病院から持って帰った荷解きが終わり、さっそく携帯ショップに行く。
それが終わって、二人して公園でおにぎりを頬張った。フミもお腹は空くらしく、勢いよくかじりついている。……節約のために、今日からは自炊を頑張ろう。
「さて、ここからは手紙屋の仕事をしていく。
まずは手紙を受け取るところから始めよう。
これを見て」
「これって、コンパス?」
コンパスと言ったらこれ!と思うような、そんな典型的な丸いコンパスが、宙にポワッと現れる。でも形は少し大きい。地球儀くらいある。
水色のそれは透けていて、猛々しい入道雲が、ワッと山から顔を出しているのが、コンパスを通して見える。
ずっと風船みたいに浮いている。持たなくてもいいから楽ちんだけど、周りの人が見たら腰を抜かすかも。
不安に思って、周りをぐるりと見る。だけど誰もが平然と道を行き交っており、コンパスもフミ同様「視えない」のだと分かった。
「このコンパスの針は、勝手にグルリと動く。でも北を指すわけじゃない。
針の先に、赤い矢印がついているのが見えるかい?そこが示す場所に、手紙の差出人が待っている」
「え、分かるのは方向だけ?
位置情報みたいなものは……」
「そんなものはないよ。でも僕は何となく分かるんだ。
『この手紙を届けてほしい』、って。
その人の気持ちが、僕を呼ぶからね」
胸に手をあて、目を瞑るフミ。その姿を見た途端、見知らぬ女の人の顔が、ぼんやりと脳裏に浮かんだ。
今のフミみたいに優しい顔をして、歌を歌っている。それを私は、笑顔で聴いていて――
だけど女の人の顔が、バツンと消えた。頭の中は、電気を切ったように真っ暗になる。
ハッと我に返ると、私を見つめるフミがいた。動かない私を心配したのか、やや眉が下がっている。
「もしかして今、『拾いかけた』?」
「うん……、拾いかけた。でもダメだった。何も 思い出せないや」
「いいよ。記憶が拾えそうな時は自分を優先してね。こっちはこっちで、のんびりやってるからさ」
フミは、クルクル回るコンパスを見つめる。当てもなく回っていた針は、とある方向でピタリと止まった。
「よし、矢印が止まったね。歩けそう?」
コクリと頷くと、フミは笑った。星空のカバンを、ヨイショと肩にかけ直す。
夏の強い日差しにあてられた、カバンの中の星空。それがまるで差出人の思いの強さを表すように、キラリと強く光った。
しばらく歩くと、白髪のおばあちゃんが赤いポストの前に立っていた。
「やぁ、受け取りに来ましたよ」
フミは、手を挙げておばあちゃんに挨拶する。気づいたおばあちゃんが私たちへ向き直り、曲がった背中を更に曲げた。……この人には、フミの姿が見えるんだ。
さっきまでフミは、たくさんの人の視界に映ることなく私の隣を歩いていた。なんでも、フミはこの世界の住人じゃないから、普通の人には見えないんだとか。
それにも拘わらず、おばあちゃんはフミに気がついた。つまりおばあちゃんも、この世界の住人じゃないということ。
そう言えば……フミが届ける手紙は「死者から生者への手紙」だったよね?
つまり差出人である、このおばあちゃんは――
私の推測を肯定するように、長いスカートを履いたおばあちゃんの足は透けていた。
やっぱり、この人は幽霊なんだ……!
そう思うと、急に恐ろしくなった。まさか私が、幽霊と会うことになるなんて。
呪われたりしないだろうか?
夜、枕元に出てこないだろうか?
気軽に「フミに同行する」と言ったけど、もしかしたらとんでもないことに足を突っ込んでしまったのではないだろうか?
焦り、混乱する私に気づいたのか。フミがくすっと笑みを漏らす。恐怖でガタガタ震える私を見て、まさか笑うとは……!
