【完結】廃部寸前の料理研究部。振る舞うのは今日も一人です。【短編】

 二人の半同棲生活がスタートして約三週間が経過しようとしていた。
 野球部である倫也はほぼ毎日部活に出かけるのだが、秋扇はその度に軽食を作っては倫也に持たせており、「ただいま」と秋扇の家に帰る倫也はいつもご機嫌な様子でその軽食の感想を伝えてくれる。その様子はまるで幼子が今日あった出来事を母親に教えるようなものであった。
 また秋扇も部活がある日は一緒に登下校をしており、秋扇が家庭科室で作ったご飯を部活の休憩時間に盗み食いによく来ているところを他の野球部員に目撃されており、特に二人と同じクラスである加藤、島田、栗原はそんな倫也の後をつけて、秋扇の作ったご飯のおこぼれにあやかろうとしていたのだが、それをいつも倫也が邪魔をしていた。
 しかし、桜島高校の一階にある家庭科室の窓際に四人もの野球部が集まるもんだから、他の野球部もなんだなんだと集まってくる。大人数ともなると倫也がいくら邪魔をしようとも野球部の面々は秋扇に声を掛けるもんだから、秋扇も倫也もついには折れ、秋扇は全員分とはいかないものの、集まってきた野球部の面々に料理研究部として作ったご飯を分け、それを美味しいと口にしながら頬張る野球部員に「美味しいのは当たり前だ! なにせ秋扇が作ってるんだからな!」となぜか誇らしげに告げる光景がいつしか日常になりつつあった。

 そんな日が続いたある日の夕食。
 メニューは夏ということもあってかそうめんだ。しかしただのそうめんではない。普段二人が一緒に食事をするテーブルには乗り切らないほどの食材が並べられている。大葉やミョウガといった薬味だけではなく、ラー油に肉そぼろ、錦糸卵なども一緒に食べると更にそうめんを美味しく食べることのできる食材だけに限らず、ぶり大根、鶏つくね、筑前煮、アスパラの肉巻き、野菜の天ぷらなど、それだけでも立派な夕飯のメニューになるであろう料理も並べられていた。
 秋扇は「そうめんだけだと味気ないでしょ?」と思って用意してくれたものらしいが、日に日に豪華になっていく食事に倫也は若干の恐怖を抱いていた。

「やべぇ、マジで手が止まらん! マジで美味しい!」
「ありがとう、そう言ってもらえるだけで嬉しいよ」
「俺マジで夏休みが終わったらこの料理が食べられなくなると思うと、ガチしんどいわ」

 倫也の恐怖は夏休みが終わってしまうと、もうこの秋扇のつくる料理を毎食のように食べられなくなるという恐怖であった。そんな倫也の言葉の「しんどい」という言葉の重みは秋扇には痛いほどわかった。

「……夏休み関係なく、うちに来ればいいじゃん。食べに来てよ」

 これは秋扇の本心だ。
 もう三週間も同棲をしているのだ。”もしかしたら?”とお互いに気持ちに気づかないほど遠い距離を保って生活を送っていたわけではない。しかしこの気持ちを伝えてしまえば、この二人の特殊な関係が崩れてしまうかもしれない。
 そんな不安から二人はこの三週間、そのことについては触れずにいた。
 しかし倫也の「しんどい」という言葉が秋扇を動かした。真っ直ぐに倫也を見つめる秋扇の目はどこか儚く、けれどどこか心の何処かで期待をしているようなそんな色をしていた。

「……秋扇は明日暇?」

 秋扇に目を向けられた倫也は箸を置き、恐る恐る秋扇に尋ねる。
 急に話をそらすかのような話題の変更に若干気が動転した秋扇は「え?」と間抜けな返答をしてしまった。
 倫也はそんな返事を気にしていないのか、続け様に言葉を紡いでいく。

「明日の野球の練習試合。見に来てほしいんだけど……。どうかな?」
「ど……え……?」
「もしかして何か予定あった?」
「いやないけど……行っていいの?」
「うん。来てほしい」
「今まで何も言われなかったから、行っちゃだめなんだと思ってた」
「え、来たいって思ってくれてたの? 言ってよ!」
「でも野球のルールそんなに詳しくないし……。いつも家庭科室から見えるグラウンドを眺めるくらいだよ……」
「……ホームランはわかる?」
「わかるけど……」
「なら明日秋扇のためにホームラン打つから見に来てよ」
「それって……」
「……ホームラン打ったら、俺の口から言わせて。」

