『ではではっ、本日最も運勢が悪いのは~? ――――残念! 天秤座のキミだよ! 今日は何も上手くいかない一日カモ……。突然襲ってくるアクシデントに気を付けてネ! ラッキーアイテムは赤い――』
「げっ……! 今日の最下位俺かよ……。ツイテねえ~」
歯ブラシを片手に持ちながら朝の占いを見る。
頭を明るい茶色に染め、軽薄そうな見た目をしているこの男――秋吉柚流は現在、朝支度をしている真っ最中。朝御飯は既に食堂で済ませ、後はこの歯磨きの後、制服に着替えて髪をセットするだけ。
いつも通り寝坊はしたが、かきこむように朝ごはんは胃の中に収めたので時間に余裕はある。
「ちょっと、そこ邪魔なんですけど……」
「あー?……ほふぇんほふぇん、もーふふおわふはら」
「歯磨きながら喋らないでください。こぼれたらどうするんですか? 先輩が掃除してくださいよ」
「ふぁいふぁい」
――ああ~、いちいち小言うるせえな。お前はオレの母ちゃんかよ。
柚流は内心うんざりしながらも、口をすすぐため洗面所へ向かった。
今話しかけてきたのは、彼と同室の後輩。取り立てて特徴もなく、平凡な見た目をした男だ。名前はたしか……なんだったか。それすらあまり覚えてない。
しかし高2の春から同室になって、これまで1年以上一緒に生活してきたが、大きな問題を起こすこともなかった。
他の寮室の友達からは、よく生活スタイルの違いで喧嘩になるという愚痴を聞く。その点柚流のルームメイトは基本的に大人しく、こちらから話を振らなければ話しかけられることもあまりない。だからこのくらいの小言には目を瞑って受け流した。
洗面所で部屋着を脱ぎ、カゴに放り込む。下着一枚のまま、クローゼットのある居室へ戻る。
すると何故か、ルームメイトから制服のシャツとズボンを投げつけられた。
「ここで着替えるなって言ってるだろ!?」
「ぶっ……!?」
柚流は直に顔面で受けた。
――なっ、なんだよ急に!? いきなり服投げてくるヤツがいるか!?
しかし後輩はドシドシと足音を響かせると、柚流の反論を聞く前にそのまま部屋から出ていった。今日の天気予報を解説してくれる、可愛い女子アナの声だけが耳に届く。
「はあ……? 意味わかんねえ~。……って、もうこんな時間!? ヤッベ、早く着替えねえと!」
まだまだ余裕だと思っていたのに、テレビに映る時刻は8時20分。ホームルームは30分からで、寮から教室まで急いでも10分はかかる。流暢に準備している場合ではなかった。
「急げオレの手足ッ……!!」
誰に聞かれるわけでもなく、自分を鼓舞する。
ネクタイはとりあえずすっからかんのスクールバッグへ。教科書類はほとんど学校のロッカーに置いてあるから、忘れ物を心配する必要もない。ベルトを腰下で締めて、シャツの袖を捲りながら玄関扉へ猛ダッシュする。
もうすぐ9月も終わるけど外はまだ蒸し暑い。なるべく汗をかきませんようにと願う彼は、人気のなくなった廊下に焦りを覚えると、一目散に教室まで走った。
***
「セーーーッッフ!!」
朝一番のチャイムが鳴ったと同時に教室の引き戸を開ける。教壇に先生の姿はまだない。柚流は勝利を確信した。
「おーいユズ、それ間に合ってるって言うのか? もうチャイム鳴ってるぞ」
「うるせー! 先生来てなきゃいいんだよ!」
ドアから一番近い席に座る男が、頬杖をつきながら話しかけてくる。
彼は柚流の親友で、幼稚園からの腐れ縁でもある幼馴染。――名前は桐山遙人。サッカー部のエースという肩書に加え、スポーツ少年らしくスッキリした髪型に、端正な顔立ちも合わさって女子から非常に人気の男。さらには性格も良く、話を盛り上げるのも上手いので男子からの評価も高い。
反対に柚流は、顔立ちは良くて中の上だが、毎日丁寧にセットしている髪型と少しでも格好良く見せるために着崩した制服で、なんとか女子からの支持を得ている。
たゆまぬ努力こそ栄光への道しるべ。女子の票は男の勲章。どれだけ準備に時間が掛かろうがこれだけは譲れない。
しかし愛嬌のある顔立ちと、元気で根の明るい彼の周りには自然と人が集まる。まあ悪く言えば弄られやすい立ち位置でもあり、揶揄われる対象にもなりやすいという意味だが――。
「あれ~、秋吉くん今日どうしたの? 髪型全然キマッてなくない?」
「おおっ、マジじゃん。髪のセットに20分は掛けると噂の秋吉が、まさかのノーセットですかあ」
のんびりしたテンポで話す花巻と、ニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくる大見の言葉に柚琉は目を瞬かせる。
「――ゲッ! 忘れてた!」
そして見る見るうちに顔を青ざめさせ、頭を両手で抱えた。今日もメイクをバッチリ決め込んでいる花巻に指摘されると、寝起きすぎる自分の髪型がなおさら恥ずかしい。
(最悪だ~!!)
