人を呪わば夜が明ける?


 喉が痛い。焼ける。
 
 痛烈なまでの感覚に、汗が溢れて止まらない。なんとかその状況から抜けようと藻掻くのに、状況の変わる兆しはない。
 目が痛い。肌が軋む。
 苦しい。苦しい。
 
 
 ビリビリッと、皮膚が千切れ飛んだ。
 
 
 
 
「─────っァ!!!」

 
 
 
 無理に起こした身体が、まるで地面に寝ていたかのように軋む。
 明るくなっていない空の下、ヨタカは呆然として起き上がった体制のまま瞬きした。
 する、と指を伸ばす。触れた頬には、砂が着いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 最近リフォームを終えた『私立常葉高校』は、県外からも入学生が後を絶たない中高一貫の名門進学校だ。
 制服は真っ白のブレザーに黒のシャツ。千鳥格子のネクタイを合わせ、ズボンも同様に白。黒一端のヨタカの学ランと較べても、どちらが優れているかは明確である。
 その真横に構えられた、自称進学校の公立、山吹高校がヨタカの通う高校である。
 当然のことながら、外観も偏差値も圧倒的に負けている。だが、そんな格差の中でも、2校の生徒同士は仲が良かった。というのも、ヨタカが在学する山吹高校は、明治時代初期に創立され、その後外側の整備を一切しないまま令和を迎えた学校なのだ。つまるところ、校舎の内装から外装、グラウンドからプールに至るまで、ありとあらゆる場所が古いのである。雨の日の水漏れなんて日常茶飯事。辛うじて廊下は踏み抜かれていないが、それは教師陣が予め壊れそうな箇所を踏み抜いているからである。グラウンドの水捌けの悪さは県内1を誇る。余談ではあるが、野球部の弱さは国内1である。
 そんな施設設備の悪さでは、部活動中怪我をしかねない。だが、学校側の伝統として、部活動をしない訳にはいかない。
 そこで学校が出した答えは、隣の綺麗な私立にお邪魔しよう!というなんとも他力本願かつ厚かましいものだった。何でも、常葉高校の学長が山吹高校の校長の知り合いらしい。二つ返事で諾を打ったらしいのだが、本心は知らない。
 そういうわけで、全く接点の無さそうな2校は、部活という分野で深く関わることになり、今では2校は姉妹校扱いを受けている。
 なので、ヨタカが常葉高校にいても不審がる生徒はいないし、校舎内に入っても、同じ学ランを見ることが多々ある。

「高嶺くん、どこだろ〜……」

 だが、やはり別高校に単身で乗り込むのは、少しの罪悪感と不安感に苛まれる。
 他の人間は部活動という名目があるものの、ヨタカはただ単純に幼馴染に会いに来ただけだ。

「繋がんないしなぁ……」

 私立だからといって、場所を問わず携帯を出していい訳では無いらしい。その証拠に高嶺からの返信が無い。ヨタカたちの学校も携帯の使用はご法度だが、ちらほらと写真を撮る山吹高生の姿が見られた。

「……探検してよーっと」

 次の瞬間。 ──ぞくっと、背筋が冷えた。

 ばっ、と窓ガラスを見れば、真っ青な顔で額に玉汗をかいた自分がいる。薄暗い暗闇が、鏡になってヨタカの色の薄い顔を写しているだけだ。

(今、)

 震える指で、首元を掴んだ。

(刺されたのかと、思った)

 明確な殺意を持った、おぞましいまでに痛烈な視線。誰かに、“見られている”という事実を、肌に直接叩き込まれたような、恐怖。
 ヨタカは、知らず喉を撫でる。

「………うわ、」

 びっちょりと汗が出ている。手から、だ。その不快感に、思わずハンカチで手を拭った。

「……高嶺くん、探そ」

 ハンカチをポケットにしまい、歩き出す。
 足を1歩進めた。それと同時だった。
 ぽん、と肩に手が置かれた。

「やぁ灰原さん。」

 ばっと振り返れば、そこには小柄な茶髪の少年が立っていた。その背中には、剣道部が使うような布筒が背負われている。
 ナタデココのようなつるんとした顔立ちと、薄桃色の頬。アーモンド型の瞳を持った、その顔は、身に覚えがあった。
 身の毛が逆立つ。

 忘れたかった。ただの夢だと思いたかった。現に、今日あったクラスメイト達はまるで昨日の記憶がないような振る舞いをしていたし、グラウンドに寝ていたことは集団での悪戯で済まされた。
 無かったことに、知らないことに。当事者達がそう思うのだから、周りももちろん何も問わなかった。
 目を覚ました時、何故か全員がグラウンドに寝転がっていて、誰よりも早く目を覚ましたヨタカは、転がるように逃げ帰った。そのままもう一度布団について眠った。そうして起き上がり、なんてことないように「行ってきます」と手を振ったのだ。あの高嶺でさえ、まるで何事もなかったように話を続け、約束通りにヨタカと会った。

「あの、時の」

 喉が渇く。喘ぐように言葉が現れた。嘘だと、夢だと言って欲しかった。

「うん。初めましてこんにちは。いや、コンバンハ?まぁいいか。つーわけで、」

 きゅっと距離を詰めていた少年は、にこ、と目尻を下げ、背中の長物に触れながら囁いた。

「ちょっと、お時間イイですか?」

 最悪だ。
 忘れたかった事実に、眼球を固定される運命が待ち受けていた。







「あ、あの……」


 ヨタカは、そろそろ、と震える視線を持ち上げる。
 前には、重たい錫杖を抱え、行儀悪くシートの上で胡座をかいた翠眼の少年。その隣には、ぼーっと窓の外を眺める、碧眼の少年。
 どちらも恐ろしいほどに顔が整っている以外に、表現の使用がない。

 ヨタカは思い返してみる。
 何故。なぜ自分は、こんな場違いな高級車の車内で、シートを向き合わせて、同い歳(らしき)少年2人と顔を突き合わせなくてはならないのか。
 何故。なぜ自分は、高嶺と帰る約束をしておきながら、こんなところにいるのか。

 それを説明してくれるであろう、前の少年2人は、どちらも、ぽけーっとした雰囲気を漂わせて、ただ座っている。話し出すような予兆もなく、言葉を選んでいる訳でもない。

(いや……本当になんで?)

