死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「あっはははは! ひい、ひいい~ひひひ!! ソフィアさん、ホントっ、サイッコーすぎる……っ! あっひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「アンタ、いつまでそのネタで笑ってんのよぉ」

 仕事あがりの壱子とリンに「顔色が暗い」と言われたソフィアは、先刻やらかした失敗を包み隠さず話した。
 そしてその結果……壱子はこのとおり、二、三分ほど笑い続けて、絶息しかけている。
 夕方の喫茶店でいつまでも笑っている壱子に、リンは「そろそろ迷惑になるわよぉ」とお茶を差し出した。

「私が上手くできなかったばかりに、祈織さんに迷惑をかけてしまって……」

 ソフィアの豪快な失敗のせいで、祈織は白衣と私服一枚を捨て、ヌイや他の隊員たちから爆笑される、という多大な被害を受けた。
 にもかかわらず、彼は終始にこにこと笑ったままだった。
 その優しさが、却ってソフィアの罪悪感を五割増しにしている。

「だぁいじょうぶよぉ! こんなの新人あるあるだし、祈織ちゃんも慣れてるから! 心配いらないわ!」
「そうそう! まだまだこれからですし、失敗したっていいんです! もっと気楽に行きましょ!」

 リンと壱子に慰められて、ソフィアは「はい……」とお茶を啜る。

(……そういえば、失敗してもいいなんて、久しぶりに言われたかも)

 思えば、母が生きていた頃の自分は、今よりもずっと恐れ知らずだった気がする。
 当然、失敗だって何度もした。
 薬草の分量を間違えて調合したことも、料理の魔法で妙な味にしてしまったこともある。
 それでも挑戦を続けられたのは、母が失敗を許してくれていたからだ。
 失敗のたびに厳しく責め立て、罰を与えていた更木家の異様さを、ソフィアは改めて痛感した。

「……ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、また頑張ろうって思えます」

 思ったままに口にして感謝を述べると、二人は揃ってきょろんと目を丸くした。
 なにか変なことを言っただろうか、とソフィアが不安を感じ始めたあたりで、

「ねえ、ソフィアさんてば、素直すぎません……!? 仕事でささくれた心が浄化されてくぅぅ……!」
「今まで大変だったでしょうに、よく立派に育ったわ……! エミリアもさぞ誇らしいでしょうねぇ……」

 と、二人はなぜか泣き出した。
 向かいに座ったリンはハンケチで涙を拭いているし、壱子はソフィアをぎゅうぎゅう抱きしめながら、頭をわしわしと撫ではじめた。

「……そういえば、祈織さんのことで、お二人に聞きたいことがあって」

 何が起きているのか分からないまま撫でられていると、ソフィアはふと、聞きたかったことを思い出した。

「え!? なんです、なんです!? 聞きたいことって!」
「なんでも話してちょうだい! 全力で手助けするわよ!」

 と、ぐいぐい食い気味に反応する二人。
 相変わらず距離感が近いけれど、そこに悪意がないことは分かっているので、ソフィアも少しずつ慣れてきていた。

「祈織さんの血を分けてもらう時、いつも甘く感じて……」
「ええっ!? 副長の血が!?」
「ちょっとアナタ、それって……」
「はい。……もしかして、なにかよくない病気の前触れなんじゃないかと思ってて」
「「……えっ?」」

 ソフィアが不安を打ち明けた途端、それまで高揚していた二人の顔が、ひゅるんと緩んだ。

「だって、冷静に考えたら、おかしいでしょう? 血が甘いということは、糖尿病とかの可能性もあるんじゃないかって……!」

 大真面目に心配したソフィアだったが、二人はそれを聞いた瞬間、同時に「「ぶふぉ」」と口を押さえた。

「違う、それは違うのよ、ソフィアちゃん……!」
「ひっひひひひひ……っ! し、死ぬぅ、腹筋死んじゃううう……っ!」

 二度目の爆笑に突入し、二人はそれぞれ肩を振るわせたり、お腹を押さえたりしていた。
 けれど、二人が笑う理由が分からないソフィアは、ひたすら首を傾げる。

「ソフィアちゃん、安心して。祈織ちゃんは別に病気だから血が甘いんじゃないの」
「! それならよかった……」
「甘く感じるのは、ソフィアちゃんが彼に恋をしてるからよ」
「……え?」

 安心したのもつかの間、リンの思わぬ発言を受けて、ソフィアの思考が停止する。
 少し間を置いて、今のは聞き違いよね? と思い直すソフィアだったが、

「ソフィアさん、知ってます? 吸血鬼は好きな人の血だけ、甘く感じるんですよ!」

 という壱子の追撃で、その思い直しは瞬く間に叩き潰された。

「血毒の患者さんの記録を見ても、恋人や配偶者がいる人には顕著にその傾向が出ていましたからね~」
「原理は解明されていないけれど、現象そのものはハッキリと確認されてるものねぇ~」
「……っ! そ、そ、それは……っ!」

