「まぁ、焦らず、がんばって下さいね・・」

その励ましは”まだモノになりませんね”という内容を言い表していた。
退社二ヶ月後、再就職を柏は果たせてゆく。しかし女性の上司にそう告げられ参っていた。コンピューターに入力する仕事に就けたまでは良かったが、かなり苦しいスタートとなってしまう。

「加藤さん!」

立川駅の改札付近の雑踏の中で初勤務を無事、果たせたその日の帰り、柏は彼女を見付けた。

「ーー」

彼女はとても足早で柏の声など聞き留めれる余裕など保っていなかったようだ。
フラッパーできめた髪型が美しく黒の上着もセンスの良さを感じさせた。
ちづるは未だに柏の理想的な女性で有り得たのだ。職場の上司が()()()()()()と想像するほどである。

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ーー追いかけて、声をかけていればーー

駅ビルに向かう柏の心に”悔い”が残った。いつも好きな女性ができても彼は、フラれる恐さの方が勝ってしまいアプローチしないで終わってしまう半生を生きてきた。

(二度と会えないかもしれないな・・)

再就職祝いに何か自身に褒美(ほうび)を、買い与えるつもりでいた彼は金の使い所を失っていた。ちづると御茶でも御一緒する事が、何よりの喜びなのだから。淋しさが彼の心に充満し始めていた。

()()()か・・」

地下の食品売場で柏は手打ちうどんの職人の手さばきに見とれた。

(上手いもんだな・・今日のボクとは大違い)

手打ち職人の笑顔がまぶしい。

ーー笑顔?ーー

(判った!判ったゾ。(つい)(つか)めた。遂に)

急に何かを悟れた柏は直ぐ様(すぐさま)その場を離れて、文房具のあるフロアーへ、向かっていった。原稿用紙を大量に買い込み、ひと息、ついてゆく。

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「おっ、日高の本・・」

駅ビルの中の書店の一角で日高譲著の小説がなんと平積(ひらづ)みされていた。
なんとなく立ち寄ったはずのテナントに柏は釘付けにされている。

(ボクの知っている作品ーー)

我を忘れ読みふけった。
思えば元編集者である事を武器に散々、彼の作品を技術面(文法等)に於て否定し続けた。あの時の妬みが今は逆に柏に恥を感じさせて止む事(やむこと)はない。

「結局、ボクは負けた・・」

今回のひとり言は明るかった。もう、日高を心から認めるしか柏には道は無かった。
本が先に出されてしまった事に対する敬意もあるが自身の中で小説二作目のヒントを(つい)に手に出来た実感が最大の要因であるとも云える。

(とりあえず、御祝いの電話を入れなきゃ)

その本を買い公衆電話から柏は連絡を入れた。

「現在、この番号は使われておりません・・」

彼は移転していた。もう別の世界の人間なのか?

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「きっと、ボクは若い時、勝ち過ぎたんだ」

エスカレーターに乗りながら柏はふと自分の過去を思い返した。
学生時代は常に優秀で最終的に大学院にまで進めた。就職も理系の参考書を作る会社に、入社出来(でき)、処女作も、なんとなく書けていた。全く、他の日本人に比べて負ける経験など、無かったに等しい。

(だから次が書けなかった・・安穏すぎた)

柏は自身を骨の細い奴ーーと認め、()()()()に到れた。

「ーー買ってよ、ママ、ねェェ、買ってよ」

三階まで降りた時、おもちゃ売り場の前を、柏は通り過ぎる。子供が母親にせがんでいた。

(ボクも、あれと同じだった)

当然、柏はおもちゃを欲しがった訳ではない。”小説家”という肩書きを手に入れたかったのだ。
また、()()()()()を欲していたとも云えよう。自身の幼稚さを嘲笑い更にエスカレーターで降りていった。柏の心はかなり爽快(そうかい)に感じられ、今までに無い境遇となっていった。

