されるものだとわかる。顔を赤らめる彼女の隣には保護者のようにもう一人の女子生徒が立っている。視線の先は……割と予想はついていた、航琉くんだ。
そっと近付いて、木陰から様子を伺ってみる。覗き見なんて趣味が悪いとは思うけど、俺以外にも人は……居ない。まじか。朝からずっと航琉くんには取り巻きがいたのに今は誰もいない。
中間テスト前の部活ナシ期間に備えて部活動のある人は熱心に部活に行き、帰宅部は他人を気にするよりも帰宅したい人が多いからだろう。
並木道には航琉くんと告白した女子とその女子の保護者的女子とのんびりと歩いてここに来た俺だけしか存在しない。
告白を受けた航琉くんは、苦虫を噛み潰したような表情に見えた。
「すみま……」
「ちょっと! このコ、勇気出して告白したんだよ!?」
断る気配を感じたのか、保護者的女子は強い口調で航琉くんを遮った。
「告ってきたコ全員断ってるらしいけど、もっとちゃんと一人一人を見なよ! このコがあんたの大事な人だったらどう思うの!? ひどくない!? 簡単にそうやって嫌がられたら傷つくよ!」
「……!」
航琉くんは言われた言葉に目を見開き、少し悲しげに目を閉じて俯いた。
「……」
深く、何かを考えている表情。
胸元を押さえていて、苦しげにも見える。
胸元……手を当てているその場所は、お守りが掛かっている場所だ。
それが、縋るように、助けを求めているように見えてしまって、
「わかり……」
「待っ、た」
俺は、航琉くんと女子の間に飛び出してしまった。
「燈李さん」
「誰?」
保護者女子から睨まれる。告白女子からも睨まれている気がする。
「誰と言われると……困る……」
航琉くんにとっての俺は、誰なんだ?
部活の先輩でもないし、ましてや恋人でもない。
でも、航琉くんのことが好きで俺のことを知らないって、あるか?
「2年の間じゃ航琉くんも込みで、っつーかそれがメインで有名なんだけど」
女子達が顔を見合わせる。
「知ってる?」
「知らない……」
知らない。じゃあ、何なら知ってるんだろうか。彼女は、それに朝昼に見た取り巻きの人達は、航琉くんの何が好きなんだろう。
「どうして航琉くんと付き合いたいの?」
「えっ?」
女子生徒が、不意をつかれた顔をした。
「んー、だってぇ、かっこいいし?」
「うんうん」
「……それだけ?」
女子達は、首を傾げている。当たり前のことを答えて何故それ以上聞かれているのかわからないといった様子だ。
何も知らないで、好きだと言ったのか? 見た目がかっこいいから?
真っ直ぐなところも、真っ直ぐすぎて危ういところも、一生懸命なところも、温かい手も、守ってくれる大きな体も、穏やかな声も、話を取りこぼさないように聞き入る頷きも、傷付けないと誓う優しい心も、真っ直ぐな瞳も、何も知らないで、何が『好き』だよ!
今だって航琉くんは想像を巡らせて、相手を一人の人間だと思おうとしてるのに、他人をどうでもいいものとしていた頃とは変わったのに、それに付け入って、良いように利用して見た目だけ見て、気持ちを踏みにじるなんて……!