 自分がとんでもない発言をしたことに気づいた瞬間、ソフィアは瞬く間に顔が熱くなっていくのを感じた。
 祈織の血が甘いことを二人に伝えてしまったということは、すなわち――自分が祈織に恋をしていると白状したも同然だ。
 ソフィアが何も言い返せずに黙り込んでいると、壱子が「あ!」と何かを思い出したように手を叩く。

「そうだ! 実は、恋するソフィアさんにぴったりなものが、ちょうどここにあるんですよ~」
「ぴったりなもの、ですか?」

 壱子が白衣のポケットをまさぐりながら、なにやらにまにま笑っている。
 恥ずかしがりながらも、好奇心をうずかせるソフィアに、壱子は「はい!」と何かを差し出した。

「あらま! 壱子ちゃんたらナイスタイミングだわ」
「これは……植物の種、ですか?」

 それは手の中に収まる大きさの水晶玉だった。
 空洞になっている内部には、小さな種のようなものが一粒、ころんと収まっている。

「これはですね、花祭りの二週間前から配られる、お祭り用のお花の種なんですよ!」
「花祭り……ああ、そういえば」

 もうそんな時期か、とソフィアは気づく。
 帝都の中心街で、毎年初夏に催される『花祭り』――付近の神社に祀られた花の神をもてなす、国内でも有名な行事の一つだ。

「でも、こんな種、毎年配られていたでしょうか……?」
「ほんの二、三年前くらいからですね。前夜祭の時までに蕾になって、二日目の本番で一斉に開花するんですよ!」
「へえ……」

 どんな花が咲くのだろう、とソフィアは種をよくよく観察してみる。
 しかし、その種は見たことのない色と形状をしていて、どんな花が咲くかまるで想像がつかない。
 興味深く見入っているソフィアに、リンがさりげなく補足する。

「これがまた洒落た仕組みでねェ。霊力を注いでおくと、それに反応して色んなお花を咲かせるのよ」
「わあ、面白い仕掛けですね……!」
「普通は咲いたお花に願いを込めて、花の神様にお供えするんですが……」

 壱子が意味ありげに言葉を切る。
 二人の表情がまた、先ほどのにまにま顔になった。

「好きな人とお花を交換すると、恋が叶うんだそうですよ! 今、学生さんの間で流行ってるおまじないです!」
「ただし、渡す瞬間までに相手にバレたら、効果がなくなっちゃうから注意よ」

 それはまた、なんとも青春み溢れるおまじないだ。
 初等教育の時に読んだ本に載っていた、恋が叶う西洋魔法にも似ている。

「ソフィアちゃん、祈織ちゃんをお祭りに誘ってごらんなさい。きっと喜ぶわよぉ~」
「えっ! でも、祈織さんにはお仕事が……」
「大丈夫です! 副長はソフィアさんのためなら休みをもぎ取るはずですから! というか、もぎ取らせますから!」
「も、もぎ取らせる……」
「可愛いソフィアちゃんが、勇気を出して誘ってるんだもの。断りゃしないわよ。万が一断るようなら、アタシがぶん殴るわ」

 盛り上がった自身の上腕二頭筋を叩きながら、むんっと鼻の穴を膨らませるリン。
 こんな棍棒のような腕で殴られたら痛そうだ……祈織のためにも、絶対に穏便に済ませなければ。

「祈織ちゃんも、毎年他の子たちに休みを譲ってたからね。今年はあの子の番ってことで、みんな納得するわよ」
「そうそう、ソフィアさんと副長なら超お似合いですし! ウチらにも応援させてください!」
「リンさん……壱子さん……」

 なんて優しい人たちなのだろう。
 自分の恋路をこんなにも温かく応援してもらえるなんて、と感激のあまり涙がにじむ。

「そういうワケで、素敵なお土産話を待ってるわよん♡」
「副長との恋バナ、い~っぱい聞かせてくださいね!」
「あ……はい」

 お礼にお菓子でも用意しようか、と考えていたソフィアだったが、どうやら二人は別のものをご所望らしい。
 話題に事欠くことはないだろうけれど、それ以前に、ソフィアは自分の心臓の耐久性が心配だった。

 *

 後日、ソフィアは祈織に頼んで、図書館まで連れてきてもらっていた。
 リンと壱子の話によれば、花祭りの種には、相手を思い浮かべながら霊力を注ぐのが肝要なのだという。
 さらに、相手に贈りたい花を思い浮かべれば、おまじないの効果も増すのだとか。

(祈織さんに贈りたい花、か……)

 まるで幼い子供のお遊びのような話だ。
 けれど、ソフィアは真剣に悩んでしまっていた。
 祈織はきっと、何を贈っても喜んでくれる――だからこそ、適当に選びたくはなかった。

(祈織さんは、どんなお花が好きなのかな……あるいは、彼に似合いそうなお花を贈るのもいいかしら?)

