「筆頭、殺気をしまえ。新人が怯えている」
補佐役のケイリュウが、紺色の制服に包まれたギーの厚い肩を叩いた。
県庁舎から一里ほど離れた場所にある護警所の建物内は、夜だというのに慌ただしく行き来する護警官の姿があった。
灰色の石の建物は古く、ところどころ苔むしている。建物は体の大きな獣人が楽に行き来できるようにすべてが大きく作られ、壁には等間隔に石油ランプが点されていた。
質実剛健をそのまま表したかのように、建物内には無駄な物が一切ない。
「どうして今日なんだ。漉(ろく)防隊(ぼうたい)の岩永(いわなが)託生(たくみ)が酔客の暴力沙汰で捕まるなど、明日、いや、一週間後でも良かっただろうに」
ギーが闇夜でも光る琥珀色の目をぎらつかせた。
月の光を集めたような銀色の艶やかな鬣、一度も潰されたことのない口吻、制服から溢れる喉の下の豊かな毛、堂々とした体躯は、そこらの獣人が束になっても敵わない見目の良さだ。
おまけに、歩くその姿はどこまでも隙がなく、明らかに武技に秀でているとわかる。
通り過ぎる隊長と補佐役に、書類を抱えた部下が足を止めて頭を下げる。
ケイリュウがそれに手を上げて応え、ため息をついた。
「内偵が必死で追い続けてきた反政府組織のトップだぞ。捕まえるどころか、今まで尻尾を掴ませなかった相手が懐に飛び込んできてくれたんだ。喜びこそすれ、文句など言うな」
ケイリュウは焦げた土色の狼だ。
耳に傷があり、一部が裂けている。
丁寧に梳られた毛並は、洒落者と呼び名がつくギーの友人であり、右腕だ。
ケイリュウと、まるで競歩のように大股で廊下を歩く。
黒い革のブーツが石の廊下に硬い音を響かせた。
「だが、結婚式だったんだ」
正面を向いたまま、ギーが吐き捨てた。
ぐるると喉の奥で唸るのは、完全な威嚇だ。
ケイリュウはちらりと横目で上司を見る。
「俺も参加したかったなあ。まあ、護警所の責任者が全員出払うことはできないから、仕方ないことではあるが」
「お前は駄目だ」
間髪入れずに返ってきた言葉に、ケイリュウは目を見開く。
「何故」
「お前は体がでかい。すみれさんが怯える」
至極、真面目な顔で返された。
ケイリュウは顔を引きつらせる。
「体格は同じくらいだろうが。相手の家も、獣人の体のでかさくらい承知だろう?」
「ただでさえ人間は獣人と違って繊細なんだ。ちょっと力加減を違えただけですぐに腕が折れるんだぞ。すみれさんの親族に怪我などさせたら一大事だ。彼らの心証を悪くするようなことはできん」
「だから出席者にヤスコトとガカル達を選んだのか。どうしてあいつらなんだろう、とは思っていた」
「気性が荒くなくて、体がそれほど大きくない者を厳選した。俺は絶対にすみれさんに怖い思いをさせたくない」
決意を込めて握りしめる右手を横目で見ながら、ケイリュウは苦笑した。
「その花嫁とは、ちょっとは話が出来たのか」
「名前は、名乗った」
「それから?」
「……ギーと、呼んでほしい、と」
「……それから?」
「…………」
「まさか、自己紹介だけ? どうして」
「だって、いきなりたくさんの情報は、驚くかと、思って……」
ギーはわかりやすく動揺した様子で、視線をうろつかせた。尻尾もそわそわと落ち着かない。その間も、颯爽と歩みを止めないのはさすがだ。
ケイリュウは心の中で頭を抱えた。
これは駄目だ。
仕事となればその優秀さはずば抜けているギーだが、恋する相手にはポンコツになってしまうらしい。
「初恋の相手だったと、ずっとあなたが忘れられなくて執念深く探し当ててやっと求婚できましたと言えばいいじゃないか。結婚の承諾がもらえたときには、部下全員に寿司を奢るくらい舞い上がっていたのに」
俺達部下が、どれだけあんたの恋煩いの話を聞いて来たと思っている。
胡乱な眼差しを向ける部下に、ギーはぶるぶると首を振った。
「そんなこと言えるか!」
正直に打ち明けたらきっと、すみれは引く。ドン引きされる。
たった一度、いじめられていた少年を助けただけで、執着され結婚を申し込まれたなんて知られたら、口をきいてもらえなくなるかもしれない。
おまけにこちらは獣人だ。人間の中には獣人を忌避する者もいる。
すみれがそうだとは思いたくないが、そうであっても構わないと思うくらいギーはすみれに惚れこんでいた。
それにしても。
「花嫁姿のすみれさんは、牡丹の花も恥じらうほどの美しさだった。あの凛とした佇まい。月に住まう天女が舞い降りて来たのかと思って、直視できなかった。隣に座っただけでほのかに花の香りがして、盃に寄せる唇も赤く綺麗で」
思い出すだけで、胸の中が熱くなる。無意識に尻尾が揺れる。
とうとう彼女の隣にいられる権利を手に入れたのだ。
一世一代の決意で、彼女の父親に縁談を申し込んだ。獣人と人間だ。十の割合で断られると思っていたし、実際に何度も断られた。少々強引な手も使って、とうとう是の返事が来たときには信じられなかった。
結婚式の途中で退席せざるを得なかったことは痛恨の極みだが、今日は疲れただろうからゆっくり一人で身を休めていてほしいと思う。
「はいはい。ほら、保護所につくぞ。岩永がお待ちかねだ。奴らを潰す、絶好の機会だ」
重厚な扉を前に、ケイリュウが制服の襟を正す。
護警所には、保護所が併設されている。刑務所に収監されるまでの、犯罪者の一時預かり所だ。
扉の前には日本刀を腰に下げた部下が立ち、上官であるギーとケイリュウに頭を下げた。
ギーの瞳に鋭さが宿った。
それは嘘も誤魔化しも許さない、護警官筆頭隊長の眼差しだった。
