死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「いいキレっぷりだったなぁ、祈織ぃ~? けらけらけ!」
「言わないでくれ……自分でもキレすぎたって反省してる……」

 先ほどの威圧感はどこへやら。
 霊力自動車を運転する祈織の横顔は、非常に暗かった。
 状況を影の中から見ていたらしいヌイは、後部座席の端で足をぶらぶらさせながら、面白そうに笑っている。

「ごめんね、ソフィアさん……被害を受けたわけでもない僕が一人でキレまくってて、君も怖かったよね……」
「い、いえ、そんなことは……」
「分かってるんだ……僕、キレたら目つきが死ぬほど怖いって、職場でも散々言われてきたからさ……。でも、あれだけはどーーしても許せなくって……」

 正直、怖くなかったと言えば嘘になる。
 けれど、あれはソフィアに狼藉を働いた、瑠璃子に対する怒りだ。
 自分のためにあんなに怒ってくれたのだと思うと、ソフィアは嬉しくもあった。

「気にしないでください。祈織さんのおかげで、両親の形見も無事に持って来られましたから」

 ソフィアは膝の上の封筒を、そっと両手で包み込んだ。

「ほらほら、そろそろ持ち直せよォ。いつまでもうじうじしてる野郎なんて、ただウゼーだけだぞ〜?」
「ミャーウ」
「うるせーよ、さっきまでイジってたくせに……ん?」

 祈織が首を傾げる。
 同時に、ソフィアも「あれ?」と目を瞬かせた。
 今、確かに、ここにいる三人の誰とも違う声が聞こえたような……。

「……ブラン!? どうしてここに!」

 ソフィアは、ヌイの腕の中に白猫がいるのを見て仰天した。
 瑠璃子の式神であるはずのブランが、なぜかヌイに抱えられているのだ。

「お前らが屋敷を出る時、オレがいた影ん中に潜り込んできたんだよ。『もう痛いことはしないから、助けてくれ』だってよ」

 ヌイはブランの首元を軽く撫でながら、面白そうに言った。
 
「私が? でも、助けるってどうやって……」
「この首輪を外せばいいんじゃねえの」

 ブランの首には大きな青いリボンをあしらった首輪がつけられていた。

「式神を縛る術がかかってるみてーだ。オレの手じゃ弾かれて外せねえ」

 言われてみれば確かに、首輪には不自然なほど濃い霊力が絡みついている。
 可愛らしい装飾品に見えるそれが、急に恐ろしいものに見えて、ソフィアは怖々と手を伸ばした。

「少し我慢してね」

 ややきつく締められた首輪の金具を外す。
 すると、ふっくらつややかだったブランの体が、みるみるみすぼらしくなっていく。
 真っ白だった毛並みはぼさぼさに乱れ、丸々としていた体は、信じられないほど細くなり。
 下手をすれば、そこいらの野良猫よりも痛々しい姿になった。

「まさか、お嬢様……術でブランの見た目を誤魔化していたの……!?」
「みてーだな。無理に痩せさせられたり、食いたくねーもん食わされたりで、相当苦労してたっぽい」

 ヌイの声から、いつもの茶化すような調子が少しだけ消えていた。
 ソフィアは言葉を失う。

「ソフィアさんを攻撃していたのは、瑠璃子の命令に従わざるを得なかったから、ってことか」
「それでも、いつも手を軽く引っ掻くくらいに加減してたらしいぜ。あのクソ令嬢からは、顔を狙えって言われてたみてーだ」
「顔を……」

 ソフィアは、思わず自分の頬に触れた。
 もしブランが命令通り、本気で爪を立てていたら、自分の顔には消えない傷が残っていたかもしれない。
 けれど、ブランはそうならないよう、ずっと手加減してくれていたのだ。

「ごめんなさい、ブラン。私、ずっと貴方を誤解していました」

 ソフィアがそっと声をかけると、ブランは力なく「ミャア」と鳴いた。

「祈織さん。ご迷惑でなければ、この子も……」
「構わないよ。君ならそう言うと思った」

 祈織はソフィアの言葉を最後まで聞く前に頷いた。
 やがて車がゆっくりと停止する。
 どうやら、祈織の自宅に着いたらしい。
 ソフィアは祈織の手を借りて車を降りると、眼前に佇む建物を見上げた。

