「美しい姫……私と共に、踊っていただけますか?」
「は、はい。……喜んで、王子様」
恭しく腰を曲げながら右手を差し出す遥人に、隠しきれない照れを含ませ、握り返す椿木。
「――カットカットカーーット!!」
丸めた台本を手のひらへ打ち付ける音が響く。その出どころは、教室の中央で足を組みながら座っている大見。どこから持ってきたのか、縁の大きいサングラスを頭に掛け、背中には自前の黒いカーディガンを羽織っている。
柚流はその一部始終を、後方に下げられた机の上に腰掛け眺めていた。――昨夜発覚した犯人像。その正体を完全に見破るため。
しかし、事はそう上手く進まなかった。今まで何も違和感を感じてこなかったのだから、それは周りと同じように振舞うのも上手い。ボロがそうやすやすと出るわけがなかった。
「ねえ秋吉~」
腕を組んで考え込んでいると、緩い花巻の声に呼び掛けられる。
「ちょっと衣装合わせしたいから立ってくんない?」
そう言う彼女の後ろには他に女子生徒が二人。衣装らしき服と、ステッキやらウィッグといった小道具をそれぞれ持っている。
柚流はさっと立ち上がった。
「早いな、もうできたんだ」
「は? もうって、本番まであと一週間切ってんだから当たり前でしょ~」
「……あ、それもそっか」
時間が飛ぶことを記憶しているせいで、実際の活動時間といくらか齟齬があることを忘れていた。しかし淡々と受け流す花巻に、それ以上の疑問は生じえない。
「じゃあ脱いで」
「えッ、ここで着替えんの!?」
「ズボンは履いたままでいいから。上のシャツだけ」
――うわっ、マジかよ!?
柚流は恥じらう乙女のように、胸の前で腕を交差させた。シャツの下にはタンクトップの肌着を一枚着ているが、とあるものを頭に思い浮かべ、顔を赤らめさせる。
――昨日碧葉がつけた跡残ってんのに! 絶対キスマってバレるよな!?
首には絆創膏を貼って完璧にカモフラージュ。だが、シャツの下は隠れて見えないだろうと高を括り、何もしていなかった。肌着は脱がなくてもいいとはいえ、鎖骨の下あたりにいくつか赤い斑点があったはず。
「いやっ、オレどっかで着替えてくるからさ、いったん衣装だけ貸して――」
「それは無理。一人で着られる仕様じゃないから」
バッサリ断られた。
「てかなにそんなもじもじしてんの? もう秋吉が脱がないなら私が勝手に――」
「うわああッ!? それはもっとダメだろ……ッ!!」
柚流は追い剝ぎに合いそうになり、慌てて身をよじらせる。キスマークを見られたくない気持ちは大きかったが、女の子に服を脱がされるのも同じくらい恥ずかしかった。
「分かった! 分かったから剝ごうとするのだけはやめてくれ!! 自分で脱ぐから!」
観念してボタンに手を掛ける柚流。手で隠せばなんとかなるか――と泣く泣く諦める。が、ほんの数分後には、杞憂していたことはすべて無駄だったと気が付いた。
「……ん、サイズピッタリだね」
黒を基調に紫のラインが入ったロングワンピースを着せられ、居心地悪く佇む。てきぱきと身につけさせられたそれは、背中でチャックを止めるタイプのもので、たしかに一人で着るには難しい服だった。
(これ、本当に見えてねえのか……?)
柚流はこっそりと周りを窺う。開いた胸元に散った赤い華は、見下ろすのも戸惑うくらいなのに。誰一人として、指摘してくる様子はなかった。それも気遣いとか、配慮の面からではなく。顔色すらそのままなのだ。
「なあ、首に絆創膏って貼ったままでもいい?」
「はあ~? やめてよ。見栄え悪くなるじゃん」
「いやでもここにさ、貼ってあるだろ?」
ほら、と軽く屈みながら、付け根辺りを晒す。
「そこならまだウィッグで隠れるけど……でもなんも貼ってなくない? これから貼るってこと?」
花巻は怪訝な目つきで眉を寄せた。冗談を言っているような顔つきでは全くなかった。
(やっぱ……碧葉は『本来ここにはいない人間』だから……。アイツによって起きたことは全部抹消されんのか)
残った傷や跡は消えないが、「事象」そのものは世界に排除される。つまり今この場で羞恥心を覚えているのは柚流だけ。正しい記憶を保持している柚流だけが、見世物のような気分を味わわされている、というメカニズムだった。
――クソッ、焦って損した!
