死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「ブランを返しなさい、泥棒女!」

 息を荒げながら要求する瑠璃子。
 ソフィアはそれを受け、傍らのブランを見やった。
 ブランは両耳を真横に倒し、ジッと瑠璃子を見ながら警戒している。

「戻ってきなさい、ブラン! お前の世話をしてやったのは誰だと思っているの!? 私から受けた恩を忘れるつもり!?」

 微動だにしないブランに、瑠璃子は命令する。
 けれど、ブランはそれでも彼女をじっとり睨んだままだ。
 ふわふわの尻尾を(ほうき)のように逆立て、飛びかかる準備をするようにお尻を突き上げている。

「……お、嬢様……ブランは貴方を怖がっています。命令するような口調は、どうか控えて――」 
「お黙り、ケガレ! 喋っていいと言った覚えはないわ!」

 ソフィアは震える声で訴えるが、瑠璃子は聞き入れることなく、ぴしゃりと一蹴した。
 まるで、喋ること自体が不快だとでも言うようだ。

「私の亜蓮様を惑わせた上に、ブランまで奪うなんて……病で心まで腐り果てたのね……!」

 睨まれて、ソフィアの背筋に怖気が走る。

「ねえ、貴方! 良心があるなら、瑠璃子様の式神を返してあげて!」
「人の式神を泥棒するなんて酷いわ!」

 瑠璃子の友人たちが、訴えてくる。
 なんだろう、と周りの客がソフィアたちを注目し始める。
 視線と声が突き刺さる。
 まるで、自分が悪者だと言われているようだった。
 ――私は、ブランを彼女に返さなければいけないのではないか。
 という思いが、ソフィアの頭をよぎる。

「フギャアアア……!」
 
 けれど――ブランの威嚇の鳴き声を聞いて、すぐにその思いは消えた。
 だって、ソフィアのもとにいたブランは、間違いなく平穏だったはずだ。
 屋敷にいた頃はあんなにソフィアを引っ掻いていたのに、保護されてからのブランは、一度も誰かを攻撃しなかったのだから。
 
「ブラン、思い出して! お前の主は誰? お前を式神として召喚したのは誰? わたくしでしょう!?」
「フギャアアアアッ!」

 瑠璃子の訴えを否定するように、ブランが再び鳴き声をあげる。
 全身の毛を逆立てて、いよいよ飛びかかってしまいそうだ。 
 瑠璃子の肩を持っていた友人たちも、様子がおかしいと気づき始めたのか……瑠璃子を威嚇し続けるブランに困惑しつつ、お互いに顔を見合せたりしていた。
 友人たちの前に立つ瑠璃子だけが、周囲の困惑に気づいていなかった。
 
「……ッ、なんてことしてくれたのよ! 私のブランをこんなに大きくて醜い猫に変えてしまって! せっかく運動も食事制限もして、見た目も整えてやっていたのに!」
「――!」

 ソフィアの中で、逃げてきたブランを保護したときの記憶が蘇る。
 ――抱き上げて家に運んだ時の、驚くべき軽さ。
 ――ゴツゴツした骨の感触。
 ――ボサボサの体毛。
 ――疲れきった、悲しげな青い目。
 瑠璃子は、ブランのそれらの兆候を全て無視して、あろうことか術で隠していた。
 自分の考えだけをひたすら押し通し、ブランを飢餓の一歩手前まで追いやった。
 ……だというのに。
 
「……お嬢様。ブランはこの姿が一番霊力が安定するんです。お散歩する力もあって、毛もツヤツヤで、とても可愛いです。醜いなんてとんでもありません」

 ――腹が立つ。
 ブランのことをなにも見ていない、見ようともしない怠慢さ。
 ブランを苦しめてもなお、『愛情』だと言い張る傲慢さ。
 ソフィアには、それがどうしても許せなかった。
 
「お前に何がわかるの!? この子の好物も、好きな遊びも分からないくせに……」
「ブランは南瓜が苦手なんですよ」
「は?」

 ――ほら、貴方の好きな南瓜のケーキよ。
 瑠璃子はいつもそう言って、ブランにそれを与えていた。
 それを真正面から『苦手』と否定されたからか、瑠璃子は戸惑っていた。
 否定してきたのがソフィアだったから、というのもあっただろう。
 
