思いを運ぶ、手紙屋さん―もう会えない人との絆―

 その後、フミとココにもリンゴを配った。
 そうして一つ、二つのリンゴを、みんなでペロリと食べ終わった後。満腹で眠ったチヒロに布団を譲ったフミと、二人きりで話をすることになった。

「さっきの話、気になるよね?」
「本音を言えば、かなり……」

 正直に答えると、フミは眉を下げて笑った。
「本当は隠したかったけど」と。チヒロと、チヒロに寄り添うココを見る。

「まず手紙屋っていう職業のことから話そうか。
 前、僕は『この世界に生きていない』と曖昧な言い方をしたけど、その実は死んでいるんだ。天国にも地獄にも行っていないっていう、どっちつかずな立ち位置でね」

 だから、あんなややこしい言い方をしちゃったんだ、とフミ。

「つまり僕たちは、成仏していないってことだね」
「成仏できない理由があるの?」
「というか、後悔が大きい」
「後悔?」

 フミは瞳の奥に寂しそうな影を漂わせた後、力なく頷いた。

「僕は、大事な人に自分の思いを伝えないまま、この世を去ったんだ」
「え」
「さっきチラッと言ったけど、前の僕……生きている時の僕は、全く優しくなかったんだよね。むしろ優しくしてくれた人に冷たい態度をとったりさ、ツンケンした奴だったんだ。
 死んだ後になって、生きてる間に想いを伝えればよかったって。途方もない後悔を重ねたよ」

 フミは、ことあるごとに「手紙はいい」「みんなも、もっと手紙を書けばいいのに」と言った。それは、過去の自分への戒めだったんだ。

「でもさ、フミ。それこそ手紙を書いて、手紙屋さんに届けてもらえばいいんじゃないの? フミが大切に思っている人は、まだ生きているんでしょう?」

 だけどフミは、首を横に振った。

「生きている頃に自分の思いを伝えない人はね、手紙を書く権利が奪われてしまうんだよ」
「う、奪われる? 誰に?」
「神様」

 神様が本当に存在したんだっていう驚きと、そんな貴い存在が決めたルールなら従わざるを得ないなっていう納得と……それらが複雑に混ざり合う。
 だけど、それじゃあまりに救いがなさすぎる。

「神様は、一生許してくれないの?」
「ううん。その証拠に、僕は手紙屋をやっている。
 手紙屋になって百通の手紙を配達できたら、生きてる人に手紙を書く権利が戻るんだ。その百通は、あらかじめリスト化されている」

 なるほど。これが、さっきフミがチヒロに言った「やるべきこと」なんだ。
 百通の手紙を配達できれば、フミは想い人に手紙を書ける――そっか、よかったぁ。

「でも、ちょっと待って……」

 そうだとすると、私が記憶をなくしているのは非常にまずいことでは?
 サッと体中の体温が下がっていく。フミは申し訳なさそうに、眉を八の字にして笑った。

「その百通のリストの中に、芹香宛の手紙も入っている。
 そして芹香、君への配達が完了した時――
 僕の『手紙を書く権利』が戻ってくるんだ」
「!」

 どうやら私宛の手紙が、フミの「祝! 配達百通目」らしい。私が今日男性に配達したのは、九十九通目の手紙だったんだ。

「でも私が手紙を受け取るには、私が記憶を思い出さないといけないわけで……。
 私が記憶を思い出せない限りは、フミは大切な人に手紙を書けないってこと?」
「……だからと言って、気負う事はないよ。昨日も言ったけど、焦りは禁物。きちんと記憶を拾うことこそが、自分を取り戻すことに繋がるんだ」
「そうだけど……」

 フミは焦らないのかな?
 早く手紙を書きたいって、そう思ってるんじゃないかな?

