死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「来週の夜会に、その鷹宮中尉が出席するそうだ。瑠璃子、お前ももう十六歳だし、彼と顔を合わせてもいい頃だろう」
「まあっ! ようやくなのね!」

 憧れの許嫁と対面できる、と瑠璃子は目を輝かせた。
 私には縁遠い話ね、と喜ぶ瑠璃子を静観していたソフィアだったが。

「ソフィア。お前にも出席してもらう」

 という男爵からの思わぬ命令に、ソフィアは「え?」と目を丸くした。
 ソフィアは生まれこそ退魔軍の子爵家だが、今はただの奉公人だ。
 決して舞踏会に出られる立場ではないのに、どうして?

「お父様、なにを考えてらっしゃるの? こんなみすぼらしいケガレを外に出すなんて、お父様の評判に傷がついたら……」

 ……と、ソフィアが聞くよりも先に、瑠璃子が異を唱えた。
 
「し、仕方ないだろう。相手が夜会の場を指定してきているのだ。直筆の手紙で『連れてこい』と要求されては、こちらも断れまい?」
「まあ、そんなにお偉い方なの?」
「偉いもなにも、あの『死神軍医』だ。逆らえば何をされるか分かったものでは……」
「なんですって?」

 仰々しいその名前は、ソフィアも噂越しに聞いたことがある。
 ――『退魔軍の死神軍医』。
 (ふる)き陰陽師の血を引く一族の出で、退魔軍の吸血鬼研究に第一線で携わっている学者でもある。
 軍の隊員が使用する『吸血鬼を殺す毒』を初めて開発した功績により、二十代の若さで中佐階級まで昇進した、正真正銘の天才だ。
 しかし、その一方で――滅多に公の場に顔を出さない彼には、数々の悪評が囁かれている。

 ――不気味な鬼の式神を従え、自身の一族を滅ぼしてしまった、悪逆非道の術者。
 ――血毒の患者で人体実験をしたり、生きたまま解剖したりなど、残酷な所業を繰り返している。
 ――鷹宮中尉と対をなす悪魔的美貌の持ち主で、数多くの女性を(たぶら)かしている。

 ほとんど外に出られないソフィアでも、ここまで知っているのだ。
 世間での悪名高さにおいて、彼の右に出る者はいない。

「へえ? ふうん?」

 瑠璃子がソフィアを見ながら、にたりと笑う。
 意地悪なことを考えているときの、邪悪な笑い方だった。

「ひょっとして、このケガレを研究に使いたいのかしら。解剖されちゃったりして?」
「そ、そんなことを言うものじゃないぞ、瑠璃子! もう少し慎みを持ちなさい」
「あら、どうして? こんなケガレなんかに気を遣わなくたっていいじゃない。ねえ?」

 瑠璃子の蔑むような視線を浴びて、ソフィアは悪寒が走った。
 情など欠片もない、虫けらを見るような目だった。

「それは、ご容赦ください……! きちんと働きますから、どうか……」
「うるさいわよ、ケガレ。お父様の言いたいことが分からないの?」

 ソフィアは怯えながら頭を下げるが、瑠璃子が男爵の代弁をするようにバッサリと切り捨てた。

「お父様はお前が知人の娘だから、情けをかけていただけなの。でも、お前はいたずらに貴重な薬を消費し続けるだけで、なんの利益も生み出さなかった。お父様が死神軍医に売り渡す判断をしても仕方ないわよね」

 ソフィアの目から、じわりと涙がこぼれそうになった。
 至らないなりに、努力してきたつもりだったのだ。
 血毒を患った自分を拾って雇ってくれたこの家に、少しでも恩を返さなければならなかったから。
 見捨てられないようにしなければ、ならなかったから。
 周りの使用人にも煙たがられて、時には理不尽な暴力も振るわれて――それでも一日中働き続けたのに。

(ああ……馬鹿みたい)

 ソフィアが彼らのためにしてきたことは、すべて無意味だったのだ。
 それを突きつけられたソフィアは、この時――すべての気力を失った。

「ドレスはこちらでもう用意してある。……悪く思わないでくれ。仕方のないことなんだ」

 ソフィアに残された選択肢は、ただ頷くことだけだった。

 *

 話を終えた後、ソフィアは台所でお湯を沸かしながら、改めて薬の瓶を見た。
 あと僅かしかないと思っていた薬を数えてみると、ちょうど夜会の前日でなくなる計算だった。

(旦那様……前々から私を死神軍医に売るつもりだったのね)

 道理でここ最近、薬の支給が滞っていたわけだ。
 いなくなる予定の人間に、貴重な薬を渡す理由はない――ということだったのだろう。
 察してしまったソフィアは、深いため息をついた。
 すると、丸くなった彼女の背中を不意に叩くように、柱時計がボーン、と鳴った。

(……そろそろお嬢様が指定した時間ね)

