思いを運ぶ、手紙屋さん―もう会えない人との絆―

 ただ……母に会いに行こうと思っても、すぐに行けるわけじゃない。
 みやちゃんに「そう言えば課題の提出もうすぐだよ」と教えてもらい、私のヤル気はピンチに変わる。
 そういえば以前、大学に行った日。大学の先生に自分が受けている講義や、出されている課題を聞こうとして……結局、雨に濡れながらフミと帰ってしまった。

 記憶を拾うのは大事だ。
 だけど課題も、学生の私にとっては同じくらい大事なのだ。

「さぁさぁ、どうぞ上がって~」
「お、お邪魔します」

 ということで、何が何やらサッパリの私は、課題を教えてもらうためにみやちゃんのアパートにきた。
 彼女の部屋は私が住んでいるアパートと広さが変わらず、だけど私よりも百倍は賑やかな内装だった。壁にはライブTシャツや写真が飾られている。彼女の趣味嗜好を覗き見している気分になり、どこに目をやればいいか分からない。……私の後ろにいる二人は違うけど。

 フミとチヒロは「へぇ」と、遠慮の「え」の字もない。みやちゃんに失礼じゃないかな?とハラハラしていると、彼女の明るい声が私の不安を吹き飛ばした。

「あの時の手紙屋さんにまた会えるなんてね、しかも弟くん付きで!」
「「え」」

 兄弟に思われたフミとチヒロは、目を丸くした。困った顔をしたフミとは反対に、チヒロが「嬉しそうに」口角を緩ませたのは、きっと見間違いではない。

 みやちゃんには「手紙屋」の正体を明かしている。おまけに周りに言いふらす人ではない。だから「一緒に同行しても大丈夫だろう」というフミの判断で、今日はみやちゃんの部屋に皆でお邪魔している。
 いつもの星空バッグはネックレスへと姿を変え、二人の首に同じように垂れ下がっている(これが兄弟と間違われた所以だろうか?)。

「ワン!」

 考え事する私の横を、ココが走った。
 実は今日、ココもみやちゃんの家に来ている。
 フミに「ココも行っていい?」と尋ねると、あっさり許可が下りた。許可が下りたというよりも「みやちゃんの部屋に入れるかもしれないし、入れないかもしれない」という、なんとも曖昧な返事だった。
 どうやら差出人と受取人が対面する事例は今までなかったらしく、フミにもお手上げ状態。結果、一か八かでココを連れてきたら部屋に入れた、というわけだ。

 いつもはチヒロにベッタリなココも、今日ばかりはみやちゃんの後を追ったり膝に座ったりと、落ち着きなく駆け回っている。

 だけどココはネックレスをしていないから、みやちゃんから視えていない。現に、いくらココが吠えても、みやちゃんは気づかなかった。

 それはそれで悲しい思いをさせるかもしれない――そう思っていると、ココがある物を見て止まった。それは壁に貼られたたくさんの写真。そのほとんどに、ココが写っていた。

「ココちゃんの写真、たくさんあるね」
「写真を撮っては、すぐにプリントアウトしていたからね。お母さんに『賃貸アパートで壁を傷つけないでほしかったのに』って言われちゃって……。お金がかかるなんて知らなかったから、申し訳ないことしちゃった」
「でも、ココちゃんは喜んでいるよ、きっと。……いや、絶対」

 ココを見ると、写真を見て尻尾をパタパタ振っている。この姿をみやちゃんにも見せてあげたいな。鳴き声だけでも届けばいいのに。

 みやちゃんは「ありがとう」と笑った後、パチンと手を叩く。

「じゃあ、さっそく始めちゃおっか。といってもレポートだからすぐ終わるよ」

 アパートから持って来たテキストを広げ、課題の範囲を教えてもらう。そうしてしばらくの間、二人して手を動かした。

 リビングでみやちゃんと二人、書きものをしている光景――どこかで見覚えがある。どこか、というか、過去?
 すると頭の中に、二人の幼子の声が蘇った。

『ねぇ芹香ちゃん。幼稚園のお友達にお手紙書こうよ!』
『わぁ、いいねっ。みやちゃんナイスアイデア!』

 頭に浮かんだ映像は、幼い頃の私たちだ。場所は、恐らくみやちゃんの実家だろう。この部屋と同じく壁にはたくさんのココの写真が貼られており、彼女の足にはやっぱりココがいる。昔からみやちゃんにベッタリだったんだなぁ。

 幼稚園の頃、私とみやちゃんはこんな感じだったんだ――
 懐かしい気持ちに浸っていた、その時だった。

『あー、お姉ちゃんいいなぁ!
 あたしもお絵かきする!』

 幼い女の子。みやちゃんと同じ黒い髪。だけど髪の長さは正反対。みやちゃんは肩を超えるほど長くて、この子はショートカットだ。
 その子がみやちゃんを「お姉ちゃん」って呼んだ。ということは、妹さん?