柚琉は羞恥に頬を染めた。高校に入学してから約2年と半年。いくら寝坊しようとも、これだけは一度も欠かしたことがなかったのに。
「まあそういう時もあるよな。あんま落ち込むなよユズ」
「ハルに言われてもぜんっぜん嬉しくねえ!」
元気づけるように微笑みを浮かべる遙人の横をさっさと通りすぎる。彼のすぐ後ろが柚流の席だ。周りからは「よっ! 遅刻魔!」などという大層不名誉なあだ名が聞こえてきたが、潔く無視して着席した。
「――おはよう。秋吉くん」
「あっ!……お、おはよう椿木さん!」
心臓がドクリと跳ね上がる。話しかけてきたのは、遙人の隣に座っている女子生徒――椿木姫華。
彼女は名前の通り華やかな容姿……というわけではないが、いわゆる大和撫子のような和の雰囲気を持つ女の子。右サイドにまとめた黒髪を、紅い丸玉のついたヘアゴムで一つにくくっている。一番上まで留めた制服のシャツと、化粧っ気のない顔つきが真面目そうな雰囲気を醸し出していた。
「ふふ……秋吉くん、ネクタイつけるのも忘れてるよ」
「えっ!? ……あ、そうだった! カバン入れっぱだった!」
指摘され、慌ててネクタイをスクールバッグから取り出す。緑と紺のストライプが入ったそれを首に回し、胸の前で結ぼうとするが、もたついた指のせいで上手く行かない。
柚流は椿木にこそ、この姿を見られたくない一番の人物だった。
――うああーッ! 最悪最悪最悪! 椿木さんの前でこんな醜態晒すとかマジで無理! 一生の恥! 穴があったら入りてえー!!
柚流は椿木姫華に恋をしている。それも高校一年の時に出会ってからずっと、一途に想い続けてきた。彼女には別に好きな人がいようが、その相談相手を柚流が担っていようが、こうして笑いかけてくれる度に心臓が打ち震えるほど、心底惚れている相手だった。
「ユズ、俺が結んでやろうか?」
「はっ!? なんでお前に!?」
「だってさっきから無意味に交差させてるだけで結べてないぞ」
――それは椿木に見られてるから!
