死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

 ソフィアを乗せた自動車は、帝都の石畳を滑るように走っていた。
 コトコトと小気味いい振動が足元から伝わってくる。
 けれど、それは蒸気機関車のような激しい揺れとはまるで違う、むしろ心地いい揺れだった。
 
「すごい……! 霊力で動く自動車なんて、初めて乗りました……!」
 
 視界を横切っていく帝都の景色を眺めながら、ソフィアは感嘆の声を漏らした。
 爽やかな春風が吹き込んできて、気持ちがいい。

「軍から借りたものだけどね。こんな高級品、王家か公爵家でもなければ所有できないよ」
「やっぱり、すごいものなんですね……」
 
 帝都では、まだまだ路面電車が主流だ。
 自動車そのものが珍しいうえ、霊力を動力源とした最新式となれば、庶民には縁のない代物だった。

(こんなものに乗れる日が来るなんて……)
 
 感動のあまり、つい目を輝かせてしまっていたらしい。
 気づけば祈織がくすくす笑っていて、ソフィアは慌てて口元を押さえた。
 
「す、すみません。はしゃいでしまって……」
「全然構わないよ。ソフィアさんが楽しそうでなによりだ」

 その言葉に、ソフィアは余計に気恥ずかしくなった。
 まるで田舎から出てきた子供みたいだ。
 没落華族どころか、ただの貧乏人に見えてしまったかもしれない。
 そんなふうに小さくなっていると、不意に祈織が話題を変えた。

「家へ戻る前に、更木家へ寄ろうと思うんだけど」
「……!」
 
 ソフィアの肩がぴくりと揺れる。

「何か持ってきたい私物はある? 差し支えなければ、僕が代わりに回収してくるけど」
「……では、父と母の形見を。ただ、分かりにくい場所に隠してあるので、私が直接行かないと……」

 並の使用人以下だったソフィアに、まともな私物などほとんどないけれど、父と母の遺品だけは絶対に置いていけなかった。
 もし瑠璃子や夫人に見つかれば、捨てられてしまうかもしれない。
 まして、壊されたり、燃やされたりでもしたら……なんて、考えたくもない。
 祈織はそれ以上追及せず、「分かった」と静かに頷く。
 
「じゃあ僕は男爵たちと話をしているから、その隙に行っておいで」
「ありがとうございます」

 自動車はやがて、更木男爵邸の前で停まった。
 重厚な和洋折衷の豪華な屋敷。
 ついこの間まで毎日見ていたはずなのに、今はどこか異様に感じる。
 先に車を降りた祈織は、慣れた足取りで応接間へ向かっていく。
 その背中を見届けてから、ソフィアは人目を避けるように裏手へ回った。
 途中、何人か使用人とすれ違うが、言葉を交わしている暇はない。
 今は、形見の回収が最優先だ。

(元の場所にちゃんとありますように……)
 
 ソフィアは祈るような気持ちで、物置同然の使用人部屋へ入った。
 薄暗く湿っぽい部屋の中、ソフィアはある場所で膝をつき、床板の一部へ指をかけた。
 そっと板を外し、裏返しにすると、貼り付けたままの古びた封筒が現れた。

(……あった!)
 
 ソフィアは慎重に封筒を剥がし、中身を確認した。
 少し白濁した緑色の魔石が嵌め込まれた指輪。
 そして、西洋魔法について書き込まれた分厚い手帳。
 父と母が生きていた、大切な証だ。

(よかった……悪戯もされてないみたい)
 
 ソフィアはそっと手帳の表紙を撫でる。
 擦り切れた革の感触が、指先に伝わってくる。
 表紙を開けば、最初の(ページ)に見慣れた筆跡があった。
 
 ――『いつか遠からず訪れる日に備えて遺します。愛する娘・ソフィアのために』

 何度も読み返した、母の言葉。
 今はよりいっそう胸に深く沁み込んでくるようだ。
 ソフィアはそれを抱き寄せるよう、胸に押し当てた。
 
(お母さん……)
 
 父を早くに失ったからこそ、母は余計にソフィアの未来を案じていたのだろう。
 娘の将来を見据えて、書き溜めてくれていたに違いない。
 
(……ずっと私を心配してくれてたのね)

 感傷に浸っていると、不意に、ぴらりと何かが手帳の間から滑り落ちる。
 
「? なにこれ……?」

 ソフィアは床に落ちた紙片を拾い上げた。 
 そこへ記されていたのは、見覚えのない記号だった。
 鳥の横顔を円形に配した、白と黒の模様。

(これって、旧き陰陽術の……?)

 けれど、ソフィアは腑に落ちなかった。
 母は西洋魔術の学者だ。
 退魔師の父がいたとはいえ、東雲帝国の陰陽術にはほとんど触れていないはず。
 まして、『旧き陰陽術』など、限られた術者しか扱えない秘術だと聞いている。
 なのに、どうして――母の手帳に、こんなものが挟まっているのだろう。
 
(祈織さんなら、なにか分かるかしら)
 
 彼は旧き陰陽師の血を引く家系の一つ――烏丸の名を持っている。
 もしかしたら、この意味不明な記号についても、何か知っているかもしれない。
 ソフィアは紙片を丁寧に手帳へ挟み直すと、形見の品ごと胸に抱え込んだ。