氷姫の旦那様

 テーブルの上を照らすランプが、銀の毛並を柑子色に染めている。
 隙間風が入る木造のあばら家の中に、十人ほどの獣人達がひしめきあっていた。
 護警官の制服に身を包んでいる者ばかりではないが皆、体が大きい。部屋が狭く感じるほどだ。

 庭に紅葉の大木がある小屋は、老衰で亡くなった隣家の主が趣味部屋として使っていたものだ。
 今や家具は最低限、大きなテーブルと椅子があるのみ。
 一人が床を踏み抜いて大きな声を上げた以降は皆、慎重に動いている。
 電気は通っておらず、持ち込んだ石油ランプの明かりに頼るしかない。
 もうじき日が沈むのも、不穏な空気に拍車をかけている。

 使われていない小屋を拠点としたのには理由がある。
 住宅街を抜けた先、小屋の斜め前の家に、漉防隊のナンバースリーである三森庄平が立てこもっているのだ。
 今まで遠回りをしながらも、ようやく掴んだ居場所だ。
 絶対に逮捕せねばならない。

「筆頭、周辺住民の避難を開始しました」
「あの家の中には、三森と世話人がいます。世話人の老婆の年齢は八十代。斥候がばれた昼以来、老婆を盾にして家に閉じこもっています」
「表向きは、体を壊した実業家と名乗っていたようです。奴と接触のあった漉防隊のメンバーを二人、捕獲しております」
「家の見取り図はこれが最新のものです。大工に確認しました。隠し部屋はない模様です」
 次々にもたらされる情報に、ギーは冷静にひとつひとつ対処する。

 漉防隊は、大量の爆薬を隠し持っている。爆薬の管理は三森が行っていて、保管場所はリーダーである岩永も、幹部の竹下も知らなかった。
 それが今、三森のもとにあるとして、何かのきっかけで爆発したらこの周辺一体が火の海になる。
 目の前には家の見取り図。突入するとすれば、最も確実に三森を捕獲でき、且つ被害の少ない場所から攻めるべきだ。

 広げた地図の侵入経路を検討していたギーに、横合いから声がかかった。
 顔を上げずとも、匂いでわかる。
 副隊長であるケイリュウが難しい顔をして、白シャツ姿のギーにつめよった。
「何があったかは知らんが、せめて奥方はこんな殺伐とした現場ではなく、宿か派出所で保護した方がいいんじゃないか」

 視界の端には、すみれの姿がある。
 ぶかぶかのギーの上着を命綱のようにぎゅっとかき抱き、部屋の隅にある椅子の上で体を小さくしている。
 獣人の護警官が通り過ぎるたび、びくりと体を強張らせるのが痛々しくて見ていられない。
 俯いた顔は青白く、今にも倒れてしまいそうだ。
 周囲の護警官達もまた、気になってちらちらと視線を向けている。
 だが。

「すみれさんは俺の目の届く範囲に置いておく。決定事項だ」
 部下に指示を出しながら、ギーは答える。
 ケイリュウの眉間に皺が寄った。
「決定事項、って」
「すみれさんに手を出す輩は殺す」
 喉の奥から唸り声が溢れてくる。
 途端、抑えられない殺気が部屋に満ちる。
 異様な沈黙が部屋を支配した。

 腸が煮えくり返っている。
 この小屋に着く前にすみれから少しだけ聞き出せたのは、屋敷を出て、見知らぬ二人の獣人に馬車で連れ去られそうになったこと。

 なぜ、屋敷を出たのか。
 なぜ、一人で歩いていたのか。
 なぜ、獣人が襲って来たのか。
 問い詰めたい気持ちは多分にあったが、怯えているすみれにそれ以上追及することはできなかった。
 彼女は被害者だ。
 獣人など、ギーと結婚するまでは関わり合いなどなく生きてきたに違いない。
 ならばなおさら、力で敵わない獣人が恐ろしかっただろう。

 ようやく笑顔が見られるようになってきたのに。
 彼女を守れなかった自分にも腹が立つ。
 悲しみとも悔しさともつかない怒りが、ギーの中に渦巻いている。

「わかった、落ち着け。ここにいる誰も、奥方に危害は加えない」
 ケイリュウが両手を上げ、わずかに後退りする。
 ギーは「わかっている」と平坦な声で頷いた。
 聞き耳を立てていた周囲の護警官達からも、ほっとしたような息が漏れた。

「信頼してもらえて何よりだ。それより、ここはいいから奥方と話して来いよ。突入は深夜だ。もしくは、奴が眠りにつくまではこう着状態だろう」
「だが」
「怯えている女性を放置して仕事にまい進する男など、十年先までぐちぐち言われるぞ」
 なんとか山瀬夫妻の仲を取り持とうとするケイリュウの説得に、ギーは少し考えて椅子から立ち上がった。
 確かに、決着をつけるのなら早めがいい。

 これから護警官達は夕食の弁当を取り、夜に供えて少し休む。
 狼は夜目が効く。突入するのであれば、夜の闇に紛れて行動を起こすのが確実だ。
 人間が眠気に襲われているときなら更に好都合。
 人間の集中力は、長時間は続かない。
 多勢に無勢で、護警官で三森の家を囲んでもいいのだが、そうすると中にいる人質の命が危うくなるかもしれないし、三森が爆薬に点火するかもしれない。
 罪のない命が奪われるのだけは避けたい。

「すみれさん、失礼する」
 ギーはそう断って、再びすみれを抱き上げた。
 ギーの紺色の制服はすみれにとって大きすぎて、制服の中に埋もれているかのようだ。
 すみれは無言で体を固くした。