死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「美味しいですね、このクリームソーダ……!」
「でしょ〜? ここ、隠れた名店なんですよ〜!」
「ソーダもいいけれど、珈琲(コーヒー)も本格的なのよ」

 陰陽医局に併設された喫茶店には、穏やかな時間が流れていた。
 窓際の席で壱子とリンと向かい合いながら、ソフィアはクリームソーダをひと口飲む。
 しゅわりと弾ける甘い炭酸に、冷たいアイスクリームが舌の上で溶けて、体がひんやりと涼しくなる。

「雰囲気も素敵ですね。とても落ち着きます」
「ふふ、気に入ってもらえて嬉しいわ」

 ソフィアははしたなくならない程度に、そっと周囲を見渡す。
 立ちのぼる珈琲の香り、控えめに交わされる会話、窓の外を行き交う白衣や軍服の人々。
 大きな時計の針が進む音も、なんだか心地いい。
 ソフィアはクリームソーダのストローから口を離し、少し迷ってから

「そういえば、祈織さんはどうしてあんなに怖い噂があるのでしょうか?」

 と、二人にかねてからの疑問をぶつけてみた。
 
「あー、あれはですね! 嫌がらせですよ!」
「嫌がらせ?」
「そうそう。副長が気に入らないって人たちが、副長の評判を落とそうと、裏で怖い噂を流してるらしいんです」

 壱子がクリームソーダのアイスをつつきながら、きゅっと眉根に皺を寄せる。
 リンも珈琲のカップを片手に、肩をすくめた。
 
「ほら、祈織ちゃんって出自が少し特殊でしょ? そういう男が高官まで昇進するのは、見栄っ張りの華族からしたら面白くないわけ」
「ま、副長は滅多に公の場に出ないから、顔もほとんど認識されてないですし、噂もぶっ飛びすぎてるから、半ば都市伝説ですよね。ツチノコみたいな」
「ツチノコ……」

 けれど確かに、祈織本人が噂で傷ついている様子はない。
 実際、街を歩いていた時の様子からして、そこまで困ることもないのだろう。

「鷹宮のお坊ちゃまよりもずっと優秀な人だと思うんですけどねえ〜。なんでみんなから持ち上げられてるんでしょ、あの人」
「お馬鹿な子のほうが都合がいい、って層がいるから、どんどん祭り上げられるんでしょ。まあ、お馬鹿すぎるから、却って鷹宮家のご当主が手を焼いているようだけど」

 ……酷評だ。
 世間と真逆の評価を聞いていると、ソフィアは不思議な気持ちになってくる。

「ま、とにかく安心して。祈織ちゃんは悪評ごときで凹むような性格じゃないし、軍の上層部では正当に評価されてるから。特に石動中将、祈織ちゃんに甘いのよ。エミリアの協力も押し通せちゃったくらい」

 そこでソフィアは、はっと顔を上げた。
 
「そういえば、リンさん。先ほど、母の名前を言っていましたよね。リンさんも母を知っているのですか?」
「ええ。そりゃあもう、よぉく知ってるわよ」

 リンは珈琲のカップを傾けながら、どこか懐かしむように目を細めた。

「最初にエミリアが来たときは、何事かと思ったわよ。第一声が『娘を助けてください』だもん」
「それって……」
「ええ。貴方の血毒についてよ」

 リンは変に気遣うでもなく、昔話を語り聞かせるように続けた。

「で、あの子、最初に何したと思う? 中将にいきなり直談判よ。『ここで血毒を治す方法を研究させてください』って」
「うわあ、肝が据わってるんですねえ。ソフィアさんのお母さん」
「い、いえ、私も初めて知りました……」

 驚いてこちらを見る壱子に、ソフィアも首を横に振って否定する。
 記憶の中にある母は、そんな大胆な人物ではなかった。
 少なくとも、見ず知らずの誰かに強く迫るような姿など、ソフィアは見たことがない。

「普通なら門前払いなんだけどね。でも、祈織ちゃんが『いいよ』って二つ返事で許可しちゃって」
「副長が許可したんですか!?」
「そうそう。あの子、石動局長のお気に入りだって分かってるから、無理言って通す気満々だったのよ。通ったけど」
「と、通ったんですね……」

 祈織に関しては、もはやそこまで驚かない。
 手帳の魔法を見たときの、あの興奮ぶりから察するに、新しい知識が手に入る好機だと捉えたのだろう。
 彼が知っている西洋魔法は、大半が母エミリアから教わったものだそうだし。

