王都の夜は華やいでいる。
侯爵家であるレイノルズ家主催の春季夜会。
磨き上げられた大理石の床。
天井からつるされた中央の巨大なシャンデリア。
その下ではオーケストラが奏でる管楽器の優雅な旋律に合わせ、複数の着飾った男女が軽やかにステップを踏み、緩やかに交差している。
給仕は慌ただしくもスマートに行き交い、客人をもてなす。
貴族が集う洗練された社交の場。
教養の豊かさを感じさせるウィットに富んだ話術を誇示したり、最近の社交界の噂話や評判など各地で歓談に花が咲いていた。
しかし、裏では誰もが立ち回りに打算があり、一挙一動にいたるまで仕損じのないよう気を張り詰めている。
今宵の真の目的はレイノルズ侯爵令嬢カリナとマッコード公爵令息エリオスの婚約披露だった。
「本当にお二人、とてもお似合いですわ」
「エリオス様は女性に誠実でいらっしゃると有名でしょう」
「カリナ様もお幸せですわね」
二人を盛り立てるように楽しげな声が次々ととぶ。
広間の中央ではミモザ色のドレスを身にまとった華奢なカリナが、頬を染めながら婚約者であるエリオスを見上げていた。
カリナ・レイノルズは18歳になったばかりの侯爵令嬢。
彼女より6つ年上の隣に立つエリオス・マッコードは社交界でも名高い貴公子である。
彫りが深く、どこか甘やかな顔立ち。
穏やかな微笑に洗練された立ち振る舞い。
女性人気も高く、次期公爵として将来を期待されていた。
「今日の礼装もお似合いですわ。エリオス様」
「君のほうこそ、カリナ。私の自慢の花嫁だ。君に勝る綺麗なものなど他にはない」
うっとりと見つめ合い会話を交わすエリオスとカリナ。
誰もが羨望の眼差しを注ぐ婚約だった。
「相変わらず、歯の浮くような台詞がお似合いでいらっしゃいますわ」
不意に落ちた女の声に、夜会の空気が一瞬で変化を見せる。
広間の入り口へと波紋のように人々の視線が注がれた。
そこに立つのは一人の女。
鮮やかなラズベリーレッドの胸元が開いたドレス。
柔らかな曲線を描き、腰まで伸びている絹のような黒髪。
初雪のように真っ白な肌。
男たちの視線を奪わずにはいられない完璧な美貌に抜群のプロポーション。
華奢で細腰にしては肉感的な彼女の身体つきは異性の欲情をそそる。
その女は歩き方でさえ優艶であり、誰もが目を奪われた。
「――あれは黒薔薇……」
瞬く間に囁きは広がっていく。
「社交界の黒薔薇だわ……」
「また現れたの?」
「まさか今度はこの婚約を……?」
恐れや怯えにも似たざわめきが広がる。
しかし注目を惹き付けている当の本人リジュア・ヴェリティは周囲の喧噪など歯牙にもかけない。
リジュアはエリオスとカリナの前で立ち止まった。
エリオスの瞳の奥が微かに歪みを見せる。
リジュアは内心で溜め息を吐いた。
(同じだ……)
リジュアの亡き姉の夫と。
愛を語り、優しい顔をし、本性を隠して笑顔を向ける。
――女を欺くために……。
リジュアはエリオスとカリナに向けて微笑んで見せた。
社交界の人間が恐れる抵抗不能の悩ましい”黒薔薇の微笑”。
同性のカリナですら、リジュアの魔性の笑みに見惚れていた。
「エリオス様……」
カリナは我に返ると、婚約者であるエリオスを不安そうに見上げた。
エリオスはカリナに柔らかな笑顔を浮かべ直す。
「――失礼。社交界の黒薔薇と認知されるリジュア嬢に初めてお目にかかるので少し驚いただけですよ」
「初めてではないでしょう?」
見る者を幻惑させるほど美しい笑みを携えたままリジュアは首を傾げた。
「先日の夜会では、随分と熱心に、わたくしのことを褒め続けてくださいましたもの」
カリナの表情が凍りつき、エリオスの顔が強張る。
「リジュア様は誤解を招く言い方がお好きなようだ。お人が悪い」
「そうかしら?」
リジュアは給仕からグラスを受け取りながら肩を竦めた。
「わたくしは事実しか申し上げませんわ。嘘は覚え続けているのが難しいもの」
リジュアの些細な仕草でさえ蠱惑的で観衆の心を惑わす。
誰がいつから言い出したのか定かではない社交界の黒薔薇はリジュアを現す通り名。
リジュアが近づいた婚約は必ず壊される。
女は泣き、男は身を滅ぼし破滅へと導かれる――美しい悪女。
リジュアの噂をこの場に集う誰もが知っていた。
(あなたも姉を壊した男と、同類なのかしら……)
リジュアはエリオスを観察していた。
「――目立つのが好きなのか?」



