【完結】廃部寸前の料理研究部。振る舞うのは今日も一人です。【短編】

「す、すげぇ……」

 夏休みに入り、少し大きめのカバンを背負った三好が秋扇の家を訪れていた。
 額に汗を滲ませながら、秋扇のあまりの家の大きさに驚く三好であったが、そんな彼のことをさほど気にしていないのか、それともあまりの暑さに一秒でも早く扉を閉め、クーラーのついた部屋の冷気を外に逃がしたくないのかはわからないが「あがって、あがって!」と陽気な声で秋扇は三好を家の中へと招き入れる。

「お、お邪魔します……」
「どうぞどうぞ! 本当に誰もいないから何も気にせず寛いでいいよ」

 そう言われてリビングに通された三好はまたも驚いたかのように目を見開く。
 自分の身長とさほど変わらないほどの大きな壁掛けテレビとこれまた六人は余裕で座れそうな大きなソファが目に飛び込んできたかと思えば、ここにクラスメイトを全員招待してもまだスペースに余裕がありそうなほど広いリビングルーム。そんな広いリビングはダイニングも兼用しているのか、中央にカウンターキッチンが設置されており、そのカウンターキッチンにぴったりとくっついている感じで大きめのテーブルが置かれている。
 三好は何もかも自分の家の規模感とは桁違いの秋扇の家に驚きを隠せないでいた。

「広ぉ……」

 三好は本当に心の声が口から溢れてしまったときのような囁き声で発したのだが、秋扇にははっきりと聞こえていたようで、「そうかも、広いかもね……」と何か意味ありげな感じを残しつつそう言葉を紡いだ。
 しかしその次の瞬間には何事もなかったかのように切り替えて三好へと質問を投げかけた。

「そういえば、泊まることはご両親には伝えたの?」
「あぁ……まぁ……一応?」
「そうなんだ。大丈夫だったの?」
「いつも通りって感じ。向こうは『そうですか』って返事だけだったよ」
「そ、そっか……。ごめん」

 秋扇は投げかける質問を間違えてしまったと悟った。
 しかし一度口にしてしまった言葉を取り消すことはできない。
 咄嗟に謝ってしまった秋扇であったが、謝ったことで余計に不快感を与えてしまったのではないかと内心ヒヤヒヤしている。それは涼しいはずの室内で汗を掻いてしまうほどだ。
 だがそんな秋扇をよそに三好はさほど気にしていないのか、「なんで謝るんだよ!」と少しツッコミ気味で秋扇に気にしていないアピールをする。

「てか、誰もいないって……? えっと、親御さんは?」
「あぁ……夏休み期間は帰ってこないんじゃないかな?」
「……え?」

 秋扇は「荷物はテキトーに置いてていいよ」と三好のことを気にしつつも、秋扇自身も三好の家庭のコトを聞いてしまった手前、話すのが道理だと思い、ゆっくりと口を開いた。

「僕の両親はずっと仕事してるんだよね。」
「仕事……」
「そ。二人とも弁護士をやってるんだけどね。色々全国飛び回ってるみたい。いっつも忙しそうなんだよね。だから基本家にはいないし、帰ってきても着替えとか資料とか取りに帰ってくるくらいで、最後に顔を合わせたのはいつだろうね。」
「……えっ」

 三好は初めて聞く秋扇の家庭の事情にうまく言葉が出てこない。

「一応毎日ご飯作って待ってるんだけどね……いつ帰ってくるかわからないから、毎回無駄になっちゃうんだけどね……」
「…………」
「あ! でも、捨ててるわけじゃないよ! 朝ごはんとして食べたり、お弁当にして学校に持っていってるし……」

