【元気な女の子が生まれますように。楽しみにしている芹香のためにも、出産が無事に終わりますように】
「え……」
ガンッと頭に隕石がぶつかった……いや、それ以上の衝撃を受ける。
もう一度、絵馬に目を落とす。するとさっきは見つけられなかった、小さな字を発見した。
【芹香をお姉ちゃんにしてあげられますように】
「私が、お姉ちゃん……?」
私には妹がいて、私はお姉ちゃんで……。
だけど実際は、私に妹はいないし、私はお姉ちゃんでもない。私は、一人っ子だ。
「芹香、あの人は……」
思い詰めた顔をする私。その肩を、フミが遠慮がちに叩く。
顔を上げると、法衣と袈裟を身につけたお坊さんが、驚いた顔で私を見ていた。
「君は……もしかして藤村芹香ちゃん?」
「はい、そうですが……」
「やっぱり」
お坊さんは、見た目四十代くらいのたれ目が印象的な、優しそうな人だった。低い声が、静かなお寺に穏やかに響く。
「最近お母さんがまたここに来たから、君に何かあったのかと思ったけど……。うん、元気そうでよかった」
「あ、ありがとうございます。えっと……私のことも母のことも、ご存じなんですか?」
私たち家族になぜ詳しいのか。遠慮がちに聞くと、お坊さんは「覚えているとも」と、過去を思い出すように目を伏せる。
「十年以上前、君のお母さんは毎日といっていいほどここに参拝してね。絵馬に願いをこめた。あの時の君は小さかったから覚えていないだろうが……お母さんは必死だったんだよ」
「必死……?」
お坊さんも、一つの絵馬に触れる。手に乗せたそれには、またお母さんの字が書いてあった。
【無事に生まれますように。家族四人がそろいますように】
母の切実な願いが、絵馬から伝わってくる。それはもう苦しくなってくるほどに。
だけど、どうしてここまで願うのか――それは、私が一人っ子であることが全てだ。
妹は、この世に生まれることができなかったんだ。
「お母さんは願った。それでも報われなかった。そして私が念仏を唱えさせてもらった。あの時ご家族はみんな悲しまれていて……。特に落ち込んでいた君が、私は気になっていたんだよ。でも今日、立派に成長した姿を見られて良かった」
「――っ」
頭の中に散らばった点が、一本の線になって、繋がった。その瞬間、心臓が押しつぶされたようにギュッと苦しくなる。
お坊さんが「ごゆっくり」と踵を返した後。体を支えていられなくて、その場にペタンと膝をつく。
「大丈夫?芹香」
「私……妹がいたんだって。姉妹になるはずだったって……」
一気に謎が解けていく。どうしてみやちゃんの部屋で体調を崩してしまったのか――
思えば記憶喪失の後、大学でみやちゃんと再会した時から前兆はあった。
過去の私が、みやちゃんと香奈子ちゃんが仲良く買い物をする姿を見た時、顔を歪めた。
ココの写真を送ってもらった時もそう。香奈子ちゃんの姿を見て動揺した。そうしてみやちゃんの部屋で、香奈子ちゃん本人に会って、「妹」という存在を目の当たりにして体調を崩した。
それら全ての原因は、生まれるはずだった妹を思うと苦しくなったからだ。
母が絵馬に書いた願いは、ついぞ叶わなかった。さっきのお坊さんが、妹の葬式を執り行ってくれた。
「私の家族はね……元は、仲が良かったの」
草を抜くと、土がポロポロとはがれ落ちる。それと同じで「妹」という核を思い出すと、それに付随した記憶が、次から次に降ってきた。
「お腹が大きい時のお母さんを覚えている。妹がお腹を蹴る感触も、この手に残っているの」
楽しみにしていた。それでも妹は、外で生きられない体だった。
病院でお腹の赤ちゃんを診てもらう度、母はお寺へ行った。産まれる前から、医者から妹の運命を告げられていたのだ。そうして絵馬は増えていった。悲しいほど。
「会えなかった妹に会いたくて、だけどやっぱり会えなくて……。だから私はふさぎ込んだの。妹ができるっていう幸せな事から、家族が死ぬっていう最悪な事が起きたから」
「お母さんは、芹香に前もって言わなかったのかな」
「……言えなかったのかも。あまりに私が喜んだから」
当時の私は本当に浮かれていて、色んな人に「いいことがあるんだよ」と触れ回った。その時に梶谷のおばあちゃんが聞いたのだろう。
彼女が言う「私にとってのいいこと」とは、妹ができること、家族が増えることだったんだ。
呆然としていると、「よく思い出したね、芹香」とフミが立ち上がる。よく見ると、フミの首からネックレスがなくなっている。つまり今は、手紙屋の姿だ。
「芹香には、どうしてもこの手紙を読んで欲しかった。それが叶って嬉しいよ」
ネックレスから姿を変えた星空バッグへと、フミは手を伸ばす。そうして私宛の手紙を取り出した。見ると、金色の外郭はなく、天の川も流れていない。
「え、え?」
目を瞬かせていると、フミが笑った。私を労うような、柔らかい笑みだった。
