【短編】社交界の黒薔薇は、白銀宮の断罪官に何もかも暴かれる

 ルビンは抑揚のない落ち着いた声音でエリオスに問う。
 黒薔薇が現れれば婚約は壊される。
 社交界の共通認識のようなものだった。

「――もちろん黒薔薇のお噂は耳にしておりますが」
「なら警戒はしているか?」
「警戒などする必要はありません」

 エリオスはカリナの肩を抱く手に力をこめる。

「私はカリナを心から愛しています。他の女性に目が移ることなどありませんので」

 完璧すぎる一人の女に愛を誓う貴公子。
 周囲から感嘆の吐息が漏れる。
 
「エリオス様……」

 カリナも頬を桃色に染め上げてエリオスを見上げている。
 ルビンはその様子を見据えていた。
 
「――初対面ではなさそうだったが」
「勘違いは誰にでもありますよ。それを責めるほど私は無粋な男ではありません」

 ルビンの追及を、さらりとエリオスは躱す。
 
(わたくしの勘違い……そういう(てい)にしておこうってことね……)

 自分はリジュアを責めない寛大な男だと。
 エリオスの欺瞞的な優しさにリジュアは辟易していた。

(巧みに他者からの評価をコントロールしようとしている……)
 
 内心でエリオスを観察しながら、リジュアはルビンを見つめていた。
 このどこまでも極上に見目麗しいエリート男の意図が読めない。
 わざと空気を揺らして、エリオスの反応を窺い情報を拾っているようにも見えた。

「ルビン様! やはりわたくしと一曲だけでも踊っていただけませんか?」
「ぜひ、少しでもルビン様とお話をさせていただきたく……」

 先ほど相手にされなかったにも関わらず、令嬢たちがルビンに群がっていく。
 社交界に姿を現すなど前例のない白銀宮の若き断罪官。
 この決して誰にも靡かない価値のある男を逃すわけにはいかないと、皆が内心で気勢が上がっている。

「――断る」

 容赦なく一蹴するルビン。
 令嬢たちが消沈する中でルビンはリジュアの元へと再び歩み寄ってきた。

「――お前は踊らないのか?」

 ルビンの深い碧眼に映し込まれて、リジュアは瞬きを繰り返した。

「わたくし、ですか?」
「お前以外に誰がいる」

 間違いなくルビンはリジュアをダンスに誘っている。
 白銀宮の断罪官が社交界の黒薔薇を――だ。
 令嬢たちの――貴族中の顔色が変わる。
 羨望と衝撃と敵意が入り混じった感情が、一斉にリジュアへ向けられた。
 それはまるでナイフのように切れ味抜群でリジュアの心地を悪くさせる。
 エリオスも怪訝そうに眉根を寄せた。

「――ルビン様、ご自身が何をおっしゃっているのか、おわかりになられていますか?」

 リジュアは笑みを携えたまま問いを継ぐ。

「お前をダンスに誘っている」
「それは理解しております」
「――なら問題ない」

(問題あるでしょう!?)

 リジュアは思わず口に出そうになった。
 令嬢たちの誘いを無碍にして、リジュアだけに声をかけてくる男。
 二人で話したいとも言われている。
 
(何が目的なのかしら? 仕事だとしたら、わたくしと一緒に踊る必要がありまして?)

 リジュアに疑問符が次々と浮かぶ。

「わたくし、男を破滅させる悪女だそうですよ」
「知っている」
「近づかないほうが賢明では?」
「それは俺が決めることだ」

 リジュアは本気で困惑した。
 黒薔薇の名を聞いた男は警戒して距離をとられるか、下心を覗かせて興味本位で近づかれるかのどちらかだ。
 どんなにヴェールで包んだところで男の本能は隠せないものである。
 だが、ルビンからは何も読み取らせてくれない。
 
「お受けになったらいかがですか?」

 エリオスが口を挟んできた。

「白銀宮の若き断罪官殿からのお誘いなんて、滅多に受けられるものではないですよ」

 一見、余裕のある笑顔でエリオスはリジュアに告げる。
 リジュアをルビンに押し付ければ、自分のことは有耶無耶(うやむや)になるだろうというエリオスの魂胆が見え見えだった。
 それに白銀宮の若き断罪官――そんな男が自分が主役のはずだった、この夜会で注目を攫っている。
 自分より全てにおいて格上だろうルビンの存在感がエリオスは目障りなのだろう。
 自分の支配が乱れることをエリオスは嫌う。

(傲慢な男……。やはりカリナ様には合わないわ……)

 リジュアがエリオスへのジャッジをほぼ固めていた――時。
 目の前に手が差し出される。
 ルビンの白い手袋に覆われた右手。

「――来い」

 全く甘くも飾り気もない、ストレートで簡潔な誘い方。
 しかし、その仕草はこの場の誰よりも貴公子であり自然体だった。
 令嬢たちがルビンに熱狂する理由がわかる。
 リジュアはその差し出された手を見つめていた。
 手袋越しでも、指は長く、ルビンは手の形ですら芸術に値するのかと。

(……どうすれば……?)

 男が女をエスコートして誘う。
 社交界では珍しくもない、ありふれた光景。
 リジュアも何度となく令息たちから声をかけられてきた。
 なのに、胸の奥が落ち着いてくれない。

(この男には近づいてはいけない気がする……)

 エリオスとは別の意味で。
 
(何を考えているのか全くわからない)

 そのくせ、碧眼から放たれる視線は真っ直ぐでエリオスとは正反対に偽りなどなさそうで。
 いとも容易に本質を捉えてしまいそうで。

(引きずり込まれて、引き返せなくなる怖さ……)

 けれどもリジュアに逃げ道が見つからない。

「……一曲だけでいいのなら」

 リジュアは覚悟を決めて、差し出されたルビンの手をとる。

「っ……」

 指先同士が触れた瞬間、リジュアは硬直し、肩をビクッとしならせる。
 この時に初めて無表情だったルビンの美貌が微かに変化を見せた。