「……」

 フミになんて言っていいか分からなくて、黙ってしまう。一方のフミも、一気に話して熱が上がったらしい、赤ら顔になってきた。
「話してくれてありがとう」と、フミを私のベッドに寝かせる。するとたちまち、規則的な寝息が聞こえてきた。

「……はぁ」

 フミが手紙を書く鍵を、私が握っているなんて――すごくプレッシャーだ。早く記憶を取り戻したい。だけど……今日は何も思い出せそうにないよ、昨日だってそう。
 記憶の収穫なしが続けば続くほど、焦りばかりが募っていく。

 はぁ~と、何の役にも立たないため息ばかりが出る。同時にお腹にも力が入ったり、緩んだり……。
 それを繰り返していると、グウとお腹が鳴った。そういえばフミの熱や配達で、朝から何も食べていない。さすがにお腹が空いた。

「……何か作ろう。起きた皆も、何か食べたがるだろうし」

 お昼ご飯の準備に取り掛かる。袋の中から取り出したのは、玉ねぎに人参といった野菜たち。フミに雑炊を作ろうと思って、リンゴと一緒にスーパーで買ったものだ。

「手紙に記憶、か……」

 手紙屋さんは、本音を話さなかった後悔を抱く人たちが集まったもの。チヒロもそうなのだろう。あんな小さな子でも既に亡くなっていて、大きな後悔まであるなんて。

「……しっかりしよう」

 チヒロのことを考えたら、さっきまで「どうしよう」と思っていた気持ちが、ググッと上を向き始める。

「大変なのは、私だけじゃない」

 今まで、どこか自分を「記憶を思い出せない可哀想な私」と思っていた。記憶が戻る度に「こんな記憶は嫌だ」とへそを曲げてみたりして……。

 だけど大変なのも、可哀想なのも、私一人だけじゃない。手紙屋をする二人だって同じなんだ。
 それに私がウジウジしていたって、フミが手紙を書けるようになるわけじゃない。前を見なきゃ、ゴールさえ霞んでしまう。
 目的は、悲観することじゃない。どんな記憶だとしても、一欠片ずつ拾ってあげることだ。

「……よし」

 切った野菜を鍋に入れ、買ってきたパックのご飯と一緒に煮込んでいく。調味料が並んでいる引き出しを開けると……なんと、中身は空っぽ。
 どうやら私は、自炊をしない人だったらしい。案外に思い切りが良い自分に、思わず笑ってしまった。

「節約しなきゃ、体にいい物を食べなきゃ、と思って慎ましい生活をしているかと思いきや……。なんだ、けっこう図太いじゃん。私」

 まだまだ自分の知らない自分がいる。しかも、予想をはるかに超えた一面もありそうだ。そう思ったら、自分に会うのが楽しみになってきた。
 フミは「焦って記憶を探しても仕方ない」と言った。だったら、楽しみながら記憶を拾っていこう。前向きな私の方が、きっと私も好きなはずだから。

「さて、醤油を買いに行こうかな」

 三人が寝ているのを見た後、玄関で靴を履く。するとココがやってきた。どうやら一緒に行くらしい。私の後を、ピッタリとついてくる。

「いってきます」

 小さな声で言った後、ココと一緒に家を出た。なんだかココも靴を履いているみたい。手足だけ茶色い毛が、どうしようもなく可愛い。

「さすが夏のお昼。暑いねぇ」
「ワン」

 セミの鳴き声が、四方八方から響いてくる。いよいよ太陽は本気を出したのか、アスファルトからムアッとした熱気が、容赦なく体の表面を焦がした。こんな中、外を歩いているのは私たちくらいだ。今日はいったい何℃まで上がるやら。

 そこで「犬の肉球が火傷する」というニュースを思い出す。ココを見る限り、平気そうにしているけど……。一応、抱っこで移動することにした。

 そういえば――どうしてココは天国に行かないのかな。この世界に残ってるってことは、成仏していないってことだよね?