柚流はベリベリと絆創膏を剥がした。どうせ認識されないのなら、痒くなるこれをわざわざ付けている意味もない。潔く開き直るのは早かった。
「――てかさあ、秋吉くんって、椿木ちゃんのこと好きなんだよね?」
「え?」
剥がした部分が案の定痒くなって掻いていると、花巻とは別の女子に話しかけられた。
「王子役にも立候補してたし……あの二人見て、嫉妬したりしないの?」
「たしかにたしかに。私は正直羨ましいもん。桐山くんと組んでる椿木ちゃんのこと。でも秋吉くんはきっとその比じゃないよね」
小道具片手に尋ねてくる二人の目は、興味津々と言わんばかりだ。いかにも恋バナ好きの女子らしい。
「それとももしかして、ここから奪い取る算段があるとか?」
「キャーッ、なにそれカッコいい! 超キュンキュンするんだけど!!」
「ええっ……いや、オレは……」
言いながら、チラッと演技中の椿木を視界の端へ入れる。舞踏会のシーンのようで、遥人の手を取りながら照れくさそうに笑い合っている。
柚流はいつもなら胸が苦しくなって俯く場面。しかし、今日はなぜだろう。ざわつくはずの胸中は思いのほか穏やかなままだった。
(あれ……おかしいな。どうしたんだオレ……)
むしろ、お互いを見つめる恋する瞳に、柚流は思い出すものがある。
『好き。好きです先輩』
『貴方のこと、絶対他の奴には渡したくないんで』
『返事は今すぐじゃなくていいです。俺のこと好きになったら教えてください』
「――ちょっと、衣装合わせしてる最中なんだから勝手に盛り上がらないでよ」
「あっ、ごめんごめん~」
花巻の一言を受けて、小道具係の二人は話を止めた。茹で上がったタコのような顔色をした柚流には、一切目もくれなかった。
(なっ、なに碧葉のこと考えてんだよオレ!? しかもなんか心臓ドコドコうるせえし……っ!)
頭から消そうと首を振ってみても、すぐにぽわ~んと思い浮かんでくる。
「秋吉じっとしてて。今からウィッグつけてみるから」
「うっ」
大人しく棒立ちするのを余儀なくされた。頭の中の碧葉が、「いい気分ですね」と不敵に笑いながら、動揺しまくりの柚流をおちょくっているみたいだった。
それから衣装合わせも終わり、劇の練習にも一区切りつくと、今日は解散という流れになった。
帰り支度中の椿木と遥人ヘ、いつも通りを装った柚流が近づく。教科書類はほとんど机かロッカーに置きっぱなしのため、スカスカのスクールバッグを肩から下げているだけだ。
「おつ~」
遥人の背をポンと叩きながら、机に浅く腰掛ける。
「さっきの演技、いい感じだったな。すげえよくなってたよ」
二人を交互に見て素直に褒める。心からの賛辞だった。最初はぎこちなかった椿木も、後半は自然と動けるようになって、なんでも器用にこなす遥人はその分上手くリードしていたし。
「ユズも衣装よく似合ってたぞ」
「は? 喧嘩売ってんのか?」
「なんでだよ。純粋な褒め言葉だろ」
――この天然野郎。女装似合っても嬉しくねえんだよ。
「ふふ。でもほんと、シルバーのウィッグもぴったりだったね。ちょっと体格のいいお姉さんみたいだったよ」
椿木がニコニコと毒気のない顔で言う。
「お、お姉さん……」
柚流は唇を引き攣らせた。この場合諸手を挙げて喜ぶべきかどうなのか。判断しかねるセリフに首を掻いた。
「ま、まあ、椿木さんがそう言うなら、そんなに悪い気がしないでもない――」
「あ、やばっ。俺課題出し忘れてた!」
「え……? いきなりなんだよ」
突然叫んだ遥人に思わず肩がびくついた。立ち上がった彼の手にはノートが握られていて、どうやら仕舞ってる途中に気づいたみたいだった。半開きのカバンが机の上に乗っかっている。
「悪いユズ。今日先帰っててくれ。ちょっと俺、まだ間に合うか聞いてくるわ」
「うわ、真面目だな。オレなら即帰るけど」
「お前はそもそもやってきてないだけじゃないか?」
――そりゃそうだ。全部学校に置きっぱだし。
「俺はちゃんとやってきたからな。せっかくなら出さないともったいないだろ」
「それは……まあたしかに」
ぐうの音も出ない。柚流は頷いて遥人の机から降りた。
「じゃあな、ユズ。椿木もまた明日」
手を上げた遥人が教室を出ていく。足早なのは根がやっぱり真面目だからだろう。
「私たちも帰ろっか」
「うん……そうだな」
本当は二人を見極めるためにも、遥人がいてほしかったが。
(――って、そうじゃねえだろ! せっかく椿木さんと二人で帰れんだから、もっと喜ばねえとオレ!)
