死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「ぐっ、ンンンッ……! ――はあ……落ち着いた?」
「はい。祈織さんは大丈夫ですか?」
「平気だよ、ありがとう」

 事態が収束した頃には、既に日が傾いていた。
 陰陽学校の一室を借り、手早く吸血をさせてもらった後、ソフィアは祈織とともに救護所へと向かう。
 救護所となった学校の敷地は、事故の負傷者で埋め尽くされていた。
 救護要員として控えていた医療部隊の隊員たちが、慌ただしく応急処置にあたっている中、負傷したブランもまた、リンの処置を受けていた。

「リンさん。ブランはどうですか?」
「大丈夫よ、大した怪我じゃないわ。ソフィアちゃんがすぐに治癒してくれたから、深刻な影響もないでしょう」
「よかった……!」

 ブランは意識こそあるものの、力なく茣蓙(ござ)の上に横たわっていた。

「とはいえ、牛鬼に蹴られて霊力波をモロに受けたから、一応今夜だけ入院しましょ。なにも問題がなければ、すぐに帰れるからね」
「ありがとうございます、リンさん。……ブランも、守ってくれてありがとう」

 ソフィアは横たわるブランの頭を撫でてねぎらう。

「ソフィアちゃんが大切にしてくれるから、ブランちゃんも大切にしなきゃって思ってるんでしょうね。格上のあやかしを相手に体を張って、よく頑張ったわ」 
「本当に、ブランのおかげで命拾いしました。退院したら、貴方の大好きなご飯を作りますからね」

 ソフィアが穏やかに声をかけると、ブランは返事の代わりに、尻尾の先をふわっと浮かせた。

「リンさん、医療部隊の指揮を引き続き頼む。僕は少し、彼女と話をしてこないとだから」
「ハイハイ、あんまりおブスになるんじゃないわよ」

 リンの台詞を聞いて、ソフィアは、踵を返した祈織をふっと見た。
 そして、ほんの一瞬だけ見えた横顔に、背中がひやりと冷たくなったのを感じた。

(怒ってる……? ……いや、違う。これ、怒っているんじゃない)

 これまで、祈織の怒りを何度か目にしてきたソフィアだったが――今の彼の横顔から読み取れたものは、そんな感情的かつ短絡的なものではなかった。
 まるでよく研がれた刀の刃先のような。
 むしろ感情を極限まで殺した、そんな冷血さだ。
 胸騒ぎがしたソフィアは、お手洗いに行ってくるとリンに告げ、祈織の後をそっと追いかけた。

 祈織がやってきたのは救護所から離れた一室だった。
 ドアを開け、中にいた学校の教員らしき人と何かを話してから、祈織は部屋に入っていく。
 入れ替わりで出てきた教員に見つからないようやり過ごしたあと、ソフィアは扉の前に立って、こっそり聞き耳を立てた。

「か、烏丸様……っ!」

 聞こえてきたのは、瑠璃子の声だ。
 問題を起こしたとして、別室で一人だけ隔離されていたのだろう。
 自分が厳しい立場にいることを理解しているのか、瑠璃子は祈織の前でしゃくりあげて、しおらしく振舞っていた。
 先ほどの悪意に満ちた笑みとは真逆の、媚びたような泣き顔が脳裏に浮かぶ。

「うう、私、怖かったです……っ! みんな私の言うことを聞いてくれなくて、本当にどうなることかと思いましたわ……!」 
「……君、どうしてあやかしたちが言うことを聞かなかったか、分かってる?」

 はあ、とあえて聞かせるようなため息をつく祈織。
 本気で分からないのか、「え……?」と聞き返す瑠璃子に、祈織は淡々と述べた。
 
「あやかしたちにとって、霊力は生命を維持する糧だ。十分な霊力を得られない術者には従わないし、強制的に従わされようものなら反発する。そういうものだろう。さっきの暴走現象は、未熟な術者が冒す典型的な失敗例だ」
「未熟……? わたくしが、未熟……?」

 ソフィアは、瑠璃子が両親からずっと甘やかされ、褒めそやされてきたことを知っている。
 ゆえに、今の彼女の『信じられない』といった反応もむべなるかな、と思った。
 ――彼女には、怒られる耐性がないのである。
 これまで、誰かから明確に酷評されたことがなかったがために、祈織の言葉を受け止められずにいるのだ。
 
