龍の番に選ばれて

朝のキッチンで、炊飯器が陽気に電子音を奏でる。
蓋を開けると、炊きたての白米から、ほわほわと湯気が立った。

(よしっ)

制服のシャツにエプロン姿の結花(ゆいか)は、てきぱきと用意した朝食を盛り付ける。

豆腐とわかめの味噌汁。皮目を香ばしく焼いた鮭。ほうれん草のおひたしに、きんぴらごぼう、ひじき煮。形を揃えて切った卵焼きと、瑞々しいきゅうりの浅漬け。

雑誌にでも出てきそうな、彩り豊かで美しい食卓。

ただし……四人がけのテーブルに、用意されているのは、三膳だけだ。

「めしめし~!」

そこへ、ジェルで髪を固めた中年男がどたどたと現れた。
結花は深々とお辞儀する。

「おはようございます」
「んー」

男は適当に応えると、結花には目もくれずに食事に手を付け始めた。

県議会議員・九条高俊(くじょうたかとし)。結花の叔父にあたる。

テーブルの脇にノートパソコンを広げてせわしなく画面をスクロールしたかと思うと、

「なんだあの土建屋、また仕事欲しいってのか。しょうがねえな!」

などと言いながら鮭をかじった。

三度の飯より政治と金が好きな男だが、ある意味九条家では一番「まし」だった。

ややあって、二人の女が現れて席につく。ここからが大変だ。

黒髪の結花と対照的に、明るい亜麻色の髪をなびかせる華やかな女たち。

叔母である九条美咲(くじょうみさき)と、その娘・華音(かのん)だ。

「おはようございます」

結花は努めて明るく声をかける。
どんな相手にも礼を失しないのが、結花の矜持(きょうじ)だ。

そう、どんな相手にも。

「ゆいかぁ、ご飯もっと少なくしてよ。あたしダイエット中だって言わなかった?」

華音がスマホから目を上げないまま、茶碗を押し出してくる。

「はい」

結花は言われた通り、軽く白米をよそい直す。

華音は「ん」と一瞥して受け取ると、またスマホを睨みつけた。
どうやらSNSに上げた自撮りが伸びているかチェックしているらしい。
整った顔立ちに均整の取れた体は、とても減量が必要そうには見えない。

「結花、お茶。熱くして頂戴」
「はい」

今度は叔母の湯呑みを受け取る。
きちんと器を温め、茶葉の分量を測り、慎重に煎茶を淹れた。
もし余計な渋みが出れば、何を言われるかわからない。

「どうぞ」
「お茶一杯に、ずいぶんかかるのね。まだ若いから、時間の貴重さが分からないのかしら。それとも単に、愚図(ぐず)なのかしら?」
「すみません」

流れるような皮肉の雨を、頭を下げてやり過ごす。
この程度、もはや慣れたものだ。

「……この卵、ちょっと甘すぎない?」

今度は華音。箸で卵焼きを指し示し、大げさに顔をしかめている。

「ごめんなさい。次から気をつけます」
「次からじゃなくて、今日ちゃんとしてよ。朝から気分下がるんだけど」

レシピは前と同じ。甘すぎるはずはない。
結花を困らせたくて、そう言っているだけだ。

それでも結花は、同い年の従姉妹に、ただ頭を下げた。

言い返せば、もっと面倒なことになる。
華音は大げさに声を荒げ、叔母はさらに際限なく皮肉を浴びせるだろう。
そして叔父はヘラヘラと笑って、こう言うのだ。

「すまんな。ま、うまくやってくれや」

この家では誰も、結花を助けたりしないのだ。



結花は、陰陽師の名門・(ほむら)の分家にあたる、火野家の娘として生まれた。

おぼろげな記憶の中で、両親はいつも優しく結花の名前を呼んでいた。

確かに幸せな家庭だった――今は、そう思うしかない。

結花が三歳になったばかりの頃、両親は怪異との戦いで命を落としたからだ。

そして事態も飲み込めぬまま結花は、母方の叔母の嫁ぎ先である九条の家に引き取られたのだ。

だが結花は、歓迎される客ではなかった。九条家にはすでに華音という娘がいたからだ。
しかも叔母は、姉である結花の母が入り婿を迎えて火野の家名を継いだことに、密かに対抗心を燃やしていたのだった。

「私だって面倒は嫌よ。でもほら、世間体もあるじゃない?」

彼女がそう周囲にこぼしているのを聞いてしまったのは、一度や二度ではない。
叔父も一応は叔母をなだめつつ、やはり実の娘である華音を優先していた。

――私だけ、本当の家族じゃない。だから、仕方ないんだ。

幼いながらに結花も分かっていた。だから、寂しくても我慢した。

しかし酷なことに、二人の娘の扱いの差は、時間とともに広がっていくことになる。

きっかけは、異能が目覚める年頃になっても、結花にはろくに力が発現しなかったことだ。
それに対し華音は、異能の才にも容姿にも恵まれ、なにかと要領が良く優秀だった。

せめて家のことだけでも。そんな思いから、結花は九条家の家事をずっと頑張っていた。
それがいつしか、あからさまに叔母にこき使われるようになり、華音はそんな結花を当然のように見下すようになっていった。


そんな歪な家に耐え続け、ついに今日。火野結花は、十八歳の誕生日を迎えていた。
もちろんここに、それを祝う者はいない。

九条の面々が食事を終えるのを待ち、食器を下げてから、ようやく自分の朝食だ。
ご飯の上に鮭の切れ端を乗せて、冷めた味噌汁と一緒に手早く食べる。
こうしているうちにも何か言いつけられるかわからないので、スピード重視。見た目は度外視だ。

(本当に、使用人みたい)

結花は思わず自嘲(じちょう)した。

広い自室に大きなベッドで眠る華音に対し、窓もない納戸に押し込められ、日々炊事に洗濯・掃除、様々な雑事に追われる自分。
当然お小遣いなんて貰えないから、空いた時間はバイト漬けだ。

(私、この先もずっとこんな感じなのかな……)

大学に行きたい、なんて口が裂けても言えない。
高卒で働き始めるなら、そろそろ就活を始めなければ。
それでなんとかお金を貯めて、この家を出て、その先は……?

結花にはどうしても、自分の未来が、暗く淀んだものにしか思えなかった。

(考えちゃだめだ、未来のことなんて)

つい涙が出そうになるのを、かぶりを振って誤魔化す。
無理やり気持ちを切り替えるように、食器を下げて洗い物を始めた。
その時だった。

「オイオイオイオイ!! すごいぞこれ!! 水無瀬の御曹司から、お見合いパーティーのご招待だ!!」

玄関先で郵便物を漁っていた叔父が、歓喜の声を上げたのだ。