「立場としては『客分』って感じだったかしら。優秀な学者だったから、周りにもすぐ馴染んでたわね。あの子もあの子で、『初めて知ることがたくさん!』って楽しんでたわよ。祈織ちゃんなんか、十年以上歳が離れてるのに、完全に意気投合しちゃって」

 リンの温かいまなざしと語り口に、ソフィアは心が綻んでいくのを感じた。 
 クリームを垂らした珈琲をかき混ぜながら、リンは話を続ける。

「二人とも、陰陽術と西洋魔法の専門家だから、違いがどうとか語り合っててねぇ」
「うっわ、それ絶対長いやつですよね」
「長いなんてもんじゃなかったわ、止まらないのよ。どっちも変態(おたく)だから」

 母の新たな一面に触れて、ソフィアの口から自然と笑みが零れた。
 記憶の中の母は、いつも穏やかで、優しくて、静かな人だったから。

(祈織さん、本当にお母さんと仲がよかったのね。私も、お母さんが生きているうちに会いたかったな……)

 母と、同じ時間を過ごしていた人。
 自分の知らない母の姿を、知っている人。
 もし、三人で顔を合わせる機会があったなら、どんな会話になっただろうか。

「ああでも、さすがにあの時は止めてたわね。血毒の抗体をいよいよ作ってみようってなった時」

 リンはここで、呆れ顔のまま、やれやれとかぶりを振った。

「祈織ちゃんったらねえ、自分に血毒の病原体を注射したのよ。しかもノリノリで」
「……えっ?」

 ぽかん、と思わず口が開いてしまう。 
 吸血鬼の研究に携わっている祈織なら、血毒がどれだけ危険なものかも知っているはず。
 それを研究のために、自分の体に打ち込むなんて。
 
(どうして、そんなこと危ないことができるの……? まさか、私のために……?)

 早く血毒の抗体を完成させようと無理をしていたのなら、非常に申し訳ない。
 と、思ったソフィアだったが。
 
「具合が悪くなっても『やった〜大発見だ〜!』って喜んで論文に書こうとしてたし。エミリアもドン引き」
「それは……」

 ……どうやら、単に研究熱心だっただけらしい。
 想像の斜め上を行く祈織の行動に、ソフィアは開いた口が塞がらない。
 けれど、壱子は

「あー、副長って注射打たれるの好きですもんね。痛いのも楽しんでるっていうか」

 と、なぜか納得しているようだった。
 注射を打たれるのが好きな人とは一体、と首を傾げるソフィア。

「でもまあ、エミリアも分かってたんでしょうね。止めたところで無駄だって。祈織ちゃんは知識欲の化け物みたいなところがあるし。だから、エミリアも最終的には研究に付き合ってたわ」

 ……止めなかったのは、止められなかったから。
 確かに、それもあるだろう。
 けれど、ソフィアは思った。

「……きっと、母は祈織さんを信じていたんです」

 この人なら、やり遂げてしまうと。
 誰かのために、そして自分の欲求のために――執念で達成するのだろうと。

「アタシもそう思うわ。あの執念がなければ、吸血鬼の毒薬だって開発できなかったでしょうし。思考回路が普通だったら、絶対にできないわよ」
「まさに知識欲の権化ですよね。研究者らしい研究者と言いますか」

 うんうん、としきりに頷く壱子。
 ソフィアはまた、すっかりアイスが溶けたクリームソーダを口にした。
 母が心から信頼し、真剣に語り合った人。
 烏丸祈織という人物が、また少し分かったような気がした。

「あら! やだわ、話しすぎちゃった。休憩時間が終わっちゃう!」
「ウソ! あーん、まだ話したいこといっぱいあったのにぃ~!」

 リンと壱子は名残惜しそうに席を立つと、

「じゃあまたね、ソフィアちゃん。お会計はしとくわよ~ん」
「困ったことがあったら、いつでも研究室に来てくださいね!」

 と、ソフィアに手を振りながら仕事場に戻っていった。
 二人を見送り、ふと静寂が訪れる。

(……祈織さん、まだかしら)

 空いてしまった席をぼんやり眺めながら、クリームソーダのストローを吸う。
 中身はもうほとんどなくて、味も水っぽい。
 足元の籠の中にいるブランも、いい加減退屈になってきたようで、「ンニャー」と小さく鳴いていた。

「……少し、お散歩しましょうか。綺麗な中庭もあるそうですし」

 ソフィアは籠を手に取り、席を立った。
 見えるようになったばかりの世界を、もう少し歩いてみたい。
 そんな気持ちに背中を押されるようにして、彼女はふらりと喫茶店を後にした。