 ふと秋扇が三好に目を向けると、そこにはひどく落ち込んでいる様子の三好がいた。それに気づいた秋扇は「あ! ごめん! 暗い話をするつもりじゃ……」と詫びるのだが、「そうじゃない。そうじゃないんだ……」と三好は言葉を紡げないでいた。
 三好が今感じているものは、言葉で言い表すのが難しい感情だろう。自身の家庭環境とはまた違った孤独感を味わっている秋扇にどんな言葉をかけるのが正解なのかわからず、ただただ必死に自分の頭をフル回転させ言葉を紡ごうとしているのだが、今三好にできることは秋扇に近づき、そっと抱き寄せることだけだった。

「……え、ちょっ、ど、どうしたの?」
「こんな広い部屋にいつも一人なんだよな……」
「う、うん……」
「寂しいよな」

 秋扇の耳元で囁かされる三好の声は震えているようにも聞こえるし、心配して慰めようとしている風にも聞こえる。
 家族から見放されている三好だからこそ秋扇の心境がよく分かるのだろう。秋扇は三好とは違って両親から無視をされていたりするわけではないのだが、お金だけ渡してそのほかのコトは何もしないという点では、ネグレクトを受けている三好と大差はないと言える。
 そんな三好だからこそ、秋扇を抱き寄せることで、秋扇を少しでも甘やかしたくなったのだ。

「三好くんも寂しいよね……」
「今の俺には秋扇がいるから」
「……じゃあ僕にも今は三好くんがいるから大丈夫」
「……そっか」
「うん……」

 会話が途絶える。
 しかしそこで三好は好きな人の腰を持って抱き寄せていることに気がつく。つい先程まで秋扇の声を耳元で聞いていたと思うと、三好はその恥ずかしさから耳までも熱を持ち始め、秋扇の肩に手を置くと、一気に引き剥がすように距離を置いた。

「ごごごごめん! 急に抱き寄せたりして気持ち悪いよな」
「え! そんなこと思ってないよ!」
「ほんとか? ……てか汗臭いよな? マジごめん!」
「そんなことないよ。いい匂いっていうか……」
「え……?」
「え、いや、違くて……。あっ! そうだ! リクエストある?」

 秋扇の発言に何か引っかかる部分を感じる三好であったが、それよりも秋扇からの問いかけに対して、瞬時にその理解をすることができず、頭の上にはてなマークを生成してしまっていた。

「リクエスト?」
「そう! これが食べたいとか……。今まで僕が勝手に作ってただけだからさ、三好くんが食べたいもの作ってあげたいなって」
「えっと……そうだな……肉じゃが?」
「肉じゃが?」
「か、家庭の味って聞いたことがあって……」

 それは秋扇と三好にとって、今必要としている味であった。
 肉じゃがといえば、日本の家庭料理の代表とも言えるだろう。そんな肉じゃがを三好は食べたことがない。正確に言えば食べたこと自体はあるのかもしれないが、毎回残り物ばかりを口にしているせいか、今食べている料理が何という名前の料理なのかを知らないまま食べているため、それが肉じゃがだったのかどうかを知らないのだ。

「いいね、肉じゃが! うん! そうしよう! じゃあ買い出しに行ってくるからゆっくりしてて」

 そんな秋扇は三好の肉じゃがが食べたいという思いに、少しでも答えたいと感じていた。
 三好の家庭の事情を知っている秋扇はどんな想いがあって肉じゃがをリクエストしたのか、容易に想像がついた。だからこそ、その想いに応えたいという気持ちが強くなったのだ。
 今日くらいは奮発していい食材でも買おうと意気込んでいた矢先、買い出しについていきたいと提案をしてきた。

「俺も買い出し一緒に行きたい!」
「え? この後部活なんじゃないの?」
「今日は休み!」
「そうなの? 外暑いけど平気?」
「俺野球部だよ? いつも暑い中練習してるから慣れっこだよ!」
「あ……だったね。じゃあいこっか」
「おう!」