「特に牛鬼は気性の荒い、凶暴な上級あやかしだ。中途半端な強さの霊力で無理やり従えようとすれば、ああして暴走するに決まってる。そんなことも想像できなかったわけ?」
「し、仕方ないではありませんか! 上位のあやかしを喚んだのは初めてだったし、そこまでの知識もなくて――」 
「知識がない、だ?」

 厳しく責められた瑠璃子は、しどろもどろと言い訳をするが、祈織には逆効果だった。
 
「君は学校で何を学んでいた? 生態を知らないあやかしを喚び出すのがどれだけ危険か、学校に通ってるならいの一番に教わるはずだ。君が実力を驕り、甘い認識のままむやみに召喚した結果がこれだ」

 先ほどの悲惨な光景が、ソフィアの脳裏に蘇る。
 牛鬼のせいで崩壊した屋台や展示品の残骸が散らばる中、瓦礫から救助されていた人がいた。
 蟲に攻撃されて、血を流しながら逃げ回っていた人たちもいた。
 あれはもはや、町が怪物に襲われた時と、何ら変わらない状況だったといえる。

「あやかしに蹴られて気絶した市民もいる。一歩間違えたら死人が出ていたんだ。これは重大事案だぞ!」
「……っ私は、悪くありません!」

 真正面から怒鳴られて、瑠璃子は恐怖と怒りに声を震わせながらも、反論した。

「全部、私を怒らせたソフィアのせいですわ! ケガレの分際で私のブランを奪って、亜蓮様を惑わせたのよ! あの女が()()()()()()()()()()()、亜蓮様に殺されていれば、私だってこんなことには──!!」

 ここまで冷静にやりとりを聞いていたソフィアだったが、瑠璃子が零したその台詞を聞いた瞬間、彼女は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
 
「どういう、ことですか……? 『計画どおり』って……」
「! ソフィアさん、君、ついてきて……!」
「お嬢様……私の発作は、仕組まれたことだったのですか……?」

 気づけば、ソフィアは部屋のドアを開け、真実を問いただしていた。
 唇が震えて、上手く動かなかった。
 あの夜、決定的な発作を起こしてしまってから……ソフィアは吸血衝動に、怪物に変わっていく自分に、葛藤することになったのだ。

「答えてください……あの日、私が発作を起こしたのは、お嬢様のせいなのですか……?」

 ――あの不幸な出来事さえなければ、自分はまだ平穏でいられた。
 ――けれど、自分は本当に運が悪かったのだ。
 そう思って、ソフィアはもがいて苦しんで、運命を受け入れていた。
 けれど、あれが偶然ではなく、第三者の悪意によって引き起こされた『必然的な出来事』だったのなら……話は大きく変わってくる。

「……ふふふ、あはははっ!」

 瑠璃子はソフィアの登場に最初こそ驚いたものの――彼女の当惑した顔を見て何を思ったのか、高笑いをしだした。

「盗み聞きなんていい趣味をしているのね、卑しいケガレのやることだわ。でもね、私のせいだというのは間違いよ? だって、瓶の中身を勝手に治療薬だと勘違いして飲んだのは、お前自身だもの」

 瑠璃子は開き直ったのか、ソフィアや祈織に問われるまでもなく、ペラペラと詳細を喋りだす。

「そもそも、お仕着せに大事な薬の瓶を入れっぱなしにして離れたのがよくなかったのよ。だから、私に易々とすり替えられちゃったの。それを疑うこともなく飲んだのだから、滑稽ですこと。本当に何も学習しないお馬鹿さんなんだから!」

 自分が何を告白しているのか、まるで理解していない口ぶりだった。
 ソフィアを傷つけ、命の危険に晒し、怪物に変えようとした――そのすべてを、瑠璃子は悪事ではなく、ソフィアの落ち度として語っている。

「……そして、吸血鬼化したソフィアさんを鷹宮中尉に討伐させ、戦績のひとつに加えてもらおうとした……か?」
「ええ、そうですわ。だって、婚約者に献身するのは当然ですもの。なのにあの方と来たら――」
「もう結構」