「あ、の、燈李さん……?」
俺は気付かず、女子達を睨み付けていたようだ。航琉くんに声を掛けられて、顔の緊張が弛むのを感じた。
「航琉くん、嫌なら嫌って言っていい」
「え……? あ……」
「っつーか、俺は浮気は論外だからな。二重人格にお前をオススメも出来なくなる」
「えっ!」
航琉くんはさっき告白の返事をしかかっていたのを思い出したようで、何故か戸惑いが見えたがすぐさま姿勢を正し女子のほうを向いた。
「嫌です。お付き合いはお断りします」
航琉くんがそう告げると、女子は眉を吊り上げて顔を真っ赤にした。
「別に! 私だって本気で好きなわけじゃないから! あんたみたいなやつっ!」
「あっ、ちょっと待ってよ」
可憐で可愛らしい女子のプライドが傷ついたのかもしれない。「ふんっ!」と鼻を鳴らして、彼女は走り去る。保護者女子もそれを追っていった。
航琉くんは彼女らを見届け、力が抜けたようにフラフラと近くのベンチに腰掛けた。俯いて、大きな溜息をついている。
俺も一緒に座ろうかと思って、はたと気付く。航琉くん、今がやっと一人になれるときなんじゃないかな。
「じ、じゃあ、俺帰るね。なんかお邪魔しちゃって……」
ごめんね、と言いながら正門の方を向きかけたとき、くいとシャツの裾が引かれた。
平成チャラ男ファッション、シャツの裾はズボンから出している。その掴みやすい裾を航琉くんがほんの少し、つまんでいる。
「行かないで……」
「うっ」
捨てられた子犬みたいな顔をしないでくれ……。
裾はすぐに離され、俺は航琉くんの隣に座る。
一人になる暇がずっとなかっただろうに、俺と居ることを選んでくれるんだな。……中の人じゃなくて、ごめんな。
航琉くんはぐったりと俯いていて、その首筋には鳥肌が立っていた。多分、ストレスによるものだ。
「前は色々と断ってたって聞いたよ。そんなにしんどいのに、なんで……その、さっきだって『わかりました』って言いかけてたような、告白を受け入れようとしてるように見えたけど……本当は嫌だったんだろ?」
「……」
航琉くんは俯いたままだ。吐き気を堪えているようにも見える。
「……もしかして、嫌じゃなかったのに俺が断らさせた?」
「違っ」
一応その可能性もなくはないと思ったから確認として言ったけど、航琉くんは即座に否定してきた。つまり、まぁ本当に嫌だったわけだ。
「燈李、さんが……」
「……俺かぁ」
そんな気はしてたけど、言葉は奪わず続きを聞こう。
「誰もが一人の人間で、それがわからないならその人を燈李さんだと考えるのがいいと言っていたので……」
言ったなぁ……。
「それで、考えようとして……」
俺以外の人にも優しくするのは良いことだと思ったし、色んな表情が見られて嬉しいと思うけど、それは航琉くんにとって身を守る術を手放すことなのだと、今日一日見ていて知った。
他者をどうでもいいと思うのも、表情に乏しいのも、きっとそうやって生きてこないと自分を守れなかったんだ。
「燈李さんになら何をされても嬉しいから……」
ん?
「それだと話が違ってくるぞ」
「?」
首を傾げている。
「俺に優しくしたいんじゃなくて、俺に何されてもいいって方向性はちょっと危ない」
航琉くんが言う"燈李さん"は"俺"ではなく中の人なのだが、この際置いておいて。
「……? 何をされてもいいですし、喜んでもらえるなら何でもしたいと思います」
「俺が取り巻きみたいなことするってこと? 周り囲んだり、写真撮ったり?」
今日尾行したことも置いておき。
「あの人数が全部俺になんの? 俺増殖?」
「……ふふ、はい……!」
想像して嬉しそうにしないでくれよ。
「おかしな行動してても俺の見た目ならなんでもいいの? 俺に化けた怪人かもしれないよ」
「!」
「俺の姿の怪人に騙されて命令されて、俺が喜ぶと思った航琉くんが悪いことしてたら俺は傷つくよ」
この例え話は相当子供っぽいと思う。現実味もない。呆れられちゃうかな……と一瞬不安に思ったけど、航琉くんは真剣に聞いてくれている。
「それ、は……」
俺だって二重人格の状態という嘘をついていて、騙している。俺とのやりとりに喜ぶ航琉くんは、騙されている。
