憑かれ告られ愛となれ、そして友となれ!

-7-
「俺はお前を好きにはならない」
 視界が、歪む。
 多分倒れそうになったのだろう。平衡感覚は殆どなく、その自覚もなかった。ただ俺に伸ばしてくる手がひどくおぞましいもののように見えた。
「触るな」
 意識が朦朧としている。
「"僕"に触るな……」
 俺は自分でもどうやって喋っているのか分からなかった。殆ど自動的に、その手をよけて歩き出す。俺の拒絶を受け取ったのだろう、彼が付いてくる様子はない。

「……なぁ、ちょっと……あのさ」
 徒歩の帰宅路。具合が悪いときはいつもの倍以上の距離にも感じる。どうにか歩いてはいるけれど、どうにか、ギリギリだ。俺はスマホを見つめる余裕もなく、どこともない中空へ独り言のように話しかけた。
〈僕か?〉
「……そう」
 呼び掛けにくいな……。
「名前、なんていうの」
〈あまり呼ばれたくはない〉
「そう……」
〈それで、要件は?〉
 呼ばれたくないのに聞く気はあるんだな……?
「体の操縦、代わってくれない……?」
〈却下だ。僕に代わったところで体の調子は変わらない。速く動けるようになるわけじゃないだろう。それにキミの意識が明白なときに入れ替わるとキミはおそらく意思を持って体の主導権を僕に渡したままにする。そうだな? 何故だ。あの状態はだいぶ不愉快だぞ。閉じ込められ、不自由で、キミの応答はないし、いつまであのままなのかわからなかったし、どうやって過ごしたら良いのかも手探りで……〉
「うぅ……」
 今難しい話は頭に入ってこない。歩くことだけに集中しよう……。
〈……タクシーを呼んだらどうだ。アルバイトをしてるんだから、金が無いわけじゃないだろう〉
「無駄遣いだから、いい……アレ罰金用だから……」
 バイト代は不法侵入が見つかったときの罰金用に貯めておくって決めている。
〈罰金用?〉
「じゃあなんか、テキトーに話してて。気が紛れる……」
〈罰金って何だ? キミは説明不足なところがある。僕が呼ぶからこの場を動くな! あぁもう、止まれ!〉
「いいって、歩けるから。タクシー乗ったらお前黙るだろ。人前じゃ喋んないみたいだし……喋っててくれるほうが、気持ちが楽……」
〈……日本史の年号とかでもいいか? 適当な話題が分からない〉
「よろしく頼む……」

 日本史の年号の語呂合わせと、その時に何が起きたかを聞きながら(歴史人物の名前を知ってて当然のように話すからそれがどういう立場の人物なのかわからないまま話が進み、俺はついていけなかったが聞く元気はなかった)、なんとか帰宅出来た。
 体力のないときは水分栄養休養だ。冷蔵庫にあったペットボトルの水と小さいパックの野菜ジュースを拝借して自室に向かい、飲む気力のないままベッドに倒れ込む。
 カサコソと自分のものではない動きを感じるが、見る余裕もない。
 ゴトン、とベッドに倒れ込んだときに手から離れていたペットボトルが肩に当たった。ちょっと痛い。
「……?」
〈悪い、せめて飲める状態にしようかと……出来てはいないが……〉
 目を開けて見てみれば、ペットボトルと野菜ジュースが顔の近くに来ていた。野菜ジュースのストローはビニールから出ていて、飲み口に刺そうとした形跡がある。
「ポルターガイスト……」
〈死人に口無し、ならぬ死人に手なし。猫の手のほうがよっぽど役に立つ。僕は役立た……、いや、自分で飲めるか?〉
 『僕は役立たず』とでも言おうとしたのだろうか。言えば俺を困らせると思ったのかもしれない。
「さんきゅ……お陰でちょっと気力出た」
 フォローでもなんでもなく、誰かに声を掛けられるだけで気力が湧くことはある。役に立ってるよ、と伝えたかったけどそこまで言葉にする力はなく、水を飲んで目を閉じた。
〈ご家族を呼ぼうか? ポルターガイストとしてこのスマホの操作ならそれなりに出来る。看病をしてもらったほうが良い。痛いところはあるか? リビングに薬箱があったよな。僕が個人で動ければ取って来られるかもしれないのに、クソっ〉
 焦っているのか、言葉遣いが悪くなっている。俺は首を横に振り、家族を呼ぶのも薬も不要だと伝えた。寝てれば治る。
 ――いたいよ
 ――いたい
 ――いたい……
 子供の泣く声がする。
「……その子」
〈うるさいか? 黙らせようか〉
 どうやって? 黙らせるってちょっと物騒なワードだ。
「そうじゃ、なくて。痛いって、言ってるから……怪我してたり、どこか具合が悪いなら手当てしてやって……」
〈僕が? コイツの?〉
「……だめ?」
〈方法も意味もメリットもないし、駄目という尺度で考えたこともない。前にも言っただろ、これは言葉を繰り返しているだけだ。それよりもキミは休んだほうが良い〉
 ――いたい
 ――いたいよぅ
〈鬱陶しいよな、キミの側から離れさせようとしてるんだが僕自身もこれ以上遠くに行くのは不可能みたいだ。挑戦してるのに上手くいかない〉
 ――いやだ
 ――いたいよぅ
〈あぁ、このっ、いつまで泣くつもりなんだよ! 少しは黙れないのっ?〉
「いい、いいから、泣いてて、いいから」
 中の人はその子にイラついていて、その子はそれに怯え出したような気配を感じた。余裕があれば仲裁したり、詳しく聞いたりしたかったけど、今は何よりも、遠くに行くとか、離れるとかの言葉が頭に残ってしまった。
 怒らないでやって。泣いてても、騒いでもいいから。
 居なくなるほうが、悲しいから。
 何も要らないから。
「……ただ、側に……、いて……」
〈……はぁ〉
 俺の声は随分弱々しく聞こえたらしい。合成音声が優しい声色に設定されたように感じた。気を遣わせちゃったな、と思うけど、笑って自分を茶化してみせる力は出なかった。
〈そこまで悲しがられちゃ仕方ない〉
 その部分も声に出てたか……。
〈大丈夫だ。ここに居る。居る証拠に、話そうか。世界史の年号でいいか?〉