「あ、ほら今のところ、前からじゃなくて後ろからだって」
「う、うるせーッ! てかわざわざこっち振り向いてくんなよ! お前に言われなくたって一人でできるし!」
柚流も伊達に2年以上高校生活を送っているわけじゃない。気が動転して手元が覚束なくなってるだけだ。
「はいはい。じゃあ一人で頑張れよ」
遥人はそう言うと隣の椿木に視線をやった。
「なあ椿木。今日の英語の課題やってきた? 俺、実は一ヶ所分からないところあってさ」
「あっ、うん……どこだろ。私に分かるかな」
柚流を見ていた椿木も遥人の方へ顔を戻した。結んだ髪から覗く耳朶が赤く染まり、肩が僅かに強張り出す。対する遥人は柔らかな笑みを浮かべ、椅子を動かしながら彼女にそっと体を寄せた。
どこからどう見ても、互いが互いのことを想い合っている――そんなことは柚流でなくとも分かることだった。
二人がまだ付き合っていないのは、肝心の本人たちが気づいていないだけ。きっとどちらかが一歩を踏み出せば、すぐにゴールインしてしまう。
――心臓、クソいてえ。朝っぱらから何やってんだろ、オレ。
ネクタイを結ぶ手が止まった。前の二人を視界に入れたくないのに、柚流の目は恋焦がれるように好きな子を追っていた。
「げっ……! 今日の最下位俺かよ……。ツイテねえ~」
歯ブラシを片手に持ちながら朝の占いを見る。
頭を明るい茶色に染め、軽薄そうな見た目をしているこの男――秋吉柚流は現在、朝支度をしている真っ最中。朝御飯は既に食堂で済ませ、後はこの歯磨きの後、制服に着替えて髪をセットするだけ。
いつも通り寝坊はしたが、かきこむように朝ごはんは胃の中に収めたので時間に余裕はある。
「ちょっと、そこ邪魔なんですけど……」
「あー?……ほふぇんほふぇん、もーふふおわふはら」
「歯磨きながら喋らないでください。こぼれたらどうするんですか? 先輩が掃除してくださいよ」
「ふぁいふぁい」
――ああ~、いちいち小言うるせえな。お前はオレの母ちゃんかよ。
柚流は内心うんざりしながらも、口をすすぐため洗面所へ向かった。
今話しかけてきたのは、彼と同室の後輩。取り立てて特徴もなく、平凡な見た目をした男だ。名前はたしか……なんだったか。それすらあまり覚えてない。
しかし高2の春から同室になって、これまで1年以上一緒に生活してきたが、大きな問題を起こすこともなかった。
他の寮室の友達からは、よく生活スタイルの違いで喧嘩になるという愚痴を聞く。その点柚流のルームメイトは基本的に大人しく、こちらから話を振らなければ話しかけられることもあまりない。だからこのくらいの小言には目を瞑って受け流した。
洗面所で部屋着を脱ぎ、カゴに放り込む。下着一枚のまま、クローゼットのある居室へ戻る。
すると何故か、ルームメイトから制服のシャツとズボンを投げつけられた。
「ここで着替えるなって言ってるだろ!?」
「ぶっ……!?」
柚流は直に顔面で受けた。
――なっ、なんだよ急に!? いきなり服投げてくるヤツがいるか!?
しかし後輩はドシドシと足音を響かせると、柚流の反論を聞く前にそのまま部屋から出ていった。今日の天気予報を解説してくれる、可愛い女子アナの声だけが耳に届く。
「はあ……? 意味わかんねえ~。……って、もうこんな時間!? ヤッベ、早く着替えねえと!」
まだまだ余裕だと思っていたのに、テレビに映る時刻は8時20分。ホームルームは30分からで、寮から教室まで急いでも10分はかかる。流暢に準備している場合ではなかった。
「急げオレの手足ッ……!!」
誰に聞かれるわけでもなく、自分を鼓舞する。
ネクタイはとりあえずすっからかんのスクールバッグへ。教科書類はほとんど学校のロッカーに置いてあるから、忘れ物を心配する必要もない。ベルトを腰下で締めて、シャツの袖を捲りながら玄関扉へ猛ダッシュする。
もうすぐ9月も終わるけど外はまだ蒸し暑い。なるべく汗をかきませんようにと願う彼は、人気のなくなった廊下に焦りを覚えると、一目散に教室まで走った。
***
「セーーーッッフ!!」
朝一番のチャイムが鳴ったと同時に教室の引き戸を開ける。教壇に先生の姿はまだない。柚流は勝利を確信した。
「おーいユズ、それ間に合ってるって言うのか? もうチャイム鳴ってるぞ」
「うるせー! 先生来てなきゃいいんだよ!」
ドアから一番近い席に座る男が、頬杖をつきながら話しかけてくる。
彼は柚流の親友で、幼稚園からの腐れ縁でもある幼馴染。――名前は桐山遙人。サッカー部のエースという肩書に加え、スポーツ少年らしくスッキリした髪型に、端正な顔立ちも合わさって女子から非常に人気の男。さらには性格も良く、話を盛り上げるのも上手いので男子からの評価も高い。
反対に柚流は、顔立ちは良くて中の上だが、毎日丁寧にセットしている髪型と少しでも格好良く見せるために着崩した制服で、なんとか女子からの支持を得ている。
たゆまぬ努力こそ栄光への道しるべ。女子の票は男の勲章。どれだけ準備に時間が掛かろうがこれだけは譲れない。
しかし愛嬌のある顔立ちと、元気で根の明るい彼の周りには自然と人が集まる。まあ悪く言えば弄られやすい立ち位置でもあり、揶揄われる対象にもなりやすいという意味だが――。
「あれ~、秋吉くん今日どうしたの? 髪型全然キマッてなくない?」
「おおっ、マジじゃん。髪のセットに20分は掛けると噂の秋吉が、まさかのノーセットですかあ」
のんびりしたテンポで話す花巻と、ニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくる大見の言葉に柚琉は目を瞬かせる。
「――ゲッ! 忘れてた!」
そして見る見るうちに顔を青ざめさせ、頭を両手で抱えた。今日もメイクをバッチリ決め込んでいる花巻に指摘されると、寝起きすぎる自分の髪型がなおさら恥ずかしい。
(最悪だ~!!)