 いずれ去る身だとしても、いい加減な仕事をしてはならない。
 ソフィアはそう言い聞かせながら、紅茶を用意し、瑠璃子が友人といる客間に向かう。

「失礼いたします。……お嬢様、よろしいでしょうか?」
 
 ソフィアは何度か声かけとノックをするが、返事は聞こえてこない。
 勝手を承知でそっと扉を開けてみると、瑠璃子は友人との会話に華を咲かせている真っ最中だった。

「聞きましたわよ、瑠璃子様。またご婚約者様が吸血鬼を退治なさったんですってね」
「ラジオでも取り上げられてましたものね、素晴らしいわ」
「ご活躍もさることながら、この美貌……こんな方の元へ嫁げる瑠璃子様が羨ましいですわ」

 友人たちが新聞の一面を飾る美青年を見てはしゃぐ中、瑠璃子は誇らしげに微笑んでいた。
 楽しい会話に水を差しては、瑠璃子の機嫌を損ねてしまう。
 どうしたものか、と考えあぐねていると――

「フシャアアッ!」
「きゃ……っ!」
 
 突然、テーブルの下から飛び出した白猫が、まるで狙いを定めていたかのように、一直線にソフィアへ飛びかかってきた。
 ぶつかられた弾みで、ソフィアの持つお盆に乗っていたティーカップが落下し、ガシャン! と音を立てて割れた。

「ちょっと、何ですの? ……ソフィア、またお前ね」
「っ、申し訳ございません……!」

 瑠璃子は着地した飼い猫を抱きあげると、

「まあ、ブランったら。『ケガレ』に近づかれて吃驚したのね。よしよし」

 と優しく撫でた。

「落ち着きなさい。ほら、貴方の好きな南瓜(かぼちゃ)のケーキよ。……で? お前は何をしようとしたの?」
「頼まれていたお茶を、お持ちしようとして……」
「頼まれていた? 馬鹿なことを言わないで、ケガレが淹れたお茶なんか飲めるわけないでしょう?」

 不快そうに言い放つ瑠璃子。
 その向かいに座る彼女の友人も、怪訝そうに眉をひそめていた。 

「……それに、この香り」
 
 割れたカップから立ち上る、かすかな湯気の香りを、彼女は鼻先で探るように嗅ぐ。

「こんなの紅茶じゃないわ。陰陽(おんみょう)学校のお茶会で飲んだ紅茶は、もっと華やかで甘い香りがしていたもの。どうせ東洋人には分からないと思って、いい加減に淹れたんでしょう?」
「そんな、いい加減にしたつもりは……」
「あら、言い訳? 雇われのケガレの分際で」
「……っ、申し訳、ありません」

 ソフィアは静かに頭を下げた。
 ――もちろん、紅茶はきちんと手順を守って、丁寧に淹れている。
 茶葉は正確に計量したし、カップは事前に温めて、お湯は沸騰直後のものを使った。
 香りを最大限に引き出す魔法も使った。
 すべて西洋人の母に教わった、西洋式の淹れ方だ。

「そんなに頭を下げては、お客様が心象を悪くするでしょう。さっさと片付けて下がってちょうだい」

 ソフィアはティーカップの残骸を手早く拾い集め、雑巾でお茶を綺麗に拭き取ると、命令どおりにその場を立ち去った。
 去り際に瑠璃子が意地悪そうに微笑んでいるのが見えた。

(やっぱり、こうすることが目的だったのね)

 思っていたとおりの展開だ、とソフィアは静かに思う。
 落胆はしない――こんな展開には、もう慣れていた。
 瑠璃子には何度も失態をでっち上げられた。
 きちんと整えたはずの布団をグチャグチャに乱されたり、掃除した後の風呂をわざと汚されたりと、彼女にされた邪魔や嫌がらせは数知れない。
 だから今回も――瑠璃子が事前に紅茶を出すよう命じてきた時点で、悟っていたのだ。 
 それでもソフィアには、瑠璃子の命令を拒む権利などなかった。

 *
 
「まったく、瑠璃子に恥をかかせるつもり? 応接も心得ていないくせに、客前に出ていくなんて出過ぎた真似を……」
「……申し訳ございませんでした」

 後始末を終えたところで、ソフィアは夫人からも罵られた。

「異人の親のもとで育ったから、この国の常識は教えられてないのね。親が親なら子も子というか……」
「……っ! 母は関係ありま……!」

 ソフィアはつい反射的に、下げていた頭を上げて反論した。
 すると、今度は夫人に扇子で頭を強く叩かれた。
 床に倒れ込んで呻くソフィアを、憎悪のこもった目で睨みつける夫人。

「立場をわきまえなさい、愚図(ぐず)! また仕置き部屋に連れて行かれたいの?」
「っ!」

 仕置き部屋、という言葉を聞いて、反射的にソフィアの体が強張った。
 ソフィアは過去に何度も、失態を犯す度に仕置き部屋に連れていかれて、杖で叩かれるなどの厳しい折檻を受けた。
 理由はいつもでっちあげの冤罪か難癖で、夫人の機嫌が悪ければ、理由すら用意されず殴られることもあった。

「……まあ、でも? 今更躾をしても意味ないわね。だってお前はこれから、死神のところへ行くのだから」

 いびつに歪む、夫人の口元。
 これが、生身の人間に生み出せる表情なのだろうか。
 こんなに恐ろしい笑顔をする人間よりも、さらに恐ろしい人のところへ、自分は行かなければいけないのか。
 ――そんな絶望を、改めて突きつけられたようだった。