思いを運ぶ、手紙屋さん―もう会えない人との絆―

 どうやって受取人に会うかというと、手紙が教えてくれる。手紙から赤い糸が伸び、受取人へとつながっているのだ。
 差出人を探すよりも確実な方法……かと思いきや。赤い糸は壁でも何でもぶち抜いて受取人と繋がっているため、これはこれで苦労が多い。

「も、もっと効率の良い方法って、ないの?」

 退院した体は、脆くなっているものだ。縫った頭の傷は回復しているとはいえ、軒並み体力は落ちている。加えて、この暑さだ。毎分毎秒、太陽が私たちに近づいている錯覚を覚える。

「ごめんね。でも、ほら。もう着いたよ」
「え、ここ……?」

 辿り着いたのは、こじんまりした一軒の平屋。しかし最近になって建てたのだろうか。壁やドア、庭のどこを見ても、汚れは見つからなかった。

「さっそく手紙を渡そう。あ、カバンはしまっておかないとね」

 そう言って手紙を出した後、フミは星空バッグを畳んでいく。小さく小さくしていくと、なぜかカバンは、ネックレスに姿を変えた。
 透き通った、青いネックレス。チカチカ瞬く星空は見えなくなったけど、このネックレスも充分キレイだ。

「ネックレスをしている時だけ、僕はこの世界に受け入れられる。皆に気づいてもらえるんだ」
「フミの姿を、誰もが見られるようになるってこと?」
「そう。そうしないと、生きてる人に手紙を渡せないからね」

 確かに、さっきまでフミはどこにいても、誰からも認識されていなかった。周りから見ると、私が一人で喋っているように見えていた、というわけだ。
 だけど今だけは、人目を気にせず思い切り喋っていい――そう思うと気が楽だ。

 その時、道行く女子高校生たちが、ジロジロとこちらを見た。何だろう?

 女子高生たちはコソコソと何か話した後、ポッと頬を赤く染める。彼女たちの視線は、私の隣に立つフミに釘付けだ。……あぁ、そういうこと。

「さっそく中に入ろうか」

 彼女たちの視線に気づいていないのか、はたまた気づいているのか。おそらく後者だろう。フミの手が、やや焦ったようにチャイムへ伸びた。その隣には、梶谷という表札がある。

「……いいの?」

 彼女たちの、いかにも「話しかけたい」というオーラを無視するのはいかがなものか。だけどフミは、「大事な手紙を預かっているから」と聞く耳を持たなかった。飄々とした雰囲気とは反対に、実直な仕事人間らしい。

「確かにフミって顔が整っているし、髪の毛も珍しい白髪だし……」
「はいはい。じゃあ押すからね」

 私を軽くあしらったフミが、躊躇なくチャイムを鳴らす。女子高生たちが残念そうにこの場を去った後、時間をかけて一人のおじいさんが出てきた。
 短い白髪はなめらかなウェーブがかかっていて、いかにも穏やかな雰囲気の人だ。

「初めまして、梶谷さんですね? あなた宛てに手紙を預かっています。
 こちらをどうぞ」
「手紙……?」

 おじいさんはフミと私を交互に見た後。「怪しい」と言わんばかりに、キュッと眉を顰めた。
 無理もない。いきなり知らない人たちが「手紙です」と、郵便局員でもないのに家に押しかけてきたのだから。

「住所も宛名も、何も書かれてないようだが……。何かの間違いじゃないのかね?」
「いえ、間違いなくあなた宛てですよ。差出人は、封筒を開ければ分かります」
「……どれ」

 不思議そうに小首を傾げながら、おじいさんは手紙を受け取った。ピリピリと破り、中身を取り出す。最初は粗暴な態度だったおじいさんだけど、三つ折りされた便箋を広げると、ハッと顔つきを変えた。警戒していた顔つきが、ゆるゆると弛緩していく。

「これは……妻の字だ。間違いない。
 この『す』という書き方は、アイツの癖なんだ。まるで円を描くような、堂々とした『はらい』で……」

 言いながら、おじいさんは眉間にシワを寄せる。便せんを持つ手にも力が入ったのか、クシャリと静かに音が鳴った。

「さっきは疑ってすみませんでした。
 しかし、どこでこの手紙を……?」
「僕は、ちょっと不思議な職業をしていまして。亡くなったあなたの奥様とお会いしました。そこで手紙を託されたのです。必ず渡してほしいと、笑顔で頼まれました」
「そうですか……。そうかぁ」

 笑みを浮かべた時。おじいさんの目じりから、ジワリと涙が溢れる。

「妻は足が悪くてね。家とデイサービスを往復する毎日だったよ。二階建てだと家で介護する時に不便だからって、去年、念願の平屋を建てたんだ。『狭いなぁ』と、いつも妻と笑ったもんだ。でもねぇ……」

 おじいさんが、傷一つない平屋を振り返る。

「葬式が終わって、少しずつ妻の物を整理していると……あれだけ狭く思えた家が、どんどん広くなっていくんだ。
 介護ベッドも車いすもなくなって、我が家はがらんどうだ。ワシの心も、そうかもなぁ。
 妻の介護は大変な時もあったが、それでも話が弾んで楽しかった。――独りというのは、寂しいものだな」

 目尻を拭いながら、おじいさんは話した。切なさが一挙に押し寄せ、私まで感極まって涙ぐんでしまう。この人の「まだ奥さんと一緒に生きたかった」気持ちが、彼の震える声を通して痛いほど伝わってきた。