 倫也はそう微笑みかけながら、秋扇の手に自分の手を添える。
 それは秋扇を逃げられなくするためではない。引き止めておくためのものではない。
 ただ倫也自身が本気であることを秋扇に伝えるための手段として手を添えたのだ。

「うん。明日絶対に行く。ホームラン打てるように僕も応援する。だから……ホームラン打ったら僕からも言わせて」

 そう言って秋扇は添えられた倫也の手を恋人つなぎするように握り返す。
 二人にそれ以上の会話は不要だった。



 翌朝、秋扇の作った色鮮やかな朝食を口にしている途中、秋扇は少し恥ずかしそうにしながら倫也にタッパーを手渡す。

「これ……レモンのはちみつ漬け。今日の試合のときにでも食べて」
「いいのか……?」
「もちろん。倫也くんのために作ったものだからね」
「……ありがとう。絶対ホームラン打ってくる」

 倫也は秋扇からもらったタッパーを保冷バックに入れ、それをさらにスポーツバッグの中に入れる。
 食べ終えた倫也は玄関に向かい靴を履く。そんな倫也を見送るため秋扇も玄関へと向かう。

「一回抱きついていいか?」

 見送りに来た秋扇に対し、倫也は恥ずかしそうにしながらもそう告げた。
 それに対し秋扇は両手を広げ、倫也を待つ。倫也は一度帽子を取り、自分を迎えてくれている秋扇に抱きつく。
 そんな二人の間にはやはり言葉は不要であった。

「秋扇をチャージできた。行ってきます」

 そう言って帽子を深く被り直す倫也に秋扇は「いってらっしゃい。僕もあとで行くから。一緒に帰ろうね」と緊張している倫也を送り出すのであった。


 * * *


 秋扇が試合会場に着くと、すでに試合がスタートしていた。
 秋扇の他にも何人か試合の観戦者がいるようだが、他の学校の生徒の偵察であったり、明らかに大学のスカウトマンだったりといった面々で、純粋な応援としての観戦者は秋扇が見る限り秋扇だけであった。
 それもそうだろう。今回の試合はあくまで他校との練習試合だ。大々的な試合であればもっと観客も多かったに違いないが、他校との練習試合ともあればこんなもんなのかもしれないと、秋扇はどこか納得していた。

 そんな野球に詳しいとはお世辞にも言えない秋扇だが、そんな秋扇でもわかるほどに今の桜島高校の状況は良くない。現在は五回裏で五対八で負けている状況だ。
 秋扇は暑い中、帽子とタオルだけで暑さをしのぎ、額に滲ませた汗が頬を伝い顎から地面へと流れていくのを一切気にすることなく、顔の前で祈るかのように両手を組み、ただ桜島高校が、倫也が勝つことを願っていた。
 七回裏で桜島高校が二点を稼ぐも、次の八回表で相手校が一点を獲得し、点差は七対九の状況で試合は九回裏となってしまった。さらに言えば桜島高校は現在ツーアウトの状態。あと一回でもアウトをとってしまえば、桜島高校の敗北が決まってしまう。
 しかし走者は一塁と三塁。ここで一発逆転も狙える状況でもある。そしてバッターは倫也だ。皆の期待を一心に背負う。
 そんな場面で会場にどよめきが走った。先ほどまでになかった様子で会場全体がざわざわしている。
 目を瞑って願っていた秋扇が、目をゆっくりと開けるとそこにはバットの先端で秋扇を指す倫也の姿があった。距離があり倫也がなんと言っているかまではわからなかったが、秋扇を見る倫也の口ははっきりと「大丈夫。打つよ」と言っているのがわかった。

 倫也は体の向きを戻し、バットを構える。
 相手選手のピッチャーが足を高く上げ、この試合において今までにないスピードで球を投げる。

「倫也くん! いっけぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!!!」

 秋扇の声が響き渡るグラウンドで『カッキィーン』と気分を高揚させるあの甲高い音が鳴り響いた。
 この場にいる全員が天高く舞い上がったボールを目で追うように見上げる。
 そしてそのままボールはフェンスを超えた。
 グラウンドを満面の笑みで駆ける倫也は右手で拳を作り、秋扇の方へと向ける。秋扇はそれに答えるように目を細め笑いかけるように倫也同様拳を突き出す。
 それは二人だけの合図だ。


