死神軍医の最愛 〜ケガレた私の処方箋〜

「……ソフィアさん。正直に言って。これは誰の持ち物?」
「それ、は……」
「大丈夫。本当のことを言えばいいんだよ」

 そう促す彼の声は、先ほどよりも幾分か穏やかだ。
 なんの感慨もなさそうだった表情も、今だけはほんのりと笑っているように見える。
 ……彼がソフィアを疑っていないことは、容易に汲み取れた。

「……私の、父の形見です」

 僅かに平静を取り戻したソフィアが答えると、それまで弱々しい表情をしていた瑠璃子が豹変した。
 今まで絶対に逆らわなかったソフィアの反論に、腹を立てたのだろう。

「っ嘘よ! この嘘つき! コソ泥みたいな真似をしておきながらよくも──」
「瑠璃子嬢。お静かに」

 金切り声で喚く瑠璃子を、祈織が素早く牽制する。
 たった二言の短い台詞には、裁判官が叩く木槌の音にも似た迫力があって、瑠璃子の喚き声は瞬く間に完封された。

「なに、どちらが嘘を吐いているかなんて、指輪に聞けばすぐに分かる」

 すると、祈織は瑠璃子に近づき、自然な仕草で指輪をはめた彼女の手を取る。
 
「あ……」
 
 瑠璃子が一瞬、見惚れたように目を瞬く。
 白い指先も、滑らかな所作も、妙に優雅で、夫人までも思わず息を呑んでいた。
 けれどソフィアだけは気づいていた。
 祈織の目が、まるで笑っていないことに。

「この宝石は『翡翠(ひすい)』と呼ばれるものでね。身につけていると、肌の油分で輝きを増していく珍しい石なんだ。そして面白いことに、これは『記憶の石』とも呼ばれていて――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 祈織が最後の部分をあえてゆっくりと言った意図は、瑠璃子や夫人にも伝わったらしい。
 二人は目を見開き、瞬く間に青ざめた。
 
「この石から感じ取れるのは、ソフィアさんに似た霊力だけだ。更木家の霊力なんて微塵も感じ取れない」
「っ、そ、それは、私の指輪をソフィアがずっと隠し持っていたから……」
「あれ? でも、この指輪、大きさからして男性用だね? 霊力はかなり長期間に及んで蓄積されてるみたいだから……もしかして、君のお父さんやお祖父さんが身につけていたのかな?」

 祈織がソフィアに視線を向けながら尋ねてくる。
 ソフィアは彼の洞察力に驚きつつも、静かに首肯した。

「はい。若い頃の祖父が、西洋の職人に作らせたもので……祖父の死後は父が身につけていたと聞いております」 
「そうか。それなら、間違いなさそうだね」

 祈織が掴んでいた瑠璃子の手から指輪を抜き取る。
 瑠璃子が「あっ……!」と縋るように手を伸ばすのには目もくれず、祈織は指輪をハンカチで拭いてから、ソフィアに手渡した。

「って、ソフィアさん! 手を怪我してるじゃないか!」
「え、あ、これは……」

 顔をしかめる祈織を見て、これ以上彼を激昂させてはまずい、と上手い言い訳を考えるソフィア。
 しかし、四本の細い引っ掻き傷をつけた犯人がバレないわけもなく――祈織は衣擦れの音一つ立てずに、そのままするっと後ろへ振り返った。

「君、大法螺(おおほら)を吹いて彼女を嵌めようとした上に、怪我までさせたの?」
「っ……!」

 瑠璃子の顔は青ざめていたが、どこか苛立たしげで、今にも悔し泣きをしそうだ。 
 丸め込もうとした祈織が騙されなかったばかりか、格下のソフィアの味方をしているのが、気に食わないのだろう。

「痛かったでしょう、ソフィアさん。すぐに治すからね」
 
 祈織は再びソフィアへ向き直った。
 その瞬間にはもう、先ほどまでの怒気を引っ込めている。
 彼はソフィアの手をそっと取り、もう片方の手を肩へ添えた。
 すると、じんわりと温かな感覚が流れ込んでくる。
 
(……? これ……体内の霊力の循環を促進してる……?)

 母から治癒の魔法をかけてもらったことは何度かあるが、それとはまったく異なる手法だ。
 もしや、彼が使う旧き陰陽術の一種だろうか。
 ソフィアが興味深く観察しているうちに、ブランにつけられた引っ掻き傷がみるみる塞がっていく。

「はい、治ったよ」
「あ……ありがとう、ございます」
 
 どういたしまして、と祈織はソフィアに向かって柔らかく微笑んだあと、再び瑠璃子に鋭い視線を投げかけた。
 ビクッと怯えたように肩を跳ねさせる瑠璃子。

「君、コソ泥なんてよくほざいたね。しかも式神に人間を攻撃させるなんて、術師としても最低の行為だよ」

 静かに、ゆっくりと、相手にひしひしと伝えるように……祈織は、瑠璃子に近づきながら言う。
 その迫力は、後ろ姿を見ているだけのソフィアですら、圧迫感を覚えるほどだ。

「っ、お、お許しください、烏丸様! 娘はただ、ほんの少し──」
「黙れ。アンタの釈明は求めてない」

 娘を庇おうとする夫人に釘を刺し、祈織は瑠璃子をじっと睨み据えた。
 早く謝れ、と言われていることには、さすがに瑠璃子も気づいているだろう。
 けれど、瑠璃子はわなわなと震えるだけだ――格下のソフィアに頭を下げて謝罪するなど、プライドの高い彼女にできることではない。

「申し訳ございません、烏丸中佐! 不肖の娘には私から言って聞かせますので、どうかお許しを……」
「は? 被害を受けたのは僕じゃなくて、ソフィアさんなんだけど。許しを乞う相手も分からないのかよ、アンタは」

 男爵の釈明に、さらに怒りを露わにする祈織。
 けれど、ソフィアはもう十分だ、と彼の肩にそっと手を置いた。

「いいのです、祈織さん。……謝罪は不要ですから、行きましょう」

 これ以上、祈織に脅しのような嫌な役はさせたくない。
 それに、こんな形で瑠璃子に頭を下げさせたとしても、心からの謝罪が得られるわけではない。
 ソフィアのそんな諦念を感じ取ったのか──祈織はもう一度、深く呼吸をする。

「よかったね、瑠璃子嬢。これで君だけは頭を下げずに済んだわけだ。恥を知るにはいい機会だっただろう?」

 うってかわって、明るい声と笑顔を見せる祈織。
 しかし、それらは殺しきれない彼の怒りと見事に矛盾していて、却って底の知れない恐ろしさを醸し出していた。
 瑠璃子にとっては、これが一番恐ろしかったようで、「ひっ」と怯えていた。

「では更木家の皆さん、ご機嫌よう。もう二度と会わぬことを願って」

 祈織は踵を返し、ソフィアの肩を抱くと、スタスタと玄関から外へ出た。