「そんなビビんないでよぉ。いじめてるみたいじゃん」

 見ていて可哀想なほどに肩を強ばらせているヨタカに、ようやっと気づいたらしく、翠眼の少年が声をかけてきた。
 ハツラツとしたテノールボイスが耳に心地いい。にかっ、と笑ってできた皺も含めて、愛嬌を感じさせるかんばせだ。

「……僕、人と、待ち合わせしてたんですけど、」
「あーみたいだね? 聞いたから知ってるよ」
「……えっと、ですよね」
「うん?」
「………や、何でも。」

 泣きたくなってきた。
 ヨタカは人知れず、心の中で涙を拭う。
 日本人特有の、『言わずとも察しろよ』攻撃を駆使したつもりだったと言うのに。身体、声音、雰囲気すべてで、「帰りたいな〜〜〜帰りたいな〜〜〜」「人待たせてるんだよな〜〜〜帰りたいな〜〜〜」を表現していたというのに。
 この少年、ただ鈍いだけなのか、分かっていてその態度なのか分からない。恐らく前者。

「……僕、なにか、しました?」

 ちら、と視線だけ上げて見た先の、蒼髪碧眼の少年。名前を、梔子といったか。彼が座っているということは、前回の廃ビルの件だろうと検討はつく。だが、それでも納得はいかない。

「……え? いや、全然?」
「何もしてないし、何もここで待ってもらう理由は無い。この人はぽけーっとしてただけ」

 翠眼のイケメンが、梔子を平手で叩いた。
 ここで後者の可能性が出てくるとは。人生何があるか分からないものである。
 やっぱイケメンはこういうやつ多いんだな、とイケメンにただならぬ恨みのあるヨタカは、そう定義付け、自身のイケメン嫌いを勝手に加速させた。

「……あ、」

 窓の外を見ていた梔子が、身体を起こした。
 翠眼とヨタカの注意も窓の外へむく。

「ごめん、遅れたわ」

 車内に身体を滑り込ませたのは、巨峰色の髪の青年だった。
 スーツの下の、黒いシャツの襟元のボタンを外しながら、汗ばんだ髪の毛をかきあげる。
 艶美を孕んだ紫紺の瞳に、ヨタカが映る。

「君が灰原ヨタカくんで間違いない?」

 低い声音だが、言葉は柔らかい。関西を思わせるトーンだからだろうか。

「は、はい」
「そっか。ごめんな、急に呼び出して」
「あ、いえいえ、ぉお構いなく……」

 さすがにスーツを身にまとった大人に、先刻の「帰りたいな〜」攻撃を浴びせる訳にはいかない。喧嘩を売る相手は自分より明確に格下か、同い年だけと決めている。そして人はそれを“クソ野郎”と呼ぶ訳だが。
 切れ長の瞳が、ヨタカを伺うように覗き見た。

「急いどる?」
「あ、」
「人待たせてるって」

 硯が窓の外を見つめながら、ぶっきらぼうにも聞こえる声音で言った。
 それを受けた紫髪の青年は、眉をひそめて肩を下げた。

「そっか。なら、その子には、先帰ってもらった方がええかも」

 オーマイガー。
 ヨタカはその言葉を、胸中で反芻した。
 なんてこったい、帰れないらしい。
 とてつもなく面倒なことに巻き込まれた感が否めない上、ここで変に逃走すれば、今後要注意人物として睨まれかねない。大人しくしている事が、今後も含めて正しい選択なのは自明だった。
 重い手を使って、スマートフォンを操作する。見慣れた緑のアプリに、『今日は帰れないみたい…!明日開いてそうかな?』とだけ打ち込む。

 数秒して、返信が来た。
 『了解です! 僕も今日は委員会があったので、寧ろちょうどいいですね!』という、善人の象徴のようなLINEに、思わず涙ぐむ。ちょっと引いた目で見られたのはご愛嬌である。

「えっと、連絡しましたけど」
「ごめんねぇ。約束してたのに」

 分かってんなら帰らせてはくれないだろうか。
 高嶺に約束を取り付けたのは、自分だと言うのに、早速それを破る自分が嫌になる。いや、ヨタカのせいでは無いのだけれど。

「じゃあ話そうか。」

 何をするでもなく、胡座をかいていた少年が、ゆっくり足を組んだ。スラリとした細い脚と、ヒールのあるブーツがピッタリとハマっている。
 青年は曲輪の横に、無理やり身体を入れ込んだ。必然的に、曲輪とヨタカが向き合う形になる。


「じゃあ単刀直入に言うと、君、

憑かれてるよ」

 ツカレテル?
 疲れてる。突かれてる。着かれてる?

