なんというか、夢でも見ていたんじゃないか。
ここ最近、新聞やラジオを目にする度に、ソフィアは怒涛の勢いで駆け抜けて行った一連の出来事を思い返す。
新聞やラジオで喧伝されている中でも、特に帝国の伝説と化しつつあるのは、『帝国の英雄』と称えられた軍人、鷹宮亜蓮の大失言だ。
さらに一部の週刊誌では、『婚約者ではない一般市民の女性』をしつこくつけ回していた疑惑まで報じられている。
当然、市民の熱狂も女性たちの恋心も氷点下まで冷え切り、亜蓮は今や『偽りの英雄』と呼称されるまでに至った。
また、亜蓮の父・鷹宮譲治中将が立てた戦績についても、不正疑惑が浮上――現在は再調査がなされており、まだまだ火種は尽きそうにない。
一方、亜蓮の不祥事ほどの衝撃はないにしろ――花祭りの会場内で起きた、あやかしの暴走事故も、それなりに大きく取り沙汰された。
事故を起こした陰陽学校の生徒は、『あまりにも術師としての倫理意識を欠いている』との判断から退学処分となり、教員たちはしばらく後処理に追われることになったという。
が、問題が大きくなったのはこの後のほうだ。
退学処分となった生徒は、自身の使用人に悪意を持って危険な薬物を与え、重篤な発作を引き起こさせてもいた。
その危険な薬物が、生徒の父が運営する製薬会社・更木製薬で製造されていたものだと発覚すると、世間は動揺と不安に包まれた。
更木男爵家と鷹宮子爵家――この二家が爵位を剥奪されるであろうことは、もはや論をまたない。
この一連の騒動は、後の世に残すべき不名誉な出来事として、帝国の歴史に記録されることになるのだろう。
ソフィアが自身の胸の内でそう締めくくるのは、もう少し先の話である。
*
「すみません、壱子さん。お仕事前にわざわざお時間をもらって……」
「いーんですいーんです! ソフィアさんの恋バナを聞けると思えば、これくらい!」
花祭り本番の朝――ソフィアは家まで出向いてくれた壱子に、身支度を手伝ってもらっていた。
「ほい、できた! どうです?」
「わあ……すごいですね、髪型も帯もお花みたい……!」
姿見に映る自分を見て、ソフィアの気分は一気に高揚した。
牡丹の花のように結んだ帯、白藍色の単衣、淡い色の|薄羽織――なんとも初夏らしい装いだ。
「こんなに可愛いソフィアさん見たら、副長もきっと腰抜かしますよ!」
「そこまででしょうか……?」
ヌイは祈織のことを、『どんなかわい子ちゃんに声をかけられても平然と本を読み続ける変人』と話していた。
けれど、壱子は「心配ご無用です!」と胸を叩いて断言する。
「ソフィアさんは別枠ですから! なにしろ、副長はソフィアさんにだけ超デレデレですからね!」
「祈織さんは元々人当たりのいい人なのでは? お医者さんですし……」
「そんなことありません! あの人、患者さんに向ける笑顔と、ソフィアさんに向ける笑顔が全然違うんです! 分かりやすすぎるくらい、好意がダダ漏れですからね!」
「えええ……?」
そう思うと、なんだか急にあの笑顔がむずがゆくなってくる。
ソフィア自身、祈織を特別視していた自覚はあったけれど、まさか向こうもそうだったなんて。
嬉しい反面、いくらなんでもご都合すぎやしないだろうかとも思う。
「ささ、副長が外で待っていますよ。胸張って行きましょー!」
壱子はソフィアを鼓舞するよう、背中をぽんっ、と叩き、庭先で待っている祈織のもとへ送り出す。
「副長、お待たせしました! 可愛いソフィアさんの出来上がりです!」
壱子が呼びかけると、朝露の匂いがする庭で待っていた祈織が、こちらを振り返った。
その瞬間、ソフィアは息を呑んだ。
(……綺麗)
いつも白と黒ばかりだった祈織が、渋い藤色の薄羽織をまとっている。
死神めいた無機質さが和らぎ、代わりに、ふわりと優美な雰囲気が引き立っている。
ただ、普段と違う色彩がほんの少し加わっただけなのに、ソフィアは妙にときめいてしまった。
そして、それは向こうも同じだったようで――祈織は、ソフィアを見ながら棒立ちになっていた。
「……副長〜? なんか言ってあげてくださいよう」
妙に甘ったるい沈黙に耐えかねた壱子が、祈織にじとっとした目を向ける。
「いや、ごめん。なんというか、想像を軽く超えてきたから……ちょっと言葉が吹っ飛んだというか」
