完全に当て馬ポジションの俺。何故か同室の後輩にキスされた上、どうやらここは現実じゃないらしい

「好き。好きです先輩」
「ッ、ちょ、ちょっと……!」

 ガッチリ閉じ込められたまま、肌のいたるところへ吸い付いてくる碧葉に、柚流は仰け反って声を上げる。
 
(コイツ急にどうしたんだ!? それに今、同じ時を繰り返してるとかなんとか言ってなかったか!?)

「待て碧葉! お前今――」
「先輩も俺を好きになってください。男だからって言うのはナシですよ。先輩も俺とこういうことするの、嫌じゃないんですから」

 頬を茹らせた碧葉の顔が近づく。熱を帯びた眼差しに、頭から煙でも出そうだ。

「……なんですかこの手」
「お前を落ち着かせるためだよ……!」
「邪魔」
「おいッ」

 差し込んだ手のひらをベリッと剥がされた。容赦のなさに拍車が掛かっている。が、こっちだって負けてやるわけにはいかなかった。

「……先輩」

 柚流は碧葉の膝上に乗ってるのをいいことに、睨み付けてくる彼の頬を両手で押さえた。

「オレっ、聞こえたんだよ! お前が同じ時間を繰り返してるってこと! 多分ずっと伝えられなかったのってこの言葉だろ!?」

 手の内がびっくりするほど熱い。見た目以上にのぼせ上っている。
 しかし先ほどまでの勢いはどこへやら、大人しくなった碧葉は、呆然と目を見開いていた。

「碧葉?」
「聞こえ、たんですね」
「あ、ああ」
「そっか……やっと、やっと貴方に伝えられたんだ」

 潤んだ瞳。背中に巻き付く腕に力が籠められて、きつく抱きしめられる。声と同じ震えが、全身にも迸っていた。
 深い深呼吸が胸の前から聞こえる。

「すみません、ちょっと暴走してました」

 そう言って離れる碧葉の、目元が僅かに濡れている。

「大丈夫か?」
「はい。……でもいったんどいてもらえますか。このままだと、俺のアレが暴発しそうなんで」

 ――ん? 俺のアレ……ってなんだ?

「先輩。早くしないと襲いますよ。俺、絶対途中で止まれませんからね」
「……あ」

 真っ赤な顔を片手で隠しながら、たしかな欲を持って睨みつけてくる碧葉に、柚流は一瞬で理解した。ザザッと後ろに退いて、分かりやすく目線を逸らす。

「ごっ、ごめん」
「……いいえ。あとはだけた服も、もとに戻しておいてもらえますか」
「おあ……っ」

 捲し上げられたまま、中途半端な位置で止まっていた肌着。数分前の情事を思い出し、慌ててずり下げた――拍子に、隙間から赤い点がちらほらと見え隠れする。

(コイツ跡つけすぎだろ……!)

 もしかしてこの感じだと、首にもたくさんついてるんじゃないか?
 試しに鎖骨からうなじにかけてさわさわと触ってみるが、まあ当然分からない。強いて言えば歯形っぽいデコボコが感じられるくらいか。鏡は近くになかったかと探す柚流の視界に、勉強机から何かを持ってきた碧葉の姿が映る。

「先輩。これ開いてみてください」

 渡されたのは、見覚えのある表紙のノート。

「これ……この前白紙にしか見えなかったやつだよな」
「はい。でも言葉が通じた今なら、先輩にも見てもらえるんじゃないかと思います」

 赤みをいくらか引かせた碧葉がじっと視線を向けてくる。
 そういえばいろいろあって薄れかけていたが、この世界は「同じ時を繰り返してる」って、衝撃的な内容――それに連なる情報がこの中には書かれていたりするのだろうか。
 柚流は息を呑んで表紙を捲ってみる。

「なんだこれ……?」

 まず見えたのは9月25日という日付と、時間割のような縦グラフ。
 
「これは《時間転移》の行われるタイミングを簡単に明記したものです。他にもその日あったことや、気になったことを一緒にまとめてあります」

 説明を聞きながらパラパラと捲っていく。几帳面に日付ごと、角ばった綺麗な字で書かれている。

「すげえな……。しかも分刻みで……」
「まあ、何回もループして得た賜物ですよ。貴方の話を聞くか、これを書くか……それくらいしか暇を潰せるものがなかったので」

 なんでもないことのように呟く碧葉だが、その声色には明らかな諦観が混じっていた。
 柚流はズキッと胸が痛む。針を飲んだみたいな鋭い痛みだった。

(ここまで作るのに、どんだけの時間と根気が掛かったんだろう。味方になってくれる人もいねえまま、たった一人で……。オレなんか、たった二週間で根を上げてんのに)
 
