死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

(ひんやりしてる……霊力で温度を管理しているのね)

 さすがは軍属の家というべきか――建物の至る箇所に、最新式の設備があった。
 特に、この冷たい貯蔵庫はいい。
 食材が傷みにくい温度に調整されていて、便利なことこの上ない。

(でも、あまり食料がないということは……祈織さん、自炊するほうではないのね)

 家に帰ってこないことも多いと言っていたので、基本は外食で済ませているのかもしれない。
 ヌイいわく、念の為にと揃えておいた調理器具も、祈織はほとんど使っていないそうだ。

(大丈夫、お母さんの手帳を見ながらやっていけばできるはず……)

 深呼吸をして、母・エミリアから教わった、料理の魔法の作法を思い出す。
 ――食べる人のことにじっくりと想いを馳せる。
 ――喜ぶ顔や元気な姿を思い浮かべる。
 ――今日も健やかでありますように、と願いを込める。
 ソフィアは心の中で唱えながら、ヌイに調達してもらった食材を手に取った。

「なあ。山羊の乳にしたのって、なんか理由があんのか?」

 調理の手を動かしていると、暇を持て余したヌイがひょこっと調理台を覗いてくる。

「はい。山羊のお乳はお腹に優しいですし、栄養も豊富なので、体調が悪い時にはちょうどいいんですよ」
「じゃあこの南瓜は?」
「ブランの好物だそうです。お屋敷でもよく食べていたので、食いつきがよくなるかと思いまして」
「……ふーん?」

 蒸した鶏肉を手で細かくほぐし、少量の木苺を潰して作ったソースと和える。
 そこへ人肌まで冷ました山羊の乳をかけ、最後に蒸した南瓜も乗せれば、ブランの食事はできあがりだ。

「あ、ブラン! 動けるようになったんですね」
「うん。霊力を供給したら、少し調子が戻ったみたいだ」
 
 祈織のもとを離れたブランは、ゆったりとした足取りでソフィアの足元までやってくると、早くご飯を寄越せとばかりにミャーミャー鳴き声を上げた。

「はい、どうぞ。ゆっくり食べてくださいね」

 果たして食べてくれるだろうか、猫の体に悪いものは入れていないはずだけど、と少し緊張しながら見守る。
 ソフィアの心配とは裏腹に、ブランは皿が置かれるなり、ムチャムチャと音を立ててご飯を貪り始めた。
 いい食いつきにひとたび安心したソフィアだったが、ふと、ブランが南瓜を避けているのに気づく。

「ブラン、南瓜は食べないの?」
「南瓜は嫌いだってよ」
「えっ? お屋敷ではあんなに食べてたのに……」
「押しつけられてたのを仕方なく食ってたんだと。そりゃ嫌にもなるわな」

 確かに、常に自分が正しいと思っている瑠璃子ならばやりかねない。
 彼女を怒らせないよう無理をしていたのだと思うと、ブランが可哀想だった。
 けれど、こうして残しているということは、ブランもこの場では無理をしなくていいと理解しているのだろう。
 ブランが南瓜以外を完食したのを見届けて、ソフィアはようやく胸を撫で下ろした。

「美味しかったですか?」
「ンミャ」
「悪くない、ってさ」
「よかった。じゃあ、今度はブランの好きな食べ物で作りますね」

 毎日料理をしている人のように手際よく、とまではいかないが、要領はきちんと体に染みついているものだ。

「それにしても、ソフィアさん。君、かなり霊力が強いんだね」

 ソフィアがブランの食器を片付けている横で、祈織は感心したように言う。
 
「え? そ、そうでしょうか……?」
「うん。さっきのご飯、たっぷり霊力がこもってたし。ブランの体調も明らかによくなってるでしょう?」

 確かに、帰宅直後はぐったりしていたブランは今、足取り軽く部屋を探索している。

「『料理の魔法』だっけ。あれもすごいね。どんな手順で作ったんだい?」
「えっと、私はここに書いてある通りにやっただけですが……」

 ソフィアは懐から母の遺品の手帳を出し、料理の魔法について書かれた頁を開いて差し出す。
 どれどれ、と手帳を受け取り、文字を目で追う祈織。
 すると次第に、彼の黒い瞳は星空のようにきらきらと輝き出した。

「……これ、ちゃんと実生活で役に立つ西洋魔法だ! しかも道具も術式も使わない、一番原始的でシンプルな方法!」
「そ、そうなのですか……?」

 祈織は「うわあ~!」と嬉しそうな歓声を上げながら、いつになく早口で喋り出した。

「『酸っぱい木苺を甘くする魔法』、『アブラムシを寄せつけない魔法』、『指に刺さったトゲを抜く魔法』――最新の産業魔術とはほど遠いものばっかりだ! 帝都にある西洋魔法の資料って、こういうのは全部排除しちゃってるからさぁ! 超貴重な資料だよ、これは!」
「あーぁ。始まったぜぇ、祈織センセイの変態(おたく)講義。こりゃしばらく止まらねえな」