「秋吉くん? どうかした?」
「あっ、う、ううん。なんでもねえ」
やけに心臓が働いてくれない。あのドキドキと高鳴る音がないことに首を傾げながら、柚流も椿木と共に、教室を後にした。
「は、はい。……喜んで、王子様」
恭しく腰を曲げながら右手を差し出す遥人に、隠しきれない照れを含ませ、握り返す椿木。
「――カットカットカーーット!!」
丸めた台本を手のひらへ打ち付ける音が響く。その出どころは、教室の中央で足を組みながら座っている大見。どこから持ってきたのか、縁の大きいサングラスを頭に掛け、背中には自前の黒いカーディガンを羽織っている。
柚流はその一部始終を、後方に下げられた机の上に腰掛け眺めていた。――昨夜発覚した犯人像。その正体を完全に見破るため。
しかし、事はそう上手く進まなかった。今まで何も違和感を感じてこなかったのだから、それは周りと同じように振舞うのも上手い。ボロがそうやすやすと出るわけがなかった。
「ねえ秋吉~」
腕を組んで考え込んでいると、緩い花巻の声に呼び掛けられる。
「ちょっと衣装合わせしたいから立ってくんない?」
そう言う彼女の後ろには他に女子生徒が二人。衣装らしき服と、ステッキやらウィッグといった小道具をそれぞれ持っている。
柚流はさっと立ち上がった。
「早いな、もうできたんだ」
「は? もうって、本番まであと一週間切ってんだから当たり前でしょ~」
「……あ、それもそっか」
時間が飛ぶことを記憶しているせいで、実際の活動時間といくらか齟齬があることを忘れていた。しかし淡々と受け流す花巻に、それ以上の疑問は生じえない。
「じゃあ脱いで」
「えッ、ここで着替えんの!?」
「ズボンは履いたままでいいから。上のシャツだけ」
――うわっ、マジかよ!?
柚流は恥じらう乙女のように、胸の前で腕を交差させた。シャツの下にはタンクトップの肌着を一枚着ているが、とあるものを頭に思い浮かべ、顔を赤らめさせる。
――昨日碧葉がつけた跡残ってんのに! 絶対キスマってバレるよな!?
首には絆創膏を貼って完璧にカモフラージュ。だが、シャツの下は隠れて見えないだろうと高を括り、何もしていなかった。肌着は脱がなくてもいいとはいえ、鎖骨の下あたりにいくつか赤い斑点があったはず。
「いやっ、オレどっかで着替えてくるからさ、いったん衣装だけ貸して――」
「それは無理。一人で着られる仕様じゃないから」
バッサリ断られた。
「てかなにそんなもじもじしてんの? もう秋吉が脱がないなら私が勝手に――」
「うわああッ!? それはもっとダメだろ……ッ!!」
柚流は追い剝ぎに合いそうになり、慌てて身をよじらせる。キスマークを見られたくない気持ちは大きかったが、女の子に服を脱がされるのも同じくらい恥ずかしかった。
「分かった! 分かったから剝ごうとするのだけはやめてくれ!! 自分で脱ぐから!」
観念してボタンに手を掛ける柚流。手で隠せばなんとかなるか――と泣く泣く諦める。が、ほんの数分後には、杞憂していたことはすべて無駄だったと気が付いた。
「……ん、サイズピッタリだね」
黒を基調に紫のラインが入ったロングワンピースを着せられ、居心地悪く佇む。てきぱきと身につけさせられたそれは、背中でチャックを止めるタイプのもので、たしかに一人で着るには難しい服だった。
(これ、本当に見えてねえのか……?)
柚流はこっそりと周りを窺う。開いた胸元に散った赤い華は、見下ろすのも戸惑うくらいなのに。誰一人として、指摘してくる様子はなかった。それも気遣いとか、配慮の面からではなく。顔色すらそのままなのだ。
「なあ、首に絆創膏って貼ったままでもいい?」
「はあ~? やめてよ。見栄え悪くなるじゃん」
「いやでもここにさ、貼ってあるだろ?」
ほら、と軽く屈みながら、付け根辺りを晒す。
「そこならまだウィッグで隠れるけど……でもなんも貼ってなくない? これから貼るってこと?」
花巻は怪訝な目つきで眉を寄せた。冗談を言っているような顔つきでは全くなかった。
(やっぱ……碧葉は『本来ここにはいない人間』だから……。アイツによって起きたことは全部抹消されんのか)
残った傷や跡は消えないが、「事象」そのものは世界に排除される。つまり今この場で羞恥心を覚えているのは柚流だけ。正しい記憶を保持している柚流だけが、見世物のような気分を味わわされている、というメカニズムだった。
――クソッ、焦って損した!