「なに、そんなでたらめを……」
「ブランは私の前では南瓜を一切口にしませんでしたよ」
「それは、お前の餌が気に入らなくて……」
「焼いたお魚やお芋は、おやつにあげるととても喜んでくれますよ。ご存知ではなかったのですか?」

 瑠璃子がグッと唇を噛み締め、言い淀んでいる。
 おそらく、知らなかったのだろう――動物を飼った経験のないソフィアでも、観察していればすぐに分かることなのに。

「っ、そんなの関係ないでしょう!? 私がその子のためを思ってやってきたことが、間違っていたと言いたいの!? 私のやり方に文句なんて――」
「ブランはっ!!」

 イライラしていたからか――自分でも驚くほど大きな声が出た。
 ソフィアは、今までにない大声で、瑠璃子の主張を遮っていた。
 
「この子は、霊力欠乏を起こしていました! 貴方は十分な霊力をこの子に与えていなかった! ずっとお腹を空かせて、苦しんでいたんです! それでも貴方を傷つけたくなくて、怒らせたくなくて、ずっと我慢していたんです!」

 霊力を糧とする式神にとって、霊力の枯渇は死に直結する。
 下級の式神を従える程度の霊力しか持たない瑠璃子が相手なら、ブランも本気を出せば反発できたはずだ。
 けれど、ブランはそれをしなかった――仕方なく攻撃していたソフィアですら、最小限に留めていたのだ。
 
「ブランは優しいから、仕方なく受け入れていただけ! 貴方がしてきたことは、ただのごっこ遊び……この子の命を弄んだも同然です!」

 ソフィアが断言した瞬間、瑠璃子の可憐な顔が、鬼の面のようにゆがんだ。
 幼稚な苛立ちに満ちた顔が、ここまで醜いとは……と、ソフィアは心のどこかで冷静に思う。
 
「ごっこ遊び、ですって……!? ケガレのくせに、わたくしを侮辱するの……!?」

 瑠璃子は鼻息を荒くして歩み寄り、「いいから返しなさい!!」とブランを無理やり連れていこうとする。
 しかし、彼女の手がブランに触れる寸前――パッとまばゆい光が、ブランを包んだ。

「なっ……!?」
「ブラン!?」

 ブランの体はどんどん大きくなり、ソフィアの胸の高さまで膨らんだところで、光が消えた。
 現れたのは、蝶のように大きな耳と、純白の毛を持つ、しなやかな体躯の猛獣だった。

「ブラン、貴方……」
「ガロロロロ……!」
 
 一頭の気高い虎のような姿になったブランが、鋭い牙を見せつける。
 瑠璃子は、ひっ、と声を上げて後ずさった。

「それが、貴方の本来の姿なの……?」

 ソフィアはたっぷりの毛をたくわえた、ブランの首あたりにそっと触れつつ言う。
 すると、ブランは青い目をゆったりと細めて、ソフィアを見つめ返した。
 まるで、微笑まれているようだ。
 それを見た瑠璃子が、悲鳴をあげるように叫び出す。

「どうしてっ……? 私が、ケガレよりも劣ってるっていうの……!? 亜蓮様も、ブランも、どうしてその女を選ぶのよぉ!?」

 声に涙を孕ませた瑠璃子は、今にも地団駄を踏みそうだ。
 華族の令嬢とは言い難い瑠璃子の振る舞いを見て、ソフィアはハッと目が覚めたようだった。
 
 ――こんなの、身勝手でわがままなだけの子供じゃないか。
 ――高潔な華族たらんと怒りを抑え、毅然と振る舞うこともできない、未熟者。
 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……お嬢様。貴方の霊力では、ブランを使役することはできません。この子にとっても、貴方にとっても、荷が重すぎます」
「うるさい!! ケガレが、私を見下さないでよ!! 私と違って、大した才能もないくせに!!」

 怒り狂った彼女を見ても、ソフィアはもう動じなかった。
 瑠璃子は絶対的な支配者などではない――ただ、自分の思い通りにならないものを許せず、癇癪を起こしているだけの幼い少女だ。
 心の隅に残っていた僅かな暗雲までもが、綺麗に晴れたようだった。
 静かに振る舞うソフィアに、瑠璃子はますます怒りを滾らせて……ついに実力行使に出た。
 