「先輩、顔あげてください」
「え?」

 チュッ、と唇にかわいらしい音が鳴った。

「なっ、なんだよ急に――」
「好きです」
「ッ、……は」

 青を揺らめかせた黒い瞳に視線を奪われた。腰が引けても、それは逸らすことを許さないと言わんばかりに、こちらを見つめて離さない。

「貴方のおかげで、俺は今日まで正気のまま生きてこられた。貴方がいなかったら、俺はきっとどこかでおかしくなってました」

 頬に掛かった髪を指で丁寧に払われる。

「光を持ったように輝く目も、分かりやすく変わる表情も、眩しいくらいの笑顔も……全部、特別です。貴方に俺のことを知ってほしくて、俺の名前を呼んでほしくて、ずっと仕方なかった」

 甘い蜜のように蕩けた微笑み。愛おしいと語りかけてくるような熱視線。

「好きです、柚流先輩」

 ノートをなぞる指先を、碧葉の大きな手のひらが覆った。

「聞き逃げなんて、許しませんからね」
「……っあ、」

 絡んでくる。音もなく、心の隙間に入り込んでくる。一番柔な、弱いところをつついて、刺激して。
 どうしよう。心臓が、破裂しそうなくらいうるさい。

「わ、分かんねえ。なんで、オレなんだ。オレが、『偽物』じゃねえから? オレが、お前と同じ、『巻き込まれた側の人間』だから? そう思い込んじゃってるだけじゃねえのか?」
「……たしかに、貴方が他とは違ったのは事実です。生身の人間のようだと、錯覚するほど生き生きとした活力にあふれていたのは貴方だけですから。最初はそれに、興味を持った部分もあるでしょう」

 なら、やっぱり――。

「でも、俺は恋愛自体そのものを軽蔑してましたから。そもそも人を好きになることすら、頭にないような人間だったんです」
「……えっ、そうなのか?」
「はい。俺の周りにはろくでもないような奴らしかいなかったんですよ。先輩みたいな一途な人、初めて見ました」

 そう言って、ふわりと額に口づけられる。右手は依然として、彼のあたたかい左手に包み込まれたまま。

「本当に、こんなに好きになるとは思わなかった」
「っ、ま、ますます分かんねえよ! なんでオレなんだ。オレ、男だぞ――」

 人の性的指向をとやかく言うつもりはない。ないが、さすがの柚流でも、それが自分に関わることとなれば別だった。
 
「きっかけは……そうですね。俺は貴方の、恋愛における価値観がとても素敵だと思ったから」
「か、価値観?」
「はい。相手の幸せが、自分の幸せだって……もう随分前のことですけど、貴方がそう言ってくれたんですよ」

 ――うわっ、オレそんな恥ずかしいこと言ったのか!?
 ボボボッと湯が沸くように顔が燃え広がる。

「完全に俺にはない視点でした。先輩のこと馬鹿にしてたのに、完全に意表をつかれて。でもそれからですよ。毛嫌いしてる恋愛が、自分でも気づかないうちに形を変えていったのは」

 右手の甲を人差し指でなぞられる。厭にくすぐったいその手つきに、柚流は肩を揺らした。

「先輩。最後のページ見てみてください」
「あ……わ、分かった」

 なんだ。促すために触っただけか。反応してしまった自分が恥ずかしくて、誤魔化すように音を立てて捲る。

「11月1日……ここが最後か?」
「そうです。この日を境に、もう一度9月25日へ戻ります。……で、先輩に読んでもらいたいのはこの部分」

 トントン、と指し示された文字。強調するように黄色いマーカーペンを引かれたそれは――。

「桐山遥人が、椿木姫華に、告……白?」
「……伝えるべきかどうか迷いましたけど、貴方はこの日、完全に失恋します。そして、そこでボロボロに泣くんです。物陰から、抱き合う二人を見てるだけで、割り込むこともできずに」
「…………」
「俺は貴方の恋愛観に感銘を受けました。でも、実際は幸せそうな二人を見て、貴方は辛そうに泣いているだけだった。……俺はね、最初はその涙がすごく綺麗だと感じたけど、ループを繰り返して何度も見ていく内に、こうも思ったんです」