 烏の羽のような黒髪、陶器のような白い肌、夜に咲く花のような、どこか妖しい美しさ。
 祈織なら、どんな花を持っても絵になりそうだ。
 ソフィアはじっくり見ていた本棚の中に、気になる一冊を見つけて、手を伸ばした。

「ん、んんん……!」

 しかし、背伸びをしても、あと僅かというところで届かない。
 諦めて踏み台を取りに行こうとした、その時。

「この画集かな?」

 すぐ後ろから、祈織の声が耳をかすめた。
 驚いて、思わず「ひゃっ」と変な声が出た。
 祈織は棚の高い位置にあった画集を易々と抜き取ると、ソフィアに差し出した。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう、ございます……!」

 緊張で、声が上ずってしまう。
 けれど、祈織はさして気にもしていない様子で、「どういたしまして」と微笑んだ。

「ソフィアさん、花が好きなの?」
「はい。母がよく庭で育てていたので……」
「確かに、エミリアさんも園芸が趣味って言ってたね。もうすぐ花祭りも近いし」

 ぎくりと肩が揺れる。
 バレてしまったか、と祈織の表情をそっと伺うソフィア。
 けれど、特に深い意味はなかったのか、祈織は画集の表紙を眺めているだけだった。

「……あ、あの、祈織さん」
「ん? どうしたの?」
「その、今度の花祭り……よければ、行きたい、のですが……」

 ソフィアは本をきゅっと抱きしめながら、えいっと口に出した。
 言ってしまった、と思ったけれど、言うなら花祭りという言葉が出てきた今しかない。

「花祭りに?」
「は、はい……。お忙しいようでしたら、無理にとは言いませんが……」

 そうは言いつつ、断られたらどうしよう、とソフィアは不安になった。
 いや、祈織は忙しい人なのだから、断られても仕方ないのだけれど。
 うるさい胸の鼓動を聞き流しながら、自分に言い聞かせるソフィア。
 祈織は少しだけ目を丸くしたけれど、

「ううん、いいよ。ソフィアさんと行けるなら、休日くらいもぎ取るよ」

 とすぐに頷いた。

「ほ、本当ですか?」
「本当。ただ、ごめんね。前夜祭の日はどうしても外せない仕事があって……二日目の本番なら、なんとか休みも取れると思う」
「二日目で大丈夫です! むしろ、お忙しいのにありがとうございます……!」

 ほっと胸を撫で下ろしつつ、ソフィアはお礼を言う。

「じゃあ、二日目は空けておくよ。せっかくだし、屋台も回ろうか」
「屋台、ですか?」
「うん。花祭りは菓子屋もたくさん出るし、夜になると灯りも綺麗だよ。あ、でも人混みは少し多いかもしれないから、その辺は気をつけようね」
「は、はいっ……!」

 祈織と二人で祭りに行く。
 花を見て、屋台を見て、もしかしたら一緒に甘いものを食べたりするのかもしれない。
 そんな想像をして、ソフィアは期待に胸を膨らませた。

「じゃあ、僕は向こうで少し調べ物してるね。何かあったら呼んで」
「はい。ありがとうございます」

 祈織が少し離れた書架へ向かうのを見送り、ソフィアはようやく肩の力を抜いた。

(よかった……誘えた……!)

 上手くいった喜びに、足取りがついふわふわしてしまう。
 けれど、浮かれてばかりはいられない――肝心なのは、祈織に贈る花だ。
 ソフィアは先ほど取ってもらった画集を机に広げ、ゆっくりと頁をめくり始めた。
 桜、百合、菖蒲、牡丹、睡蓮――美しい花はいくらでもあった。
 けれど、どれも祈織とは少し違う気がする。

(祈織さんは大ぶりな花よりも、さりげなく咲く花が似合う気がするわ)

 華があるのに、自分からはひけらかさない、『陰』の美。
 穏やかで、優しくて、それでいて時折、ぞっとするほど妖しく見える人。
 そう思いながら頁をめくっていたソフィアの手が、ある一枚の絵を見た瞬間に、止まった。

「……あ」
 
 三日月の浮かぶ夜空の下。
 薄紫の藤花が、簾のように静かに垂れ下がっている。
 夜風に揺れる花房は、どこか夢のように淡く、それでいて目を逸らせない美しさを宿していた。
 
(……この花)
 
 次にソフィアの脳裏に浮かんだのは、祈織の姿だった。
 もし、彼の髪を結い上げたあの簪から、藤の花が零れるように垂れていたなら――きっと、息を呑むほど綺麗だ。
 
(……見てみたいな)
 
 その願いが胸に灯った瞬間、懐にしまっていた水晶玉が、ほんのりと熱を帯びた気がした。