祈織は片手で口元を覆い、困ったように視線を逸らす。
「……うん。似合ってるよ。すごく」
「っ……!」
普段よりも小さな声ではあったが、確かに聞こえた。
純粋な褒め言葉に、ソフィアの顔がますます紅潮する。
「手伝ってくれてありがとう、桜庭」
「いえいえ! 報酬の土産話、お待ちしてます!」
「じゃあ行こうか、ソフィアさん」
「……はい」
ソフィアは贈り物の日傘を広げて、中心街へ向かった。
*
本番ということもあり、二日目の会場はより賑やかになっていた。
会場の至るところが満開の花で彩られており、初夏の爽やかな風がよりいっそう雰囲気を引き立てている。
午前は二人で屋台を巡ったり、甘い飴菓子を分け合ったり――何をしていても、隣に祈織がいるだけで、ソフィアは楽しかった。
そして、午後――二人は人の流れに沿って、川辺へとやって来た。
水面には、無数のお供えの花が揺れている。
赤、白、黄、紫――色とりどりの花が流れていく川は、まるで花の神の通り道のようだ。
ソフィアはそっと、手元の自分の花を見つめる。
(祈織さんに、ちゃんとお花を渡したかったな……)
けれど、いつまでも落ち込んではいられない。
ソフィアは小さく息を吐くと、代わりに選んだ白い花をそっと川へ流した。
「ソフィアさん」
少し後ろから、祈織が声をかけてくる。
肩に触れた指先が、ほんの少し緊張しているように感じられた。
ソフィアが振り返ろうとした、その時。
「わぶっ! ご、ごめんなさい!」
死角から走ってきた子供が、祈織の足に勢いよくぶつかった。
その弾みで、祈織の手から何かがぽろりと零れ落ちる。
「あっ――」
白い花だった。
川面に落ちた花は、小さな鈴のような花弁を揺らしながら、そのままゆっくり流れていく。
ソフィアはそれを見て、思わず目を見開いた。
「あれって、鈴蘭……?」
「あー……」
流れていく花を呆然と見送りながら、なんとも気まずそうな顔をする祈織。
その顔を見て、ソフィアは気づいた。
祈織もまた、花を用意してくれていたのだ、と。
「実は、リンさんから種をもらっててね……。あーあ、締まらないなぁ」
「……ふふふっ」
ソフィアは思わず笑ってしまった。
「いいですよ。おまじないがなくても、ちゃんと通じ合えましたから。……渡せなかったのは、私も残念でしたけど」
「ソフィアさんも?」
「はい。私も、祈織さんに藤の花を渡したかったんです。祈織さんの簪に添えたら、きっと綺麗だと思って」
口にした途端、急に恥ずかしくなった。
けれど、気持ちを隠す気も、もう起きなかった。
祈織の驚いた顔が、あまりにも愛おしかったから。
「だから、また来年、再挑戦しますね」
「……ソフィアさん。今からそれを宣言したら、おまじないの意味がなくなるんじゃ……」
「あっ……」
ほんの少し間が空く。
それから、同時に吹き出してしまう。
くすくすと笑い合う時間が、川風に溶けていく。
「本当に可愛いなぁ、君は」
祈織は愛おしげに目を細め、ソフィアの髪をそっと撫でた。
頬を滑る初夏の風が、ひんやりと涼しく感じる。
「……ソフィアさん」
「はい?」
不意に呼ばれて顔を上げた、その瞬間だった。
差していた日傘がほんの少し傾けられたかと思うと、祈織がすぐ目の前まで顔を近づけてきた。
そして。
「――っ!?」
頬に花びらが触れるような、ささやかな感触。
それが口づけだと分かった瞬間、ソフィアの思考が真っ白になった。
祈織は何事もなかったように離れて、
「――Te iubesc,iubita mea.」
と悪戯っぽく微笑んだ。
低く甘い声が、異国の響きをまとって、ソフィアの鼓膜を震わせる。
――『愛してる、僕の愛しい人』
その意味を理解した瞬間、顔全体が熱でいっぱいになって、もはや耳まで燃えそうだった。
まさか、こんな白昼堂々、しかも周りに人がいる状況でされるなんて。
「ずるいです、本当に……」
川面を流れていった鈴蘭と白い花は、もう他の花々に紛れて見えなくなった。
けれど、願いは確かに届いた。
――花の神様にではなく、隣にいる大切な人へ。
〈死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜〉・了
