迎えた祭りの一日目は、実にいい散歩日和だった。
柔らかな風が吹くたび、祭り用の旗や花飾りが揺れる。
通りを行き交う人々もどこか浮き立っていて、子供たちの笑い声が絶えない。
「今日は晴れてよかったですね、ブラン」
「ミャーン」
午前十時を示す時計台の下で、ソフィアは日傘を手に待ちぼうけをしている。
新しい水色のリボンでおめかししたブランは、花壇にふすふすと鼻を寄せつつも、ゆったりと尻尾を振ってご機嫌だ。
「あ、いた! おーい、ソフィアさーん!」
しばらくすると、待ち合わせをしていた壱子が息を切らせて走ってきた。
「ごめんね~! お兄ちゃんたちのご飯用意するのに手間取っちゃって!」
「大丈夫ですよ、こちらも今来たばかりですから。どこから回っていきますか?」
ソフィアは事前に手に入れた広告を広げ、壱子に尋ねてみる。
「とりあえず、古市に行ってみません? けっこう面白い掘り出し物があるんですよ! 手作りの浴衣とか、式神用の可愛い首輪とか!」
「それは楽しそうですね、行ってみたいです」
「よしっ、じゃあ早速行ってみよ~っ!」
思えば、遊ぶ目的で帝都の街に出るのは初めてだ。
屋台から漂ういい匂い、街を賑わせる声、色鮮やかな工芸品、珍しい大道芸――様々なものが、ソフィアの五感と好奇心を刺激してくる。
目的は明日の本番に備えた下見だったのだが、もうこの時点で楽しんでしまいそうだ。
焼き芋に、可愛い根付、提灯にガラス細工――とあちこちを巡っていると、時計の針はあっという間に正午を回っていた。
「ソフィアさん、この後はどうします? うちのお兄ちゃんたちと合流するんですけど、一緒に遊びます?」
広場で屋台の食べ物を堪能しながら、壱子が言う。
「いえ、私はあと一時間ほどでおいとましようと思います。ブランをあまり長時間連れ回すわけにもいかないので……」
「そっかぁ、残念です……。じゃあ、これを食べたら、最後にもう一軒だけ回りましょっか!」
本当はもう少し遊んでいたい気持ちもあるが、壱子の家族団欒の時間を邪魔するわけにもいかない。
ブランも体力が戻ったとはいえ、そろそろ疲れが出てくる頃合いだろう。
「そういえば、お花の種はどうなったんです? 副長に贈るお花、決めました?」
壱子に言われて、ソフィアは肌身離さず持っていた水晶玉を取り出す。
およそ二週間――彼に気持ちが伝わりますように、と丹念に霊力を吹き込んだ種は、いつの間にか蕾をつけていた。
「お、これは藤の花ですかね? ちっちゃくて可愛い〜」
「ふふ、祈織さんに似合えばいいなと思って……」
しなやかな曲線を描く枝の先端には、小さな蕾がついている。
薄紫色に膨らんだそれは、今か今かと開花の時を待ちわびていた。
「んっふふ~いいですねぇ、甘酸っぱくて! ソフィアさんならきっと、副長に伝わりますよ!」
「ありがとうございます。頑張って渡しますね」
壱子がソフィアの頬をつんつんつつく。
くすぐったいやら恥ずかしいやら、けれど、悪い気はしない。
(……これ、なんて言って渡せばいいんだろう)
祈織にもらったものは、花だけでは到底返しきれないほど大きい。
できるなら、言葉でも想いを伝えたいものだ。
溢れんばかりのこの気持ちを凝縮して伝えるには、一体どうしたら――。
そう考えていると、不意に
《間もなく、一時三十分より、帝国退魔軍海兵隊による演奏会が始まります――》
と、どこかからくぐもった人の声らしき音が聞こえてくる。
ラジオの音声に似ている気がするが、なんだろう……とソフィアは辺りを見渡した。
すると、少し離れたところに立った柱に、箱形の機械のようなものがくくりつけられているのを見つけた。
「あれって、放送設備ですか?」
「うん、そーだよ。ソフィアさんは初めて見た感じ?」
「ええ。この会場、あちこちに新しい設備がありますよね。お祭りの様子も、ラジオで中継するって聞きましたし……」
「今年から始まったらしいですよ。退魔軍が使ってる無線設備を転用できないかって、試験的に導入してるそうです!」