「まずは僕の後ろにいて。大丈夫。幽霊は、こちらに敵意がなければ悪さはしない」
「ほ、本当に?」
「僕はウソはつかない」
落ち着きのある声で言われ、私の震えは僅かに収まった。フミもああ言ってることだし、信じてみよう。
「ふー……っ」
深呼吸、深呼吸。
私は手紙屋の手伝い。
手紙を受け取りに来ただけ。
自分に言い聞かせながら、フミの後ろで気配を押し殺す。
だけど――そんな私に、おばあちゃんは目ざとく反応した。
「その後ろにいる女の子……」
「あぁ、僕の仲間さ。今だけ手紙屋で働いているんだよ」
フミの説明を聞いているのか、聞いていないのか。おばあちゃんはフミをスルーし、一直線に私へ近寄る。
「ひっ……!」
明らかに、血が通っていない青白い顔が、目の前に……‼
ゾワリと鳥肌が立ったけど、紙一重で悲鳴をあげずに済んだ。フミが、私の口を手で押さえてくれたからだ。
「芹香、落ち着いて。大丈夫、この人は何もしないよ」
「~っ」
私は涙目になりながら、コクコクと頷く。
フミは「いい子だ」と。私の口から、ゆっくり手を離した。
その間、私の目の前に立つおばあちゃんは、私を観察し続けていた。シワが寄って重そうな瞼の奥から、丸い瞳がぎょろぎょろと、私を見ている。
早くこの時間が終わりますように――必死にそう願っていると、おばあちゃんが「やっぱり」と零す。
「あなた、藤村さんの家の子ね?」
「え、っと……?」
フミは私を見て、コクリと頷いた。どうやら喋っていいらしい。私は「そうです」と、正直に答える。
この間から、私以外の人が「私よりも私を知っている状況」が続くなぁ、なんて思いながら。
「私は藤村芹香といいます。
失礼ですが、あなたは……?」
「あらあら、やっぱりっ」
名乗った瞬間、おばあちゃんはパッと花が咲いたような笑みを浮かべた。なんだか可愛げのある人で、さっきまでの恐怖がみるみるうちに姿を消す。
「覚えてないかしら? 私、あなたの家の隣に住んでいた梶谷(かじたに)よ」
「かじ、たに……?」
名前を復唱すると、脳裏に映像が映し出された。まるで走馬灯のように、次から次へ映像が流れていく。まるで映画を見ているようだ。
『あらあら芹香ちゃん、こんにちは』
私が写っている映像が見えた。
四歳くらいの小さな私は、誰かと手を握っている。誰と手を握っているのだろう?
その疑問は、次のおばあちゃんの話で判明する。
『今日もママとお出かけ? いいわねぇ』
おばあちゃんと向かいあう私は、時おり横を見上げて笑っている。お母さんを見て、笑っているのだろう。……不思議だな。
今となっては娘が入院しても見舞いに来ないお母さんなのに、昔は仲がよかったんだ。
『お花をね、買いにいくんだよっ』
弾んだ声を出すのは、私だ。「ね」と笑顔で、再びお母さんを見上げている。
映像は、そこでブツンと途切れ、暗転する。
放心状態になっていた私だけど。「息はしてよ」とフミに背中を押されたことで、やっと意識がハッキリする。
「さっきのは、私の過去だ……」
汗が、顔の横を流れる。
ビックリするほど冷たい温度で。
「私とお母さんは昔、仲が良かったんですね……」
「そうよ~。あなたとお母さんは愛嬌ある可愛い親子でねぇ。二人一緒にいる姿を見て、何度癒されたか分からないわ。
お父さんは寡黙な人で、あまり見なかったけど……。外にいる時のあなたは、お母さんにひっつきもっつきだったのよ」
「そうだったんですか……」
もしかして、お父さんと仲が悪かったのかな?
そんなことを思っていると、「でもねぇ」とおばあちゃんが自分の頬に手を添える。
「ある日を境に、パッタリ姿をみせなくなってねぇ。あなたもお母さんも、家にこもるようになってしまったの。
『これからいいことがあるんだよ』って、すごくあなたが幸せそうに話していたのに、それきりで……。結局ろくに会わないままあなた達が引っ越したから、気になっていたのよ」
「……」
「これからいいことがあるんだよ」?
いいことって、なんだろう? 何も思い出せない。自分の誕生日、とか?