「そもそも俺本人だとしても、悪いこと言ってたら従うの? 例えば……お前を殺して俺も死ぬ、とか」
「それは駄目です!」
「お、おお……?」
間髪入れずに、航琉くんが拒否の言葉と共に顔を上げた。
「死なないで、ください……」
「え、あ、うん」
殺さないで、じゃなくてそっちなのか……。
……航琉くんは、死なないで、が言えるんだ。
眩しく感じるのは、西陽のせいだけじゃないだろう。
「世界の損失です」
「うーん、スケールがデカい」
「そういうのは、分かるんです。燈李さんが消えたり傷ついたりするのは駄目だと。でも、それ以外は何が悪いことなのか……良いことなのか……ごめんなさい……わからないんです……」
そう言って再び俯いた航琉くんは、とても辛そうに見えた。「わからない」、その言葉を口にしたとき、僅かな怯え……俺に嫌われるんじゃないかと不安に思っているのが分かった。
嫌わないよ。嫌えるもんか。一生懸命に考えて、変わろうとしてくれている。
ほんの少しでも人に優しくすれば付けいられてしまう見た目に生まれて、苦しみながら。
「……燈李さん?」
「あ、ごめん……」
俺は無意識のうちに、航琉くんの頭を撫でていた。小さい頃、妹の光莉が悲しそうなときによくやっていたのがうっかり出てしまった。航琉くんは光莉より年上なのに、子供扱いは失礼だ。
「いえ、もっと……お願いします」
思わず引っ込めようとした手に、航琉くんはすり寄るように頭を寄せてきた。
可愛い……じゃない!!! 俺が持っていい感情じゃない!!!
俺は慌てて立ち上がる。
「あっ……」
「ともかく!!! 悪いこと……人を傷つけるのは駄目だ、それは目の前の人が俺だったらを想定していい。それから航琉くんが嫌なことも拒否してほしい。航琉くんが傷つくのも俺は嫌! 良いことの方面は……可哀想なフリをして襲ってくる怪人もいるから、気心知れた人以外には周りにいる大人を呼ぶとかして対応しよう!!!」
「はい……」
頭から手が離れたせいか、すっっっごく寂しげにされてしまったけど、絆されちゃだめだ……!
それに、撫でるのをやめた理由はもう一つある。中の人が、ビクついた。人に触れることを、嫌がっている。
航琉くんがこちらに手を伸ばし、俺が……もしくは俺の中の人が警戒したのが分かったのかもしれない、手を引っ込める。
俺は自分が警戒したのか、中の人が警戒したのか区別がつかなかった。きっと、どっちもだ。
「燈李さんは……僕のことを、どう思っていますか」
真っ直ぐな瞳。その目に、俺は弱い。
ここに彼と自分が確かに存在すると実感する。
「どう、って」
「嫌い、ですか」
「嫌いじゃないよ」
風が吹き、木々の葉が揺れる。
西陽は暑く、顔が熱を持っている。
「では、好きですか」
「それは……」
俺が、答えることじゃない。告白の相手は"俺"じゃない。
「気持ちを、言ってください」
俺が言ったところで、何も良い方向には転がらない。
「航琉くんは、」
俺のどこが良かったの?
なんて、聞けない。
さっきの彼女達に思った、何も知らないのに相手を好きになるなんて。航琉くんは、"助けてくれた燈李さん"を好きになった。告白はそのときだ。わかりきっている。
聞けば、その通りの答えが返ってくるだろう。それは俺自身を否定する言葉だ。
……怖い。怖くて、聞けない。
俺はこんなに臆病だったのか。七不思議も、オバケも怖くないのに、言葉一つが出てこない。
真っ直ぐに好きだと、死なないでと言える彼は、
「良いやつだと、思うよ」
そう思うのは、本心だ。
いくら人の見た目に疎いといっても、自身が人を惹き付けてしまう外見であることを自覚していないわけがないだろう。こちらの手を取って、引き寄せて、顔を近付けて強引に魅力を見せつけることも、出来るはずだ。
航琉くんはどんなことよりも、俺を傷つけないことを優先して動く。
「……出てきてくれよ。見えてるだろ……彼は、お前のことが好きなんだよ……」
俺はスマホを握り小声で呼びかける。ストラップが、重たく感じた。
気配はある。
応答は、ない。