ここ最近、新聞やラジオを目にする度に、ソフィアは怒涛の勢いで駆け抜けて行った一連の出来事を思い返す。
新聞やラジオで喧伝されている中でも、特に帝国の伝説と化しつつあるのは、『帝国の英雄』と称えられた軍人、鷹宮亜蓮の大失言だ。
さらに一部の週刊誌では、『婚約者ではない一般市民の女性』をしつこくつけ回していた疑惑まで報じられている。
当然、市民の熱狂も女性たちの恋心も氷点下まで冷え切り、亜蓮は今や『偽りの英雄』と呼称されるまでに至った。
また、亜蓮の父・鷹宮譲治中将が立てた戦績についても、不正疑惑が浮上――現在は再調査がなされており、まだまだ火種は尽きそうにない。
一方、亜蓮の不祥事ほどの衝撃はないにしろ――花祭りの会場内で起きた、あやかしの暴走事故も、それなりに大きく取り沙汰された。
事故を起こした陰陽学校の生徒は、『あまりにも術師としての倫理意識を欠いている』との判断から退学処分となり、教員たちはしばらく後処理に追われることになったという。
が、問題が大きくなったのはこの後のほうだ。
退学処分となった生徒は、自身の使用人に悪意を持って危険な薬物を与え、重篤な発作を引き起こさせてもいた。
その危険な薬物が、生徒の父が運営する製薬会社・更木製薬で製造されていたものだと発覚すると、世間は動揺と不安に包まれた。
更木男爵家と鷹宮子爵家――この二家が爵位を剥奪されるであろうことは、もはや論をまたない。
この一連の騒動は、後の世に残すべき不名誉な出来事として、帝国の歴史に記録されることになるのだろう。
ソフィアが自身の胸の内でそう締めくくるのは、もう少し先の話である。
*
「すみません、壱子さん。お仕事前にわざわざお時間をもらって……」
「いーんですいーんです! ソフィアさんの恋バナを聞けると思えば、これくらい!」
花祭り本番の朝――ソフィアは家まで出向いてくれた壱子に、身支度を手伝ってもらっていた。
「ほい、できた! どうです?」
「わあ……すごいですね、髪型も帯もお花みたい……!」
姿見に映る自分を見て、ソフィアの気分は一気に高揚した。
牡丹の花のように結んだ帯、白藍色の単衣、淡い色の|薄羽織――なんとも初夏らしい装いだ。
「こんなに可愛いソフィアさん見たら、副長もきっと腰抜かしますよ!」
「そこまででしょうか……?」
ヌイは祈織のことを、『どんなかわい子ちゃんに声をかけられても平然と本を読み続ける変人』と話していた。
けれど、壱子は「心配ご無用です!」と胸を叩いて断言する。
「ソフィアさんは別枠ですから! なにしろ、副長はソフィアさんにだけ超デレデレですからね!」
「祈織さんは元々人当たりのいい人なのでは? お医者さんですし……」
「そんなことありません! あの人、患者さんに向ける笑顔と、ソフィアさんに向ける笑顔が全然違うんです! 分かりやすすぎるくらい、好意がダダ漏れですからね!」
「えええ……?」
そう思うと、なんだか急にあの笑顔がむずがゆくなってくる。
ソフィア自身、祈織を特別視していた自覚はあったけれど、まさか向こうもそうだったなんて。
嬉しい反面、いくらなんでもご都合すぎやしないだろうかとも思う。
「ささ、副長が外で待っていますよ。胸張って行きましょー!」
壱子はソフィアを鼓舞するよう、背中をぽんっ、と叩き、庭先で待っている祈織のもとへ送り出す。
「副長、お待たせしました! 可愛いソフィアさんの出来上がりです!」
壱子が呼びかけると、朝露の匂いがする庭で待っていた祈織が、こちらを振り返った。
その瞬間、ソフィアは息を呑んだ。
(……綺麗)
いつも白と黒ばかりだった祈織が、渋い藤色の薄羽織をまとっている。
死神めいた無機質さが和らぎ、代わりに、ふわりと優美な雰囲気が引き立っている。
ただ、普段と違う色彩がほんの少し加わっただけなのに、ソフィアは妙にときめいてしまった。
そして、それは向こうも同じだったようで――祈織は、ソフィアを見ながら棒立ちになっていた。
「……副長〜? なんか言ってあげてくださいよう」
妙に甘ったるい沈黙に耐えかねた壱子が、祈織にじとっとした目を向ける。
「いや、ごめん。なんというか、想像を軽く超えてきたから……ちょっと言葉が吹っ飛んだというか」
