死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

 一週間後――死神軍医に会う夜会の日。
 華やかな音楽が流れる洋館の片隅で、ソフィアは呆然と立っていた。
 男爵たちの命令通り、眩しさと息苦しさに耐えながら待機すること三十分。
 彼女は窓の隙間から流れてくる僅かな風を吸い込みながら、息苦しさをやり過ごしている。

「まあ、あんな暗いドレスを着てくるなんて。悪目立ちしているのに気づかないのかしら」
「喪服みたいで縁起が悪いわ。退魔軍の方々もお見えなのに……」

 ふと、どこかから令嬢たちの囁きあう声が聞こえた。
 嘲笑されているのか、咎められているのかは分からないが、自分のことを言われているのは間違いない。
 明るい社交場の中、場違いな黒いドレスを身につけているのは自分だけだ。
 ソフィアはそう推測するが、それでも恥ずかしいとは思わなかった。
 恥や外聞を気にする心の余裕など、とうに失くしている。

「ねえ、お母様。ソフィアのあのドレスは、お母様がお選びになったの?」

 今度は別の方向から、聞き慣れた嘲笑が聞こえてくる。
 そちらをそっと見やれば、ひときわ豪奢な青のドレスをまとった瑠璃子が、視界に映った。

「『死神軍医』に売り渡すモノですからね。最期くらいは美しくしてやらねばと思ったのよ」
「まあ、お優しいのね。皮肉が効いていて素敵だわ」
「さ、瑠璃子もそろそろ行きましょう。鷹宮中尉をお待たせしてはいけないわ」
「ええ、第一印象は大事だって言うものね」

 パッと明るく微笑んだ瑠璃子は、自身の婚約者を探しに人混みの中へ消えていった。
 ……今なら、この会場から逃げ出せるだろうか?
 そんなことを一瞬だけ考えてみるが、逃げ込む宛てがなければ、ただ野垂れ死ぬだけだ。
 結局、死神の迎えを待つしか道はない、とソフィアはため息をつく。

(それにしても、どうしたのかしら……薬はちゃんと飲んだはずなのに……)

 ソフィアはシャンデリアの不快な光に目を細めながら、首を傾げる。
 体質上、日が出ている時間帯は体調が整わないことも多いが、今日に限っては夜になった今も気分が悪かった。
 状況が普段と違うからだろうか。
 あちこちから聞こえてくる会話の声や靴の音、演奏の音がぐちゃぐちゃに混ざり、ソフィアの頭の中は混沌としていた。
 ああ、早くこの会場から出たい……と考えていた、その時だった。

「失礼、そこのご婦人」

 と、誰かが声をかけてくる。
 とうとう迎えが来たのだろうか、と思ったソフィアは、声をかけてきた相手を見て驚愕した。

「……! 鷹宮亜連、中尉……?」

 そこに立っていたのはなんと、新聞の一面を飾っていた、あの美貌の軍人だった。
 退魔軍の軍服、整った顔立ち、爽やかで堂々とした笑顔――新聞で度々見ていた顔なので、見間違いようがなかった。

「あ、あの……瑠璃子お嬢様をお探しでしょうか? でしたら、先ほどそちらのほうに……」

 ソフィアは最初、瑠璃子と入場していた自分に、彼女の所在を訪ねて来たのかと思った。
 なので、彼女が潜って行った人混みのほうを手で示したのだが……

「いいや、あの性悪そうな小娘に興味はない。私は君に用があって声をかけたんだ」

 彼はあろうことか、ソフィアが示したその手を(うやうや)しく取った。

「え……?」

 微笑みかけてくる鷹宮に、ソフィアは困惑した。
 どうして、瑠璃子と顔合わせに来ていたはずの彼が、そんなことを言うのだろう。
 どうして、こんな場違いなドレスを着た自分の手を取るのだろう。

「先ほど会場入りした時、君は私に視線を送ってきただろう」
「え? い、いえ、そんなことは……」

 ……言われてみれば、会場入りして間もない時、彼に似た人を一瞬見かけた気もしないではない。
 それでも、ソフィアはその人物を注視していたわけではなく、ただ人混みをぼんやり見ていただけだった。
 亜蓮には、それが視線を送ってきているように映ったのだろうか。
 
「違うのです、中尉。私は貴方を見ていたのではなく――」

 釈明しようとするソフィアだったが、亜蓮は「大丈夫」と被せるように言って遮った。

「分かっているから。君は意識していなかっただけで、助けを必要としていた。状況を見れば分かる」
「え? あ、あの……」
「君のドレス姿を見て、更木瑠璃子は嘲笑っていただろう? 卑劣な……公の場でこんなものを着させて、辱めようなんて」

 ……それ自体は間違いではないのだが、それでも、亜蓮が解釈を先走っているのは否めない。
 なにより、『婚約者である瑠璃子を放り出して何をしているのだ』という不信感が、ソフィアはどうしても拭えなかった。

「つらかったね。でも、もう大丈夫だから」

 亜蓮はさらに一歩、ソフィアとの距離を縮めてくる。
 それと同時に、彼がつけている香水のきつい香りが、ソフィアの脳を揺さぶる。
 あまりに不快で、彼の目の前でも鼻をつまんでしまいたいくらいだ。

「いえ、私は――!」
「大丈夫。私にすべて委ねておけば、心配ない」

 ソフィアが口を開いているのに、亜蓮はまったく聞く耳を持とうとしない。
 確かに、ソフィアにも助けてほしいという気持ちはあるが、今は状況を引っ掻き回さないでほしいというのが正直な気持ちだった。

「中尉、分かりましたから、手を離してください……!」

 こんなところを更木家に見られたら、どうあがいても修羅場は免れない。
 瑠璃子の不興を買えば、どんな酷い報復を受けるかもわからないのだ。
 その上、迎えに来た死神軍医も居合わせたら……と思うと、ソフィアは恐ろしくてたまらなかった。
 
「心配しないで、私に任せて。――諸君、少しだけ時間をいただきたい。今ここで、私から重要な話がある」

 亜蓮は粛々とした態度で、声を張り上げた。
 途端、優雅な音楽はピタリと止まり、人々が一斉に振り返った。

「今この場において、私は宣言する。今日この瞬間から、彼女が私の花嫁だ!」