柚琉は羞恥に頬を染めた。高校に入学してから約2年と半年。いくら寝坊しようとも、これだけは一度も欠かしたことがなかったのに。
「まあそういう時もあるよな。あんま落ち込むなよユズ」
「ハルに言われてもぜんっぜん嬉しくねえ!」
元気づけるように微笑みを浮かべる遙人の横をさっさと通りすぎる。彼のすぐ後ろが柚流の席だ。周りからは「よっ! 遅刻魔!」などという大層不名誉なあだ名が聞こえてきたが、潔く無視して着席した。
「――おはよう。秋吉くん」
「あっ!……お、おはよう椿木さん!」
心臓がドクリと跳ね上がる。話しかけてきたのは、遙人の隣に座っている女子生徒――椿木姫華。
彼女は名前の通り華やかな容姿……というわけではないが、いわゆる大和撫子のような和の雰囲気を持つ女の子。右サイドにまとめた黒髪を、紅い丸玉のついたヘアゴムで一つにくくっている。一番上まで留めた制服のシャツと、化粧っ気のない顔つきが真面目そうな雰囲気を醸し出していた。
「ふふ……秋吉くん、ネクタイつけるのも忘れてるよ」
「えっ!? ……あ、そうだった! カバン入れっぱだった!」
指摘され、慌ててネクタイをスクールバッグから取り出す。緑と紺のストライプが入ったそれを首に回し、胸の前で結ぼうとするが、もたついた指のせいで上手く行かない。
柚流は椿木にこそ、この姿を見られたくない一番の人物だった。
――うああーッ! 最悪最悪最悪! 椿木さんの前でこんな醜態晒すとかマジで無理! 一生の恥! 穴があったら入りてえー!!
柚流は椿木姫華に恋をしている。それも高校一年の時に出会ってからずっと、一途に想い続けてきた。彼女には別に好きな人がいようが、その相談相手を柚流が担っていようが、こうして笑いかけてくれる度に心臓が打ち震えるほど、心底惚れている相手だった。
「ユズ、俺が結んでやろうか?」
「はっ!? なんでお前に!?」
「だってさっきから無意味に交差させてるだけで結べてないぞ」
――それは椿木に見られてるから!
「あ、ほら今のところ、前からじゃなくて後ろからだって」
「う、うるせーッ! てかわざわざこっち振り向いてくんなよ! お前に言われなくたって一人でできるし!」
柚流も伊達に2年以上高校生活を送っているわけじゃない。気が動転して手元が覚束なくなってるだけだ。
「はいはい。じゃあ一人で頑張れよ」
遥人はそう言うと隣の椿木に視線をやった。
「なあ椿木。今日の英語の課題やってきた? 俺、実は一ヶ所分からないところあってさ」
「あっ、うん……どこだろ。私に分かるかな」
柚流を見ていた椿木も遥人の方へ顔を戻した。結んだ髪から覗く耳朶が赤く染まり、肩が僅かに強張り出す。対する遥人は柔らかな笑みを浮かべ、椅子を動かしながら彼女にそっと体を寄せた。
どこからどう見ても、互いが互いのことを想い合っている――そんなことは柚流でなくとも分かることだった。
二人がまだ付き合っていないのは、肝心の本人たちが気づいていないだけ。きっとどちらかが一歩を踏み出せば、すぐにゴールインしてしまう。
――心臓、クソいてえ。朝っぱらから何やってんだろ、オレ。
ネクタイを結ぶ手が止まった。前の二人を視界に入れたくないのに、柚流の目は恋焦がれるように好きな子を追っていた。