 練習試合だが、試合は試合だ。
 そんな試合を勝利に導いた倫也は監督や他の野球部員に囲まれ、「よくやった!」「さすがはエース!」ともみくちゃにされていた。倫也はそれを笑顔で躱し、挨拶もそこそこにそんな様子を近くで見守っていた秋扇のもとに駆け寄る。
 秋扇には夕日が眩しくてよく見えないが、倫也は先ほどまであんなにもかっこよかったというのに今では耳まで赤く染め上げ、何やら緊張しているようであった。
 そんな倫也の緊張は秋扇にまで自然と伝わり、秋扇もどことなく落ち着きのない様子で倫也の顔を見る。

「俺から言うって約束したから」
「……うん」
「好きです。ずっと前から好きでした。もう秋扇のご飯なしじゃ俺は生きていけません。今日のホームランを秋扇に捧げます。だから俺に毎日ご飯を作ってくれませんか?」

 倫也はプロポーズでもするかのように、片膝を付き右の手のひらを秋扇へと差し出す。先ほどまで眩しいと感じていた夕日は次は秋扇を照らした。
 彼は一息つくと、ゆっくりと差し出された右手にそっと自身の右手を置く。

「……僕に毎日ご飯を作らせてください。こちらこそよろしくお願いします」

 それを聞いた倫也は置かれた右手を掴み、立ち上がりながら自身へと引き寄せる。
 そのまま二人は野球部の顧問や野球部員が近くにいることを忘れ、今までにないほど強く抱き合った。そんな二人を野球部員は取り囲み、祝福の言葉を浴びせる。顧問は「青春だねぇ」と呟きながら遠目に拍手を送るのであった。

「おいバカ! そんなに見るな! もう秋扇は俺のだぞ!」
「いいじゃないか! なぁ真黒はいつも倫也にご飯作ってるんだよね? 俺も今度家にお邪魔していい?」
「そうなんだよ! 俺もあやかろうと思ってさ、家について行っていいかって言っても倫也のやつ絶対にだめって言うんだぜ!」
「なぁなぁいつも家庭科室で作ってたまに食べさせてくれるやつ。俺まだ一回しか食べてないんだけど、俺にもまた作ってくれよ! 真黒ぉ!」
「だめだだめだだめだだめだ! 俺の! 俺だけのご飯で! 俺だけの秋扇だ!」

 倫也の独占欲の塊のようなセリフに野球部員からは笑いが起こる。

「そんなに独占欲全開でいってると嫌われるぞ!」
「そうだそうだ! 束縛野郎かぁ?」

 野球部員からのそんな言葉に倫也は徐々に不安そうな顔になっていき、恐る恐る秋扇に顔を向ける。その表情は「大丈夫だよな? そんなことないよな?」と語りかけているようであった。
 秋扇はそんな倫也を安心させるかのように、汗や泥まみれの倫也に抱きつき「ぼ、僕のです!」と顔を真っ赤にし、手を震わせながらそう宣言した。
 野球部員たちは顔を見合わせ、ただただ祝福の言葉を投げかける。それに一切の嫌味や嫉妬は含まれていない。純粋な祝福だった。


 * * *


 夏休みが終わり、学校が再開した。
 それに伴い半同棲生活は一旦の終了を迎えたのだが、二人の気分はそこまで落ち込んでいない。家に帰れば誰もいない静まり返った秋扇の家に家族こそいるものの暖かく向かい入れてくれるわけではない倫也の家はこれまで通りであったが、そんな寂しい思いが霞んでしまうほど、二人は気持ちは通じ合っていた。
 平日の夜は二人でビデオ通話をしながら一緒に夕食を摂るし、休日は同棲生活をしていたときのように倫也が秋扇の家に泊まりに来て一日中一緒に過ごす。
 二人はすでに家族のようであった。


 昼休み。
 今日も家庭科室の扉が勢いよく開く。

「いらっしゃい。今日は何が食べたい?」
「今日はね――」

 かつて、秋扇の作る料理を食べるのはいつも彼自身だった。
 ――けれど、今日も家庭科室の扉を勢いよく開けて入ってくる、たった一人の『彼』が食べてくれる。秋扇にとってそれは、それだけでこれ以上無い幸福であると教えてくれるようであった。