 ――先輩が泣くと、俺も辛い。
 ――叶わない想いなんかに振り回されて、もう傷ついてほしくない。
 ――先輩が俺のこと、好きになってくれたらいいのに。

「まさか、こんなところで恋を知る羽目になるとは思いませんでしたよ。先輩の言う通り、気づいたら好きになってるって、本当だったんですね」

 ふんわり笑った碧葉が、涙を確認するように、目尻から目の下の膨らみを優しく撫でてきた。

「恋を教えてくれた先輩のおかげです。俺の世界が輝き出したのは。貴方の顔を見て、隣で話をして、時々ムカつくことがあっても一緒に笑い合えたら、永遠のように感じられたこの世界も一瞬でした。……ずっと、どうやったら俺のことを見てくれるんだろうなって、そんなことばっかり考えてましたよ」

 ドッドッドッドッ――柚流の心臓が痛いくらいに跳ね上がる。

(な、なんでだろ……オレ、椿木さんとハルのこと知っても、全然ショックじゃなかった)

 今までの自分は、泣いて辛そうにしていたというのに。むしろ今は碧葉のことで頭がいっぱいで、ここからすぐさま逃げ出したいような、それともずっと彼に見つめられていたいような、そんな得も言われぬ感情に支配されていた。

「返事は今すぐじゃなくていいです。俺のこと好きになったら教えてください」
「えっ。す、好きになったら……!?」
「はい。貴方のこと、絶対他の奴には渡したくないんで。先輩と違って、俺は相手の幸せを考えて身を引けるほど、性格のいい男じゃないんですよ」

 だから隙があるならどんどんつけ込みます。――碧葉は勝気な笑みを浮かべて宣言した。

「なっ、なんだよそれ……! ずりい!」
「なにがズルいんですか? これほど正々堂々してることはないでしょ」
「うぐ……っ」
 
 なにも言い返せなかった。なんだか上手く丸め込まれているような気がしなくもなかったが、頭のいい彼を自分が打ち負かせるとも思えず、諦めて口をつぐんだ。

「でも、とりあえず今日のところは大人しくしてますよ。俺のことでいっぱいいっぱいな先輩見てるのも悪くないんで」
「コ、コイツ……! 見んな……!!」
「あははっ」

 弾けたように口を大きく開け、碧葉が年相応に笑う。普段年下とは思えないほど大人びた顔立ちをしているから、こうして笑うと案外可愛い。柚流はキュウッと詰まった胸を握りしめ、俯いた。
 
(なんか……ヤバい。なにがヤバいのか分かんねえけど、なんか直視してたらヤバい……ような気がする)
 
 だって自分は椿木が好きなのに。碧葉の笑った顔を見て、こんなに心が突き動かされるなんて。しかも相手は男だぞ。
 
「ノ、ノート見ねえと! せっかくお前が作ってくれたやつ、オレも読めるようになったんだから!」

 柚流はありえない考えを振り払うように、ノートを手あたり次第捲った。碌に内容は入ってこなかったが、所々で書かれている『※近づけない!』という赤文字。強調する形でグルグルと赤丸に囲われており、物凄く目につく。

「これ……どういう意味だ?」
 
 いったい誰に、何に、近づけないんだろう。気になって周辺の文章を読んでいこうとすると、先に碧葉の声が挟まる。

「――柚流先輩に近づけないって意味です、それ」
「え、オレ?」
「まあ正確に言えば、椿木姫華と桐山遥人――このどちらか、もしくは両方揃ってるタイミングの時。俺は貴方に近づくことができないんです」

 柚流の目にパチパチと瞬きが増えた。

「そ……そうだったっけ?」
「そうですよ。俺は基本、貴方が一人の時にしか行けなかったんです。サッカーボールが飛んでくる時は無理やり助けにいきましたけど、あの二人が近づいてきた瞬間、俺は別の場所へ押し出された。本当はそのあと火傷するのだって、前もって阻止してあげたかったのに」

 悔しそうに口を曲げる碧葉。しかし、その言葉のおかげで柚流は思い出した。彼が治療しに来てくれた時は、必ず周りに人がいなかったということを。
 
 ――そうか。急に碧葉の姿が消えたのも、そういう理由があったからだったんだ。だからいつもオレがアイツらと離れたタイミングで、コイツは来てくれてたのか。

 ――でも、なんで? なんでその二人と、碧葉は一緒にいられねえんだ? オレはなんともねえのに、どうして碧葉だけ?