 ソフィアの傍らにいるヌイは、その様子を見てやれやれとかぶりを振る。
 しかし、祈織はそんな反応など気にも留めない。
 今まで見たことないほど輝かしい笑顔で、手帳をめくり続けていた。

「そういえば、東雲帝国にはこういった術は少ないですよね……」
「そう、そうなんだよ! いいとこ突いてるね、ソフィアさん!」

 食い気味に反応する祈織。
 ソフィアは驚きのあまり、「ひゃっ」と声をあげる。

「東雲帝国だけじゃなくて、東洋の術全般がね! 祈祷とか占いとか、医術ばっかりだからね! 実際の暮らしに根付いた魔法は、西洋ほど発達してないんだよ! 逆に言えば、東洋の人は昔から手先がめちゃくちゃ器用だから、暮らしの魔法を発展させる必要がさほどなかったってことでもあって……」

 ……すごい。
 一を発信したら、一気に十で返ってきた。

(薄々感じていたけれど……やっぱり変わった人だわ、祈織さん)

 人目も気にせず夢中で読み漁るあたり、知識欲はかなり旺盛なのだろう。
 けれど、嫌いではなかった。
 むしろ、どこか安心している自分がいることが、ソフィアは少し意外だった。

「はっ、『紅茶を美味しく淹れる魔法』!? ……ねえ、ソフィアさん! この魔法、ソフィアさんも使えるの!?」
「えっ? はい、一応使えますが……」
「じゃあ、お願いがあるんだけど!」

 祈織はそう言って、台所の奥の戸棚から缶を一つ手に取り出した。

「それは……紅茶の茶葉、ですか?」
「うん。なんかいい品だって聞いたんだけど、僕、紅茶の淹れ方なんか知らなくてさ。まだ未開封なんだ」

 祈織は興奮した勢いのまま、ソフィアに缶をずいっと差し出す。

「これ、ソフィアさんが淹れてくれない? せっかく人からいいものをもらったのに、ちゃんと味わえないのはもったいないからさ! ね?」

 興味津々とばかりに前のめりになる祈織を、「落ち着けよ」とばかりに後ろへ引っ張るヌイ。
 ソフィアは正直、紅茶の魔法に関しては、料理の魔法よりも自信がない。
 瑠璃子に紅茶を出したことは何度かあるものの、彼女を満足させられたことは一度もなかったからだ。
 もし彼の口にも合わなかったら……と思うと不安だった。

「……上手く淹れられないかもしれませんが、それでもよければ」

 失敗した時の保険として前置きした上で、ソフィアは引き受けることにした。

 *

 紅茶が入る頃には、祈織も座布団に鎮座していた。
 手帳を熱心に読み解く傍ら、彼は膝の上で丸くなったブランを撫でている。

「できました。熱いのでお気をつけください」

 ソフィアが震える手で紅茶のカップを差し出すと、祈織は「ん、ありがと」と軽くお礼を言って、紅茶を啜った。
 その途端――ぴくっ、と彼の眉が動いたのが見えた。

(な、なにか気になったのかしら……)

 まじまじとティーカップの中を見るその様子が、ソフィアの不安をさらにかき立てる。
 母の教えは忠実に守ったつもりだ。
 それでも変だと言われたら、どうすればいいのだろう。
 あんなに期待してくれていたのに、それを裏切ってしまったら。
 落ち着かない心境のソフィアをよそに、祈織は改めて紅茶の香りを嗅ぎ、口に含み、舌で転がして、丁寧に味わう。

「……へえ。紅茶ってこんなに美味しいんだ……」

 ふた口目を嚥下した祈織が、ぽつりと呟いたのが聞こえた。

「いいね、これ。前に喫茶店で飲んだ紅茶よりも、ずっと飲みやすい」

 湯気の向こうに見える祈織の表情が、ほろりと綻んでいた。
 ――ただそれだけの出来事に、うっかり涙がこぼれそうになる。

「祈織ぃ、テメー一人でニヤついてんじゃねえぞ! オレにもひと口寄越せ!」
「やだね。お前、いつもひと口とか言って半分以上飲むでしょ」

 わちゃわちゃとカップを取り合う祈織とヌイ。
 迷惑そうに膝から逃げるブラン。
 その光景に思わず微笑みながら、ソフィアは

「ふふ、ヌイくんの分もすぐに用意しますよ」

 と、追加の紅茶を淹れに台所へ戻った。

(次に淹れる時は、ミルクティーにしようかしら。ヌイくん、甘い味が好きみたいだし。小麦粉や卵が手に入ったら、お茶菓子も焼いて……)

 そうしたら、二人はまた喜んでくれるだろうか。
 今度は取り合ったりしないように、しっかり二人分作ってあげよう。
 そんなことを考えながら手を動かしていると、

「あ、ソフィアさん! 追加するなら二人分でお願い。こっちで一緒に飲もう」
「千匹堂の林檎(りんご)も忘れんじゃねーぞ!」

 と、二人が声をかけてくる。

「……はい、ありがとうございます」

 これは賑やかなティータイムになりそうだ、とソフィアは一人、くすりと笑った。