「何か思い残すことがあるのかな?
 でも手紙は、みやちゃんに渡ったし……」

 そんなことを考えながら、お店で醤油を買った。
 今は、再びアパートに戻っている。
 すると「おい」と。後ろから、急に声がかかった。かなり低い位置からだ。

「起きたんだ、チヒロ」
「……」

 振り向くと、仏頂面した小さな男の子、チヒロが立っていた。今起きた、って顔じゃない。

「フミ兄から、あんたのことを聞いた。ただでさえ大変な時に混乱させるな、だとよ」

 どうやら私が買い物している間、二人は起きて話をしたらしい。話を聞く限り、けんか腰ではなく、今度は冷静に話しあえたようで一安心だ。

「別に、私は大丈夫だよ。チヒロのおかげで、手紙屋のこともフミのことも新たに知れたから。それに、自分のことを少しずつ受け入れられるようになったんだ。だから、ありがとう」
「な……べ、別に。俺は何もしてねーよ」

 照れたのだろうか。フイとそっぽを向くチヒロが年相応すぎて、思わず「可愛い」と言ってしまった。するとチヒロは吊り上げた目を、今度は悲しそうに弛緩させていく。

「あんたは『手紙を書く権利を奪われる』ってこと、ないんだろうな」

 チヒロは、ポツリと呟いた。底のない井戸に、虚しい気持ちを落としているような哀愁を漂わせながら。
 それにしても「手紙を書く権利が奪われない」って……。私がさっきから「ありがとう」「可愛い」と、自分の気持ちを正直に言っているからかな?

 だけど、私だって元々こうだったわけじゃない。病室で目を覚ました私なんて、それはそれはひどいものだった。寡黙一辺倒って感じだったし。

「フミがね、私に教えてくれたんだ。手紙を使ってでも、自分の気持ちを伝える大切さを。
 自分の気持ちを表現するのって、気づきにくいけど大切なことだよね。フミに会うまで、私はそれを知らなかったからさ」
「……」

 チヒロは無言になった。
 前から気になっていたけど、チヒロは無言になることが多々ある。何かを考え込んでいるってわけじゃなく、話すことを忘れているみたいな。

「おーい、チヒロ?」
「……あ、悪い」

 チヒロは、私に向かってひらりと手を動かす。これも前から思っていたことだけど、チヒロは手を使った表現が多い。分かりやすいから、いいんだけどね。

「なぁ……ちょっとだけ座ってもいいか?」
「この暑さだしね。賛成」

 あまりの暑さに、私たちは公園のベンチで休むことにした。生い茂った木が日光を遮断し、涼やかな日陰を作ってくれる。
 近くで水遊びする子供たちがいるからか、たまに吹く風はどこか冷えていて、涼をとるには充分だ。

 横並びでベンチに座った私とチヒロは、砂場でひたすら穴を掘り続けるココを見る。どうやらココは、暑さ寒さを感じないらしい。同じ成仏できない者同士でも、悪寒でブルブル震えていたフミとは大違いだ。
 チヒロが口を開いたのは、そんなことを考えていた時だった。
 
「俺の母さんはさ、喉の手術をしてから喋れなくなったんだ。それ以来、母さんはずっと落ち込んでいた。俺と父さんが『手話で会話しよう』って勧めたけど、母さんは頑として習おうとしなかった。というか立ち直るまでに時間がかかって……。
 今まで出ていた声が出せないって、相当辛いんだろうな」

「と言っても」と、チヒロは足の近くにあった手頃な大きさの石を、コツンと蹴り飛ばす。

「俺が母さんの気持ちに気づいたのは、死後、手紙屋になってからだ。
 あの時、なかなか前向きにならない母さんにヤキモキして、笑って欲しいのに何をしても上手く行かなくて……。だから俺、言っちゃったんだ」

『会話したくないなら、しなければいいだろ!
 俺だって、もう母さんと一生話さない!』

「……っ」

 言葉が、出なかった。
 お母さんの悲嘆にくれる気持ちも分かるし、大切な家族だからこそ早く元気になって欲しいと願うチヒロの気持ちも分かる。

 誰も悪くない。そう思うのに、胸にはモヤモヤとした罪悪感が残る。

 あんなこと言うつもりはなかったのに――という後悔は、どんな人にも平等に心に暗い影を作る。そしてなかなか晴れることがない。チヒロの苦痛に歪む顔を見て、それを痛いほど実感する。