「分からせてやる……お前がどんなに下で、私がどれだけ上なのか、思い知らせてやる!」

 瑠璃子が、なにかの詠唱をはじめる。
 友人たちは、彼女が何をしようとしているかを早々に悟り、悲鳴をあげて逃げ出す。
 そしてソフィアにも、その術が何なのかはすぐに分かった。
 式神として使役するための、あやかしを喚ぶ術――しかも上位のあやかしだ。
 瑠璃子の霊力量では、たとえ喚び出せたとしても、使役できるはずがない。

「危険です、お嬢様! やめて!」 

 陣が二重、三重と浮かびあがり、光を放ち始める。
 光の中から現れたのは、上級あやかしの代表格――気性が荒く、力も強いとされる『牛鬼』だ。
 しかも、周囲には白い蛾のような、多数の蟲のあやかしたちも従えている。

「さようなら、ソフィア」 

 詠唱を終えた瑠璃子が、にやりと微笑むのと同時に、牛鬼が声高に(いなな)いて、暴れだした。
 まずい、蹴られる――と思った次の瞬間、ブランが「グオォォ!」と唸り声を上げて牛鬼に飛びかかった。

「ブラン!?」

 けれど、牛鬼の体躯は大きく、ブランの牙と爪をもってしても完封できない。
 揉み合っているうちに、ブランの脇腹が後ろ脚で蹴り飛ばされてしまう。

「ブラン! 大丈夫!?」

 地面に転がったブランに、ソフィアは急いで駆け寄る。
 むくりと起き上がるブランだが、蹴られた箇所が痛むのか、少し動きがぎこちない。

「待ってて、すぐに癒すからね」

 ソフィアはブランの脇腹にそっと手を当て、霊力を流し込む。

「やめて、止まりなさい! 私の命令を聞いて!」

 治療をしていると、少し離れたところから、瑠璃子の必死な声が聞こえてきた。
 やはり、彼女の霊力では、召喚したあやかしを式神化なかったのだろう――牛鬼はもはや、ソフィアもブランも見ていなかった。
 錯乱した状態で、周囲の店や展示品などを壊しながら暴れ回っている。
 もちろん、牛鬼だけではない――一緒についてきた蟲たちも制御を失って、通りすがりの客たちを無差別に攻撃していた。
 既に収拾がつかないほど、状況は混沌としていた。

(どうしよう……! あんなにすばしっこいあやかしが何体も……! どうしたら……っ)

 この人混みで、一網打尽に捕まえる方法が思いつかない。
 ソフィアの知識ではどうにもできない、と困り果てた時だった。

「ヒィ~ヤッハァ~!!」

 突然、奇声が聞こえたかと思うと――その辺を暴れ回っていた牛鬼の背中に、上空から降ってきた誰かが飛びついた。

「つっ、かまえたぁ~! オラ、こっちだぁ!」
「ヌイくん!?」

 牛鬼の背中にしがみついたヌイが、そのまま牛鬼を乗りこなしていた。
 激しい揺れをものともせず、腕を高く振り上げて叫ぶ彼は、実に弾けて楽しそうだ。
 さらに、呆気にとられるソフィアを囲むように、祈織とリンが駆けつける。

「なんの騒ぎかと思えば、あの馬鹿令嬢……!」

 あやかしたちが暴走している惨状に、祈織が舌打ちをしているのが聞こえた。

「ったく、最悪だわ……! 牛鬼なんか喚んじゃって、完全に錯乱状態じゃない!」
「リンさん、送還できそう?」
「牛鬼単体ならね。でも、蟲までまとめてはキツいわ。数が多すぎる」

 リンは舌打ち混じりに言いながら、空中へ数枚の呪符を放つ。
 呪符は蝶のようにひらりと舞い上がると、暴れ回る蟲たちの頭上で光を弾けさせた。
 突然の閃光に驚いた蟲たちが、動きを止める。

「なら、ちょっと無茶してもらうよ。――送還術式を直ちに展開! 霊力は僕が補助する!」
「はいはい、引き受けたわよ!」

 リンが両手を打ち鳴らした瞬間、幾重もの術式陣が空中へ展開される。
 同時に、祈織の周辺に、濃密な霊力のにおいがたちこめた。

(――これ、祈織さんの霊力のにおい!?)

