「あなたも手紙屋さん、なの?」
男の子はフンと鼻を鳴らす。そのまま自分と私が持つ星空バッグを、交互に見た。
「俺はチヒロ。お前と同じ手紙屋だ。隣の配達エリアを担当している。
その犬は、お前の犬か?」
「う、ううん。違うよ」
答えると、男の子――チヒロは、あからさまに肩を落とした。
というか、手紙屋さんって何人もいるんだ。配達エリアで区切られていることも今知った。そう言えば、さっきフミも「僕の配達エリアでリクエストが来た」って言ってたっけ。
チヒロはしばらく無言だった。だけど私を見て、ハッとしたように口を開く。
「その犬から『ある人の匂い』がしたから、気になって追いかけてみた。だけど……無駄足だったな」
「ある人の匂い? 君は、誰かを探しているの?」
「……教える義理はない」
犬にするみたいに、シッシッと手を払われる。チヒロはまだ小さいけど、歪んだ顔は迫力があって、思わず一歩後退してしまう。もしかして私、嫌われている?
その時、風邪で苦しむフミが脳裏をよぎった。
そうだ、早く配達を済ませて帰らないと!
だけどチヒロを一人残す、というのは気が引ける。この子は手紙屋さんで、いわゆる「この世の人」ではないと分かっているけど……。
「でも早く帰らないとなぁ、フミがリンゴを待っているし」
「フミ⁉」
ポツリと吐いた独り言に、チヒロは素早く反応した。
さっきとは打って変わって、目をキラキラさせている。
「あんた、フミを知ってんのか⁉」
「知ってるっていうか、今ウチにいて……」
「はぁ、なんで⁉」
チヒロの顔が、さっきよりも激しく歪む。顔に「なんでこの女の家に」って書いてある……!
「アンタ、フミの彼女?」
「え、まさか! 私がお世話になっているんだ。フミは、巻き込まれているっていうか……」
「チッ、何やってんだよ」
眉間のシワが、さらに深くなった。
フミの名前を聞いた途端に、すごい食いつきようだ。
チヒロは、フミの何だろう? 知り合い? 仕事仲間? それとも……弟?
さっきからフミに対して好意的にも見えるし、敵意を向けているようにも見える。チヒロがフミのことをどう思っているのか、イマイチ分からない。
すると再び寡黙になっていたチヒロが、チョイチョイと私に手招きする。
「あんた、俺を案内しろ」
「え、案内? どこへ?」
「フミ兄の所にだよ」
「ふ、ふみにい……」
やっぱり、この子はフミの弟なんだ!
ビックリするやら、フミの身内に会えて嬉しいやら。ココと一緒にチヒロを見つめていると、ギョッとした彼が「なんだよ」と。クリクリの瞳を私に向ける。
「フミ、自分のことを何も話してくれないからさ。まさか弟がいるなんてビックリだよ」
「……ま、話さないだろ」
チヒロは、フイと私から目を逸らす。次に、近くを通る親子へ目を向けた。
まだ小さな子は、やっと歩けるようになったくらいで。その子の周りを、お母さんが心配そうに歩いている。たまにお母さんが話しかけて、子供は喃語で答えている。見ていて癒される、和む光景だ。
二人をジッと見たチヒロは、目に悲しみの色を浮かべた。すぐに瞼を閉じたから、私の気のせいかもしれないけど。
「あの……」
「俺ら手紙屋が自分のことなんか話さないさ。フミ兄が正しいよ」
「え?」
「それに俺は、フミ兄の弟じゃない」
「えぇ⁉」
弟じゃないのに「フミ兄」って呼んでるの? それに「手紙屋が自分のことを話さない」って、どういうこと?
頭に疑問符を浮かべていると、チヒロは「それで」と私が持つ手紙を見る。
「これから配達だろ? すぐ済ませようぜ。フミ兄がリンゴを欲しがるってことは、風邪でも引いてるんだろ?」
「ご、ご名答……」
チヒロは、どうやらフミの好物を知っているらしい。「五個は買えよ」と、私の財布に厳しいことを言った。果物、最近高いんだよね。もちろん買うけどさ。
「それにしても薬じゃ治らないのに、リンゴで治るなんて。フミの体って、どうなっているの?」
するとチヒロが「知らないのか」と、腰に両手をあてる。
「フミ兄は、大の薬嫌いなんだよ。飲みたくないから、『リンゴがほしい』なんて病人らしいことを言ってるだけだ」
「そ、そうなんだ……」
いや、実際には病人なわけだけど。なるほど、私は騙されたというわけだ。そういえば私がフミに「薬を飲むか」と聞いた時、彼はすごい顔をしていた。そこまで苦手なんて、子供みたいだ。
「じゃ、じゃあ配達に行ってくるね。えぇっと、コンパスは……」
ココを地面に降ろし、星空バッグの中をゴソゴソと探る。見た目の割に中が広いし暗いから、どこにあるか見つけるのも一苦労だ。
「おい、コンパスの出し方も知らないのかよ」
ドン引きした目で見られている……。この子はフミと仲が良いし、真実を言っても大丈夫だろう。
そう判断し、「今日は代理なの」と正直に明かす。
「今日はフミの代わりに配達をしていて……。初めての配達なの」
「初めて……。マジかよ……」
チヒロは太陽と、コンパスを探す私を交互に見る。そうしてため息一つ吐いた後、自分のコンパスをポンと宙に出した。
「あんたに任せていたら日が暮れそうだ。俺も手伝うから、さっさと終わらせるぞ」
「わ、助かる! ありがとう」
「別に。風邪の時のフミ兄は、リンゴ命だからな。早く帰らないと暴れるぞ」
「そ、それは困るね……」
チヒロの話が本当にしろ、盛った話にしろ。フミがしんどい思いをしているのは確かだ。配達に手慣れていそうなチヒロが同行してくれるなら、これほど心強いことはない。
「あ、そうだ」
私の足元にいるココに「君はどうする?」と尋ねる。するとココは、私から視線を外さなかった。……一緒に行くってことかな?