「……、っ?」

 その時、景色がグワンとナナメに歪み、急に具合が悪くなる。高速のメリーゴーランドに乗っている心地だ。

「芹香、どうしたの?」
「……なんでも、ない」

 急に手を止めた私を見て、みやちゃんは「あ、ここ分かりにくいよね」と。テキストを見ながら説明してくれる。

「――で、こういう証明に繋がるらしいの。どう?」
「すごい、よく分かったよ。みやちゃんって教え上手だね」
「実家にいた時、妹にしょっちゅう勉強を教えていたからね」

 その言葉を聞いて、なぜか再び視界が揺れた。頭の中に雷が落ちたように、視界がチカチカと激しく瞬く。
 異変を察したのか、フミが「芹香」と私に近寄る。それと玄関ドアが空いたのは、ほぼ同時だった。

「やっほー! お姉ちゃん、遊びにきたよ~っ」
「え、香奈子(かなこ)⁉」

 急にどうしたの、というみやちゃんは、妹――香奈子ちゃんと軽く会話をした後、私に手を合わせる。

「ごめん芹香、良ければ妹も一緒にいていいかな? どうやら今日は泊まるらしくて」
「こんにちはー! 妹の香奈子です……えぇ、イケメンがいる! それに美少年も!」

 フミとチヒロを見て、それぞれに感想を伝える香奈子ちゃん……は可愛いのだけど、私が限界だ。目を開けていると視界がグルグル回って、今にも吐きそう。
 どうにもならないから目を瞑っていると、耳元で「大丈夫?」とフミの声が聞こえた。みやちゃんの「水とテイッシュ持って来たよ」と心配してくれる声も聞こえる。

 だけど無理だった。私の体が私じゃないみたいに、全身が拒否をした。この空間ごと、全部――

「帰りたい。ここは、無理……っ」

 意識が朦朧とする中で、何とか絞り出した言葉。だけどそれは彼女を傷つける言葉だったと、一拍おいて気がついた。
 みやちゃんを見ると、「え」と眉を下げて固まっている。あぁ、違う。そんなつもりじゃなかったのに……。

「体調が悪いみたいだから、今日は帰るね。ごめんね、みやちゃん」

 ふわりと私を持ち上げるフミ。みやちゃんは「芹香は……」と、今までに聞いたことない小さな声で尋ねた。

「たぶん記憶がこんがらがっているんだと思う。少し休めば元気になるよ、ありがとうね。ほら、チヒロも帰るよ」

 靴を履きながらフミが言う。だけどチヒロは、部屋の奥でココと一緒に座ったままだった。

「俺……もう少し後で帰ってもいいか?」
「え、でも……」

 フミがみやちゃんを見ると、彼女は快諾してくれた。だけどチヒロの表情が硬い。……私がこんな状態だから、見間違いかもしれないけど。

 その後、私とフミは外に出た。まだ昼を過ぎた頃。ムアッとした、熱を含んだ空気が顔を直撃する。
 だけど不思議と、深く呼吸ができた。みやちゃんの部屋にいるよりも、楽に呼吸ができる。
 だからといって、あんなことを言って帰るなんて……許されるわけがない。

「どうしてみやちゃんを傷つける言葉を言っちゃったんだろう……っ」

 せっかく友達と会える日だったのに、とんでもない形で終わらせてしまった。最悪だ。「帰りたい」「ここは嫌」なんて言われたら、もうみやちゃんは私に笑ってくれないかもしれない。
 絶望していると、私を支えるフミの手に力が籠る。

「大丈夫だよ。彼女は、芹香のことをよく分かってくれている。だから心配しないでいい」
「……うん」

 目を瞑ったままフミの声を聞く。
 一筋の涙が、私の頬をゆっくり流れた。




 ――それじゃあみやちゃん、また来週

 フミがそう言ったのは、本当に来週、彼女と会う予定があるからだ。
 私が実家に行く日。
 みやちゃんに、私の実家を案内してもらう日だ。

 そしてその日は、あっという間にやってきた。
 今日は日曜日。ついに実家に行く日だ。

 実家までは、電車を使って行くらしい。私、フミ、チヒロ、ココのメンバーで、みやちゃんから言われた駅で待つ。
 母に会う――そんな私の緊張が皆にも伝わっているのか、せっかくのお出かけなのに、誰一人として口を開かない。そんな中、髪をスッキリまとめたみやちゃんがやってきた。

「ごめんね、遅れちゃった!」
「ううん。大丈夫だよ。それよりみやちゃん、あの……」

 あの日の夜にメールで謝ったけど、直接謝らないと私の気が済まない。すっかり体調が戻った私は、みやちゃんを前に「ごめん」と頭を下げる。
 だけどタイミング悪く、ホームに音楽が鳴り響く。これから電車が来るらしい。黄色の線から少し顔を覗かせると、ライトを灯した電車が右から近づく。