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ーー日高は死んでいたーー

後日、電話帳で日高の実家を調べ柏が連絡を取ってみると彼はもう他界していた。
七月の上旬ーーというから柏が工場をクビにされ、去ってから数日後に日高は死んでいた事となる。脳の病気で急に亡くなったと聞いた。
柏は死亡当時、失業中でなんとなく日高に、電話をかけずらい思いがあった。
失業者の敗北感が友の死の通知を遅らせてしまった形。柏は自身を必要以上に小さい人間と感じ始めた。

ーー本は保険金を資金に出版されていたーー

電話口で日高の母がそう伝えている。

(もっと、日高に優しくしてやれば良かった)

柏は自身をひどく醜く感じて止まない。
日高にあこがれながら、日高が、悪い人間であって欲しいと願い続けた心があった。

「本当に色々、すいませんでした・・本当に」

なぜか誤ってしまう柏がいた。
彼の母は何も判らずただ”いいえ”と言うだけだった。柏の胸はひどく痛んで辛さのみの(かたまり)となってしまった。

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十月上旬、ようやく休みが取れ、柏は独り日高の実家を訪ねた。
自分の素性を柏が説明し終わると日高の母が尋ねてくる。

「加藤ちづるさんーーって御存知かしら?」

ちづるが一ヶ月前にたった独りで来たと言う。一ヶ月前と言えば丁度、立川駅でちづるを、見かけた時とピタリ重なる。彼女は焼香をする為に、上京していたのだ。彼女の恋心を知る柏は自然と胸が熱くなった。

「今思えばね・・譲には少しぐらい御金を工面してやれば良かったとーーようやく本を出せると思ったら、あの子は、他界して居ないしね。全く、貧乏って嫌ですね、涙が出ちゃう・・」

日高の母が笑い泣きしながら柏に告げていた。実家を見回すと裕福とは言えない印象である。狭い都営団地で、息がつまりそうであった。生前、日高は金を貯めて絶対、自分で本を、出すと誓っていたそうだ。柏は”志”を見ずには、許されない立場だと独り身を引き締め、日高宅を後にした。

 〜〜 終幕 〜〜

ーー判るまで見るなーー

そう記されたシールで封を閉じられた封筒は、日高の実家に焼香に行った日に、手渡されたモノである。
切手も無く、あて先の無記銘もあり、日高は会って手渡したかったと、考えられる。柏はいよいよ、開ける決心をし、息を整えた。

「その前に・・」

柏は自室で独り壁に向かい自身の”判った”内容を言葉にして発した。

「ボクはうどん職人とは違い、出来るまでの作業を・努力を楽しんではいなかった・・・おもちゃをねだる子供の様に、ただ肩書きを欲しただけだった。本当は作品が完成するまでの過程が最も重要なのに結果だけを求め、失意ばかりを(いだ)いていた」

言い終えた柏はハサミで快く開封し始めてゆく。

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『作ろうと努力をしている時が楽しくない人は永遠に良い作品は()()書けないであろう。また、それを知らない人は名誉だけを求めてしまい、自らを堕落させてしまうのが常だ』

日高はそう記していた。
”野心”だけの若き柏の心にあてた貴重な、遺言であった。
テストをやれば点を取る事しか考えず学問の何たるかなど柏は想像さえせずに生きてきた。二作目のメッセージを胸に柏はペンを()る。

「この小説は加藤ちづると日高譲に捧ぐ」

少し照れくさいフレーズを口走り、柏は書き始めた。
この作品に彼達をモデルにした登場人物を記しておく事が日高の供養になると彼は思えた。

「二人にキス・シーンくらい用意してやろうか?」

うす笑いを浮かべ筆を休めた。
窓の外の夜空を見る自身が少しだけ、ロマンチストになれた気が彼はしていた。
ようやく小説らしきモノが判ったと自負をし、心・踊らずにはいられなかった。

(了)