「すまない」と涙を拭うおじいさん。その肩に、フミが優しく手を置いた。

「寂しいと思うのは、時にいいことなんです。
 二人一緒にいた時間が幸せだった――という証明になりますから」
「幸せ……」
「きっと奥様も同じ気持ちですよ。お二人は似たような顔をされている。――手紙に『楽しかった』と書かれていませんか?」

 おじいさんは、再度手紙を読んだ。
 そうして、「フッ」とこらえきれない笑みを零す。

「本当だ。幸せだと書いてある。何度も、何度も。こんなに、たくさん……」
「そうですか」

 フミはおじいさんに寄り沿うように、ポンと肩をなでた後。彼から一歩、その身を引く。

「無事にお届けできて良かったです。それでは」
「え、わっ」

 フミは今度、私の肩を抱き寄せた。その状態のまま、首からネックレスを外す。するとネックレスは星空バッグに姿を戻し、いつも通りフミの体にピッタリ寄り添う。
 その瞬間、おじいさんは「え」と目をしばたたかせた。目の前に私たちがいるのに、探すように辺りをキョロキョロしている。

 これは、もしかして――

 フミを見ると、細長い人差し指が彼の口に添えられる。「静かに」のジェスチャーだ。
 しばらく無言でいると、おじいさんは「行ってしまったか」と寂しそうに肩を落とした。だけど手の中に残った手紙に気づき、愛おしそうに抱きしめる。そうしておじいさんは、笑みを浮かべて平屋に戻った。

「はい、配達完了」

 フミがパッと私から手を離すものだから、少しだけよろけてしまう。フミは「ごめんごめん」と、さりげなく私を支えた。

「君の姿もね、一瞬だけど消させてもらったよ。
 あ、今はもう見えているから安心して」
「それはいいけど……。おじいさんに優しく接した割には、ずいぶんとアッサリ去るんだね」

 フミは「そう?」と、真上に位置する太陽を見上げる。

「いつまでも僕たちがいたんじゃ、おじいさんは『二人の思い出』に浸れないだろう? こういうのはね、空気を読んで素早く退出するのが礼儀なんだ。たぶんね」
「ふぅん……?」

 どこか都合よく話している風に聞こえるのは、気のせいだろうか。
 じろ~と視線を送ると、フミが困ったように肩を上げた。

「それより、スマホ。そろそろ出来たんじゃない? 取りに行く?」
「あ、そうだった。データが残ってるといいけど」
「大事な記憶だもんね」

 柔らかく笑うフミの横顔を見ていると、あまりの暑さに耐えかねたのか。どこかの庭に生えていた木から、いきなりセミが飛び出した。大きな鳴き声とともに、私たちへ一直線に迫りくる。

「わ、ビックリしたぁ……って、僕のお腹に止まってる!
 ちょっと芹香、これ取ってよ! 僕は虫が苦手なんだ!」
「えぇ……」

 呆れながら「私だって苦手だけど」と、恐る恐る手を伸ばす。その時に生じた風の揺らぎを、いち早く感じたらしい。セミは威嚇するようにジジジと鳴いて、フミから離れて行った。

「わー! もう、これだから、セミは……っ!」

 珍しく騒ぐフミを見ながら、彼がおじいさんに言った言葉を思い出す。

 ――寂しいと思うのは、時にいいことなんです。
 ――二人一緒にいた時間が幸せだった、という証明になりますから。

「……」

 私が今「寂しい」と思えないのは、家族と過ごした時間が「楽しくなかったから」なのかな。それとも記憶喪失中だから、寂しいという感情が抜け落ちているだけ?
 どちらにせよ、家族の誰もが見舞いに来なかったのだ。胸を張って「家族仲が良い」とは言えないだろう。

 さっきから時々、おばあさんの言葉が脳裏をよぎる。

 ――あなたもお母さんも、家にこもるようになってしまったの。

 私の過去を知りたいと思う反面、知るのが怖い。

 私は、幸せに生きていたのかな?
 さっきの夫婦のように、「幸せだ」と言える人生を歩んでいたのかな?

「……」
「……芹香、色々あって疲れたよね。ちょっと休憩しようか」

 また私の顔色を窺っただろうフミが、近くのベンチを指さす。
 さっき一瞬だけ姿を消した反動だろうか。少しだけ車酔いしたような気持ち悪さを覚えていたから、素直にお言葉に甘えることにした。

「ごめんね……。フミ」
「何も。大丈夫だよ」

 ベンチに座ると、ズンと足が重くなった。久しぶりに、たくさん歩いたからだろう。
 気持ち悪さと、足の疲れと。案外、満身創痍になっていた体を労うように、背もたれに背を預けた。フミも「あ~」と言いながら、私と同じ格好をした。

「お、あの雲は魚の形をしているね。今晩は焼き魚にしよう」
「……元気だね」
「僕は食べることが好きだからね。だからか、食べ物のことを考えると元気が出るんだよ。
 芹香は?今、何を食べたい?」
「うーん、そうだなぁ……。炭酸が飲みたい、かな」
「いいね、この暑い夏にはピッタリだ」

 ケラケラと笑うフミを見ていると、荒れた心が凪いでいく。記憶喪失のこととか、家族のこととか。考えることはたくさんあるけれど、こうして誰かと他愛ない話をしている間は、悩み事を忘れるから気が紛れる。
 フミがいてくれて良かったな。

 少し休憩した後――
 私たちはスマホを取りに、ショップに戻った。

 だけど私の期待も虚しく。
 一つとして、データはスマホに戻ってこなかった。

 ◇