しばらくしてココは、私の横にピッタリ付いた。
いや、私っていうよりも、むしろチヒロに……?
何にしろ、ココも一緒に来てくれるなら嬉しい。ココは可愛いから、見ているだけで癒されるんだよね。
そうしてチヒロ、ココ、私で配達を行う。
女性が心配していた字の汚さは、「故人から手紙が届く」という奇跡の前では、何の問題にもならなかった。受取人の男性は、手紙をもらえたことに、目に涙をためて喜んだ。
「ありがとうございます。この手紙を受け取れてよかった……っ」
どうやら両片思いの恋をしていたらしい。男性の掠れた声が、差出人の女性をどれほど思っているかを表しているようだった。「会いたいなぁ」と、手紙に涙を落とす男性の姿に、心がキュッと切なくなる。
私が泣きそうになっていると、チヒロが「おい」と肘で私を小突いた。私とは違って、傷心している男性を見ても顔色一つ変えない、手紙屋の猛者だ。私は急いで、自分の涙を拭った。
「ぶ、無事にお手紙を渡せましたので。私たちは、これで」
私とチヒロはネックレスをほどき、星空バッグへ姿を変える(ココは、元々男性から見えていないようだった)。すると男性は、いなくなった私たちを探すようにキョロキョロした後、「ありがとう」と。もう一度、笑顔で手紙に視線を落とした。
この男性の笑顔が、さっきの女性に届けばいいな――
もういない女性へ思いを馳せる。死してなお届けたい思いがあり、それ故に筆をとった彼女の行動は、記憶がない空っぽの私から見て、この上なく尊いものに思えた。
◇
「ただいま。フミ、大丈夫?」
手紙の配達を終え、スーパーで買ったリンゴを片手に、アパートに戻った私たち。
「おかえ、……えぇ?」
玄関に立っていたのは私だけじゃなく、チヒロに、犬のココまで。新たなメンツが増えた一行を見たフミは、起こした体を再び布団に戻す。
「僕は、そうとう熱が高いみたいだね。まさか幻覚が見えるなんて……」
「往生際が悪いな、フミ兄」
「ワン!」
「幻聴まで聞こえるなんて……」
手洗いを終えた後、フミの脇に体温計を挿す。まだ熱はあれど37度台になり、少しずつ解熱しているらしい。安心しながら、まな板の上にリンゴを並べる。
その間、フミとチヒロは積もる話があるのか。
淡々と……いや、粛々と? 若干の気まずさを漂わせながら、会話を進める。
「フミ兄、なんで隣同士のエリアで配達してるって教えてくれなかったんだよ」
「え、隣同士のエリアだったの? 初耳だぁ」
「ウソつけ。知ってたくせに、わざと言わなかったな? この犬を追いかけなかったら、一生知らないままだったぜ」
リンゴを切りながら、チラリと皆を見る。チヒロは胡座をかき、フミは寝転んだまま苦笑を浮かべている。ココはなぜかチヒロに懐いており、彼の足の上で眠っていた。
人懐こいココを見て、飼い主であるみやちゃんを連想する。犬は飼い主に似るって言うけど、本当かもしれない。
「チヒロは、もう立派な手紙屋なんだし。そろそろ俺のことは忘れていいんじゃない? こうやって、たまに会うくらいで充分だよ」
「……は?」
ピキッと青筋が入ったチヒロは、すっくとその場に立ち上がる。そうして手を上へ下へと大きく動かしながら、フミへの文句を声で綴った。
「俺が、あんたにどれほど感謝しているか……。知りもしないで勝手に突き放すなよ!」
「突き放していないよ。だって僕たちは、それぞれにやることがあるだろう? リストはどこまで進んだの?」
「ッ!」
口を噤んだチヒロを見て、フミは「ね?」と念押しする。
「そっちの方を最優先するべきだよ。手紙屋同士が仲良くするのは、それからだ」
フミが、チラリと私を見る。その視線を受けて初めて、今の話が「フミによってだいぶぼかされている」と知る。
やることって? リストって?
私にオープンにできない話が、手紙屋にはあるらしい。
こういう場合、気を遣って出て行った方がいい?
でも、今この二人を残すのは不安だし――
そんなことを考えていると、ガタンと大きな音がした。見ると、チヒロが病気のフミの胸倉をつかんでいる。えぇ、ケンカ⁉
「ど、どうしよう、どうしよう……そうだ!
リ、リンゴできたよ‼」
ダスンダスンと荒くリンゴを切り、皿に乗せる。それを零さないよう、急いで二人の間に割って入った。チヒロが「今はそれどころじゃない」と言いたそうな顔をしたから、口を開けた瞬間、リンゴをムギュと詰め込んだ。
これが本当の口封じ。
チヒロの怒声に代わりリンゴを噛む咀嚼音だけが、静寂になったこの場に響き始めた。
◇