 あぁ、この大事な時に……。
 そんな私の気持ちが分かったのか、みやちゃんがクスクス笑う。

「まずは座ろうよ。この時間だからスカスカだと思う。みんなで一緒に座れるよ」

 彼女の言う通り、電車の中は疎らに人がいるだけで、みんなで向かい合って座れた。
 気を取り直して、私はもう一度みやちゃんに謝る。

「あの日はごめんね。私、みやちゃんを傷つけた……。本当にごめ――む?」

 急に喋れなくなる。見ると彼女の柔らかい手が、私の口を塞いでいた。

「芹香は謝りすぎ。今の芹香は記憶がなくて大変な時って分かってるから大丈夫!」
「でも私、ひどいこと言っちゃったし……」
「記憶が戻る時って混乱するんでしょ? だから体調にも影響が出る――あの後、チヒロくんから色々教えてもらったんだ」

 そういえばあの日、チヒロは遅れて帰ってきた。私が持ち帰り忘れたレポート用紙とテキストを持って。
 それをベッドで横たわる私に渡しながら、言ったのだ。

『そう心配すんな。大丈夫だから』

 あの時は、気休めでそう言ってくれたのかなって思ったけど……。チヒロ、みやちゃんにフォローしてくれていたんだ。

「ありがとうね、チヒロ」
「……ん」

 だけど当の本人と言えば、あの日を境に元気がない。ちゃんと手紙屋の仕事は全うしているけど、帰ってきても、どこか静かだ。
 ココも心配しているのか、今もチヒロの足に飛びついている。まるで「元気を出して」と言っているみたいだ。……いや、「そんなことより遊ぼう」かもしれないけど。

 フミもそんなチヒロを心配しているみたい。だけど「何があったの?」とは聞かない。
 どうして心配してあげないのかと、フミに聞いたことがある。すると「チヒロから話してくれるのを待っているんだ」とのこと。根掘り葉掘り聞かれたくない事情を持っているのが手紙屋という職業だから――って。そういうもの、なのかな?

 窓の外は、家ばかりの景色から、自然の多い景色へ変わった。みやちゃん曰く、私たちの故郷は「自然も街も共存する住みやすい所」らしい。
 まだ故郷については思い出せないけど、何か大きな物が建っていた気がする。あとは階段もあって――

「芹香、大丈夫? 体調悪い?」
「え、ううん。大丈夫だよ」

 記憶を整理していたら、みやちゃんの顔が目の前に現れた。彼女は優しい。そして心配性だ。時には、フミ以上に。

「みやちゃんって、本当に優しいよね」
「え~そうかなぁ?」
「そうだよ。だって、その優しさにいつも助けてもらってるもん。ありがうね」

 彼女は「照れるよぉ」と素直な反応を見せる。だけど、少しして視線を下げた。その先には、偶然にもココがいる。といってもみやちゃんの目には、亡くなったココは映らないけど。

「私ね、『優しい人であろう』って、そう思っているんだ。というのもね、とびきり優しくしてもらったことがあるから。私じゃなくてココに、なんだけどね」
「ココちゃんに?」
「ココと出会ったのはね、すごい雨が降る日だった。捨てられていた所を、たまたま通りかかった私が見つけたの」

 みやちゃんが、手の持つスマホをギュッと握る。スマホの写真フォルダに、ココが残っているからだろう。彼女にとって今のココは、スマホの中にいる存在だ。

「すごい雨だった……だけどココは濡れていなかった。子犬だったココは、小さな段ボールに入れられていて……だけどそれが幸いしたのか、屋根を作るように下敷きが載せてあった。
 中にはハンカチが入っていて、布団のように敷かれていた。誰かがココを助けてくれた。とびきりの優しさだなって思ったよ。
 それからかな。私もその子みたいに優しくなりたいなって思い始めたのは」
「そっか、優しい子がいてくれてよかった。もちろんみやちゃんも、もう充分に優しいけどね」

 みやちゃんは照れたように「へへ」と笑った後。穏やかな顔で、スマホをひと撫でする。

「ココを助けてくれた子は、ココがどうなったか気にしてるはず――だからしばらくの間、ココが捨てられていた場所に立っていたんだけど……。声を掛ける人たち皆に『違う』って言われて、とうとう会えなかった」
「どうやって声を掛けたの? あ、下敷きとハンカチを見せて、持ち主を探したとか?」
「ううん、持ち物に名前があったの。天瀬ちひろって。だから名前を聞いて回ったんだ」

 ちひろ?
 その名前を持つ子を、一人だけ知っている。
 私の向かいの席で泣きそうになっている、手紙屋の男の子だ。