 * * *


 スーパーまではそこまで距離は無いものの、七月後半であるにもかかわらず、気温は三十度を優に超えており、店内に入店する頃にはこのまま溶けてしまうんじゃないかと思うほどの量の汗を掻いていた。それは秋扇だけではなく三好も同様であり、普段から汗を掻いているであろう運動部も普通に汗を掻くのだと、秋扇にとっては少し発見があった。
 店内は異常なほど冷えており、汗を掻いた二人にとってそれは涼しいとも感じはするのだが、冷凍庫にでも入ったような体感であり、少しだけ寒いとすら感じるほどの空調設定であった。
 そんな二人は、青果コーナー、鮮魚コーナー、精肉コーナーを通り、必要な食材をカートに入れる。その際に普段では買わないような少し高めのお肉を秋扇は一切躊躇することなくカートに入れたことに対して、三好は「え? え? マジで?」と言ったような反応を見せた。それに対し、「三好くんにはいいもの食べてほしいからね」と笑顔で返した。


 自宅に帰ると秋扇はすぐに手を洗い、食事の準備を進める。
 薄切りされた豚の肩ロースを下味につけておく。その間にじゃがいもとにんじん、玉ねぎとそれぞれ適当なサイズに切り分ける。さやいんげんは一度下茹でを行い、色を鮮やかにした後に三センチ幅に切っていく。
 鍋に油を注ぎ中火で熱すると、下味を付けておいた豚肉を入れ軽く炒める。色がつき始めたタイミングでじゃがいも、にんじん、玉ねぎを入れ更に炒める。
 油が全体に回ったのを確認してから、作っておいた合わせ調味料を加え、灰汁を取りながらひと煮立ちさせる。そのまま落し蓋をする。
 肉じゃがに味を染み込ませている間に、白米と他のおかずの準備を進める。
 一つは厚揚げ豆腐にとろみのあるネギ塩ダレをかけただけのものだ。これは簡単にできるうえ箸を止めることができないほど美味しい。そしてもう一つは汁物だ。全体的に和食テイストになったため、それに合うように切り干し大根ときのこがたっぷり入ったお味噌汁を作ることにした。最初は豚汁にでもしようかと思ったが、肉じゃがと多少被ってしまう部分があることに気が付き今回はお味噌汁にすることにしたのだ。
 炊飯器からお米が炊けたことを知らせる音が鳴り響く。
 それを合図に、秋扇は一気にお皿へ盛り付けを行い、行儀よくテーブルで待っている三好の前へとそれらを運ぶ。それを見た三好はいつも以上に目を輝かせていた。

「す、すげぇ」
「三好くん、この家に来てからすげぇしか言ってなくない?」
「いやそんなこと……あるかもしれないけど! まじですげぇよ!」
「あははっ、ありがとう」
「た、食べていいんだよな?」
「どうぞ。これは三好くんのためだけに作った料理です」

 そう言われると、三好はゆっくりと顔の前で手を合わせ「いただきます」と秋扇の顔を見ながらそう呟いた。そして箸を持ち大きなじゃがいもと豚肉を一緒に掴むと、それを白米の上に一回バウンドさせてから口へと運ぶ。何度も味を噛みしめるような咀嚼を繰り返し、"ゴックン”と喉を鳴らす。しかしそれで終わりではない。三好は喋ることなく次々に口に秋扇の作った料理を運ぶ。肉じゃがだけではなく、ネギ塩ダレのかかった厚揚げ豆腐も丁寧に箸で割き、口いっぱいに頬張る。間髪入れずにアツアツのお味噌汁で流し込んだかと思えば、白米をまたも口いっぱいに頬張る。
 そんな三好の様子を秋扇は頬杖をつきながら、微笑むかのような表情で眺めていた。
 料理を作る人にとって、美味しいと言ってもらえるのと同じくらい嬉しいのは無心で食べてくれるということだ。つまり秋扇にとって今の三好の様子は心から嬉しい行為であると言えるだろう。

