死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

 すっきりと晴れた正午の街並みを、ソフィアは悠々と歩いていた。

(本当にすごいわ、この日傘。光がまったく痛くない……)

 ソフィアはそっと日傘の柄を握り直した。
 差し込む日差しは前と変わらないはずなのに、肌にチクチクと刺さるような感じがまったくない。
 視界の眩しさも大幅に軽減されて、レース越しの景色が少しだけ鮮やかに見えた。

「ありがとうございます、祈織さん。この日傘、とても使いやすいです」

 隣を歩く祈織に感謝を伝えると、
  
「それはよかった。悩んだ甲斐があったよ」

 と微笑みと共に返される。

「それに、この着物も可愛くて……」
「じゃあ、その感想は選んだ本人たちに伝えてあげて。すごく喜ぶと思う」
「はい。えっと、リンさんと、サクラバさん……という職員さんなんですよね?」
「そうそう。今日会いに行く人たちね。ソフィアさんの新しい眼鏡を作ってくれてるのはサクラバのほう」

 日傘だけでも御の字なのに、新しい眼鏡まで用意してもらえるなんて。
 ありがたいが、祈織の負担になっていないだろうか、とソフィアが気にかけていた、その矢先。

「まあ見て、あの方。髪が真っ白だわ。綺麗……」
「こら、血毒の患者だぞ。目が合ったら狙われるからやめとけ」

 と、若い夫婦の会話が聞こえてきた。
 改めて、この白い髪は目立つ、という事実を突きつけられたようだった。
 ソフィアは周囲の視線から隠れるように、日傘の位置を少し下げて歩いた。

「あの黒髪の方、美人さんね。鷹宮中尉ほどじゃないけれど……」
「軍人さんかしら? それとも俳優さん?」

 祈織は祈織で、女学生たちに視線を向けられているようだ。
 通りを行き交う人々の視線と興味が、途切れることなく自分たちに注がれている。

(……祈織さん、迷惑していないかしら)
 
 自分が隣にいるせいで、余計目立っているのではないか。
 ソフィアが恐る恐る祈織の横顔を伺うと、それに合わせたように、彼は笑いかけてきた。

「あはは、やっぱり目立つねえ。白髪の女の子に、こんな不吉な見た目の男だしねえ」
「そんな、不吉って……」
「悪魔的美貌とかなんとか言われてるんだっけ? 鷹宮中尉が『陽』なら、僕は『陰』なんて評もあるらしいよ。面白いよね、アレと同列なんだよ、僕」

 ことのほか、祈織は状況を楽しんでいるようだった。
 人々の好奇心や囁き合う様子を、むしろ興味深い現象として観察している。

(やっぱり変わった人だわ……)

 けれど、隠れるように歩く自分よりはずっと前向きで、ソフィアは少し羨ましかった。

「さて、抜き打ち職場調査だ。吃驚するだろうなあ、あいつら。ふふふ」

 陰陽医局の前にたどり着いたところで、祈織は腕に提げていた(かご)を抱え直した。
 鉄柵をくぐり抜け、敷地に入った途端、潮が引いたように街のざわめきが遠のく。
 厳かな雰囲気が漂う煉瓦(れんが)造りの建物を背景に、職員たちが足早に行き交っているのを見て、ソフィアも背筋を伸ばした。

 
 祈織の部下たちがいるという研究室の扉を開けると、

「あらまあ、祈織ちゃん! お疲れ様~!」

 と、さっそく長身の男が二人を出迎えた。
 唐突な登場に、ソフィアは「ひぇっ」と祈織の影に隠れる。 

「その子がエミリアの娘さん? 初めましてぇ~」
「おはよう、リンさん。ソフィアさん、この人が獣医のリンさんだよ」
「り、リン、さん……?」

 ソフィアは混乱した。
 女性的な呼び名や口調とは裏腹に――リンはどう見ても男性だったからだ。
 喉仏の位置まで伸びた髪を揺らし、リンは片目を瞑って見せる。

「そぉよ。本当は倫太郎(りんたろう)って言うんだけど、気軽にリンさんって呼んでちょーだい♡」

 あまりにも強烈な第一印象に、ソフィアは絶句した。
 呆気にとられている、と言ってもいい。

「あっ! 副長、お疲れ様で~す!」

 すると、声を聞きつけたのか、部屋の奥からもう一人、短髪の若い女性職員がやってくる。
 ゴーグルと呼ばれる作業用の眼鏡を外しながら、彼女は

「初めまして〜! ウチは桜庭(さくらば)壱子(いちこ)って言います。医療用の装具作ってま〜す!」

 と名乗った。
 ハッと我に返ったソフィアは、

「! ひ、雛守ソフィアと申しますっ! あの、着物、選んでくださって、ありがとうございました……!」

 と、慌てて二人に頭を下げた。

「あら、ホントだわ! んま~よく似合ってるわぁ! 美人さんだって聞いてたから、候補を絞るの大変だったのよぉ~」
「うんうん、確かにこれは文句なしの眼鏡美人! は~たまんないねえ〜っ!」
「あ、ありがとう、ございます……?」