 ヨタカの頭上を、クエスチョンマークがうろちょろする。
 どれも言葉にそぐわない変換ばかりだ。

「つかれてる……」
「うん。」

 曲輪は、にやと子供っぽい笑みを浮かべて、両の手を下に垂らし、手の甲を見せつけた。

「コレ」

 幽霊。物の怪。化け物。お化け。
 オカルトチックなものを連想させるその仕草に、ヨタカは先程の“つかれてる”を正確に変換出来た。

  “憑かれてる”。

 ヨタカが、誰かに呪われていることを言っているらしい。

「っえ!?!」

 なるほど、と納得しかけて、ヨタカが目を剥く。
 ばっ、と反射的にその長身を持ち上げる。ぎっと車体が揺れ、詰め寄ろうとしたせいで明るい色の頭を打った。

「うーん、イイ反応。予測範囲内も悪くないね」

 頭を抱えて蹲るヨタカを見つめながら、コロコロ喉を鳴らして笑う少年の脇を梔子が小突き、茶色い頭を紫髪の青年が叩いた。

「本題に入る前に、自己紹介だけさせてや。
御笠木(みかさぎ)七瀬。こっちは、」
鷹君(たかぎみ)曲輪。えーじはゆーとせいむのぐれーどとゅー!」
「梔子硯。硯でいいよ。同い歳だから」

 梔子の名前は知っていたが、同い歳だったらしい。その大人びた仕草や言葉遣いから、全く想像していなかった情報だった。
 3人が名乗ったタイミングで、ヨタカも自分の名前を述べた。先程の会話の内容が気になって、自己紹介のタイミングを失敗した気がしてならない。

「あ、あの、それで、俺が憑かれてるって」
「まぁ正確に言えば、“当てられてる”かな。日本語の問題になってくるけど」
「……当てられてる?」

 再び出てきた、要領を得ない返答に、眉根にシワがよる。
 曲輪が何か言う前に、隣に座っていた硯が口を開いた。

「風邪が移るみたいなもんだよ。風邪っぴきの横にいたら、ちょっと体調悪くなるだろ?」
「あー……」
「ようはそれと同じ。悪い魂の傍にいればいるほど、傍にいる人の魂も汚れていく」
「……タマシイ?」

 突然出てきた用語に、「スポ根?」と見当違いな言葉を返してしまった。
 ヨタカがへら、と愛想笑いの典型のような笑顔を浮かべて首を傾げると、硯も真似っ子して、こてん、と首を傾げた。ヨタカは、ちょっとだけ、「ああ、この人無愛想とかじゃなくてなんも考えてないだけか」と、彼の無表情さへの認識を改めた。
 お互い意思疎通を放棄し、首を傾げたまま見つめ合っていれば、痺れを切らしたのか、曲輪が身を乗り出した。

「俺らのこと知ってる?」
「……知りません」
「そりゃそーか」

 曲輪は再び足を組み、手のひらを上に向けた。

「数百年前、世界中が“不思議な物”で溢れかえったことがある」
「え?」

 唐突に始まった語り口調の硯に、ヨタカは思わず上擦った声で返事した。
 硯という人間は、思いのほかマイペースらしく、ヨタカの変化に気づきた様子もないまま、話を続けた。

「始まりは、ある考古学者らがエジプトで、王家の墳墓を発掘しようとした時からだ。金のミイラを取り出す事に関係した人達が、次々に急死した」

 硯の目線は、下を無造作に向いたままで、彼の話す言葉はみな、暗記したものらしかった。
 話慣れた口調と、とくに動じることもない曲輪と七瀬の様子に、ヨタカは様式美であることを悟る。

「しばらくしたら、それがマスコミのガセってわかって、急死だ不審死だって騒がれてた死因には、全て理由があったことがわかるんだけどね。」

 曲輪が硯の言葉を引き継いで続けた。
 足の間に腕を挟み、キラキラした瞳をこちらに惜しみなくぶつける。陽キャラの典型のような動作とトーンで、曲輪は短いフレーズをキャラキャラと話した。


「でも、災厄はそこまでじゃなかった」


 ワントーン落とした、低い音を発して、曲輪は悪戯っ子のような顔になって言った。

「次にニュースになったのは、可愛い人形。名前は『アナベル』」
「……映画の?」

 聞いたことのある単語に、ヨタカが思わず聞き返す。すると、知っているとは思わなかったのか、曲輪が大きな瞳をぱちぱちやって、顔を近づけてきた。

「知ってんだね。好きなの?」
「高嶺くんが、……友人が好きなので」

 パーソナルスペースをガン無視したその距離感に、たじろぎながらヨタカが応じる。

「『アナベル』は、ドナっていう女性が、母親から貰ったヴィンテージのお人形だった。ドナは看護学校に通ってて、家から離れて暮らしてたから、ある意味寂しさを紛らわせるためのものだったのかもね」

 一瞬、曲輪の瞳がやわらかな色を放った。アーモンド型の翠眼が緩む。

「ある日、ドナの友達のルーが、部屋にいない間に、人形がいつもの位置からズレていることに気づいたの」

 七瀬は仕事があるらしく、タブレットを食い入るように見つめ、タップとスワイプを繰り返している。
 硯はぼんやりと窓の外を眺めていた。

「気味悪がったルーは人形を捨てることを提案した。でもドナは相手にしなかったわけ」

 曲輪の語りに合わせて、持ち上げた指先が揺れる。

「だけど、不気味なことはそれだけでは終わらなかった。家の至る所で、2人が持っているわけもない、羊皮紙が見つかった。そこには『ルーを助けて』って書かれた紙もあった。その家にいるはずのない、幼い子供の字で、ね」
 
 曲輪は、すっと猫目になっていた目を開き、こちらを下から見つめた。
 雰囲気の変わった彼に、思わず身体を強ばらせる。

「さすがに不気味に思ったドナは、霊媒師の所へと向かい、人形を見てもらった。そこで初めて、人形にアナベルという7歳の少女の霊が憑いていることを知る」

 霊。
 出てきた剥き出しの単語に背筋が伸びた。
 曲輪は構わず、オーバーな仕草を崩さないまま話を続ける。

「そこで捨てれば良かったんだけど、まぁこのドナちゃんちょー優しくてさ。俺なら彼女にしたいレベルで優しくて。齢7つで死んだ少女に同情して、捨てることなく手元に置いておいたのね。」
「へぇ……」
「優しいよねぇ。まぁ、その優しさが地獄の始まりだったわけだけど」
「え?」