「芹香は妹さんを思い出し、記憶が戻った。もう手紙は読める。開けるといい」
「――……うん」
山門を出て、階段に移動する。両脇に並ぶ大木が、階段に木陰を作ってくれるから涼しい。白い封筒の上に、葉っぱの影が落ちる。まるで模様みたい。
震える手で便箋を広げる。
差出人は、藤村桃香(とうか)。知らない藤村の名前だ。
「もしかして、この子は……」
フミがコクンと頷く。私の予想は合っているのだろう。さっそく一文目を読むと「私のお姉ちゃんへ」と書かれてあった。
やっぱり、そうか。
藤村桃香は――私の妹だ。
【お姉ちゃんと一緒に遊びたかった。ママとパパに、なでてもらいたかった。まぶしいお外にでたかった。家族に、なりたかったなぁ。
ママの泣き声がたくさん聞こえたの。すごく泣かせちゃった。お姉ちゃんやパパにも、悲しい思いをさせたよね。
だからコレ使って。みんなの笑った顔が、わたしの幸せだから!】
妹からの手紙は短くて、メッセージカードほどの量だ――そう思っていたら、実際に封筒からカードが出てきた。拙い字で「なんでも願いをかなえる券」と書かれてある。
「『なんでも願いをかなえる』なんて。
自分が一番、生きたいと願っていただろうに……っ」
妹の健気さを目の当りにし、あっという間に泣いてしまう。まだ見ぬ妹だったけど、家族思いの優しい子だったんだ。
嗚咽を漏らす私の背中を撫でながら、フミが手紙を受け取った時のことを話してくれる。
「君宛ての手紙を受け取りに行った時、妹――桃香ちゃんはすごく心配そうな顔をしていた。お父さん、お母さん、そして記憶喪失の芹香。バラバラになった君たちだけど、桃香ちゃんにとっては四人揃って一つの家族なんだよ」
「家族を元に戻したかった。だから桃香は、手紙を書いたんだね」
自分のせいで家族が悲しむ姿を、もう見たくなかったから。
例え自分がいなくとも、家族には笑っていてほしいから。
「どうして桃香にしろチヒロにしろ、見てるこっちが胸を痛めるほど頑張るのかな……っ」
死んで悲しい思いをしているのは桃香の方なのに。どうして自分のことよりも、私たちのことを思ってくれるんだろう。笑い合う家族の中に自分もいたかったと、そう願ってやまないはずなのに――
声を押し殺して泣いていると、フミは「そうだよね」と。私の隣に腰を下ろす。
「逆を言えば、『自分を一番に考えること』って難しいのかもしれない。困っている人を見たら手を差し伸べたくなるように、その困っている人が自分の家族であれば、自分を顧みず寄り添いたくなるのは当然なのかもね」
「……そっか、うん」
石階段に、私の涙がシミを作る。といっても、この炎天下だ。例え木陰にいようとも、涙の痕は少しすれば何事もなかったように乾き、元通りになる。
「きっと貸し借りのない関係が、家族なんだろうな。深く傷つけたって、深く傷つけられたって、それでも一定の期間を過ぎれば元の鞘に戻っていく。それが家族であり、家族の特権なんだろうね」
どこか他人事のように話したフミは、階段より下に広がる街を見た。何かを探すように動いた視線は、「特権?」と聞き返した私の声により、ツイと私に戻ってくる。
「家族には甘えていいってことだよ。無条件に甘えられるのが、家族だ。他人に意味もなく甘えることはできないけど、家族ならできる。ね、特権でしょ?」
「確かに、そうかも」
小さい頃の私は、ちょっと機嫌が悪い時、悲しい時――母に八つ当たりしたことが何度もあった。だけど母は怒らなかった。そりゃ度を越えた八つ当たりには、しっかりお叱りを受けたけど。
だけど大体のことは受け止めてくれた。そうして少し経てば笑ってくれ、許してくれた。
それが家族の特権。
それが家族。
「そのへんのことは俺は分からないけどさ」といつもより小声で、フミが前置きする。
「家族の絆にヒビが入っても、また元の形に戻ることが出来る。それを芹香たち家族を見て、知る事ができた。家族のかたい絆もね」
「かたい絆?」
フミは「もう芹香も分かってるでしょ?」と、階段の下を指さした。そこにはチヒロとみやちゃん、その二人に引っ張られるお母さんの姿。
え……どうしてこの場所へ?
困惑した顔をした私を見て、フミはニッと口角を上げた。紫の目をキラリと光らせて。
「僕がチヒロに念を送った。連れてきてほしいって」
そんなことが出来るなんて初耳だ。だけど……私は立ち上がっていた。母の元へ行くために。
「どうしてお母さんが見舞いに来なかったか。
どうして昔、君に絵馬に近づかないよう言ったのか。
それは家族だからだよ。お母さんが君を大切に思っている証拠だ。
だから怖がることはない。話しておいで」
家族の絆を、結び直すために。
「――うん」
フミの声を背に受けて、私は一歩を踏み出した。桃香からの手紙を、しっかり握りしめたまま。