 リンといい、壱子といい、初対面なのに距離感が近い。
 ソフィアは完全に困惑していた。
 しかし、そんな反応も祈織は想定内だったのか、

「悪いねえ。陰陽医局って、退魔軍の中でも特に実力重視の職場だから、変わり者がどうしても多いんだよねえ」

 と、いかにも他人事のように言う。
 貴方も負けず劣らずの変人ですよ、祈織さん……と心の中で漏らすソフィア。

「そういえば、祈織ちゃん。アンタ、石動中将からお呼びがかかってるわよ」
「えぇ、また? ソフィアさんに職場を案内したかったんだけどなぁ」

 祈織は青い息を吐きつつ、抱えていた籠をリンに手渡した。

「じゃあ、行ってくるよ。二人とも、ソフィアさんのこと、あんまりイジらないであげてね」
「はぁ〜い。じゃあ早速診察しましょうねぇ」

 祈織が研究室から出ていくのを見送ると、リンは籠を開けるなり、

「あらまぁ、かわい子ちゃん! ご機嫌いかがかしら~ん」

 と、中にいたブランを抱き上げる。
 やや不機嫌そうに「ンミャーウ」と低い声で鳴くブラン。
 むちむちした体を手早く触診したり、聴診器をあてたりしながら、リンは頷いた。

「うんうん、霊力も安定してるし、毛並みもツヤツヤ♡ 心音も綺麗ね。体重が少し重めだけど、至って健康体よん」
「よかった……!」
「ちょっと爪が伸び気味ねえ。安全のためにも切っておこうかしら」
「じゃあ、その間にソフィアさんは眼鏡を調整しちゃいましょっか! こちらへどうぞ~」

 壱子は研究室の奥へソフィアを案内すると、完成した眼鏡を差し出す。
 壱子から渡された眼鏡は、以前まで使っていたものと似た、銀縁の丸眼鏡だ。
 ツルには首から提げられるよう、細い鎖が通されていて、さりげなくあしらった桜の飾りがモダンで洒落ている。

「すごい……お母さんに買ってもらったのと、本当に同じ見た目です」

 今まで使っていたものと同じ見た目にしてほしい――というソフィアの要望をしっかり盛り込んでいるのがよくわかる仕上がりだった。
 ソフィアの反応に気をよくした壱子は、さらに説明を付け加える。

「見た目だけじゃないですよ! このレンズにも、眩しさ軽減、軽量化加工を施しています! まま、試しにかけてみてください!」

 恐る恐る、新しい眼鏡をかけてみる。
 ――その瞬間、自分の視界がさらに明瞭になったのが分かった。
 今まで少しぼやけていた物の輪郭が、今ははっきりと像を結んでいる。

「どうです? 目が疲れる感じとか、ないです?」
「な、ないです。前のものより、ずっと見やすくて……あと、すごく軽い……」
「でしょ〜! ソフィアさん、間違いなく合ってないのかけてましたもん! じゃ、ちょっとネジを調整しますね~」

 最終調整をしてもらってから、ソフィアはそっと窓の外を見た。

(……ああ、綺麗。空も、雲も、木も、煉瓦も……)

 目が痛くて直視できなかった空も、眩しくて見上げられなかった街路樹も――今はまっすぐ見られる。
 鮮やかな色たちが、ソフィアの視界と心を豊かに彩る。

「……えっ!? そ、ソフィアさん、どうしました!? もしかして、矯正がキツかったですか!?」

 じわりと視界が滲んで、気づいた時には、目から涙がこぼれ落ちていた。
 慌ててハンカチを差し出す壱子に、ソフィアはくしゃりと微笑みかける。

「ち、違うんです……! こんな、綺麗なところにいたんだって思って、つい……」

 母に最後の眼鏡を買ってもらってから、ずいぶんと年数が経ってしまっていた。
 見えないことも、眩しいことも、痛いことも――すべて、いつの間にか当たり前にしていた。
 だから忘れていたのだ。
 世界は、こんなにも美しかったことを。

「本当にありがとうございます、桜庭さん。こんなにいいものを作ってくださって……」
「ふ、ふへっ、へへへっ……! 喜んでもらえてよかったです! ウチもいい仕事ができました!」

 きゅっと握手を交わし、感動を分かち合っているところへ「あらあら、まあまあ~」とブランを抱えたリンがやってくる。

「いいわねえ、ソフィアちゃん。これからはも~っと素敵なものが見られるわよ。楽しみねえ」
「はい……! リンさんも、ありがとうございました」
「いいえ~。おかげさまで、アタシも荒んだ心が洗われたわぁ」

 ソフィアはリンにも頭を下げ、手にしていた籠へブランを迎え入れる。
 爪を切られて不機嫌そうなブランは、ああ疲れた、と言わんばかりに籠の中で丸くなった。

「善いことするって気持ちいいわねぇ、壱子ちゃん」
「ですねぇ~。こんな時は喫茶店のクリームソーダが飲みたい気分です!」
「アラ、いいわね。ちょうど休憩時間だし、ソフィアちゃんも一緒に行く? 祈織ちゃんが来るまでお茶しましょ!」
「は、はい! もし、よろしければ……」
「じゃあ、さっそく行きましょ~!」