 問い返すよりも早く、曲輪は物語を進めた。

「ルーは、それから毎晩、アナベルの人形に首を絞められる夢を見るようになった。ある時、ドナの部屋に行ったルーは、隣の部屋の物音が気になって、隣の部屋を開ける。その部屋の隅には、例のアナベル人形があった」

 ヨタカは映画の内容を思い出す。確かにそんな内容だった気もする。
 あの映画は、どちらかと言うと、アナベルを保管してからのホラーだったので、保管される前のものは知らなかった。
 曲輪はやや声高に吟った。

「ルーはそれを持とうとしたんだ。すると、なんということでしょう! ルーの胸に激痛が走り、血が滲んだのです!!」

 紙芝居を読み上げるような高らかな声に反して、言っている内容は背筋の凍るような恐ろしい怪事件だ。

「部屋を飛び出て痛む箇所を見てみれば、獣に切り裂かれたような痕が走っていた。こわーいねぇー」

 ねぇ?と同意を求められても困る。確かに怖いことは怖いが、彼の言う軽い“怖い”とは全くの別物だ。
 賛同の意を返す代わりに、別の質問で反応した。

「その後、どうしたんですか?」
「“そういったもの”に定評のあるウォーレン夫妻に渡り、彼らの博物館へと封じ込められたよ。もちろん、彼らの家でも動き回ったそうだけど」

 さらりと怖いことを言うのが好きなんだろうか。
 ヨタカは疑惑の目で曲輪を見た。

「こういう不気味な物が、今の時代に至るまで、数多く見つかって来た。オマケに、それらの全てが人に害をなすもの。怨念から生み出された、怨霊とも言うべきものばかりだったわけ。
君だって聞いた事あるはずだよ。都市伝説とか」

 曲輪はヨタカの目を気にせず言い放つ。

「そのほとんどが危険物として、博物館やらオカルト研究家やら教会やらに厳重保管されてた」
「よ、良かった……」
「いーや。全然よくないよぉ」

 ほっと息をついたヨタカをぶった斬るように、間延びした曲輪の声が響いた。

「7年前、危険物として保管されていたはずの物が、すべて消え去ったからね」

 しん、と静寂が落ちる。
 ヨタカは、思わず聞き返した。

「消え、た」
「そう。7年前に、フッとね。誰かが出した形跡もない。盗まれた訳でもない。盗んだところで、泥棒本人が呪われるか、死ぬかの2択なんだから、盗むメリットもない。ただ忽然と、すべての“超常現象を引き起こす物”──『怪具(かいぐ)』が消えたんだ」

 耳慣れないワードが耳朶を打つ。

「かいぐ?」
「『怪具』。今言った、アナベルとかツタンカーメンとか、人に害をなす無機物に加えて、超常現象を引き起こす物すべてのこと」

 曲輪はニカッと笑うと、ややオーバーな仕草で両手を広げた。
 「話を戻すんだけど」を枕詞に、耳心地良いテノールボイスが耳を叩く。

「もともと処分に困っていたものだったわけだし、無くなって万々歳ではあったんだ。しばらくその博物館で変なことは起きなかったわけだしね」

 確かに、災いの元凶が総じて無くなったのであれば、管理していた側からすれば、いい事ではあるだろう。

「その1年後、今からちょうど6年前だねぇ。その時、再び不審死が発生した。

それも、日本で」

 なんと自国の話だったらしい。だが、そんな話はニュースでも新聞でも見たことがない。
 曲輪はただ淡々と告げる。

「京都の街で、高齢の女性が不審死を遂げた。調査に入った警察は、襖の中に、磔られた状態の人形を見つけた」
「……それって、」
「真っ赤な髪に、白のワンピース。可愛い可愛い女の子のお人形。──紛れもなく、消えたはずのアナベルだった」

 ヨタカが目を見開くのと、硯が話を受け継いだのは同時だった。

「誰かがアナベルを手に入れ、それを襖の中に隠してたんだろ。んで、アナベルは家にいた高齢女性を祟り殺したんだ」

 思わず硯を見る。相も変わらず、美しい碧眼とそれを覆う蒼髪は、冷利な印象しか得られず、彼の心中までは分からなかった。

「それって、誰かが、人形を、武器として使ったってこと、ですか?」
「まぁ、“殺しの道具として使った”って意味なら、武器とも取れるかな。広義にはなるけど」

 曲輪が声を潜めて言う。

「ただ、今までのアナベル人形との違いはここから」

 内緒話のように、人差し指を口にあてがい、にっと唇を三日月の形に変えた。

「アナベルを手にした警官は、署にそれを置いておいたんだ。もちろん、彼らはそれが呪いの人形なんて知らない。事件には無関係なものとして扱ったからなんだけど」

 そりゃあそうだろうな、と思う。誰も祟りだの呪いだのを事件の犯人にするはずがない。警察の操作はさぞかし難航しただろう。
 曲輪は低い声のまま続けた。

「ただその夜、署にいた警官全員が、何者かに襲われて重症。全身の骨が折れた人、目が潰れて見えなくなった人、足が逆方向に曲がった人、胸に獣の牙が突き刺さった人、……とにかく多くの人が襲われたらしい。そして、朝に出署してきた人が見た時には、アナベル人形は消えていた」

