荊棘―おどろ―



「──ねえ。ヒビキ君は、どこの高校に行くの? やっぱりお芝居できるとこ?」

 分けられた前髪を耳に掛け、かなみが尋ねてきた。

 たいして一緒にいるわけでもないのに、かなみは僕と二人きりの時、時折下の名前で呼んでくる。

 理由を聞いたことはなかった。
 今時の女子にとって、こういうのは多分、気分とかそんなものなんだろうなと思っていたから。

 進路指導室の資料棚を物色していたら、いつのまにかそこにいた彼女に、僕は答えではなく問いを返してみた。

「なんでそんなこと聞くのって? えー、単純に気になったからだよ。ヒビキ君、将来のこととか喋らないし。ていうか、普段からあんまり喋らないし」

 まあ、そこは否定しない。
 僕は必要最低限のことしか喋らない人間だからね。

 多くを喋る時は、別の誰かになりきる時ぐらいだ。

「そうだよね。ヒビキ君が役に入ってる時って、演じてるっていうより、他の人間に変身しちゃってる感じだもんね。でもそれ、貴重な才能だと思うよ。将来はやっぱり俳優とか目指してるの?」

 どうだろう。とりあえず高校は、適当に入れるところへ入ろうと思っている。

「ええ!? もったいないよ!」

 かなみは慌てて資料棚から進路案内のファイルを引き抜き、忙しなくページを捲った。

「演劇部が有名な高校とか、劇団の人が出てる学校とか、色々あるんだよ。ヒビキ君ぐらいだったら、ちゃんと選べば絶対いいところ行けるのに」

 見てよと言わんばかりに見開きを突きつけられる。

 僕にはぜんぜんさっぱりだが、かなみは自分のことのように赤面していた。

「もし、適当に入ったところに映像部とか演劇部がなかったらどうするの?」

 別に、なくてもこれといって苦しむことはない。そもそも映画部は、百合子が強引に誘ったから入ったわけだし。

「そんな! じゃあ帰宅部?」

 うん。エース目指そうと思うよ。

 そうふざけてみせたら、かなみは顔を両手で覆ってがっくりと上半身を折り曲げた。
 おや。なにかまずいことを言ってしまったようだ。

「そんなのってないよ……ずるいよヒビキ君。誰よりも上手に演技ができるのに、どこでもいいなんて」

 私、少し嫉妬するなあ。そう言って、かなみは苦笑した顔を僕に見せた。

「ああ……ごめん、熱くなって。ヒビキ君のことだものね。私がとやかく言っていいことじゃなかった」

 どこかがっかりした様子でファイルを戻す彼女に、僕は同じ質問を返してみた。

「私? 私は、演劇部のある高校に行きたいかなあ。それで今よりお芝居を学んで、卒業した後は専門学校か、劇団に入りたいの」

 僕とは比べ物にならない。そんな後のことまで考えているのか。こういうのを、偉いっていうんだな。

「偉くなんかないよ。私、大根役者だし、挫折しちゃうかもしれないしさ。でも昔からの夢だから、叶えたいとは思うよ。道のり長いけどね」

 小さく笑うかなみは、がらんとした進路指導室の窓際に立って、夕焼けを浴びていた。

 艶のある黒髪がオレンジ色に反射して光り、窓の外からヒグラシの声が聞こえる。
 白と深緑を基調とした夏服のセーラー。袖から伸びる細い腕。短すぎないプリーツスカート。

 彼女は来年、どんな制服を纏うのだろうか。

「私が行く高校に、君がいてくれたらよかったのになぁ」

 独り言のように言うかなみ。
 ん……。それは、あれだろうか。一緒の高校に行こうよっていう、お誘い?

「ううん、違うよ。言ってみただけ。ヒビキ君の進路を、私なんかが決めちゃいけないから。……そりゃ、君は演技が上手いし、これから先も私のお手本になってくれたらなあ、なんて都合のいいことは考えてたけどね」

 多分僕は、頼まれれば彼女の行きたい高校に入ろうとしただろう。
 逆らわずに流されていく僕を知っているからこそ、かなみは無理に誘わなかったのだと思う。

「それとも、私が君の行く高校に行けばいいのかな」

 なんて言われた時には少し驚いたけど、それではかなみの夢が叶わない。

「そう、……そうなんだよね。うん、今のも冗談。自分の進路ぐらい、自分で決めなきゃだよね」

 ごめんごめん、忘れてね今の。そう言って笑った彼女の顔は、やはり赤かった。

 夕焼けのせいなのか、いつもの癖なのか。
 どちらだろうと考えていると、かなみは吹き込んできた風に髪を(なび)かせ、ぽつりと呟いた。

「大人になりたいな……はやく」

 そうして、僕の方を見る。

「ねえ、君は? ……君はさ、どんな大人になりたい?」

 僕は──、

 言いかけて、目が醒めた。