 なんて濃い霊力だろう、とソフィアは思わず息を呑む。
 空気そのものが重くなるほどの、強大な霊力を放出させながら、

「来い、蟲ども! 僕の霊力をくれてやる!」

 と祈織が呼びかけた。
 すると、そこらじゅうを飛び回っていた蟲たちが、一斉に彼の霊力に吸い寄せられてくる。
 真っ白な矢の雨が降り注ぐように、蟲たちが四方八方から殺到した。
 
「『歪な声に囚われし汝らへ、安寧たる帰途の導きを――』」
 
 同時に、リンの詠唱とともに、地面へ白い陣が広がっていく。
 それはあやかしを滅するための術ではなく――瑠璃子に突然喚ばれてしまった彼らを、元いた場所に還すための術だった。

「さあ、アンタたち――在るべき処へ還りなさい!」

 リンの術式構築が完了すると同時に、四人を取り囲むように、半球状の白い陣が現れた。
 祈織の霊力で引き寄せられたあやかしたちは、白い陣へ触れた瞬間、淡い光へ変わって消えていく。
 まるで、流れ星が間近で弾けているようだった。
 
「すごい……!」
 
 ブランを癒しながら、ソフィアは呆然と呟く。
 祈織とリンの呼吸は、長年馴れ合った術師同士のそれだった。

「ヌイ! 牛鬼をこっちに投げろ!」
「あいよぉ!」

 祈織が命じると、ヌイの全身からどす黒い霊力が噴き上がった。

「え――?」

 ソフィアは目を見開いた。
 小柄な少年の体が、一瞬で膨れ上がる。
 漆黒の一本角、鋭い牙、獣のような筋肉、影そのものを凝縮したような黒い肌――

「けけけっ! そぉれ、牛投げだぁ!!」

 巨体の黒い鬼へ変貌したヌイが、牛鬼の角をむんずと掴んで持ち上げる。
 牛鬼の巨体が宙に浮かび、暴れる脚がむなしく空を切る。

(これが、ヌイくんの本来の姿……!)

 なんて怪力だ――とソフィアは呆然とその光景を見ていた。
 あれほど猛威をふるった牛鬼を、ヌイは軽々と持ち上げている。
 まるで泣いた赤子を抱き上げるかのような、容易さで。
 すると、ヌイは牛鬼の角を掴んだまま、ぐるぐると振り回し、
 
「オラァァァァァッ!!」

 掛け声とともに、白い陣に向かって力任せにぶん投げた。
 牛鬼の巨体が、嘶きと共に光に吸い込まれていく。
 それを最後に、白い陣が霧散して消えていった。
 祭り会場に、静寂が戻る。
 ソフィアはようやく息を吐いた。

「ブラン、大丈夫……?」

 抱きしめたブランが、少し苦しそうに息をしている。
 けれど、治療されて落ち着いたらしい――ブランは普段の猫の姿に戻り、くたっとソフィアに身を預けていた。
 そこへ祈織が駆け寄ってくる。

「ソフィアさん、ブラン! 怪我は!?」
「だ、大丈夫です! ブランの治療も、今終わりました……!」

 祈織はブランの脇腹を確認し、「よかった……」と、ほっと息を吐いた。

「にしても、相変わらずとんでもない霊力量よねぇ、祈織ちゃんたら……この数のあやかしをまとめて返すなんて、普通は無理よぉ?」
「リンさんがいたからできたんだよ。式神関係の術はリンのほうが得意だからね。ほんと、討伐隊が出動する事態にならなくてよかったよ……」

 祈織はげんなりした顔でこめかみを押さえる。
 その間にも、周囲では陰陽医局の職員たちが慌ただしく動き回っていた。

「赤い腕章の人が優先です! 他の方は待機を――」
「他に蟲に齧られた人はいませんか!」
「こっちに担架持ってこい! 牛鬼に蹴られて骨がいってる!」

 負傷者たちが次々と運ばれていく。
 少し離れた場所では、錯乱した瑠璃子が退魔軍の隊員たちに取り囲まれていた。

「違うの! 私は悪くないわ! あのケガレが……!」
「落ち着いてください、更木令嬢!」

 瑠璃子はソフィアを指さしながら、あの女が悪いだの、あいつは泥棒だのと喚いていた。
 けれどソフィアは、もう彼女を見ても怯えなかった。

「ソフィアさん、とりあえずブランを救護所へ運ぼう」 「……はい」

 ソフィアはブランを抱えて立ち上がる。
 まだ祭り会場は騒然としていたが、それでも先ほどまでの絶望的な混乱は、もう消えていた。