 目を見開いたままのヨタカを、曲輪が追い詰めんばかりに低い声で続ける。

「強盗の線を疑った警察は、署内に付けられたカメラを見たんだ」

 なんとなくその先は理解出来た。
 指先に冷える感覚が走る。それは、先日廃ビルで2体の化け物に遭遇した時の、這いずり回るような恐怖とよく似ていた。

「写っていたのは、“化け物”だった。そうと意外形容しづらいような、化け物が無数に映り込み、警官のほとんどを再起不能にした。んでアナベルを持って消えたってわけ」

 ぱっと両手を広げた曲輪に、話が終わったのかと思った。だが、まだ続きがあるようで、彼は再び口を開く。

「それだけで終わったんなら、警察側も隠蔽に金かけたんだろーけどさ。それだけじゃ終わらなかったんだよね。京都に限らず、東京、神奈川、北海道、沖縄、島根、三重、福井、山口、……エトセトラエトセトラ、至る所でアナベルが発見され、保管した警察署が襲われた」

 ヨタカの今現在いる県名が含まれていてギョッとした。
 まさか、この県でもあったというのか。本州の隅の隅にある田舎の県で。

「でも、それ、ニュースになりませんよね?」
「言ったろ?金かけてんの。隠蔽に。ヒュー必殺仕事人!」

 どうやら、今曲輪が説明した事件を知らないのは、警察が広めないように努力した結果だと言う。ならば知らなくてもおかしくは無い。

「世界中で『怪具』が復讐道具として使われ始めた。オマケに、それを回収しようとした人間には正体不明の化け物──『怪異(かいい)』が襲いかかる」
「それ、もしかして、」

 ヨタカが目を見開くと同時に、黙っていた硯が口を開いた。

「お前も身に覚えあるだろ。あれだよ」

 廃ビル。流れ込むように記憶が巡る。
 心臓から派生した化け物。影を操る女の化け物。口から足を何本も生やした化け物。
 思い出すだけで背筋が冷えて、震える。知らず、ヨタカは腕を摩った。

「あれが、『怪異』?」
「そ。人間が怪具を回収しないように動いてる化け物。
俺らは、そんな怪異を抑えて、怪具を回収するプロフェッショナルなの」
「………え?」

 突如方向転換した硯の話に、目を白黒させる。
 曲輪はそれに気が付かないまま、人差し指を上に向け、嬉嬉として語る。

「ヨタカさん知らない? “改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり”。徒然草のフレーズなんだけど」
「あ、ああ」

 徒然草の第127段の一節だ。以前、授業で耳にして、そのリズムの良さから、何故か忘れず頭にあったフレーズである。
 高嶺からは、「よたかさんそれ覚えるより数学の公式覚えなよ……物理やばかったじゃん……」と呆れられたのも、記憶に新しい。

「『怪具』への俺らの方針なの。『怪具』は溢れるように出てくる。
だから、“直してもどうにもならないものはぶっ壊した方がいい”ってね」
「ゴリラの話してます?」
「勿論、正しい除霊法があればするべきなんだろうけど、器がある限りそれは無理だ。ならやっぱり壊しちゃおう!って」
「ちょっと知能の発展したゴリラの話してます?」

 ヨタカの冷めた目とトーンに動じず、曲輪は満面の笑みで「ジョークだよ!!笑ってくんないのね」と言い放つ。足を組み、顎を手に乗せた。

「このフレーズからとって『改益連盟(かいえきれんめい)』。表向きは、国家機密機関“怪具感染対策課”ってなげー名前なの。一応、警察署の1課として働いてる」

 だから警察手帳ね、と言うと、曲輪はピラピラ革の手帳を振った。

「これはおまけ知識だけど、『怪具』は触れなければ正味問題は無い。でも『怪異』は別。見つかったら、即刻離れな。殺されてもおかしくないよ」
「……その、『怪具』って、どこで入手するんですか?一斉に全国から消えたんですよね?」
「あは。読みが鋭いね。コナンくんなれるよ」

 曲輪がまた冗談なのか本気なのか分からないことを言った。どうやら彼の癖らしい。

「怪具が全国から姿を消した翌年、日本の至る場所で爆発的に拡がった都市伝説がある。」
「都市伝説?」
「『夜市(よいち)』って話」

 硯が淡々とした声で続ける。
 聞きなれない単語の再発に、顔をゆがめた。

「よいち?」
「夜の市、って書いてそのまま夜市。何でもここは、“人の欲に反応して開き、欲を満たして閉じる市”」
「欲?」
「“あいつさえ居なきゃ”、“アイツが死ねばいいのに”、“死にたい”、“許せない”、“痛い目見ろ”……こういう、加虐的な欲望だって叶えてくれる。他には、“ああなりたい”、“ああしたい”、とか。なんだって良い。強く強く思えばいい。そうすれば、『夜市』の口が開いて、自動的に『怪具』が買える。化け物が主催する、化け物のための市だよ」
「……そいつらが、『怪具』をばら蒔いてる元凶ってことですか?」
「そうだね」
「じゃあ、そいつらをやっつけたら、もうあんなこと無くなるんじゃ、」
「簡単に言ってくれるなよぉ〜んなホイホイ開いてたら、俺らも苦労してねっての」

 いいわねー若いって、と小姑のような言葉を吐き捨てる曲輪を肘で硯が小突いた。

「夜市に接触する方法は限られる。今のところ、わかってるのは2つ。
1つは、今言ったように、個人の“欲”に反応して開くケース。ただこれは不規則。どういう欲に反応するのかも分かってない。ただ、相当冀わなくちゃ無理だろうね。そうホイホイ開けてはくんないよ」