(今日から、ここに住むんだ……)

 そこは、軍の高官の住まいと言うにはいささか質素な、二階建ての木造家屋だった。
 玄関をくぐり、ソフィアはブランを抱えて、案内された座敷へ向かう。
 座布団の上にブランをそっと下ろすと、その細さに改めて胸が痛んだ。

「これって、すぐに病院に行った方がいいのでしょうか?」
「いや、今すぐどうこうって感じじゃないよ。ただ、霊力が欠乏して力が出ないみたいだ」
「霊力の欠乏、ですか?」
「うん。未熟な術者に使役されてる式神によく見られる症状だね。多分、瑠璃子の霊力量じゃ(まかな)えなかったんじゃないかな」

 あやかしを式神として使役するには、術者側がそれに見合った対価――すなわち、霊力を差し出さなければならない。
 使役するのが強力なあやかしであれば、当然要求される対価の量も増えていく。

「瑠璃子の霊力量なら、下級のあやかし一体くらいが妥当なところだけど、ブランは明らかに中級以上だ。よく今まで暴走せずに我慢してたよ」

 ブランは本来、穏やかな性格なのだろう。
 これが気性の荒い鬼や天狗だったら、目も当てられない大惨事が起きていたに違いない。

「まずは霊力の供給からだね。少し回復したら、食事を通して霊力を補給させるのがいいと思う」

 気だるげに横たわるブランを、霊力を帯びた祈織の手がゆっくり撫でている。
 不足した霊力を回復させている最中なのだろう……ブランは眠そうに目を細めて、祈織の治療の手を受け入れていた。
 
「食事でしたら、私が作りましょうか? 持ってきた手帳に、『料理の魔法』の使い方が載っているので……」

 西洋魔法における魔力と、東洋の陰陽術における霊力は、本質的には近いものだと母は言っていた。
 魔力を込めながら料理する方法なら、ソフィアも幼い頃に教わっている。

「そりゃいいや。祈織は料理じゃ役に立たねえからよ」
「悪かったな、料理下手で……」

 祈織が横目でじとりと睨んでいたが、ヌイは全く意に介さず、「ついてきな」とソフィアを案内する。 
 ヌイに連れられてやってきたのは、陽だまりの気持ちよさそうな中庭だ。

(まあ、鉢植えが沢山……)

 植えてあるのは園芸用の派手な植物ではなく、薬やお茶にするような薬草ばかりだ。
 どの鉢も花実が小ぶりで、見た目の華やかさはない。
 けれど、瑞々しい活力と爽やかな香りに満ちていて、丁寧に手入れされていることはひと目見ただけで分かった。

「全部祈織の霊力で育った薬草だ。エミリアに教わった西洋魔法の応用なんだとよ」
「! お母さんの……」

 確かにそうだ――母は昔ながらの薬草を使った西洋魔法を研究していたこともあった。 
 まさか、ここで母の生きた証を感じられるなんて、とソフィアは感激した。

「猫でも食えそうなやつはあるか?」
「そうですね……あ、この木苺なら、ブランでも食べられると思います」
「じゃあ、それを使ってメシをこさえるといい。他に必要なモンがあれば、オレが買ってきてやる」
「はい。お願いします、ヌイくん」

 思えば、料理の魔法を使うのは久しぶりだった。
 更木家にいた頃は、瑠璃子の機嫌を損ねないよう、魔法が使えることも隠していた。
 人前で使えば、何を言われるか分からなかったからだ。

(勘が鈍っていなければいいけれど……)

 一瞬、そんな不安がよぎるが、ソフィアはすぐに首を振った。

(そんなことを言っている場合じゃないわ)

 今、自分にできることがある。
 誰かのために役に立てることがある。
 それなら、やらなければ。
 ソフィアはたすきを手に取ると、自分を鼓舞するように袖を捲り上げた。