柚流はベリベリと絆創膏を剥がした。どうせ認識されないのなら、痒くなるこれをわざわざ付けている意味もない。潔く開き直るのは早かった。
「――てかさあ、秋吉くんって、椿木ちゃんのこと好きなんだよね?」
「え?」
剥がした部分が案の定痒くなって掻いていると、花巻とは別の女子に話しかけられた。
「王子役にも立候補してたし……あの二人見て、嫉妬したりしないの?」
「たしかにたしかに。私は正直羨ましいもん。桐山くんと組んでる椿木ちゃんのこと。でも秋吉くんはきっとその比じゃないよね」
小道具片手に尋ねてくる二人の目は、興味津々と言わんばかりだ。いかにも恋バナ好きの女子らしい。
「それとももしかして、ここから奪い取る算段があるとか?」
「キャーッ、なにそれカッコいい! 超キュンキュンするんだけど!!」
「ええっ……いや、オレは……」
言いながら、チラッと演技中の椿木を視界の端へ入れる。舞踏会のシーンのようで、遥人の手を取りながら照れくさそうに笑い合っている。
柚流はいつもなら胸が苦しくなって俯く場面。しかし、今日はなぜだろう。ざわつくはずの胸中は思いのほか穏やかなままだった。
(あれ……おかしいな。どうしたんだオレ……)
むしろ、お互いを見つめる恋する瞳に、柚流は思い出すものがある。
『好き。好きです先輩』
『貴方のこと、絶対他の奴には渡したくないんで』
『返事は今すぐじゃなくていいです。俺のこと好きになったら教えてください』
「――ちょっと、衣装合わせしてる最中なんだから勝手に盛り上がらないでよ」
「あっ、ごめんごめん~」
花巻の一言を受けて、小道具係の二人は話を止めた。茹で上がったタコのような顔色をした柚流には、一切目もくれなかった。
(なっ、なに碧葉のこと考えてんだよオレ!? しかもなんか心臓ドコドコうるせえし……っ!)
頭から消そうと首を振ってみても、すぐにぽわ~んと思い浮かんでくる。
「秋吉じっとしてて。今からウィッグつけてみるから」
「うっ」
大人しく棒立ちするのを余儀なくされた。頭の中の碧葉が、「いい気分ですね」と不敵に笑いながら、動揺しまくりの柚流をおちょくっているみたいだった。
それから衣装合わせも終わり、劇の練習にも一区切りつくと、今日は解散という流れになった。
帰り支度中の椿木と遥人ヘ、いつも通りを装った柚流が近づく。教科書類はほとんど机かロッカーに置きっぱなしのため、スカスカのスクールバッグを肩から下げているだけだ。
「おつ~」
遥人の背をポンと叩きながら、机に浅く腰掛ける。
「さっきの演技、いい感じだったな。すげえよくなってたよ」
二人を交互に見て素直に褒める。心からの賛辞だった。最初はぎこちなかった椿木も、後半は自然と動けるようになって、なんでも器用にこなす遥人はその分上手くリードしていたし。
「ユズも衣装よく似合ってたぞ」
「は? 喧嘩売ってんのか?」
「なんでだよ。純粋な褒め言葉だろ」
――この天然野郎。女装似合っても嬉しくねえんだよ。
「ふふ。でもほんと、シルバーのウィッグもぴったりだったね。ちょっと体格のいいお姉さんみたいだったよ」
椿木がニコニコと毒気のない顔で言う。
「お、お姉さん……」
柚流は唇を引き攣らせた。この場合諸手を挙げて喜ぶべきかどうなのか。判断しかねるセリフに首を掻いた。
「ま、まあ、椿木さんがそう言うなら、そんなに悪い気がしないでもない――」
「あ、やばっ。俺課題出し忘れてた!」
「え……? いきなりなんだよ」
突然叫んだ遥人に思わず肩がびくついた。立ち上がった彼の手にはノートが握られていて、どうやら仕舞ってる途中に気づいたみたいだった。半開きのカバンが机の上に乗っかっている。
「悪いユズ。今日先帰っててくれ。ちょっと俺、まだ間に合うか聞いてくるわ」
「うわ、真面目だな。オレなら即帰るけど」
「お前はそもそもやってきてないだけじゃないか?」
――そりゃそうだ。全部学校に置きっぱだし。
「俺はちゃんとやってきたからな。せっかくなら出さないともったいないだろ」
「それは……まあたしかに」
ぐうの音も出ない。柚流は頷いて遥人の机から降りた。
「じゃあな、ユズ。椿木もまた明日」
手を上げた遥人が教室を出ていく。足早なのは根がやっぱり真面目だからだろう。
「私たちも帰ろっか」
「うん……そうだな」
本当は二人を見極めるためにも、遥人がいてほしかったが。
(――って、そうじゃねえだろ! せっかく椿木さんと二人で帰れんだから、もっと喜ばねえとオレ!)
「秋吉くん? どうかした?」
「あっ、う、ううん。なんでもねえ」
やけに心臓が働いてくれない。あのドキドキと高鳴る音がないことに首を傾げながら、柚流も椿木と共に、教室を後にした。