 先程のヨタカの言葉を簡単に言うな、と言ったのは、恐らくこれが理由だろう。
 神頼みレベルの願い事には、夜市は反応しないらしい。

「2つは、『行商人(ぎょうしょうにん)』って呼ばれる人間と接触すること」
「『行商人』?」

 ヨタカの頭に、日本史の教科書が浮かんだ。
 歴史は好きだ。すぐに古いタッチで描かれた笠を被った着物の人の姿が浮かんだ。

「夜市に行かなくてもいい手段の1つだよ。その名の通り、怪具を持ってきて売る人間がいる。そいつと接触して、怪具を買えばいい」

 どうやら、ヨタカの想像している行商人で間違いないらしい。
 だが、ヨタカはハッとして口を開いた。

「え、でも、さっき、怪具は触れたらアウトって」
「耐性がある奴がいんの。怪具を持っても呪われない人間。適性みたいなもんだよ」
「じゃあ、曲輪さんたちも?」
「鋭いね。よっ鋭角三角形!」
「俺らはちょっと違う。俺らが使ってるのは対怪具用の御札。除霊のための道具みたいなもんだから、俺ら自身は怪具への耐性はない。エモノさえ使えれば誰でも怪具が破壊できる」
 
 硯が自身の拳銃を持ち上げてみせた。
 鉄塊はガチャ、と金属の音を立てる。その音に、ヨタカは一瞬身を竦ませたが、硯がすぐに銃を下げたことで、強ばりを解いた。
 彼は手慣れた仕草で弾丸を取り出す。ころん、と転がった弾には、禍々しくも見えるミミズのような文字が長々と書かれた布が巻かれていた。

「ただの弾とか、斧とかじゃあ、怪具のガワを壊すことは出来ても、完全に破壊することは出来ない」
「この札、『壊札(けふだ)』ってんだけど、これは怪具を壊すためだけに作られたもの。これが怪具やら怪異やらのナカにある魂……まぁ、怪具の核みたいなもんか。に、入ると一気に浄化して霧散する」
「あ、だから、あの時……」

 ヨタカは、初めて硯に会った時、口から三本足を生やした化け物が、一気に霧散した瞬間を思い出していた。
 あの時も恐らく壊札の使用があったのだろう。
 彼らの持つ武器は、壊札を使用するための器に過ぎないらしい。

「『行商人』は人間だ。紛うことなき生身の人間。ただ、怪具に触れても平気なって前置きが着くけど」
「それが、7年前、怪具を盗んで、今になって怪具を売り回っている?」
「“かも”って言うのが、今の見解。勿論、確信はない。ただ、人混みに紛れた災いであることは間違いないよ」

 曲輪の言葉に、ヨタカは片手をあげて問う。

「あの、もし怪具を手にした人は、どうなるんです?触れたらアウトなら、怪具を受け取った時点でもアウトでは?」
「契約があるんだよ。俺らも使ってる消費者と供給者間における契約が、夜市では絶対的な効力を持つ」

 曲輪がとっておきを話すように、指を上に突き立てた。

「ある怪具を買おうとすれば、それに見合った代償を払う必要がある。それが無ければ、怪具を手にすることは出来ない」
「代償?」
「つまりは、夜市は物々交換なわけ。金銭は発生しない。その物の価値で怪具を買うんだ」

 ヨタカの素っ頓狂な声に、硯が補足した。

「例えば、6の怪具は、6の価値がある物で買う。5の怪具は、4の価値のあるものでは買えない。そゆこと」
「あ、あぁ。なんとなく……はい」

 原始時代の物々交換とほぼ同じ貨幣制度らしい。
 自分なりに噛み砕いていれば、曲輪がマイペースに話を進めた。

「この特有の売買方法とは別に契約を設けられる」
「別?」
「それが買い手が触れても害が及ばない理由。契約上、その買い手が怪具を購入した瞬間から、怪具の中に取り憑いた霊が買い手の物になる。怪具の魂と一体化することによって、自身に害が及ぶのを防いでるんだよ。そうすることで、売買を明確にする。レシートみたいなもんだな」
「……え? でも、それ」
「そ。今君が思ってる通りだよ。怪具の所有時間が長ければ長いほど、精神が怪具側に引っ張られる」
「そ、それじゃ」

 ヨタカの額に汗が浮かぶ。

「怪具を購入した人間は、ほぼ100%、自我を保てない。良くて精神ぶっ壊れて脳が死ぬ。悪くて夜市に怨霊として回収される」

 硯の碧海が、こちらを覗いた。

「お前も見たろ。廃ビルにいた、影の女。あれがそうだ。初めは行商人だと思ってたんだけど、どうやらそうでも無いらしい」
「あ、あの人が?」
「自我をほぼ保ててないうえ、あんなの一般人ができるかよ。行商人は意識がハッキリしてる。恐らく怪具を買った客だ。それか、人体の形を保った怪異。どちらにしろ、逃げられたことに変わりないけど」

 行商人は、怪具を売る側の人間。売り手がいるのであれば、当然買い手もいる。
 当然と言えば当然だ。ただ、その結果があまりにも残酷なだけで。

「当然のことではある。さっき、お前に憑いてるって言ったろ?」

 すっかり頭から抜け落ちていたことを思い出し、ハッとする。
 硯は細い指をヨタカに定めた。

「悪夢、謎の疲労、変に感じる視線。身に覚えない?」

 ざわっと背筋が泡立つのがわかった。それらはヨタカに最近起こったことに当てはまっていたからだ。
 硯はシートの上に胡座をかき、爪を弄りながら続けた。

「この症状は、怪具所有者の気に当てられてるってこと。ただ単に怪具所有者の近くにいるだけでこの症状。持ち主本人の安否なんて言うまでもない」

 刃物を背中に押し付けられたような、冷たい温度がずり上がっていく。
 カラカラになった喉を振り絞って、硯の方に身を乗り出した。

「どうすれば、止められるんですか?」
「さっき言ったように、壊札で壊せばいい。怪具の中に核がある。それを壊札で突けば、除霊として怪具の中の怨霊は消える」
「……そもそも、どうやって見つけるんです?怪具がどこにあるか、とか……」
「怪具の周りには怪異が生じる。怪異は怪具を守る砦みたいなもんよ。その理論でいけば、怪異の生じた場所に怪具がある」

