思いを運ぶ、手紙屋さん―もう会えない人との絆―

 
「このリンゴも甘くて美味しいね、芹香」
「……」

 シャクシャクとリンゴを頬張るフミを見る。その間、私の頭の中は、すごい速さで考え事をしていた。

 もし私宛の手紙、その差出人が父なら、フミは私の父と会っていることになる。

 さっき私が「父の話」をしている時、フミはどんなことを言っていた? どんな表情をしていた? 少しでも、父を知っているような言動をとっていなかった?

 フミからヒントをもらうのはタブーだ、分かっている。だから読み取る。フミから、フミの雰囲気から。手紙にまつわる情報をもらうために。

 フミの星空バッグに眠る手紙が「父からの物であってほしい」と、いつの間にかそう願っていた。
 母と私を顧みず、自分の好きなように人生を送ったこと。それを謝ってくれるんじゃないかって、そんな期待を抱いたのだ。
 そして一度持った期待は、そう簡単には手放せない。

「……ねぇ、フミ」

 ちょうどリンゴを飲み込んだフミは「ん?」と。だいぶ体調が良くなったような明るい声で答える。
 そんなフミの声の調子、目の動き、呼吸の速さから、更なるヒントを掠め取ろうとして……やめた。誠実なフミを裏切っているようで嫌になったからだ。これ以上は秘密裏に行動したくないので、正直に、胸の内をフミに明かす。

「フミは、私の父と会ったことある?」
「え?」
「星空バッグにある私宛の手紙。
 その差出人は、私の父じゃないの?」

 受取人は封筒を開けるまで、差出人のことは分からない――
 そのルールを忘れたわけじゃない。だけど、前よりフミと仲良くなった今ならもしかして、という別の期待が湧いてしまう。
 だけどその期待は、フミがスッと目を細めたことにより落胆へと変わった。

「僕が何を言っても、芹香が望む答えは得られないよ」

 フミは、淡々とそう言った。
「ごめんね」と私に謝りながらも、芯のある瞳。絶対に手の内は明かさないという、彼の手紙屋としての信念をまざまざと見せつけられる。
 だけど私も、引くに引けない事情があるのだ。

「フミに無理を言ってるのは分かってる。
 でもね……」

 差出人を知らせてくれれば、それだけで私の記憶は幾分か戻ってくるのだ。今の私にとって、喉から手が出るほど欲しい物たち。
 だけど手に入らない。フミが口を固く閉ざす限り、私は指をくわえて星空バッグを見るしかない。

 みやちゃんが手紙を開けた時と、同じ気持ちが蘇る。歯がゆくて歯がゆくて、どうしようもなく悔しい。

「さっきフミは『意味のない過程は絶対にない』と言ったけど……。こうして焦らされながら待つ時間って、どうしようもなく無意味に思えて、苦痛だよ」
「芹香……」

 ポツリと弱音を吐いた私に、フミはまた謝った。

 差出人は教えられない――これらのルールはきっと神様が決めたものだろう。フミのせいじゃない。だからフミに八つ当たりしても仕方ないし、彼を傷つけるだけだ。
 だけど行き場のない虚しい気持ちが、自分の中で膨らんで息苦しい。だからこそ……ちょっと一人になりたい。フミを傷つけないよう、頭を冷やさなくちゃ。

「……外の空気を吸ってくる。フミは食べててね」
「さっきも外に出たのに? この暑さだし倒れちゃうよ」
「すぐ戻ってくるから」

 フミの制止を振りほどき、半ば強引に外へ行こうとした。
 だけど同時に、ガチャリとドアが開く。

 驚いて見れば、開いたドアの先に立っていたのは、チヒロとココだった。しかもチヒロはゼエゼエと、肩で息をしている。走ってきたのだろうか? でも、何のために?

「あんた、藤村芹香、だな?」
「そ、そうだけど……」

 そういえば、まだ名乗ってなかったっけ。
 私の名前、フミから聞いたのかな?
 でも、どうしてこのタイミングで――?

 不思議に思いながらチヒロを見……ようとして、彼が持つ「ある物」に視線が引き寄せられた。
 彼が握っているのは、一通の手紙。

「藤村芹香、あんた宛てに手紙だ。
 手紙に『天の川』は流れていない。すぐ開けられるぞ」
「!」

 チヒロから、ズイと手紙を渡される。試しに握ってみると……ちゃんと掴めた。
 フミのカバンに入っている手紙は、そもそも透明で実体が掴めなかった。外郭は金で縁どられていて、封筒には開封口を隠すかのように天の川が流れていた。
 だけど、この手紙は違う。

 梶谷のおじちゃん、みやちゃん、そして両片思いの男性が受け取った手紙と同じだ。
 白い封筒、触れる手紙――封筒を見ると、他の手紙同様に糊付けされておらず、今すぐにでも読める状態だ。
 私宛の手紙、本当に読めるんだ。

 だけど、まだ私は完全に記憶を取り戻していないのに――?