「……さて、ご婦人。手紙を預かりましょう」
考え込み始めた私を見て、機転を利かせたフミが本題に入る。おばあちゃんも目的を思い出したようで、握っていた手紙をスッとこちらへ渡す。
「最期まで私を看病してくれたおじいちゃんにね、ありがとうって伝えたかったの。それなのに赤いポストに入れても、すぐ吐き出されてしまって……」
「このポストは『生きている人のためのポスト』ですからね。吐き出されるのも無理はない。
亡くなったあなたの手紙は、ちゃんと僕が預かり、そして届けます」
「えぇ……。頼んだわね」
そう言って、おばあちゃんはだんだん透けていく。そうして完全にいなくなってしまった。
消える直前、私を見てほほ笑んだ気がする。まるで「昔を思い出せたらいいわね」って言ってくれた気がして……。
もう誰もいないけど、さっきまでおばあちゃんがいた場所に向かって、私は頭を下げた。
「さて、拾った記憶は整理できたかな?」
星空のカバンへ大事に手紙をしまったフミから、そう尋ねられる。私は眉間に皺を寄せながら、さっき得た情報を羅列した。
「昔はお母さんと仲が良かったこと。お父さんとは昔から、さほど仲がよくない可能性があること。私が何かを楽しみにしていたこと。ある日パッタリ家族みんなが引きこもるようになり、急に引っ越したこと……が分かったかな」
「う~ん……」
フミが、存在しないあごひげを撫でる。
「なんだか一気にきな臭くなったね」
「胃もたれしたような気分……」
「はは。言い得て妙だ」
救われるのは、こんな状態でもフミが明るく笑ってくれるところ。私のテンションに合わせてフミまで沈んでしまったら、ここは一気にお通夜みたいな空気になるだろう。辛気臭いのは、私だけで充分だ。
そういう意味では、フミにすごく救われている。さっきの「いきなり幽霊遭遇事件」みたいに困るところも、あるっちゃあるけれど。
そんなことを思っていると、フミが私の頭の上にポンと手を置いた。
「君を同行させて良かった。まさか昔の隣人に会えるとはね」
「おかげさまで……重要な記憶を拾えたよ」
改まってお辞儀すると、顔の横を伝っていた汗が、スーッと流れて地面に落ちた。
……記憶を拾うって、いいことばかりじゃない。
たまたま手にしたソレが、自分が長年閉じ込めていたパンドラの箱だったりする。気づかないで記憶の蓋を開け、後戻り出来ない状態になることだってあるかもしれない。
そう思うと、急に記憶拾いが怖くなった。私が知ろうとしていることは、もしかして私にとって良くないものじゃ――
「……っ」
「まぁ、ボチボチね」
真顔になった私の肩に、フミが優しく手を置いた。温かな体温が伝わり、心が自然と落ち着いてくる。数回深呼吸して、なんとか私は心の静けさを取り戻した。
その後、フミに「このまま受取人の所に行ってもいいか」と聞かれたので、五分だけ休ませてもらう。
そうして心も体も回復した後。私たちは、再び移動を開始した。
それが終わって、二人して公園でおにぎりを頬張った。フミもお腹は空くらしく、勢いよくかじりついている。……節約のために、今日からは自炊を頑張ろう。
「さて、ここからは手紙屋の仕事をしていく。
まずは手紙を受け取るところから始めよう。
これを見て」
「これって、コンパス?」
コンパスと言ったらこれ!と思うような、そんな典型的な丸いコンパスが、宙にポワッと現れる。でも形は少し大きい。地球儀くらいある。
水色のそれは透けていて、猛々しい入道雲が、ワッと山から顔を出しているのが、コンパスを通して見える。
ずっと風船みたいに浮いている。持たなくてもいいから楽ちんだけど、周りの人が見たら腰を抜かすかも。
不安に思って、周りをぐるりと見る。だけど誰もが平然と道を行き交っており、コンパスもフミ同様「視えない」のだと分かった。
「このコンパスの針は、勝手にグルリと動く。でも北を指すわけじゃない。
針の先に、赤い矢印がついているのが見えるかい?そこが示す場所に、手紙の差出人が待っている」
「え、分かるのは方向だけ?
位置情報みたいなものは……」
「そんなものはないよ。でも僕は何となく分かるんだ。
『この手紙を届けてほしい』、って。
その人の気持ちが、僕を呼ぶからね」
胸に手をあて、目を瞑るフミ。その姿を見た途端、見知らぬ女の人の顔が、ぼんやりと脳裏に浮かんだ。
今のフミみたいに優しい顔をして、歌を歌っている。それを私は、笑顔で聴いていて――
だけど女の人の顔が、バツンと消えた。頭の中は、電気を切ったように真っ暗になる。
ハッと我に返ると、私を見つめるフミがいた。動かない私を心配したのか、やや眉が下がっている。
「もしかして今、『拾いかけた』?」
「うん……、拾いかけた。でもダメだった。何も 思い出せないや」
「いいよ。記憶が拾えそうな時は自分を優先してね。こっちはこっちで、のんびりやってるからさ」
フミは、クルクル回るコンパスを見つめる。当てもなく回っていた針は、とある方向でピタリと止まった。
「よし、矢印が止まったね。歩けそう?」
コクリと頷くと、フミは笑った。星空のカバンを、ヨイショと肩にかけ直す。
夏の強い日差しにあてられた、カバンの中の星空。それがまるで差出人の思いの強さを表すように、キラリと強く光った。
しばらく歩くと、白髪のおばあちゃんが赤いポストの前に立っていた。
「やぁ、受け取りに来ましたよ」
フミは、手を挙げておばあちゃんに挨拶する。気づいたおばあちゃんが私たちへ向き直り、曲がった背中を更に曲げた。……この人には、フミの姿が見えるんだ。
さっきまでフミは、たくさんの人の視界に映ることなく私の隣を歩いていた。なんでも、フミはこの世界の住人じゃないから、普通の人には見えないんだとか。
それにも拘わらず、おばあちゃんはフミに気がついた。つまりおばあちゃんも、この世界の住人じゃないということ。
そう言えば……フミが届ける手紙は「死者から生者への手紙」だったよね?