 曲輪がボスン、と背中をシートに押し付けた。
 艶のある髪が、黒い座席に広がる。
 ヨタカは顎に手をあてがい、考える。しばらくして、あっと呟いた。

「じゃあ、あの廃ビル!」
「そーだよぉ僕ちゃんようやく気づいたかい!!」

 一気に語調を強めた曲輪は、ずずっ、とヨタカの鼻先まで近づいた。
 元からハッキリした顔立ちの曲輪に、ドアップで見据えられ、ヨタカは思わず体を仰け反らせる。

「あそこはちょーーー危険場所だったわけ、なんでか分かる?」
「え、えと」
「怪異が出てたからだよ! つまり、君らが面白半分で訪れた彼処は、怪具があるかもしれなかった場所ってこと! わざわざ何時間も待ってようやくGOサイン貰ったってのに、君らがいるせいでおじゃんだ! いつから改益連盟はマセガキ専用託児施設になったんだっつーの!!」

 曲輪の怒涛の剣幕に目を白黒させていれば、硯が合いの手を入れる。

「あのビル、取り壊しに入った人間が何人か怪異に襲われてんだよ」
「へ」
「あそこは危険度MAXの最悪地域なの、危険なの、死ぬの、死にいたい奴しか行かないのぉ! なのにお前らがダマになってやんややんやで救助に手間取ったせいで怪具は愚か客の女も逃がすし! あぁクソまじでクソ!! ゆとりより前にさとりを何とかしろよ日本政府さんよー!!」

 どうやら、あの時助けに入ったのは、元からあのビルに目をつけていたかららしい。
 まぁ、それで今のヨタカがあるわけだから、なんとも言えない。実際、あの時誰の助けもなかったら、自分は五体満足でここには居られなかっただろう。

「そ、その説は、申し訳ございません……」
「ほんとにね!」
「別に良いよ。過ぎた事だし。2度目やったら殺す」
「……すみません」

 三者三様ならぬ、二者二様に叱られ、ヨタカは力なく肩を落とした。
 目前まで迫っていた曲輪は、はぁと息を落としながら、ぼすっと後ろの自席へ戻る。

「まぁ、ほんとに仕方ない。危険ってことが今回で分かったろ?」

 余程危険だったらしい。呆れたような口調の曲輪が、口をへの字に曲げながら言った。
 それに苦笑いで応じ、はたと気づく。

「………あの、ちょっと聞いていいですか」
「ん?」

 ヨタカの声音に、曲輪が眉を片方上げて聞き返した。
 ヨタカは静かに地面を見つめながら、なるべく曲輪の方を見ないようにして問う。

「ビルで、悲鳴を聞いたんです。」

 硯と曲輪、そして黙って携帯を弄っていた七瀬の顔が、揃って歪んだ。

「誰も、死んでませんか?」

 しん、と、身の凍る静寂が車内を満たしていく。
 その空気で、嫌という程悟れた。
 ヨタカは、握りしめていた指を更に握る。

「1人だけだよ」

 曲輪が呟く。
 先程から感情豊かだった彼から発されたとは、思いにくいほど、無機質な声だった。

「たった1人で済んだのは、はっきり言って奇跡に近い。一般人がうじゃうじゃいる中で、怪異から逃げるのはほぼ不可能なの」

 快活な彼に似合わない、諭すような口調。説明文に書かれたことを、そのまま読んだような内容に、心臓が嫌な音をたてた。
 無論、それが事実なのだろうと思う。紛れもない真実で、間違いない現実なのだ。ただ、その漢字2文字だけでは、ヨタカの胸中に渦巻く状況を言い表せないと言うだけで。

「わかりました」

 怪異は、人を殺せるのか。
 事実が一気に現実味を帯びて、体にのしかかってくる。

「わかり、ました」

 同じことを言ったのは、ほぼほぼ無意識だった。だからこそ、なんの反応も返せなかった。

「君の質問はそれだけ?」
「え、あはい、一応、は」

 唐突にトーンの上がった曲輪に、ヨタカは困惑しながらも返す。
 すると、彼はにやぁ、とチェシャ猫のような笑みを浮かべ、再びシートの上で胡座をかいた。

「じゃあ本題、さっき言ったよね、君は憑かれてるって」

 言われたような気もする。というか、言われた。

「君は憑かれてる、てか。当てられてるんだよ。つまり、」
「俺の周りに、怪具を持ってる人がいる?」

 言わんとすることを察して、先回りしたことは正しかったらしい。曲輪はポカン、とした直後、楽しそうにカラカラ笑い、「ご名答」と歯を見せた。

「君が、というか君が関係を持った人間だけじゃない、傍にいたすべての人間がその対象だ。それで、捜査協力を願いたい」
 
 ヨタカの鼻先に、指が突きつけられる。
 その指を硯がゆっくりと曲げてしまい込む。そのままくるんとこちらを向いて、碧眼にヨタカを写した。

「あの日、玉木陽子に言っただろ。どこで怪具を手に入れたんだって」

 あの時は記憶を消してやるつもりだったんだけどさ、と硯が付け加える。当然のように明かされた異様な事態に思わず目を剥くが、喋らない2人があまりに通常通りなのでヨタカが可笑しいような気になってしまう。

「簡単でいい。お前の症状が出たのは、いつから?悪い夢を見るようになったのは、いつ?その日付の間に、あった人間はいる?」

 怒涛の質問攻めに、たじろぐ。すると硯の首根っこを、指輪だらけの手が掴んだ。
 巨峰色の髪が跳ねる。七瀬だ。

「落ち着けや。悪いけど、今からちょっと付き合ってくれん?」
「今から、ですか」
「……門限とかある感じ? 親厳しいとか」
「いや、親は、海外に出ているので、門限とかはとくに」
「えっ! カイガイ!? ハリウッド!? マイケル・ムーア監督!!?」
「クレアおばさん」
「うらさん硯さん黙って。あとクレアおばさんは日本発祥だからな」
 