 祈織は心の底から蔑むような冷たい口調で、瑠璃子を強制的に黙らせる。
 そして、二回ほど深呼吸をしてから、再度口を開いた。

「ありがとう、教えてくれて。一応聞くけど、ソフィアさんを騙したことと、今の発言もすべて含めて……君は今、更木製薬の社会的信用を失墜させたんだけど、その自覚はあった?」
「えっ……えっ?」
「血毒の治療薬を製造する会社の社長令嬢が、血毒の患者に発作を促す薬を飲ませた。……これって、とんでもない醜聞(スキャンダル)だよ」
「――っ!!」

 祈織の言葉の意味を理解した瑠璃子は、一瞬で青ざめた。
 瑠璃子には、ソフィアを貶めたことに対する罪悪感など、欠片もなかった――だからこそ、動揺したソフィアを見た瞬間、面白くて喋ってしまったのかもしれない。
 けれど、更木製薬の社長令嬢として、彼女は致命的な判断ミスを冒した。
 社長令嬢として会社の体面を考慮するならば、瑠璃子は軍属の祈織に対し、堅く口を閉ざすべきだったのだ。
 厳しく叱責され、追い詰められた瑠璃子には、乱れた感情を制御することができなかった。

「さて、詳しい話を聞かせてもらおうか。更木瑠璃子」

 すると、部屋の隅に控えていた退魔軍の兵士たちが、彼女を両脇から拘束しはじめる。

「な、なによ!? 貴方、ただの軍医でしょう!? なんの権限があって、こんな――!」
「帝都退魔軍・御目付役内部監査官。僕のもうひとつの肩書きだよ」

 祈織は瑠璃子の声を遮るようにして言い放つ。

「残念だけど、僕には君を逮捕できる権限があるんだよ。君は鷹宮家の功績のでっちあげに加担した、容疑者だからね」
「え……? い、いや……嘘でしょ……!? 私、まだ学生なのよ!? 男爵令嬢なのよ!?」

 瑠璃子は震える声で、必死に喚く。
 けれど、祈織は顔色一つ変えず、「だから?」とただ冷たい目で瑠璃子を見据えるだけだ。

「こんなの、子供がやったことでしょう!? 連れていくなんて大袈裟じゃない!」
「…………子供がやったこと?」

 祈織の声が、ひときわ低く響く。
 地震でも起きているのではと錯覚するほどの、重い振動。
 冷たい刃物のようだった祈織の瞳が、一瞬で全てを焼き尽くすような熱を帯びた。

「……君は、あの薬が血毒の発作を引き起こす『劇薬』だと知っていた。その上で、血毒の患者に『薬』だと誤認するようにすり替えた。血毒の発作で不可逆的に吸血鬼化した人間は、現行法では死亡者として扱われる。……これの意味するところが分かるか、小娘(クソガキ)

 祈織は両脇を抱えられた瑠璃子に詰め寄りながら、淡々と述べて──彼女の着物の衿を掴みあげた。

「『子供だから』で済むわけがないだろう。お前は人を殺そうとしたんだ。しかも、血毒の患者を平然とケガレの蔑称で呼び続けて、発作で苦しめた挙句に『滑稽』だ? 人命軽視も甚だしいぞ、畜生が」

 殺意を隠すことなく滾らせて、あらん限りの憤怒を込めて、祈織は矢継ぎ早に言い切る。
 もはやなにも言い返せず、青い顔でひゅ、ひゅ、と浅く息をする瑠璃子。
 祈織は掴んでいた胸倉を離すと、今一度冷静に、そして冷徹に言い放った。

「覚悟しろ。お前はこれから社長令嬢ではなく、前科者として生きることになる。命を弄んだ罪がどれだけ重いか、この先の人生をかけて思い知るといい」

 完全に戦意を失った瑠璃子が、顔面蒼白の状態でうなだれる。
 兵士たちに両脇を抱えられ、瑠璃子はずるずると連行されていった。

「……瑠璃子が加害を自白した。これより更木製薬を捜査する。石動中将にもそう伝達しろ」
「はっ」

 祈織に命令された兵士が、敬礼をして速やかに去っていく。
 扉が閉まる音がして、瑠璃子と兵士たちの足音が遠ざかっていく。
 それを聞きながら、ソフィアはその場にへたりこんだ。
 身体から力が抜けて、立っていられなかった。
 怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか、自分でもよく分からない感情が、ぐちゃぐちゃに絡まり合っていた。
 
「ソフィアさん……」
 
 祈織の声が、すぐそばで聞こえる。
 けれど、ソフィアは返事をすることができなかった。
 ただ茫然と、床を見つめていた。