「先輩」

 鋭い視線が肌をピリッと刺す。空気が一瞬で引き締まったのが分かった。

「俺は正直、――――が怪しいと思ってます」
「……え?」
「信じられないかもしれないですけど、――――がいるときだけ、俺は――」
「ま、待って。聞こえなかった。今のやつ、オレには聞こえなかった……!」

 窓がガタッと揺れた。なんてことはない、ただの風だった。しかし柚流の腕には、鳥肌が止まらなかった。

 ――黒幕……。黒幕がいるって、碧葉は推測してたよな?

 世界にとって不都合なことはすべて排除される。それは柚流自身、身をもって体験してきたことだ。だから明確に聞こえなかった名前がある――それの意味するところは、つまり。

「犯人はそいつじゃねえか?」

 碧葉もハッと目を見開いた。彼にとっては推測の域を出なかったそれが、柚流というピースにより、完全な解へと導き出されたのだ。

「っ、そうか! じゃ、じゃあ! 早く――――を捕まえて、脱出方法を」
「それはまだダメだ! オレがこの”縛り”を解いてねえ状態で行って、返り討ちに遭ったらどうする!?」

 珍しく碧葉が冷静さを欠いていた。柚流は彼の腕を掴み、腰を下ろさせると、背中をさすった。

「……オレが見つけるよ。椿木さんかハル、そのどっちかなんだろ?」

 好きな人か、親友か。果敢に言ってはみたものの、正直二人のうちどちらかが黒幕だなんて信じられない。そうだとすれば、ずっと近くにいたのに、何食わぬ顔して犯人はそこにいたってことだ。普通に信じたくないし、怖い。でも同じくらい、理由を問いただしたい気持ちもある。

「すみません。取り乱してしまって。……貴方のほうが、絶対驚いてるはずなのに」
「いや、お前はずっと一人でこの世界に囚われてたんだから、早く出たくて焦っちゃうのもしょうがねえよ」

 柚流は元気づけるように、ニコッと笑いかけた。
 
「でも、たまには先輩のオレにも頼ってくれ。頼りねえかもしんねえけどさ、お前の傍にいることくらいはできるから」
「……なんですかそれ。十分過ぎますよ。一生俺の隣にいてください」
「えっ、い、一生? 一生はちょっと、自信が……」
 
 嘘が吐けなくて言葉尻を濁らせると、碧葉から小さく息の漏れる音がした。

「大丈夫ですよ。俺が勝手に居座り続けるんで」

 頬を緩ませる彼に、手を握られる。実は背中をさすっていた時に震えていた指先だが、気づかれていただろうか。

「先輩。俺から名前は伝えられませんけど、一つだけ」
「……ああ、なに?」
「黒幕は、俺たちと同じで自我があります。だからきっと、他の人とは明確に違う言動をとる時があるはずです」

 ――なるほどな。その瞬間を見つけろってことか。

「でも無理は禁物ですよ。相手は何をしてくるか分かりませんから」
「ん、分かった」
「……あと”縛り”を解くだけなら、さっきシたみたいなことを、もっとイロイロ深いところまでするとか――そういう方法もありますけど」
「それは却下!」

 熱を含ませながら見つめてくる碧葉を押し退ける。
 これから自分の身近にいる人を疑って、犯人捜しをしなければいけないのに。不思議と震えが止まっていくのは、彼のおかげだろうか。

(椿木さんか、ハル……。どっちが黒幕でも嫌だ。嫌だけど、理由なくこんなことする人じゃないって……オレは知ってるから)

 柚流は決心した。必ず黒幕を見つける。そして碧葉と共に、現実世界へと帰るのだと。