 母親のように2人の高校生を窘める七瀬をぽけーっと見ていれば、彼はこちらに向きなおった。

「じゃあ、時間は気にせんでええってこと?」
「……して、欲しい、が本音ですけど」

 思わずヨタカが本音を返せば、彼はぷっと吹き出して笑った。
 20代前半なのだろう。幼さの残る、整ったかんばせが狭い車内でもありありと感じられる。

「君には悪いけど、これからちょーっとばかし付き合ってくれん?」
 
 すっ、と鼻先まで整った顔が近づく。
 曲輪や硯に続いて、七瀬も恐ろしくパーソナルスペースが狭い。故意的なのかもしれないが、丹精な顔つきが目前まで来ると、焦る人は焦る。その焦る人に名を馳せているのがヨタカだ。
 
「付き、合う、とは」
「さっき言った通り。まぁ、これからもちょっと説明するけど」
 
 七瀬の指が、すっと動いた。
 そちらに目をやれば、彼の綺麗な指先で、見慣れた携帯ケースが揺れている。
 ヨタカは緑の瞳を見開いた。
 
「ぉれの携帯!」
「話し終わったら返したるってば」
 
 ぷーらぷらと揺れる携帯に、ヨタカの顔がひきつる。
 先程までの長ったるい話は、捜査協力(強制)のための前戯に過ぎなかったらしい。
 
「どうする?」
 
 がちんと音がした。
 音源を辿れば、硯が右のドアを、曲輪が左のドアの鍵を閉めている。
 そのための配置。そのための話。すべて彼らはこのためだったらしい。








「なんで言わなかったのかな〜って気持ち」
 
 曲輪の言葉を、硯は窓の外に視線を送ったまま蹂躙した。
 車の中には既にヨタカはいない。散々脅しをかけて最終的に泣く泣く言質をとった彼は、乗車前とは全く異なる弱弱しい足取りで車を後にしてくれた。改易連盟たちはわりとすんなりと解放してやったつもりではいるのだが、降りる際の彼は随分こちらを恨めしいような視線でもって見つめていたので、認識のズレはあるのかもしれない。

 窓の外をビュンビュン過ぎていく景色。先日までは東京での仕事だったせいで、際限なく開かれた青空を違和感に感じてしまう。
 都会生まれ都会育ちの曲輪は、今回の任務を酷く拒んでいたが、やはりプロはプロだ。現場につくなり顔を変えた。

「なにを」

 硯は田舎暮らしだ。元から田舎に対する嫌悪もない。むしろこの青空を好ましくさえ思う。だが光に馴染んだ隣の少年は、ネオンの明かりがないと眠れないらしく、蛍光灯の下でアイマスクをして眠るという奇行を睡眠の度に繰り返している。魚か。

「しらばっくれんなよ。カイバラくんに言わなかったろ」

 曲輪が窓枠に肘をつき、視線は向こう側へと固定して、硯に対して呟いた。硯も冷静な顔のまま、言葉を返す。
 
 ヨタカから泣く泣く協力許可が出たあと、彼を自宅へと送迎し、今後事件解決までこの送迎は続く旨を伝えた。その瞬間、ヨタカは膝から崩れ落ち、某議員もかくやとおもわれる程に「なんで僕なんだ」と泣き喚いたが、協力許可は貰っているので特に気にしていない。
 日夜、怪異や怪具という人間の汚泥部分を相手にしていれば、目の前で可憐な少女が泣いても「はは」と笑いながら通り過ぎれるし、はじめてのおつかいで転ぶ子供を見て「はは」と笑うこともできるのである。つまるところ、改益連盟に所属すれば性格が歪む。そうでもないとやっていけないのが現状ではあるが。
 そう思いを巡らせる七瀬の後ろで、硯が硬い声を出した。
 
「逆になんで言わなきゃいけないの」
「残酷だって思ったの? 巻き込んどいて? 今更かよ」
「突っかかってくんなよ」
「どうせいつか気づくことだよ。簡単じゃない。『怪異は実は人間なんです』とだけ言やぁ良いんだ。11字で済む」

 硯が眉間に皺を寄せ、不快感を顕にした。曲輪はその剣呑な雰囲気を感じ取っているだろうに、依然として窓の外を向いたままだ。

「百均で買った押し付け善意なら、110円そのまま渡した方が相手も嬉しいっしょ。合わねーことすんなよ」
「善意じゃない。守秘義務だよ」
「どーだかぁ」
 
 曲輪の言葉はトゲトゲしさを持って、硯を否応なく突き刺してくる。その棘に硯への信頼が見え隠れするから、深く突き刺さっても抜くことを躊躇われてしまう。硯はため息混じりに曲輪を見た。
 
「俺はただ、善人にはそのままでいて欲しいだけ」
 
 曲輪が黒目だけで硯を見た。
 
「善人は、そこに“決して覆せない何か”があるってだけで全てを赦して、許容するだろ。“ああいう奴ら”には、『赦してやる理由』は極力持たせない方がいいんだよ」
 
 硯の言葉に、曲輪は再びため息を着く。運転席に座った七瀬は、2人の応酬を左右の耳に入れながら、苦笑いした。
 曲輪は明朗快活な性格とは裏腹に、根底は深く暗い。目的や手段のためであれば、どんな障害も跳ね除ける。
 一方、硯は根っからの流され体質だ。周りが良いと思うものに頷き、悪いと思うものに僅かに首を捻る。
 曲輪がマルかバツかしかないのに対して、硯はマル、バツ、そしてサンカクとハテナマークも回答に持つ。そりゃあわんわ、と七瀬はため息を飲み込んだ。