壱子の説明を聞きつつ、ソフィアは「へえ」と興味深く観察する。
たまに聞いていたラジオも、こんなふうに声を届けていたのか、と思って見ると面白いものだ。
「あ、そういえば、ソフィアさん! 今年はなんと、転移装置も使えるんですよ!」
「転移装置ですか……!?」
ソフィアは驚きの声を上げる。
というのも、転移装置は軍用に作られたもので、一般人は滅多に使えるものではない。
「じゃあ、この『鏡のカラクリ屋敷』も、転移装置を使えば……」
「そうそう、すぐに行けるんですよ! 確か、陰陽学校のすぐ近くですから、あの屋台の向こうにある装置から行けますね!」
もしかして、遠すぎて時間に間に合わないかもしれない、と諦めかけていた展示品だ。
「じゃ、ご飯を食べたらすぐに行きましょっか!」
という壱子の声に、ソフィアは喜色満面で「はいっ!」とひときわ元気な返事をした。
*
鏡の術を使った展示は、ソフィアの想像を軽く越えてきた。
「おーこりゃすごいねえ! 学生さんの展示ではダントツ一位かも!」
「本当にすごいです……こんなこともできるなんて」
動物たちが歌う山の景色も、雲の上の透き通る青空も、夜闇に輝く光の花畑も――目の前に広がるのは間違いなく異世界なのに、現実と遜色ない空間だった。
「鏡に景色を投影させる術、でしたっけ。学生さんはすごいものを習うんですね……」
「ね~! 発想も面白いし!」
四方を鏡で囲って、その中に学生たちが想像して作り上げた風景を投影する――鏡に望んだ光景を投影させる術を、こんな作品に昇華してしまうなんて、驚愕しきりだ。
夢中で楽しんでいると、鏡の空間が夜会の場面に変わる。
硝子でできた豪華な建物、その向こうに巨大な満月が浮かび、薄暗い場内が淡く照らされた。
「ふふ、ブランは毛が真っ白ですから、光ってるみたいですね」
ソフィアの腕に抱えられたブランが、体の中に蝋燭を灯したように発光している。
鏡に投影した月の光が、ブランのふわふわの体毛を照らしていた。
「ソフィアさんも綺麗ですよ! ほら、袴がちょうどドレスみたいになってます!」
ソフィアの袴にも月明かりが投影され、ちょうどドレスのようにきらめいていた。
(あの日の夜会も、こんな景色だったのかしら)
あの時は今よりもずっと暗い気持ちだったから、下ばかり見ていた。
今、こうして想いを馳せることができているのは、それだけ回復できたという証拠なのだろう。
そんなことを考えているうちに、鏡に投影された風景の中で、透明なガラスの人形がくるくると優雅に踊り出す。
もし、あの夜――不安も発作もなく、ただ純粋に夜会を楽しめていたなら。
(祈織さんと、一曲くらい踊ってみたかったな……)
展示の中で戯れに踊り出す子供たちを見て、ソフィアはふう、とため息をついた。
*
家族と合流した壱子に別れを告げ、さて帰ろうかとソフィアは歩き出す。
ブランはやはり疲れたようで、ソフィアの腕に抱えられたきり、一向に降りようとしなかった。
(ちょっと連れ回しすぎたかしら……でも、私もそろそろキツいかも……)
並の猫よりも重めなブランを抱えていると、ソフィアの息もふうふうと弾んでくる。
ソフィアが一旦休憩しようとブランを下ろせば、ブランはやや不満げに「ンミャーウ」と鳴き声をあげた。
「ちょっと待ってください、ブラン。そろそろ水分補給しないと……」
汗だくになりながらベンチに腰を下ろし、水分を摂る。
本当は祈織の血を飲めれば一番いいのだが、今は水で我慢だ。
彼が仕事から帰ってきたら、すぐに血をねだることになるのだろうな……とソフィアはひゅるんと体の力を抜いた。
「ブラン!?」
そこへ、聞き覚えのある金切り声が、ソフィアの鼓膜を叩く。
緩めていた筋肉がすぐさま強ばったのは、長らく体に染みついた条件反射だ。
「やっと見つけた……私のブラン!」
「あの女ね、瑠璃子様の大切な式神を奪ったのは!」
袴を身にまとった瑠璃子が、複数の女子生徒を引き連れて、ソフィアのもとにやってくる。
ほぼ一ヶ月ぶりだろうか──久しぶりに見た瑠璃子の顔は、なぜか酷くやつれて見えた。
