死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「父上! 今すぐこの婚約を破棄してください! か弱い女性を虐げる女を嫁にしては、鷹宮家の名誉は地に落ちます!」
「私はソフィア嬢を救いたいのです! 更木家で虐げられた上に、最後は死神のもとで息絶えるなんて……ソフィア嬢があまりに不憫です!」

 先日、亜蓮が真剣な顔で訴えてきた時、鷹宮子爵は本気で目眩を覚えた。 
 ――ああ、始まった。
 この馬鹿息子は、またしても己の脳内で英雄譚を完成させたのだ。 
 おそらく亜蓮には、 『虐げられた可憐な少女』『悪辣な継母一家』『残虐な死神』『少女を救う英雄』 といった芝居じみた構図しか見えていない。
 実にくだらない。
 だが同時に、子爵は冷静に思考する。
 
(……いや)
 
 そして、一瞬で考えを改めた。
 利用できる、と。
 死神軍医・烏丸祈織――あの薄気味悪い男は、明らかにエミリアの件を嗅ぎ回っている。
 異例の昇進を遂げ、石動中将の後ろ盾まで得た危険人物。
 それを潰すために、子爵はあらゆる手段を講じてきた。
 民衆は『怪物』を恐れる――恐れは噂を呼び、噂は尾ひれを増やす。
 だから、『死神軍医』の二つ名に、大きな尾ひれをつけてやった。
 人体実験だとか、魔性の男だとか、同族殺しの悪魔だとか。
 そう囁き続ければ、いずれ孤立すると思っていた。
 ――ところが。
 
(更木の腰抜けめ……!)
 
 子爵の奥歯がぎり、と鳴る。
 まさか、こちらが流した悪評を、向こうが逆に利用してくるとは思わなかった。
 
『逆らえば死神軍医に殺される』
 
 小心者の更木男爵は、本気でそう信じたのだろう。
 大事な人質を、交渉の手札を、相手に言われるがままに差し出してしまった。
 なんという無能、なんという愚鈍。
 しかし、失ったものを嘆いていても仕方ない。
 祈織がソフィアを保護した以上、今後は真実の追究へ動く可能性が高い。
 ――ならば、今度は先に世論を掌握するまでだ。
 子爵は、興奮した様子の亜蓮を見る。

(……相も変わらず、見栄えだけはいい)

 女受けの良い顔も、英雄然とした立ち姿も、真っ直ぐで愚かな目も――民衆とは、こういう愚直な男を好む。
 
「……そうだな、亜蓮。お前に相応しいのは、雛守ソフィアに違いない」
 
 子爵がそう言った瞬間、瑠璃子と更木男爵の顔色が変わった。
 特に更木男爵は分かりやすい。
 顔を青ざめさせ、鯉のような阿呆面で、口をぱくぱくさせている。
 
(貴様に発言権などない)
 
 子爵は内心で切り捨てる。
 更木家は便利だったが、所詮は成り上がり――土壇場で腹を括れない。
 その点、亜蓮は馬鹿だが、真っ直ぐだ。
 誘導さえすれば勝手に英雄を演じてくれる、実に使いやすい駒だと言える。
 
「哀れな少女を救い、悪の死神を打倒してこそ、帝国の英雄と言えるだろう」
 
 すると亜蓮の目が、ぱっと輝いた。
 
「もちろんです、父上! 必ずやソフィア嬢の誤解を解き、彼女を私の手で救ってみせます!」

 誤解しているのはお前だ、馬鹿め。
 ……と、子爵は内心で吐き捨てる。
 だが、亜蓮はこれでいい。
 単純な筋書きさえ与えてしまえば、自らを英雄だと思い込み、疑うことなく突き進む。
 その愚かさこそが、この息子の最大の価値だ。
 
(烏丸祈織……)

 そして、子爵は忌まわしいその名を頭に浮かべる。
 異様な執念を持つ、退魔軍が認めた天才。
 敵に回せば、この上なく厄介な男だ。

(権威も悪評も恐れぬ、狂気の天才、か。まったく忌々しい……)

 ならば今度は、『死神が少女を誑かしている構図』を作り上げるまで。
 所詮、民衆は真実に興味などない。
 分かりやすい英雄さえ用意すれば、簡単に騙せるのだ。
 その英雄が、実際には救いようのない愚か者であったとしても。