祈織は片手で口元を覆い、困ったように視線を逸らす。
「……うん。似合ってるよ。すごく」
「っ……!」
普段よりも小さな声ではあったが、確かに聞こえた。
純粋な褒め言葉に、ソフィアの顔がますます紅潮する。
「手伝ってくれてありがとう、桜庭」
「いえいえ! 報酬の土産話、お待ちしてます!」
「じゃあ行こうか、ソフィアさん」
「……はい」
ソフィアは贈り物の日傘を広げて、中心街へ向かった。
*
本番ということもあり、二日目の会場はより賑やかになっていた。
会場の至るところが満開の花で彩られており、初夏の爽やかな風がよりいっそう雰囲気を引き立てている。
午前は二人で屋台を巡ったり、甘い飴菓子を分け合ったり――何をしていても、隣に祈織がいるだけで、ソフィアは楽しかった。
そして、午後――二人は人の流れに沿って、川辺へとやって来た。
水面には、無数のお供えの花が揺れている。
赤、白、黄、紫――色とりどりの花が流れていく川は、まるで花の神の通り道のようだ。
ソフィアはそっと、手元の自分の花を見つめる。
(祈織さんに、ちゃんとお花を渡したかったな……)
けれど、いつまでも落ち込んではいられない。
ソフィアは小さく息を吐くと、代わりに選んだ白い花をそっと川へ流した。
「ソフィアさん」
少し後ろから、祈織が声をかけてくる。
肩に触れた指先が、ほんの少し緊張しているように感じられた。
ソフィアが振り返ろうとした、その時。
「わぶっ! ご、ごめんなさい!」
死角から走ってきた子供が、祈織の足に勢いよくぶつかった。
その弾みで、祈織の手から何かがぽろりと零れ落ちる。
「あっ――」
白い花だった。
川面に落ちた花は、小さな鈴のような花弁を揺らしながら、そのままゆっくり流れていく。
ソフィアはそれを見て、思わず目を見開いた。
「あれって、鈴蘭……?」
「あー……」
流れていく花を呆然と見送りながら、なんとも気まずそうな顔をする祈織。
その顔を見て、ソフィアは気づいた。
祈織もまた、花を用意してくれていたのだ、と。
「実は、リンさんから種をもらっててね……。あーあ、締まらないなぁ」
「……ふふふっ」
ソフィアは思わず笑ってしまった。
「いいですよ。おまじないがなくても、ちゃんと通じ合えましたから。……渡せなかったのは、私も残念でしたけど」
「ソフィアさんも?」
「はい。私も、祈織さんに藤の花を渡したかったんです。祈織さんの簪に添えたら、きっと綺麗だと思って」
口にした途端、急に恥ずかしくなった。
けれど、気持ちを隠す気も、もう起きなかった。
祈織の驚いた顔が、あまりにも愛おしかったから。
「だから、また来年、再挑戦しますね」
「……ソフィアさん。今からそれを宣言したら、おまじないの意味がなくなるんじゃ……」
「あっ……」
ほんの少し間が空く。
それから、同時に吹き出してしまう。
くすくすと笑い合う時間が、川風に溶けていく。
「本当に可愛いなぁ、君は」
祈織は愛おしげに目を細め、ソフィアの髪をそっと撫でた。
頬を滑る初夏の風が、ひんやりと涼しく感じる。
「……ソフィアさん」
「はい?」
不意に呼ばれて顔を上げた、その瞬間だった。
差していた日傘がほんの少し傾けられたかと思うと、祈織がすぐ目の前まで顔を近づけてきた。
そして。
「――っ!?」
頬に花びらが触れるような、ささやかな感触。
それが口づけだと分かった瞬間、ソフィアの思考が真っ白になった。
祈織は何事もなかったように離れて、
「――Te iubesc,iubita mea.」
と悪戯っぽく微笑んだ。
低く甘い声が、異国の響きをまとって、ソフィアの鼓膜を震わせる。
――『愛してる、僕の愛しい人』
その意味を理解した瞬間、顔全体が熱でいっぱいになって、もはや耳まで燃えそうだった。
まさか、こんな白昼堂々、しかも周りに人がいる状況でされるなんて。
「ずるいです、本当に……」
川面を流れていった鈴蘭と白い花は、もう他の花々に紛れて見えなくなった。
けれど、願いは確かに届いた。
――花の神様にではなく、隣にいる大切な人へ。
〈死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜〉・了