柔らかな風が吹くたび、祭り用の旗や花飾りが揺れる。
通りを行き交う人々もどこか浮き立っていて、子供たちの笑い声が絶えない。
「今日は晴れてよかったですね、ブラン」
「ミャーン」
午前十時を示す時計台の下で、ソフィアは日傘を手に待ちぼうけをしている。
新しい水色のリボンでおめかししたブランは、花壇にふすふすと鼻を寄せつつも、ゆったりと尻尾を振ってご機嫌だ。
「あ、いた! おーい、ソフィアさーん!」
しばらくすると、待ち合わせをしていた壱子が息を切らせて走ってきた。
「ごめんね~! お兄ちゃんたちのご飯用意するのに手間取っちゃって!」
「大丈夫ですよ、こちらも今来たばかりですから。どこから回っていきますか?」
ソフィアは事前に手に入れた広告を広げ、壱子に尋ねてみる。
「とりあえず、古市に行ってみません? けっこう面白い掘り出し物があるんですよ! 手作りの浴衣とか、式神用の可愛い首輪とか!」
「それは楽しそうですね、行ってみたいです」
「よしっ、じゃあ早速行ってみよ~っ!」
思えば、遊ぶ目的で帝都の街に出るのは初めてだ。
屋台から漂ういい匂い、街を賑わせる声、色鮮やかな工芸品、珍しい大道芸――様々なものが、ソフィアの五感と好奇心を刺激してくる。
目的は明日の本番に備えた下見だったのだが、もうこの時点で楽しんでしまいそうだ。
焼き芋に、可愛い根付、提灯にガラス細工――とあちこちを巡っていると、時計の針はあっという間に正午を回っていた。
「ソフィアさん、この後はどうします? うちのお兄ちゃんたちと合流するんですけど、一緒に遊びます?」
広場で屋台の食べ物を堪能しながら、壱子が言う。
「いえ、私はあと一時間ほどでおいとましようと思います。ブランをあまり長時間連れ回すわけにもいかないので……」
「そっかぁ、残念です……。じゃあ、これを食べたら、最後にもう一軒だけ回りましょっか!」
本当はもう少し遊んでいたい気持ちもあるが、壱子の家族団欒の時間を邪魔するわけにもいかない。
ブランも体力が戻ったとはいえ、そろそろ疲れが出てくる頃合いだろう。
「そういえば、お花の種はどうなったんです? 副長に贈るお花、決めました?」
壱子に言われて、ソフィアは肌身離さず持っていた水晶玉を取り出す。
およそ二週間――彼に気持ちが伝わりますように、と丹念に霊力を吹き込んだ種は、いつの間にか蕾をつけていた。
「お、これは藤の花ですかね? ちっちゃくて可愛い〜」
「ふふ、祈織さんに似合えばいいなと思って……」
しなやかな曲線を描く枝の先端には、小さな蕾がついている。
薄紫色に膨らんだそれは、今か今かと開花の時を待ちわびていた。
「んっふふ~いいですねぇ、甘酸っぱくて! ソフィアさんならきっと、副長に伝わりますよ!」
「ありがとうございます。頑張って渡しますね」
壱子がソフィアの頬をつんつんつつく。
くすぐったいやら恥ずかしいやら、けれど、悪い気はしない。
(……これ、なんて言って渡せばいいんだろう)
祈織にもらったものは、花だけでは到底返しきれないほど大きい。
できるなら、言葉でも想いを伝えたいものだ。
溢れんばかりのこの気持ちを凝縮して伝えるには、一体どうしたら――。
そう考えていると、不意に
《間もなく、一時三十分より、帝国退魔軍海兵隊による演奏会が始まります――》
と、どこかからくぐもった人の声らしき音が聞こえてくる。
ラジオの音声に似ている気がするが、なんだろう……とソフィアは辺りを見渡した。
すると、少し離れたところに立った柱に、箱形の機械のようなものがくくりつけられているのを見つけた。
「あれって、放送設備ですか?」
「うん、そーだよ。ソフィアさんは初めて見た感じ?」
「ええ。この会場、あちこちに新しい設備がありますよね。お祭りの様子も、ラジオで中継するって聞きましたし……」
「今年から始まったらしいですよ。退魔軍が使ってる無線設備を転用できないかって、試験的に導入してるそうです!」
壱子の説明を聞きつつ、ソフィアは「へえ」と興味深く観察する。