 そうは思ったけど、読めるのであれば、今すぐ読みたい。フミが私を止めない所を見れば、きっと読んでもいいものなんだろうし。

 手紙を開ける手が震える。動悸がして、頭がグワングワンと回っている。
 それほど緊張する理由は、やはり差出人だ。気になって仕方がない。
 一体、誰からなんだろう?

「え、なんで……」

 便箋の一番下に、名前が書いてある。
 藤村 辰巳(ふじむら たつみ)。
 これは、私の父の名前だ。

 でも……父からの手紙は、フミの星空バッグに入っているんじゃないの?
 それが違うというなら。
 フミのカバンに入っている私宛の手紙は、一体誰が――

「色々考えることはあると思うけど。
 まずは手紙を読んでみようよ、芹香」
「う、うん……」

 いつまで経っても視線が動かない私を見て、フミが背中をポンと押す。我に返った私は一呼吸おいて、便箋の先頭に視線を移した。

 父からの手紙――一番に目に付いたのは、大人の男性とは思えないほど崩れた、だけどどこか懐かしさを覚える字だった。
 読みにくい、だけどなぜか読める。それは私と父が、ちゃんと家族である証明であるような気がした。幼い頃から見ていた父の字は、確かに、こういう字だった。
 肝心の内容は、想像していた通り、謝罪が多かった。

 私の相手をしなかったことに加え、積極的に子育てしなかったこと、母を支えきれなかったことへの後悔も綴られていた。

「そんな言葉は、生きている時に、対面で聞きたかったな」

 苦笑を浮かべていると、文字を読む目が動きを止める。
 とある一文に、強烈に惹かれたのだ。

『お母さんを頼んだぞ。あいつは十五年前から、失ってばかりだから』

「失ってばかりって……」

 自分が家を出たことを「失った」というのは、いささか格好つけすぎじゃないだろうか。こんなことを母に話した時には、怒髪天を衝く勢いで怒るに違いない。
 失って「ばかり」という言い方も、少々大げさに聞こえる。父が家を出た瞬間、家賃が問題で住んでいた家を引っ越しせざるを得なかった――ということであれば、夫も家もなくなり正真正銘、失って「ばかり」になるが。

「伝え方がいびつというか、本当にコミュニケーションが下手だなぁ。これじゃ色んな人から、知らず知らずのうちにあらぬ誤解を受けそうだよ」

 だけど父は手紙をくれた。娘である私に。

 例え手紙で謝られても、父のことは許せない。
 そう思っていた。
 だけど実際、父からの手紙を前にすると……
「郵便屋」からではなく「手紙屋」から受け取った事実が、悲しさとやるせない思いを連れてくる。

「お父さん、本当に死んじゃったんだ……」

 余命宣告を受けていたなら、もう父はこの世にいないかもしれない――そう思っていたけど、覚悟までは出来ていなかった。
 気づけば私は、オムライスと幼稚園に持って行ったお弁当を、交互に思い出していた。まるで父の残像を探すように。

「お父さんに、会いたくなっちゃったな……」

 うるんだ瞳を隠すように顔を下げる。するとチヒロがパンと、私の背中を勢いよく叩いた。

「さっき手紙を取りに行ったら、あんた……芹香にそっくりな男の人がいた。まさかと思ったけど……そうか、父親だったのか」
「私にそっくりなんだ?」
「そっくりだよ。今みたいに泣きそうな顔とか、特にな」
「はは。大きな体して、意外にも泣き虫だったのかもね」

 私が笑うと、今度はチヒロが背中をなでてくれた。よしよしって言わんばかりの優しい手つきで。

「死んだ父が一番に思ったのが、あんただった。だからあんた宛てに手紙を書いた。
 あんたからしたらどうしようもない父親かもしれないけど、手紙をくれるくらいには、親の心を持っていたんだ。これからは、ちょっとでいいから記憶を上書きしてやったら?」
「……うん、そうだね」

 ヒドイ父親から、料理の腕が立つちょっとヒドイ父親くらいにはなったかな――

 そう言うと、チヒロは笑った。「変わらねーよ」と言いながら。だけどその瞳の奥には、私への労いが見える。「良かったな」っていう彼の優しい気持ちが、黒い前髪から見え隠れしていた。

 そんなチヒロとのやりとりのおかげで、胸の内がぽわんと温まる。胸の底で、薪をくべているようだ。今まで父へくすぶっていた気持ちが、パチパチと音を立てて消し炭になっていく。

 ココも心配そうな目で、私を見上げている。「大丈夫だよ」と言って抱き上げると、ぺろぺろと涙をなめてくれた。優しい子だ。ココも、チヒロも。

 だいぶ緊張が緩和された私に向かって――「じゃあさ」と。フミがにこやかに手を挙げる。

「お父さんに会いたいなら、実家に行く?」
「え?」
「スマホは壊れちゃって写真が見れないけど、実家ならあるでしょ? それを見に行こうよ」
「でも……」

 実家の場所を知るには、お母さんから情報を得るしかない。
 フミは、私からお母さんにコンタクトをとれって言ってるの?