 昼過ぎから約4時間ほどの、もう仮眠と呼ぶには値しない割とがっつりめの睡眠をとり、割と回復し、夕食を食べ、母さんも既に俺がイケメンから告白されたことを噂で知っていたらしく嬉しそうにされ、俺はさっきの航琉くんとのやりとりを思い出しながら若干気まずくなり、イケメンというより美形のほうが形容詞として近いよなぁなんて考えながら、本日の予定は夜の音楽室への侵入である。
〈大事をとるという考えはないのか? 授業を休んでおいて夜中に出歩くというのはどうなんだ〉
 母さんと光莉が寝た後、スケジュール帳を確認し動きやすい服に着替えているとスマホから声がした。
「寝てだいぶ良くなったよ。やっぱ寝不足だったのかな」
〈昨日の少しの夜更かしと今朝の少しの早起きくらいで?〉
「うーん……アレじゃない? お前、俺の体で柔軟体操とか筋トレとか走り込みとかはしてなかっただろ? きっと体力落ちてんだよ」
〈キミにそんな習慣があるとは知らなかった〉
「円滑な不法侵入のために鍛えてんの」
 スマホの合成音声は呆れたような声色だ。さっき『1789年フランス革命』なんて言ってた頃はもっとゆっくりで穏やかで優しかったのに。
〈不法侵入はさっさと捕まれ。……七不思議、だったか。六つの七不思議と出会い屋上に行くと願いが叶う……馬鹿馬鹿しい。そんなことで叶うわけがないだろう〉
「でもお前が居た」
 スマホから音声はしないけど、空中からぴくりと驚いたような雰囲気が伝わってきた。そこら辺に居るのかもしれない。全く見えないけど。
「それって不思議なことがある証拠にならない? それに、別に願いを叶えたくてやってるわけじゃない。単なる好奇心だよ」
 スマホは考え込むように黙っている。
「鏡のときも、きちんと不思議なことは起きた。七不思議の場所は五十個以上見て回ってるけど、ああいうのは滅多に……というか初めてだ。やっと六つのうちの一つ目。数打ちゃ当たるとしても、バイトの日とか母さんが夜勤の日とかは夜の学校へは行けない。行ける日に行くしかない」
〈単なる好奇心にしては執着が強いように見受けられる。あの鏡、キミは僕とは違うものを見たな? 僕が見えたものの中にはないことを口走っていた。何を見た?〉
 少しだけ、目眩が蘇ってきた。
「……う、ぇ」
〈だから言わんこっちゃない! 横になれ! 今すぐ寝るべきだ!〉
「平気。こんくらい問題ないよ」
〈悪化したらどうするんだ! 大きな音出すぞ。ご家族に止められてしまえ〉
 それはマズイ。こんな時間の大音量は怒られる。外に出るのも止められてしまう。厚手の衣類でスマホを包み、俺は急いで出発した。どうにかなった。一安心だ。
〈……覚悟しておけよ〉
 と怒りの合成音声が聞こえた気がしたが、第一関門にして最大の難易度、自宅から出ることには成功したのだ。この先に難しいことなんて、そうそうあるわけがない。


「こんばんは」
「なんっ……!?」
 航琉くんがいた。校門の前に。
 なんでっ?