つまり差出人である、このおばあちゃんは――
私の推測を肯定するように、長いスカートを履いたおばあちゃんの足は透けていた。
やっぱり、この人は幽霊なんだ……!
そう思うと、急に恐ろしくなった。まさか私が、幽霊と会うことになるなんて。
呪われたりしないだろうか?
夜、枕元に出てこないだろうか?
気軽に「フミに同行する」と言ったけど、もしかしたらとんでもないことに足を突っ込んでしまったのではないだろうか?
焦り、混乱する私に気づいたのか。フミがくすっと笑みを漏らす。恐怖でガタガタ震える私を見て、まさか笑うとは……!
「まずは僕の後ろにいて。大丈夫。幽霊は、こちらに敵意がなければ悪さはしない」
「ほ、本当に?」
「僕はウソはつかない」
落ち着きのある声で言われ、私の震えは僅かに収まった。フミもああ言ってることだし、信じてみよう。
「ふー……っ」
深呼吸、深呼吸。
私は手紙屋の手伝い。
手紙を受け取りに来ただけ。
自分に言い聞かせながら、フミの後ろで気配を押し殺す。
だけど――そんな私に、おばあちゃんは目ざとく反応した。
「その後ろにいる女の子……」
「あぁ、僕の仲間さ。今だけ手紙屋で働いているんだよ」
フミの説明を聞いているのか、聞いていないのか。おばあちゃんはフミをスルーし、一直線に私へ近寄る。
「ひっ……!」
明らかに、血が通っていない青白い顔が、目の前に……‼
ゾワリと鳥肌が立ったけど、紙一重で悲鳴をあげずに済んだ。フミが、私の口を手で押さえてくれたからだ。
「芹香、落ち着いて。大丈夫、この人は何もしないよ」
「~っ」
私は涙目になりながら、コクコクと頷く。
フミは「いい子だ」と。私の口から、ゆっくり手を離した。
その間、私の目の前に立つおばあちゃんは、私を観察し続けていた。シワが寄って重そうな瞼の奥から、丸い瞳がぎょろぎょろと、私を見ている。
早くこの時間が終わりますように――必死にそう願っていると、おばあちゃんが「やっぱり」と零す。
「あなた、藤村さんの家の子ね?」
「え、っと……?」
フミは私を見て、コクリと頷いた。どうやら喋っていいらしい。私は「そうです」と、正直に答える。
この間から、私以外の人が「私よりも私を知っている状況」が続くなぁ、なんて思いながら。
「私は藤村芹香といいます。
失礼ですが、あなたは……?」
「あらあら、やっぱりっ」
名乗った瞬間、おばあちゃんはパッと花が咲いたような笑みを浮かべた。なんだか可愛げのある人で、さっきまでの恐怖がみるみるうちに姿を消す。
「覚えてないかしら? 私、あなたの家の隣に住んでいた梶谷(かじたに)よ」
「かじ、たに……?」
名前を復唱すると、脳裏に映像が映し出された。まるで走馬灯のように、次から次へ映像が流れていく。まるで映画を見ているようだ。
『あらあら芹香ちゃん、こんにちは』
私が写っている映像が見えた。
四歳くらいの小さな私は、誰かと手を握っている。誰と手を握っているのだろう?