「家の中は、静かな時間が続いた。……いや、静かな時ばかりだった。母さんは何かを訴えるように俺を見たが、俺はその視線に気づかないフリをした。
 だからバチが当たったんだ。
 交通事故に遭った俺は、二度と、母さんと話せなくなってしまった」

 初めからやや丸まっていたチヒロの背中が、更に丸くなる。後悔に押しつぶされるように。

「どうしてあの時、歩み寄ることを放り出したんだろうって、今となっては後悔しかない。もっと母さんに寄り添ってあげればよかった。
 もっと母さんと話したかった。
 それだけだったのに……」

 ギチッと下唇を噛んだチヒロだけど、「ふぅ」と。気分を入れ替えるように軽い息を吐く。

「もう一度だけ、母さんと話がしたい。ケンカしたままは嫌だ。俺の手紙を読んで笑う母さんを、最期の最後に見たい。
 だから俺は手紙屋になったんだ」
「……そっか。チヒロらしくて、すごくいいと思う」

 チヒロのお母さんは喋れなくなった――と聞くと、妙に納得できた。
 チヒロがたまに無言になるのは、家で喋っていなかった余韻からだろう。身振り手振りが大きいのは、お母さんのために習った手話の名残だ。

 そういえば、さっきチヒロと一緒に、母親と子供が歩く姿を見た。まだ充分な言葉を話せない子と、その子にたくさん話しかける母。その二人を見てチヒロが悲しそうにしたのは、彼の中にある後悔がそうさせたのだろう。

 だけど、彼はこうして前を向いている。
 チヒロの横顔に、木漏れ日から漏れる光が優しく落ちる。決意した彼の勇気と相まってか、彼の姿はとても眩しかった。

「俺は、手話を習おうとしない母さんを責めたけどさ……。
 筆談だってジェスチャーだって、なんだって。気持ちを伝え合いさえすれば、それだけでいいんだ。
 大切なのは、手段じゃないよな」
「うん……。私も、そう思うよ」

 賛同すると、チヒロは安心したように鼻を鳴らして「へへ」と笑った。これも年相応の笑顔で可愛い。「ハンカチいる?」と聞いたら、「いらね」と、ズバッと断られたけど。

「フミとは、いつ出会ったの?」
「死んだ後、俺は暗闇の中をさまよっていたんだ。暗くて、怖くて、もうどうしようかと思っていたら、フミ兄が俺を見つけ、導いてくれた」
「手紙屋になろうって、そう言ってくれたんだ?」
「そう。怖かったから、とにかく両親を呼んでいた。その声を、フミ兄が聞いていたんだ。そのまま俺の後悔も話すことになって……。その時に手紙屋の話を受けたんだ。一緒に頑張ろうって、そう言ってくれたのに」

 ギッと音がした。それはチヒロの口の中から聞こえている。

「フミ兄には、本当に感謝してるんだよ。それなのに、俺たちの仕事は手紙を届けることとか言って、全然かまってくれなくて……。あの仕事バカめ」

 ほら、またギギって音がする。
 もしかして……苛立って、歯を食いしばっている⁉
 まぁまぁと落ち着かせていると、チヒロは「はぁ」と息を吐いた。

「それにしても、あんたも災難だな。自転車で転んで記憶喪失なんて、どんな確率だよ」
「本当に、その通りだよ……。
 でも後ろ向いてても私の記憶は戻ってこないし。チヒロみたいに、前向きにがんばるよ」
「……それがいい」

 ニッと笑ったチヒロは、「そろそろ行くか」と。ココの様子を見ながら腰を上げた。ココが暑さに負けず飛び跳ねた姿を見て、安心したような笑みをこぼしている。
 同時に「なんで死んじゃったんだ?」と。チヒロの関心は、ココへ移った。