 困ったようにフミを見つめると、彼は「もちろん芹香が行きたいならの話」と試すようなことを言う。

 確かに、私の記憶を取り戻すにはお母さんに会うのが一番の近道だ。実家に行くこともそう。
 だけど今までそうしなかったのは……やっぱりお母さんと会うのが怖いから。

 娘の見舞いにも来ず、娘が記憶喪失だと知っても電話の一本も寄越さず。そんな母親に会いに行っても「何しに来たの」って言われそうで、怖い。やっぱり会わなければよかったって思いたくない。……傷つきたくないから。

 ――結果がどうであれ、意味のない過程は絶対にない

 ふと、フミの言葉を思い出した。

 ――今芹香が記憶を取り戻そうと思っていることには、ちゃんと意味があるよ 

 フミの言う通りなら、私が実家に行ってお母さんに傷つけられても……それは意味があるということだ。

 私の記憶は、きっともう半分以上は戻っている。だけどお母さんとの仲や、梶谷のおばあちゃんが教えてくれた「これからいいことがあるんだよ」と言った私の言葉の意図が、まだ未解明だ。
 全ての記憶を取り戻すには、小さな欠片でさえ見逃せない。つまり母との接触は、避けて通れないのだ。

「……っ」

 私と母親の関係が良好ではないと分かっている。その上で会いにいくというのは、自分の心を叩いて叩いて、やっと出てきた勇気を引きずり出すみたいなものだ。つまり相当の覚悟がいる。
 そんなことが出来るの?私に――

「芹香」

 震える私の肩に、フミの手が乗る。見上げると、いつもの柔らかい笑みが降ってきた。

「自分の記憶を探すというのは、ゴールのないマラソンをしているようなものだよ。終わりが見えないからね。
 いつまで続くか、ずっと頑張り続けなければいけないのか――そんな不安が付きまとう。
 だけどね、芹香。今の芹香には、僕たちがいる。君は一人じゃない。君が傷ついた時は一緒に悲しむし、君が頑張ろうと思うなら背中を押す。偶然にも集まった僕たちだけど、こういう時は手を取り合っていいと思うんだ」

「チヒロもココも同じだね?」とフミが問うと、二人はそれぞれに返事をする。

「リンゴの礼もあるし、好きなだけ頼れよ」
「ワンッ!」

 そんな二人を見て、引っ込んだ涙がまた溢れてきた。
 傷ついてもいい、挫けてもいい。その時に励ましてくれる人たちがいるなら――
 病室で孤独に目を覚ました時の私とは違う。
 私にとって記憶を拾うことは、もがき苦しむようなものだった。それでも、その過程でかけがえのない人達と出会えた。

『意味のない過程は絶対にない』

 確かに、フミの言う通りかもしれない。
 気づけば私は、顔を上げてみんなを見ていた。

「ありがとうフミ、チヒロ、ココ。
 私……母親に会いに行く。もう逃げないよ」

 自分を取り戻すための勇気を、今、ここで奮い立たせる。
 母親に会うなんて、きっと自分で思うより簡単ではないだろうけど……それでも私は進みたい。
 記憶を取り戻し、手紙を読むために。
 フミの悲願を叶えるために。
 だからもう少し頑張ろう。
 私が私になる、その日まで――

 すると、腕の中にいるココがまた吠えた。
 同時にスマホが鳴り響く。みやちゃんから電話だ。

『芹香! さっきね、芹香のお母さんと会ったよ!
 ケンカ別れしたの? お母さんがそう言ってたよ!』
「……え?」

 それは間違いなく青天の霹靂というもので。まさか三度目ましての友達から、そんな情報が降りてくるとは思わなかった。

 彼女が言うには、忘れ物をとりに実家に帰省すると、その近くで母とバッタリ会ったという。
 どうやら母は、変わらず実家に住んでいるらしい。

『ねぇ芹香、もしお母さんに会いたいなら私が案内するよ?』

 さほど遠くないし、というみやちゃんの声を、ココが目をキラキラさせながら聞いている。きっと、「大好きなみやちゃんの声だ」って分かっているんだ。四本足でしっかり立って、今すぐにでも彼女へ会いに駆けていきそうだ。
 そんなココの凛々しい姿に、私も勇気をもらう。

 有言実行。
「お母さんに会いに行く」と言ったそばから吉報が届いた。きっと神様が「行くように」って導いてくれたんだ。

「……行きたい。お母さんの所へ」

 意味のない過程は絶対にない――
 みやちゃんとその後の予定をたてながら、私は何度もフミの言葉を思い出していた。

 ◇