その疑問は、次のおばあちゃんの話で判明する。
『今日もママとお出かけ? いいわねぇ』
おばあちゃんと向かいあう私は、時おり横を見上げて笑っている。お母さんを見て、笑っているのだろう。……不思議だな。
今となっては娘が入院しても見舞いに来ないお母さんなのに、昔は仲がよかったんだ。
『お花をね、買いにいくんだよっ』
弾んだ声を出すのは、私だ。「ね」と笑顔で、再びお母さんを見上げている。
映像は、そこでブツンと途切れ、暗転する。
放心状態になっていた私だけど。「息はしてよ」とフミに背中を押されたことで、やっと意識がハッキリする。
「さっきのは、私の過去だ……」
汗が、顔の横を流れる。
ビックリするほど冷たい温度で。
「私とお母さんは昔、仲が良かったんですね……」
「そうよ~。あなたとお母さんは愛嬌ある可愛い親子でねぇ。二人一緒にいる姿を見て、何度癒されたか分からないわ。
お父さんは寡黙な人で、あまり見なかったけど……。外にいる時のあなたは、お母さんにひっつきもっつきだったのよ」
「そうだったんですか……」
もしかして、お父さんと仲が悪かったのかな?
そんなことを思っていると、「でもねぇ」とおばあちゃんが自分の頬に手を添える。
「ある日を境に、パッタリ姿をみせなくなってねぇ。あなたもお母さんも、家にこもるようになってしまったの。
『これからいいことがあるんだよ』って、すごくあなたが幸せそうに話していたのに、それきりで……。結局ろくに会わないままあなた達が引っ越したから、気になっていたのよ」
「……」
「これからいいことがあるんだよ」?
いいことって、なんだろう? 何も思い出せない。自分の誕生日、とか?
「……さて、ご婦人。手紙を預かりましょう」
考え込み始めた私を見て、機転を利かせたフミが本題に入る。おばあちゃんも目的を思い出したようで、握っていた手紙をスッとこちらへ渡す。
「最期まで私を看病してくれたおじいちゃんにね、ありがとうって伝えたかったの。それなのに赤いポストに入れても、すぐ吐き出されてしまって……」
「このポストは『生きている人のためのポスト』ですからね。吐き出されるのも無理はない。
亡くなったあなたの手紙は、ちゃんと僕が預かり、そして届けます」
「えぇ……。頼んだわね」
そう言って、おばあちゃんはだんだん透けていく。そうして完全にいなくなってしまった。
消える直前、私を見てほほ笑んだ気がする。まるで「昔を思い出せたらいいわね」って言ってくれた気がして……。
もう誰もいないけど、さっきまでおばあちゃんがいた場所に向かって、私は頭を下げた。
「さて、拾った記憶は整理できたかな?」
星空のカバンへ大事に手紙をしまったフミから、そう尋ねられる。私は眉間に皺を寄せながら、さっき得た情報を羅列した。
「昔はお母さんと仲が良かったこと。お父さんとは昔から、さほど仲がよくない可能性があること。私が何かを楽しみにしていたこと。ある日パッタリ家族みんなが引きこもるようになり、急に引っ越したこと……が分かったかな」
「う~ん……」
フミが、存在しないあごひげを撫でる。
「なんだか一気にきな臭くなったね」
「胃もたれしたような気分……」
「はは。言い得て妙だ」
救われるのは、こんな状態でもフミが明るく笑ってくれるところ。私のテンションに合わせてフミまで沈んでしまったら、ここは一気にお通夜みたいな空気になるだろう。辛気臭いのは、私だけで充分だ。
そういう意味では、フミにすごく救われている。さっきの「いきなり幽霊遭遇事件」みたいに困るところも、あるっちゃあるけれど。
そんなことを思っていると、フミが私の頭の上にポンと手を置いた。
「君を同行させて良かった。まさか昔の隣人に会えるとはね」
「おかげさまで……重要な記憶を拾えたよ」
改まってお辞儀すると、顔の横を伝っていた汗が、スーッと流れて地面に落ちた。
……記憶を拾うって、いいことばかりじゃない。
たまたま手にしたソレが、自分が長年閉じ込めていたパンドラの箱だったりする。気づかないで記憶の蓋を開け、後戻り出来ない状態になることだってあるかもしれない。
そう思うと、急に記憶拾いが怖くなった。私が知ろうとしていることは、もしかして私にとって良くないものじゃ――
「……っ」
「まぁ、ボチボチね」
真顔になった私の肩に、フミが優しく手を置いた。温かな体温が伝わり、心が自然と落ち着いてくる。数回深呼吸して、なんとか私は心の静けさを取り戻した。
その後、フミに「このまま受取人の所に行ってもいいか」と聞かれたので、五分だけ休ませてもらう。
そうして心も体も回復した後。私たちは、再び移動を開始した。