「あっ……」

 そう三好の口から声が溢れた。
 ふと視線を下げると、あんなにもあったはずの料理はお皿の上から姿を消していた。

「ふふっ、おかわりいる?」
「……いいのか?」
「もちろん!」

 三好は少し恥ずかしそうにしながらも、おかわり欲しさに空けたお皿を秋扇に差し出す。
 秋扇はそのお皿を受け取り、カウンターキッチンへ一度戻ると、先ほどと同じくらいの量の肉じゃがを盛るのであった。


 食べ終えた三好は率先して、食器洗いを買って出てくれた。
 「作ってもらってるんだからこれくらいはさせてほしい」というので、秋扇は言葉に甘えることにした。
 食べ終えると時刻はまだ十五時過ぎ。時間にはまだまだ余裕がある。このあとはどうするかと秋扇は質問を投げたところ、三好は思い出したかのように「歯ブラシ忘れた!」と大声で宣言するので、再度二人でスーパーへと足を運ぶことにした。

「俺だけで良かったのに」
「まぁ夜ご飯の買い出しもあったし? それに明日の分とかも買っておこうかなって」
「じゃあ一気に買っちゃおうぜ! 俺も持つからさ」
「ほんとに? 助かるよ!」

 二人は歯ブラシや食材だけではなく、食後のデザートとしてアイスも購入し、スーパーの帰り道、暑い日差しの中二人は並んでアイスで涼みながら家へと向かうのであった。


 * * *


 翌朝三好は生まれて初めていい気分で目を覚ます。
 お味噌汁の温かい香りに、リズミカルに切られていく小ネギの音。ジューッと卵がフライパンに流し込まれていく音に、グリルにあるであろう焼き魚の皮のパリッと水分が飛ぶ音で三好は目を覚ましたのだ。
 そんな音を聞いてしまっては起きずにはいられないだろう。
 秋扇には「ベッド使うよね?」と言われたのだが、好きだと自覚している相手のベッドで寝るのは理性を試されている気がして良くないと思い、秋扇と三好はお互いに妥協に妥協を重ねた結果、三好はリビングにあるおおきなソファで寝ることとなった。
 そのため朝食を用意している音で目が覚めたのだ。

「おはよ、しゅうせん……」

 まだ眠い目を擦りながら、ソファから立ち上がり秋扇に挨拶をする。

「おはよ。あ! ごめん。うるさかった?」
「全くもってそんなことはないよ。こんなにも気分のイイ目覚めは初めてだ」
「そ、そう? なら良かったです」
「……なんで敬語?」
「え、いや、なんか、三好くんが家にいるのが新鮮で……。なんと言ったらいいかわからなくてですね……」
「……なぁそろそろ名前呼びしねぇ? 三好くんって距離感じるんだけど」

 その三好からの突然のセリフに秋扇は料理をしていた手を止めてしまった。

「え……えっと」
「……もしかして、俺の名前知らない?」
「し、知ってるよ! と、倫也くん」
「うん。おはよ秋扇」

 倫也の突然の距離の詰め方に耳まで真っ赤に染める秋扇は「もう変なこと言ってないで顔洗ってきて! もう朝ごはんできるから!」と少しプンプンした様子で朝食の準備を再開する。
 そんな秋扇の姿に愛おしいと感じながら倫也は洗面所へと向かうのであった。その表情は名前呼びされたことに対してなのか、秋扇がご飯を作ってくれていることに対する同棲生活のような幸福感からなのかはわからないが緩みに緩んでおり、きっと秋扇以外には見せることのできない表情であることは倫也自身もわかっていた。
 また洗面所へ向かう倫也の背中を見送る秋扇の表情にも変化があった。少しプンプンした様子を見せていた秋扇であったが、それは寝起きの倫也を見れたことに対するものなのか、それとも名前呼びをしたことで倫也との距離が縮まったことへの感情の高鳴りかはわからないが、思わず口元を手で覆い隠してしまうほどには広角が上がっているようであった。

「ずるいよ……」

 そう呟く秋扇の声は倫也には届かない。