死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「『循環回復術』……と言っていましたよね?」
「そう。陰陽医局で使う基本的な治癒術で、東洋ではよく使われる手法だよ。新人軍医にとっての、最初の課題と言ってもいい」

 陰陽医局の研究室に初めて訪れてから、はや一週間――ソフィアは今、祈織の講義に熱心に耳を傾けていた。
 誰かに勉強を教えてもらうのは久しぶりのことなので、元々勉強好きなソフィアは胸を高鳴らせていた。

「西洋は治癒魔法の作用そのもので傷病を治す。対して、患者の体内に流れる霊力の循環を利用して自然回復を促すのが、東洋の考え方なんだ」
「傷病に体外から働きかけるのが西洋の治癒術で、体内から働きかけるのが東洋の治癒術……ということですか?」
「そう! ソフィアさんは理解が早くていいね」

 ソフィアが自分なりの解釈を返せば、祈織はニッと嬉しそうに笑った。

「ソフィアさんが知ってる西洋の治癒術はある?」
「一般的なのは、神のご加護を授かった僧侶が使う『回復魔法』ですね。ごく一部の田舎では、薬草を使った『魔法薬』による治療もあります。あとは、傷口を火の魔法で焼いて止血する、とか」
「ああ、それはこの国でもたまに使うことがあるよ」
「そうなのですか?」
「うん。腕のいい外科の先生が、手術の時に使っていたりね。でも、あれは慣れた人が絶妙な加減でやることだから、素人は絶ッ対にやっちゃダメ」
「絶対、ですか……」
「うん。死亡リスクが一気に跳ね上がるからね。でも、どういうわけか三年に一回は火で焼いて止血しやがる『古代勇者』が出てくるんだ」
「こ、古代勇者……」

 祈織は笑顔を保ったまま解説しているが、ソフィアは彼の言葉の節々から、明らかな毒気を感じた。

「ひどいもんだよ。火傷で雑菌は入りまくりだし、体の水分は失われるし、内蔵は焼肉状態で。こんなのが運び込まれると、他の治療の手も止めざるを得ないから、正直クソ迷惑なんだよね」

 大盤振る舞いの恨み節に、背後の職員たちも「分かる、分かる……」と小さく賛同の声が上げている。
 ソフィアは陰陽医局の知られざる苦労を垣間見た気がした。

「ごめん、話が脱線した。……ソフィアさんが今あげてくれたように、西洋では僧侶の『回復魔法』が一般的だ。これは専門的な医療知識がなくても使えるうえ、幅広い傷病に対応できる点でとても優秀だと言える。ただ、一つだけ致命的な弱点があるよね?」
「適性の縛りで、使い手が少ないことですね。先天的に加護を授かった聖人や、神に認められた敬虔な信徒でなければ、回復魔法は使えませんから」
「その通り。さすが、百点満点の回答だ」

 祈織から惜しみない賛辞を受け、こそばゆく感じながらもはにかむソフィア。

「『循環回復術』の最大の利点は、適性による制限を受けないこと。練度による上手い下手はあるけれど、練習すれば誰でも使える治癒術なんだ」
「なるほど……西洋の視点で見ると、かなり画期的ですね」
「でしょ? 患者の体力を消耗させる方法だから、使う場面を見極める必要はあるけど、しっかり学んでおいて損はないよ」

 同じ治癒術でも、西洋と東洋でこんなに違いがあるとは……と改めて感動を覚えた。
 生前の母も、こんな会話を祈織と繰り広げていたのだろうか、と思うと、ソフィアとしても感慨深いものがある。

「じゃあ、さっそく感覚をしっかり掴む練習をしてみようか」
「は、はいっ、よろしくお願いします……!」

 ソフィアは深呼吸する。
 大丈夫、不完全とはいえ、二回は再現できたのだから、怖がることはない。
 そう自分に言い聞かせ、気持ちを十分に落ち着けてから、ソフィアは祈織の手を握った。

「そうそう、上手。その調子で霊力を送り続けて」

 祈織の手は、思ったよりも温かい。
 指先は白くて細いけれど、手のひらや手の甲は案外無骨だった。
 しばらく霊力を送っていると、祈織の霊力が自分の体内に伝ってくるのが分かる。

「ほら、分かる? 今、ソフィアさんと僕の手を通して、お互いの霊力が巡ってるんだよ」
「はい……」

 彼の言葉に耳を傾けつつ、じっくりと理解するように感覚を研ぎ澄ませていると、やがて彼の血に似た甘美な香りをとらえた。
 霊力にもにおいがあるのね、としみじみと感じ入るソフィア。
 すると、それにたぐりよせられるような形で、自宅での祈織の姿が脳裏に浮かんだ。
 ――月明かりの下で緩めた衿。
 ――差し出された首筋。
 ――血を吸われながら、気だるげに目を伏せていた、あまりにも無防備で妖艶な表情。

(って、私は何を――!)

 瞬く間にソフィアの心がざわめき出すのと同時に、バリーン! と布が破けるような音が響いた。

「えっ?」
「あっ」

 ソフィアが驚いて目を開けると、彼女の視界の正面に、目を丸くしている祈織が映る。
 握った手も微妙に硬直していて、ソフィアの背筋に嫌な汗が伝った。

「あー、ちょっと失敗したね。循環させてた霊力が背中から突き抜けて行っちゃったみたい」
「ぐひゃひゃひゃひゃひゃ!! 今、祈織の服がっ、バリッて!! バリッて吹っ飛んだ!! ぎゃはははははは!!」

 ヌイが祈織の背中を指さして爆笑している。
 ひいひい苦しそうに転げ回っているヌイに、祈織が 「笑うな!」と怒って振り返った途端――ソフィアは、彼の背中の刺青が丸見えになっているのに気づいた。

「ごっ、ごごごごめんなさいぃっ……!!」
「大丈夫、大丈夫。失敗したのが僕相手でよかったよ。患者じゃなくてよかった」
「で、でも、お洋服が……!」
「服なんて縫えばいいし、駄目なら新しく買えばいいよ。だから気にしないで」
「本当に、本当にすみません……!」

 ソフィアが頭をペコペコ下げている間、祈織はずっとにこにこと笑っていた。
 そしてヌイはその間、ずっと床を叩きながら笑い続けていた。