たまに聞いていたラジオも、こんなふうに声を届けていたのか、と思って見ると面白いものだ。
「あ、そういえば、ソフィアさん! 今年はなんと、転移装置も使えるんですよ!」
「転移装置ですか……!?」
ソフィアは驚きの声を上げる。
というのも、転移装置は軍用に作られたもので、一般人は滅多に使えるものではない。
「じゃあ、この『鏡のカラクリ屋敷』も、転移装置を使えば……」
「そうそう、すぐに行けるんですよ! 確か、陰陽学校のすぐ近くですから、あの屋台の向こうにある装置から行けますね!」
もしかして、遠すぎて時間に間に合わないかもしれない、と諦めかけていた展示品だ。
「じゃ、ご飯を食べたらすぐに行きましょっか!」
という壱子の声に、ソフィアは喜色満面で「はいっ!」とひときわ元気な返事をした。
*
鏡の術を使った展示は、ソフィアの想像を軽く越えてきた。
「おーこりゃすごいねえ! 学生さんの展示ではダントツ一位かも!」
「本当にすごいです……こんなこともできるなんて」
動物たちが歌う山の景色も、雲の上の透き通る青空も、夜闇に輝く光の花畑も――目の前に広がるのは間違いなく異世界なのに、現実と遜色ない空間だった。
「鏡に景色を投影させる術、でしたっけ。学生さんはすごいものを習うんですね……」
「ね~! 発想も面白いし!」
四方を鏡で囲って、その中に学生たちが想像して作り上げた風景を投影する――鏡に望んだ光景を投影させる術を、こんな作品に昇華してしまうなんて、驚愕しきりだ。
夢中で楽しんでいると、鏡の空間が夜会の場面に変わる。
硝子でできた豪華な建物、その向こうに巨大な満月が浮かび、薄暗い場内が淡く照らされた。
「ふふ、ブランは毛が真っ白ですから、光ってるみたいですね」
ソフィアの腕に抱えられたブランが、体の中に蝋燭を灯したように発光している。
鏡に投影した月の光が、ブランのふわふわの体毛を照らしていた。
「ソフィアさんも綺麗ですよ! ほら、袴がちょうどドレスみたいになってます!」
ソフィアの袴にも月明かりが投影され、ちょうどドレスのようにきらめいていた。
(あの日の夜会も、こんな景色だったのかしら)
あの時は今よりもずっと暗い気持ちだったから、下ばかり見ていた。
今、こうして想いを馳せることができているのは、それだけ回復できたという証拠なのだろう。
そんなことを考えているうちに、鏡に投影された風景の中で、透明なガラスの人形がくるくると優雅に踊り出す。
もし、あの夜――不安も発作もなく、ただ純粋に夜会を楽しめていたなら。
(祈織さんと、一曲くらい踊ってみたかったな……)
展示の中で戯れに踊り出す子供たちを見て、ソフィアはふう、とため息をついた。
*
家族と合流した壱子に別れを告げ、さて帰ろうかとソフィアは歩き出す。
ブランはやはり疲れたようで、ソフィアの腕に抱えられたきり、一向に降りようとしなかった。
(ちょっと連れ回しすぎたかしら……でも、私もそろそろキツいかも……)
並の猫よりも重めなブランを抱えていると、ソフィアの息もふうふうと弾んでくる。
ソフィアが一旦休憩しようとブランを下ろせば、ブランはやや不満げに「ンミャーウ」と鳴き声をあげた。
「ちょっと待ってください、ブラン。そろそろ水分補給しないと……」
汗だくになりながらベンチに腰を下ろし、水分を摂る。
本当は祈織の血を飲めれば一番いいのだが、今は水で我慢だ。
彼が仕事から帰ってきたら、すぐに血をねだることになるのだろうな……とソフィアはひゅるんと体の力を抜いた。
「ブラン!?」
そこへ、聞き覚えのある金切り声が、ソフィアの鼓膜を叩く。
緩めていた筋肉がすぐさま強ばったのは、長らく体に染みついた条件反射だ。
「やっと見つけた……私のブラン!」
「あの女ね、瑠璃子様の大切な式神を奪ったのは!」
袴を身にまとった瑠璃子が、複数の女子生徒を引き連れて、ソフィアのもとにやってくる。
ほぼ一ヶ月ぶりだろうか──久しぶりに見た瑠璃子の顔は、なぜか酷くやつれて見えた。

